小浜は、京都や大阪の台所だった。
その華やかな時代の面影が今に残るのが、三丁町。
時代の発展と関わりないように、静かに佇んでいた。
お江の姉のお初の墓が、常高寺にあった。
墓は小浜に、そして動かさぬように、それがお初の遺言。
小浜は、お初の愛した土地だった。
※ ※ ※ ※
小浜港は、小浜湾の中にある。
※ 西の舞鶴港、東の敦賀港も、それぞれ湾の中。
小浜港。 右の写真は、向こうが湾の出口。
山の手前に、町並みがある。 国道と鉄道も、通っている。
地図の左の方を歩く。
ここからが、町並みの中心。 3つの町をまとめて、こんな呼び名になった。
重伝建地区の選定が、平成20年。
もし、20年前に選定されていたら、驚く状態で家並みが残っていたと思う。
ロケ地だったとある。 このドラマ、見たことない。
かつては、30軒以上のお茶屋があったという。 今は3軒。
急ピッチで町づくりを進めている。 そんな印象をもった。
格子戸が目を引く。
江戸時代の雰囲気を残しているが、建物は、明治時代に火事でほとんど焼けたという。
与謝野鉄幹の歌。 そして、地元出身の山川登美子の歌。
山川登美子は、大阪の梅花女学校を卒業。
その後、与謝野鉄幹らのおこした「明星」で活躍する。
晶子とともに、与謝野鉄幹に惹かれるが、自ら身を引くことを選んで、親が決めた人と結婚。
その時に、下の歌をうたう。
それとなく紅き花みな友にゆずり そむきてなきて忘れ草つむ
彼女は、29歳の若さで、結核で亡くなる。 その時、鉄幹が写真の歌を詠む。
君なきか若狭のとみ子しら玉の あたら君さえ砕けはつるか
写真右の歌は、山川登美子の代表作。
髪ながき少女とうまれ しろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ
この歌の正確な解釈は分からない。
常高寺(じょうこうじ)。 お初の墓がある。
ここから参道。 本堂の前を鉄道が通っている。
その裏に、国道があり、奥にお墓。
つまり、境内の中を鉄道と国道が、横切っている。
お初は、豊臣と徳川の調停に動いている。 そこで、お初は輝く。 お江とは、仲が良かったそう。
少し行って、右に曲がって線路の下を通る。
湧水があった。 一口飲んだ。
顔を出して、写真が撮れる。 3人それぞれ、波乱の人生を歩む。
お初しあわせの道を歩く。
墓地は、写真の左上にあった。 国道27。 向こうに行くと、舞鶴。
石段の上に見えてきた。
お初の墓。 宝篋印塔の形。
亡くなったのは、1633年とある。
7人の侍女の墓。
左は墓の正面で、戒名なんだが、読めない。 8月27日は、命日。
寛永10年は、1633年。 亡くなった年。
道で日向ぼっこ。 車は、よけて通る。 トラックが来た時、猫は動いた。 道は、丹後街道。
大正14年の建物。 洋風建築。
八百比丘尼(はっぴゃくびくに)。 何でしょう。
小さな洞窟。
人魚の肉を食べて長生きしたとある。
港に人魚の像があった。 どうしてあるか分からなかったが、これで分かった。
文殊地蔵。
駐車場の近くの山の上から。
小浜市には、とにかく寺が多い。
その寺を支えるだけ繁栄した時代があった。
そういうことでしょうね。
【今日の曲】
曲は知っていたのですが、題名を思い出せないでいました。
2~3日前、急に口から出ました。
3分10秒からが好きなため、この曲が好き。
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 滝を見る。 湧水があるので、水を汲んで。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その華やかな時代の面影が今に残るのが、三丁町。
時代の発展と関わりないように、静かに佇んでいた。
お江の姉のお初の墓が、常高寺にあった。
墓は小浜に、そして動かさぬように、それがお初の遺言。
小浜は、お初の愛した土地だった。
※ ※ ※ ※
小浜港は、小浜湾の中にある。
※ 西の舞鶴港、東の敦賀港も、それぞれ湾の中。
小浜港。 右の写真は、向こうが湾の出口。


山の手前に、町並みがある。 国道と鉄道も、通っている。

地図の左の方を歩く。


ここからが、町並みの中心。 3つの町をまとめて、こんな呼び名になった。

重伝建地区の選定が、平成20年。
もし、20年前に選定されていたら、驚く状態で家並みが残っていたと思う。

ロケ地だったとある。 このドラマ、見たことない。

かつては、30軒以上のお茶屋があったという。 今は3軒。

急ピッチで町づくりを進めている。 そんな印象をもった。
格子戸が目を引く。

江戸時代の雰囲気を残しているが、建物は、明治時代に火事でほとんど焼けたという。

与謝野鉄幹の歌。 そして、地元出身の山川登美子の歌。
山川登美子は、大阪の梅花女学校を卒業。
その後、与謝野鉄幹らのおこした「明星」で活躍する。
晶子とともに、与謝野鉄幹に惹かれるが、自ら身を引くことを選んで、親が決めた人と結婚。
その時に、下の歌をうたう。
それとなく紅き花みな友にゆずり そむきてなきて忘れ草つむ
彼女は、29歳の若さで、結核で亡くなる。 その時、鉄幹が写真の歌を詠む。
君なきか若狭のとみ子しら玉の あたら君さえ砕けはつるか
写真右の歌は、山川登美子の代表作。
髪ながき少女とうまれ しろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ
この歌の正確な解釈は分からない。


常高寺(じょうこうじ)。 お初の墓がある。
ここから参道。 本堂の前を鉄道が通っている。
その裏に、国道があり、奥にお墓。
つまり、境内の中を鉄道と国道が、横切っている。

お初は、豊臣と徳川の調停に動いている。 そこで、お初は輝く。 お江とは、仲が良かったそう。


少し行って、右に曲がって線路の下を通る。

湧水があった。 一口飲んだ。

顔を出して、写真が撮れる。 3人それぞれ、波乱の人生を歩む。

お初しあわせの道を歩く。


墓地は、写真の左上にあった。 国道27。 向こうに行くと、舞鶴。

石段の上に見えてきた。

お初の墓。 宝篋印塔の形。

亡くなったのは、1633年とある。

7人の侍女の墓。

左は墓の正面で、戒名なんだが、読めない。 8月27日は、命日。


寛永10年は、1633年。 亡くなった年。

道で日向ぼっこ。 車は、よけて通る。 トラックが来た時、猫は動いた。 道は、丹後街道。


大正14年の建物。 洋風建築。

八百比丘尼(はっぴゃくびくに)。 何でしょう。

小さな洞窟。

人魚の肉を食べて長生きしたとある。
港に人魚の像があった。 どうしてあるか分からなかったが、これで分かった。

文殊地蔵。

駐車場の近くの山の上から。

小浜市には、とにかく寺が多い。
その寺を支えるだけ繁栄した時代があった。
そういうことでしょうね。
【今日の曲】
曲は知っていたのですが、題名を思い出せないでいました。
2~3日前、急に口から出ました。
3分10秒からが好きなため、この曲が好き。
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 滝を見る。 湧水があるので、水を汲んで。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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