義経と弁慶が戦った五条橋は、今の松原橋の所にあった。
松原橋を通る、東西に続く道が、松原通り。
その道を歩いてみた。
小野篁(おののたかむら)という役人が、平安時代の前期にいた。
和歌にも通じ、優秀な役人だったようだ。
この人の名前は、旅をしていると、よく出会う。
小野小町の祖父と云われる人物でもある。(一つの説)
小野篁にゆかりの寺があった。 話は、少し面白い。
※ ※ ※ ※
ピンクの○の道が、松原通。 左から右に歩く。
商店街がずっと続く、小路。 大型商店街が出来る前は、今より賑やかだった。
まるき製パン所。 京都では知られたパン屋さんのよう。 素朴な味のパンを食べながら歩く。
こんなのが、ずっと下がっている。
何を意味しているかと云うと、この先ずっと行くと、松原橋がある。
その橋は、むかし、五条橋だった。 義経と弁慶が戦った場所。 ※ このことは、一般的に認められている。
それで、こう。
道が細いから、一方通行。 観光客は歩いていない。
光圓寺(こうえんじ)。 親鸞聖人は、ここで亡くなったとされている。 (寺の説明)
※ 親鸞は「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と言った人ですね。
この言葉については、ここに詳しく。
ここは、亀山藩の京屋敷跡。 今は、亀山稲荷神社。
烏丸通を渡って、道は続く。
新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)。
歌人の藤原俊成(ふじわらのとしなり・しゅんぜい)がつくった神社。
千載和歌集は、この地で編纂、と説明にあった。
江戸時代には、芭蕉の師の北村季吟(きぎん)も、ここに住んだことがある。
紙店など、専門の店が時々見られる。
鴨川の少し手前に来た。 木屋町通。
松原橋。
この橋は、昔は五条橋と呼ばれていた。
今日歩いている松原通は、西安時代は五条大路で、清水寺への参道だった。
多くの人で、賑わっていた。
義経と弁慶が出会ったのは、この橋。
鴨川の下流。 今の五条橋。 秀吉の時代に、向こうが五条橋になってしまった。
地図があった。
橋を渡って少ししたら、宮河町通りが、横に見えた。
石畳の道。 風情がある。
子育飴が売っていた。 幽霊子育飴。
※ 子育て雨は、静岡の方でも見ましたね。 小夜の中山名物子育飴。
※ 子育飴の話しは、幽霊が飴を買う話です。
※ こんな話。(Wikipedia) こんな幽霊。
上のすぐ近くに、六道珍皇子(ろくどうちんのうじ)。
六道の辻、小野篁(たかむら)とある。
ここからもっと行くと、遠くなく、東山の斜面になる。
そこは、清水寺の南で、鳥辺野。 広大な墓地だった。
今の世とあの世の境目が、六道の辻。
※ 幽霊は、今の世に戻って来て、飴を買っていた。
閻魔・篁堂。 小さな穴から、覗いている。
こんな像が見えた。
本堂。
本堂の左。 写真中央に、窓。
窓の向こうの庭に、篁 冥土通いの井戸があるという。
赤い祠の、少し右に見えた。
小野篁は、ここを通って、あの世へ行ったり来たりしたという。 話ですが。
さらに歩いて、東大路通に出た。 清水寺は近い。 ゴール。
今日は、観光地でない所を歩いてみた。
【今日の歌】
夏がやって来ています。 でも、あっという間に過ぎて行きます。 一瞬と言ってもいいように。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 下立売通りを歩く予定
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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松原橋を通る、東西に続く道が、松原通り。
その道を歩いてみた。
小野篁(おののたかむら)という役人が、平安時代の前期にいた。
和歌にも通じ、優秀な役人だったようだ。
この人の名前は、旅をしていると、よく出会う。
小野小町の祖父と云われる人物でもある。(一つの説)
小野篁にゆかりの寺があった。 話は、少し面白い。
※ ※ ※ ※
ピンクの○の道が、松原通。 左から右に歩く。

商店街がずっと続く、小路。 大型商店街が出来る前は、今より賑やかだった。

まるき製パン所。 京都では知られたパン屋さんのよう。 素朴な味のパンを食べながら歩く。


こんなのが、ずっと下がっている。
何を意味しているかと云うと、この先ずっと行くと、松原橋がある。
その橋は、むかし、五条橋だった。 義経と弁慶が戦った場所。 ※ このことは、一般的に認められている。

それで、こう。

道が細いから、一方通行。 観光客は歩いていない。

光圓寺(こうえんじ)。 親鸞聖人は、ここで亡くなったとされている。 (寺の説明)

※ 親鸞は「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と言った人ですね。
この言葉については、ここに詳しく。
ここは、亀山藩の京屋敷跡。 今は、亀山稲荷神社。


烏丸通を渡って、道は続く。

新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)。
歌人の藤原俊成(ふじわらのとしなり・しゅんぜい)がつくった神社。
千載和歌集は、この地で編纂、と説明にあった。
江戸時代には、芭蕉の師の北村季吟(きぎん)も、ここに住んだことがある。


紙店など、専門の店が時々見られる。

鴨川の少し手前に来た。 木屋町通。

松原橋。
この橋は、昔は五条橋と呼ばれていた。
今日歩いている松原通は、西安時代は五条大路で、清水寺への参道だった。
多くの人で、賑わっていた。
義経と弁慶が出会ったのは、この橋。

鴨川の下流。 今の五条橋。 秀吉の時代に、向こうが五条橋になってしまった。

地図があった。

橋を渡って少ししたら、宮河町通りが、横に見えた。
石畳の道。 風情がある。

子育飴が売っていた。 幽霊子育飴。
※ 子育て雨は、静岡の方でも見ましたね。 小夜の中山名物子育飴。
※ 子育飴の話しは、幽霊が飴を買う話です。

※ こんな話。(Wikipedia) こんな幽霊。

上のすぐ近くに、六道珍皇子(ろくどうちんのうじ)。
六道の辻、小野篁(たかむら)とある。

ここからもっと行くと、遠くなく、東山の斜面になる。
そこは、清水寺の南で、鳥辺野。 広大な墓地だった。
今の世とあの世の境目が、六道の辻。
※ 幽霊は、今の世に戻って来て、飴を買っていた。
閻魔・篁堂。 小さな穴から、覗いている。

こんな像が見えた。

本堂。

本堂の左。 写真中央に、窓。

窓の向こうの庭に、篁 冥土通いの井戸があるという。

赤い祠の、少し右に見えた。

小野篁は、ここを通って、あの世へ行ったり来たりしたという。 話ですが。

さらに歩いて、東大路通に出た。 清水寺は近い。 ゴール。

今日は、観光地でない所を歩いてみた。
【今日の歌】
夏がやって来ています。 でも、あっという間に過ぎて行きます。 一瞬と言ってもいいように。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 下立売通りを歩く予定
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