中国地方の山の中の道は、南北に走る道が多い。
東西の道は、高速と細い道。
どの道を通るかを調べるのに、時間がかかる。
今日は、道をやっと見つけて、目的地に。
昔、水の無い土地に住む人たちにとって、稲作は夢だった。
※ ※ ※ ※
カーナビは、細い道も選ぶので、道を決めるのは自分。
地図を見ただけで分からない時は、ネットで調べる。
途中、何かの案内があったので、見てみた。
重源(ちょうげん)の里とある。 周南市の徳地(とくぢ)という地域。
説明では、重源は奈良の東大寺の再建に、尽力した人とあった。 中心だったよう。
※ 平安時代の終わりに、東大寺は源平の戦いによって、焼けた。
その重源が、この地方から、多くの木を切り出した。
法光寺。 その当時の仏像などが残っている。
徳地は、九条家の知行地だった。 知行地は、年貢が自分の物になる。
家並みは、左後ろにもある。
この後、潮音洞に向かう。
潮音洞(ちょうおんどう)は、山に掘ったトンネルの水路。
場所は、周南市鹿野上(かのかみ)。 漢陽寺内にある。
遠くから、潮音洞の案内はあったが、いつものように、近づいたらなくなった。
※ 後で気づいたが、小さくあった。
離れた空き地に車を停めて、探した。 人に聞いて分かった。
正面の山の、向こうからこっちに、山の中のトンネルを水が流れている。
※ この時は、まだ分からない。
※ 今いる場所は、台地で少し高い。 川はずっと下を流れている。
山の向こうの川の、800㍍上流から、水路とトンネルを作って、水を引いた。
小さな山を越えて、ここに来た。 少し行って、左に下りる。
ずっと向こうから、細い水路が来ている。
ここから、山に潜り込む。
掘ったのは、村だった頃、この村の住人、岩崎想左衛門重友。
工事は1651年に始めて、1654年に完成している。」
トンネルは、立っては歩けない高さ。 長さは、約89㍍。
※ 1年間に30㍍も掘れてない。
と云うことは、1ヶ月に2㍍程。 硬い岩だ。
トンネルには、水が流れる勾配を付けなければならない。
どうしたんだろう。
水の出口は、漢陽寺内にある。
説明が。 全体で、60㌶の田んぼに水が行ったとある。 ※ 100㍍四方が60こ。
出口が見えた。
ここの出ることを、きっと知って掘っていたと思う。
ここより2㍍でも低かったら大変。 ずっと土の中。
※ どうも、山の両側のある地点の高さを知る技術は、当時あったよう。
甲府の方に、その技術はあったようだが、詳しくは分からない。
※ 今のトンネルは、両側から掘るが、当時は、まさかそうではないと思う。
出た水は、2つに分かれる。

別の場所。 向こうが山。 水が流れてきた。
向こうに流れて行って、清流通りに行く。
清流通り。
向こうから流れてくる。
小さな公園。
山頭火の句碑があった。 ここで作ったのではないよう。
「へふへふとして水を味ふ」 へふへふ は、ひょうひょう。 漢字では、飄々か。
池に、桜の花びらが、びっしり。
神社を少し散歩して、戻る。
戻る途中、潮音洞の場所を聞いた人に、再度会った。
ちゃんと見つかったかいと、言ってくれた。
気になることが一つ。 名前の潮音洞。 潮という字をどうして使ったんだろう。
潮は、海と関係がある字に思うんだが。
※ 観音様を祀って、思い切って、観音洞にすればよかったのに。
【今日の歌】
【道の駅】 ピュアラインにしき
【明日の予定】 寂地峡というところがあるので、行ってみる。 雨がいつ止むかが問題。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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東西の道は、高速と細い道。
どの道を通るかを調べるのに、時間がかかる。
今日は、道をやっと見つけて、目的地に。
昔、水の無い土地に住む人たちにとって、稲作は夢だった。
※ ※ ※ ※
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地図を見ただけで分からない時は、ネットで調べる。
途中、何かの案内があったので、見てみた。
重源(ちょうげん)の里とある。 周南市の徳地(とくぢ)という地域。

説明では、重源は奈良の東大寺の再建に、尽力した人とあった。 中心だったよう。
※ 平安時代の終わりに、東大寺は源平の戦いによって、焼けた。
その重源が、この地方から、多くの木を切り出した。
法光寺。 その当時の仏像などが残っている。

徳地は、九条家の知行地だった。 知行地は、年貢が自分の物になる。
家並みは、左後ろにもある。

この後、潮音洞に向かう。
潮音洞(ちょうおんどう)は、山に掘ったトンネルの水路。
場所は、周南市鹿野上(かのかみ)。 漢陽寺内にある。
遠くから、潮音洞の案内はあったが、いつものように、近づいたらなくなった。
※ 後で気づいたが、小さくあった。
離れた空き地に車を停めて、探した。 人に聞いて分かった。
正面の山の、向こうからこっちに、山の中のトンネルを水が流れている。
※ この時は、まだ分からない。
※ 今いる場所は、台地で少し高い。 川はずっと下を流れている。
山の向こうの川の、800㍍上流から、水路とトンネルを作って、水を引いた。

小さな山を越えて、ここに来た。 少し行って、左に下りる。

ずっと向こうから、細い水路が来ている。

ここから、山に潜り込む。

掘ったのは、村だった頃、この村の住人、岩崎想左衛門重友。
工事は1651年に始めて、1654年に完成している。」

トンネルは、立っては歩けない高さ。 長さは、約89㍍。
※ 1年間に30㍍も掘れてない。
と云うことは、1ヶ月に2㍍程。 硬い岩だ。

トンネルには、水が流れる勾配を付けなければならない。
どうしたんだろう。
水の出口は、漢陽寺内にある。

説明が。 全体で、60㌶の田んぼに水が行ったとある。 ※ 100㍍四方が60こ。

出口が見えた。

ここの出ることを、きっと知って掘っていたと思う。
ここより2㍍でも低かったら大変。 ずっと土の中。
※ どうも、山の両側のある地点の高さを知る技術は、当時あったよう。
甲府の方に、その技術はあったようだが、詳しくは分からない。
※ 今のトンネルは、両側から掘るが、当時は、まさかそうではないと思う。

出た水は、2つに分かれる。


別の場所。 向こうが山。 水が流れてきた。

向こうに流れて行って、清流通りに行く。

清流通り。

向こうから流れてくる。

小さな公園。

山頭火の句碑があった。 ここで作ったのではないよう。
「へふへふとして水を味ふ」 へふへふ は、ひょうひょう。 漢字では、飄々か。

池に、桜の花びらが、びっしり。

神社を少し散歩して、戻る。

戻る途中、潮音洞の場所を聞いた人に、再度会った。
ちゃんと見つかったかいと、言ってくれた。
気になることが一つ。 名前の潮音洞。 潮という字をどうして使ったんだろう。
潮は、海と関係がある字に思うんだが。
※ 観音様を祀って、思い切って、観音洞にすればよかったのに。
【今日の歌】
【道の駅】 ピュアラインにしき
【明日の予定】 寂地峡というところがあるので、行ってみる。 雨がいつ止むかが問題。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
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