なぜ美しいんだろう。 それを考えながら、今日は見た。
瑠璃光寺五重塔を設計した者は、どのように見られるかを考えていた。
これが、結論。 つまり、室生寺の五重塔と同じと思った。
新緑に包まれた塔は、いっそう輝きを増していた。
※ ※ ※ ※
瑠璃光寺は、山口市の中心街の少し北にある。 丘の上なので、どこからでも塔は見える。
瑠璃光寺。 名前にも惹かれる。 塔は、この場所の右の池の向こうにある。
この場所がベスト、という場所にきっと建っている。
牧水の歌碑。
後ろの2行は、古塔の(能)もとに立てる旅人。
はつ夏は、初夏のことで、もう少しですね。
※ 今年の、夏も近づく八十夜は、5月1日。 立夏は、5月5日。
池は、左に。
金閣寺の足利義光の時代、この地方は大内義弘が治めていた。
この義弘が応仁の乱で亡くなり、その菩提を弔うため、弟の盛見が建てたのが、この塔。
※ 完成は、盛見が亡くなった後。
※ 話しはそれるが、上に書いた大内義弘の5代後に、大内 義隆が出てくる。
鶴姫伝説の鶴姫が戦った相手は、大内 義隆。
司馬遼太郎の文です。
こんな文は、多くの知識がないと書けないので、短歌を作るより難しいように思う。
司馬遼太郎は、この塔に、優しさを感じたのだろうか。
完成してから、もう、570年経っている。
屋根の先の「そり加減」も違うように見える。
山口市の市街地。
木組みが、びっしり。
これを読むと、美しく見える理由が分かる。
塔の屋根でない部分は、上に行くに従って細くなっている。 屋根の間隔も狭く。

瑠璃光寺五重塔は、離れて、近くで、下から、上から、見ることが出来る。
二層にだけ、回縁(まわりえん)がついているのが特徴。 他の塔は、全部についている。
上の方がすっきりして見える。
設計した人は、模型を作って、色んな方向から眺めたと思う。
新緑に包まれている。
ここを行くと、瑠璃光寺の本堂。 寺は、小さい。
お堂の中。
健康であれば、人生は長い。
サルスベリの木から、松が生えていた。
※ 接ぎ木をしたのだろうか。
1本の桜に、色んな桜の木を接ぎ木する。
そうしたら、1本の木で、色んな桜が見られる。 可能かな。
この建物で、薩長両藩が話しあったとある。 当時は別の場所に。
小松帯刀(こまつたてわき)。 この人の名前に、2月頃、大隅半島で出会った。
根占(ねじめ)氏の系統の人。 先祖は、加山雄三と同じ。
この部屋で密談。 日本の夜明けを語る。
塔が見える。
新緑と花の季節です。
瑠璃光寺五重塔も、室生寺五重塔も、自然とセットになっているので、一層美しい。
そういう面で、法隆寺や薬師寺の塔も、上の2つにはかなわない。
五重塔や三重塔は、お寺にある建物なんだけど、線香の匂いがしないというか、お寺っぽくない。
それがあって、多くの人がやって来る。
最後に。
作家の久木綾子と云う人が、「見残しの塔」という小説を書いている。
瑠璃光寺五重塔について書いている。
その中で、こう言っている。
「大工たちは神の手と仏の慈悲と忍耐をもっている。でなければこんなに人の心を打つ塔堂伽藍は立ち上がらぬ」
【動画】
【今日の歌】
曲について、詳しく分かっていません。 いつか調べてみたいと思います。
下は、作曲者のチン・コン・ソン。 以前紹介した、美しい昔の作曲者と同じ。
片手だけで、ギターを弾いている。
この子は、何度か紹介しています。
百万本のバラですね。
【その他】 「キャンピングカーで放浪の旅Ⅰ」の方のアクセス数が、はね上がっています。
何があったんだろう。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 広島に近づく。 行きたい所があるが、道の確認がまだ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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これが、結論。 つまり、室生寺の五重塔と同じと思った。
新緑に包まれた塔は、いっそう輝きを増していた。
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瑠璃光寺は、山口市の中心街の少し北にある。 丘の上なので、どこからでも塔は見える。
瑠璃光寺。 名前にも惹かれる。 塔は、この場所の右の池の向こうにある。

この場所がベスト、という場所にきっと建っている。

牧水の歌碑。
後ろの2行は、古塔の(能)もとに立てる旅人。
はつ夏は、初夏のことで、もう少しですね。
※ 今年の、夏も近づく八十夜は、5月1日。 立夏は、5月5日。

池は、左に。

金閣寺の足利義光の時代、この地方は大内義弘が治めていた。
この義弘が応仁の乱で亡くなり、その菩提を弔うため、弟の盛見が建てたのが、この塔。
※ 完成は、盛見が亡くなった後。

※ 話しはそれるが、上に書いた大内義弘の5代後に、大内 義隆が出てくる。
鶴姫伝説の鶴姫が戦った相手は、大内 義隆。
司馬遼太郎の文です。
こんな文は、多くの知識がないと書けないので、短歌を作るより難しいように思う。
司馬遼太郎は、この塔に、優しさを感じたのだろうか。

完成してから、もう、570年経っている。

屋根の先の「そり加減」も違うように見える。

山口市の市街地。

木組みが、びっしり。

これを読むと、美しく見える理由が分かる。
塔の屋根でない部分は、上に行くに従って細くなっている。 屋根の間隔も狭く。

瑠璃光寺五重塔は、離れて、近くで、下から、上から、見ることが出来る。

二層にだけ、回縁(まわりえん)がついているのが特徴。 他の塔は、全部についている。
上の方がすっきりして見える。

設計した人は、模型を作って、色んな方向から眺めたと思う。
新緑に包まれている。

ここを行くと、瑠璃光寺の本堂。 寺は、小さい。

お堂の中。

健康であれば、人生は長い。

サルスベリの木から、松が生えていた。
※ 接ぎ木をしたのだろうか。
1本の桜に、色んな桜の木を接ぎ木する。
そうしたら、1本の木で、色んな桜が見られる。 可能かな。

この建物で、薩長両藩が話しあったとある。 当時は別の場所に。

小松帯刀(こまつたてわき)。 この人の名前に、2月頃、大隅半島で出会った。
根占(ねじめ)氏の系統の人。 先祖は、加山雄三と同じ。


この部屋で密談。 日本の夜明けを語る。

塔が見える。

新緑と花の季節です。

瑠璃光寺五重塔も、室生寺五重塔も、自然とセットになっているので、一層美しい。
そういう面で、法隆寺や薬師寺の塔も、上の2つにはかなわない。
五重塔や三重塔は、お寺にある建物なんだけど、線香の匂いがしないというか、お寺っぽくない。
それがあって、多くの人がやって来る。
最後に。
作家の久木綾子と云う人が、「見残しの塔」という小説を書いている。
瑠璃光寺五重塔について書いている。
その中で、こう言っている。
「大工たちは神の手と仏の慈悲と忍耐をもっている。でなければこんなに人の心を打つ塔堂伽藍は立ち上がらぬ」
【動画】
【今日の歌】
曲について、詳しく分かっていません。 いつか調べてみたいと思います。
下は、作曲者のチン・コン・ソン。 以前紹介した、美しい昔の作曲者と同じ。
片手だけで、ギターを弾いている。
この子は、何度か紹介しています。
百万本のバラですね。
【その他】 「キャンピングカーで放浪の旅Ⅰ」の方のアクセス数が、はね上がっています。
何があったんだろう。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 広島に近づく。 行きたい所があるが、道の確認がまだ。
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