亀岡市は、元々は亀山という地名だった。 だから、城の名前も亀山城。
ところが、三重県にも亀山の地名があるので、明治に入って亀岡に変えた。
亀山城も、人に渡してしまった。
亀山に住む人みんなの考えではなかったと思うが、亀山の名前も城も、捨ててしまった。
城跡の周りに、町家など古い建物が残っているので、歩いて見た。
※ ※ ※ ※
亀山市は、京都の隣の小京都、とアピールしていた時代があったが、今はしていない。
小京都と云うには、新しい町並みが多いので、無理と考えたのか。
トロッコ列車で京都とつながっているので、京都の一部との考えもあるが、それも違うかな。
駅の観光案内所で地図をもらうため、駅に向かった。
亀岡市を歩くと、石田梅岩(いしだばいがん)の名前が目立つ。
石田梅岩は江戸時代の人。
庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖 ともいわれている人。
商人は儲けることしか考えてないように思われがちだが、そうではなく、売る方も買う方も両方が満足できるものであれば、
商人の仕事は、社会のためにもなっている、立派な仕事だ、と云う感じで説いている。
下のようなことが書いてあったが、むずかしい。 右は、左の下の部分をはぐったら、書いてあった。
塀の向こうに、楽々荘(らくらくそう)というホテルがある。
田中源太郎と云う人の生家を改築した物。
この人は、トロッコ列車をつくった人。
※ トロッコ列車の線路は、元々は山陰本線。 その山陰本線をつくった。 国会議員もやった人。
その
中には入れないので、Wikipedia の写真を。
駅で地図をいただいた。 城のお濠(ほり)で釣りをしている人。
城の東側で、普段は通らない道。 昔の商家が、確かにある。
あるお年寄りが、明治時代の建物が残っているよ、って教えてくれた。
丹波酒造。
脇道の通り。 歩かなかったが、こんな通りが時々ある。
町名は、呉服町とか旅籠町とか、そんな名前。
地図にある、お勧めルートを歩いている。
聖隣寺(せいりんじ)。
この地図の中を歩いている。
聖隣寺には、織田信長の供養塔がある。 信長の4男、秀勝が建てたとある。
五輪塔の形。 墓だとか言ってないから、本物ですね。
聖隣寺の近くにある、称名寺(しょうみょうじ)。
和泉式部の墓があった。 言い伝えですから、本物ではないですね。
彼女の墓は、いっぱいある。
可能性が一番高いのは、京都の新京極にある、誠心院にある墓でしょうね。
※ 間もなく蛍の季節がやって来ます。
和泉式部の歌に、こんなのがあります。
「もの思へば 澤のほたるも わがが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る」 ※ 魂~たま
意味は、跳ぶホタルが、自分の体から抜けた、魂に見えた。
自分は今、抜け殻のようだと言っている。
小町もいいけど、和泉式部もいいですね。
称名寺の塀。
流れる水は湧水。 亀岡市は、湧水の町でもあるよう。
向こうの屋根の下に、湧水の池が合って、そこで野菜とかを洗う。
昔は、馬を洗うことが出来たので、馬の世話をしている家臣たちが住んでいた。
黄色いアヤメです。 キショウブでいいでしょうか。
古い家並みが少しだけ。
今日は5月5日。 暦の上では夏。 立夏です。
壁が汚れないように、小さな屋根。 水切瓦でいいかな。
水切瓦は、四国の室戸岬に近い吉良川で見ました。
下のです。
屋根の上に、煙出しがある。
酒造会社。
振り返って撮影。
今日歩いた一番に東は、聖隣寺。 そこから、2㌔程歩くと、先日事故に遭った子供達の学校、安祥小。
国道が混みだしたら、車は裏道を走り出す。
今日は連休なので、旧道などの裏道は、けっこう混んでいた。
スピードを落とさない車もある。
先日の事故の車も、上の事情で、裏道を走っていたそうだ。 東風さんが教えてくれた。
亀岡市は、30年前に家並みの価値に気付いていたら、伝建地区になったでしょうか。
亀山城跡が市民の物でないことが、とにかく残念。
【今日の歌】
岡林信康は、ひばりが好きだったようです。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 嵐山の南にある、西山を歩く。 でも、雨の予報。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で10位です。
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ところが、三重県にも亀山の地名があるので、明治に入って亀岡に変えた。
亀山城も、人に渡してしまった。
亀山に住む人みんなの考えではなかったと思うが、亀山の名前も城も、捨ててしまった。
城跡の周りに、町家など古い建物が残っているので、歩いて見た。
※ ※ ※ ※
亀山市は、京都の隣の小京都、とアピールしていた時代があったが、今はしていない。
小京都と云うには、新しい町並みが多いので、無理と考えたのか。
トロッコ列車で京都とつながっているので、京都の一部との考えもあるが、それも違うかな。
駅の観光案内所で地図をもらうため、駅に向かった。
亀岡市を歩くと、石田梅岩(いしだばいがん)の名前が目立つ。

石田梅岩は江戸時代の人。
庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖 ともいわれている人。
商人は儲けることしか考えてないように思われがちだが、そうではなく、売る方も買う方も両方が満足できるものであれば、
商人の仕事は、社会のためにもなっている、立派な仕事だ、と云う感じで説いている。
下のようなことが書いてあったが、むずかしい。 右は、左の下の部分をはぐったら、書いてあった。


塀の向こうに、楽々荘(らくらくそう)というホテルがある。
田中源太郎と云う人の生家を改築した物。
この人は、トロッコ列車をつくった人。
※ トロッコ列車の線路は、元々は山陰本線。 その山陰本線をつくった。 国会議員もやった人。
その

中には入れないので、Wikipedia の写真を。

駅で地図をいただいた。 城のお濠(ほり)で釣りをしている人。

城の東側で、普段は通らない道。 昔の商家が、確かにある。
あるお年寄りが、明治時代の建物が残っているよ、って教えてくれた。

丹波酒造。

脇道の通り。 歩かなかったが、こんな通りが時々ある。

町名は、呉服町とか旅籠町とか、そんな名前。

地図にある、お勧めルートを歩いている。

聖隣寺(せいりんじ)。

この地図の中を歩いている。

聖隣寺には、織田信長の供養塔がある。 信長の4男、秀勝が建てたとある。

五輪塔の形。 墓だとか言ってないから、本物ですね。

聖隣寺の近くにある、称名寺(しょうみょうじ)。

和泉式部の墓があった。 言い伝えですから、本物ではないですね。
彼女の墓は、いっぱいある。
可能性が一番高いのは、京都の新京極にある、誠心院にある墓でしょうね。

※ 間もなく蛍の季節がやって来ます。
和泉式部の歌に、こんなのがあります。
「もの思へば 澤のほたるも わがが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る」 ※ 魂~たま
意味は、跳ぶホタルが、自分の体から抜けた、魂に見えた。
自分は今、抜け殻のようだと言っている。
小町もいいけど、和泉式部もいいですね。
称名寺の塀。

流れる水は湧水。 亀岡市は、湧水の町でもあるよう。
向こうの屋根の下に、湧水の池が合って、そこで野菜とかを洗う。
昔は、馬を洗うことが出来たので、馬の世話をしている家臣たちが住んでいた。

黄色いアヤメです。 キショウブでいいでしょうか。


古い家並みが少しだけ。

今日は5月5日。 暦の上では夏。 立夏です。

壁が汚れないように、小さな屋根。 水切瓦でいいかな。

水切瓦は、四国の室戸岬に近い吉良川で見ました。
下のです。

屋根の上に、煙出しがある。

酒造会社。

振り返って撮影。

今日歩いた一番に東は、聖隣寺。 そこから、2㌔程歩くと、先日事故に遭った子供達の学校、安祥小。
国道が混みだしたら、車は裏道を走り出す。
今日は連休なので、旧道などの裏道は、けっこう混んでいた。
スピードを落とさない車もある。
先日の事故の車も、上の事情で、裏道を走っていたそうだ。 東風さんが教えてくれた。
亀岡市は、30年前に家並みの価値に気付いていたら、伝建地区になったでしょうか。
亀山城跡が市民の物でないことが、とにかく残念。
【今日の歌】
岡林信康は、ひばりが好きだったようです。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 嵐山の南にある、西山を歩く。 でも、雨の予報。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
岡林信康
Re: 岡林信康
月の夜汽車、聴きました。
こんな歌があったんですね。
初めて知りました。
聴けば聴くほど、しんみりと味のある歌に感じます。
7日の今日の歌にしますね。
こんな歌があったんですね。
初めて知りました。
聴けば聴くほど、しんみりと味のある歌に感じます。
7日の今日の歌にしますね。
もう少し東に歩いてると、岡林信康さんに出会えたかもしれませんよ。詳しくは言えませんが…
Re: タイトルなし
調べたら分かると思ったけど、調べなかったんですよ。
でも、偶然会えるんなら、会ってみたいですね。
東と云うのは、京都寄りのことですね。
今でも、魅力的に歌っていますね。
誰もがそうは出来ないのに。
亀岡って、実はすごい歴史があったんですね。
亀岡って、これほど古い町並みが残っていたんですね。小学校くらいのころ、川西から家族で車で京都に行くとき、亀岡をよく通りましたが、町の中に入ったことはないので旧城下のことはまったく知りませんでした。今同じルートをバスで行こうと思っても接続が悪い、というかもうないですね。
水切り壁(?)は、高知の安芸市でよく見かけました。あのあたり一帯の家のつくりなのでしょうか?
水切り壁(?)は、高知の安芸市でよく見かけました。あのあたり一帯の家のつくりなのでしょうか?
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「友よ」を封印した岡林信康が、「いち抜けた」と
フォーク界から去って、2年ほど、百姓をして過ごし、
やっぱり、おいらは、歌が好きと歌の世界に戻って
2年後、ひばりに「月の夜汽車」を提供します。
ひばりが歌うよりも、岡林信康が歌う「月の夜汽車」のほうが
情感たっぷりで、聞かせます。二人揃ってTVに出演した
1975年、岡林信康29歳、美空ひばり38歳。このとき、
ひばりが、「女王なんて名前は返上したいワ」と言い、
「あなたの、フォークの神様も…」と言ったとか。