鎌倉時代の初め、浄土宗の法然の弟子として、親鸞が現れた。
法然の教えを発展させて、南無阿弥陀仏を唱えたら、極楽浄土に行けると説いた。
親鸞の没後に、親鸞の門弟たちが、浄土真宗として新しい教団を作った。 ※ 呼び名は、変遷するが。
親鸞の教えが分かりやすかったこともあり、信者数は、爆発するように増える。
現在、浄土真宗は10派に分かれているが、西本願寺を本山とする本願寺派が、最大。
末寺数も信者数も、日本で最も多い。
※ ※ ※ ※
西本願寺派、京都駅から歩いて行ける。
堀川通りを北に。 左に、見えてきた。
御影堂門。 観光客の多くは、この門を入る。
特別の所以外は、無料。 東本願寺も無料。 法然の浄土宗の知恩院も、無料。
信者数が多いために、こう出来るのかな。
無料と云うことで、お参りが、京都市民の生活の中に溶け込んでいる。
御影堂(ごえいどう)。 親鸞の像がある。
本堂はとなりの阿弥陀堂だが、御影堂が西本願寺の中心の感じ。
御影堂に上った。
御影堂の中。 涼しい。 しばらく休憩。 観光客も、お坊さんのお話しを聞く。
1時半過ぎに行ったんだけど、この時間は毎日、帰敬式(ききょうしき)というのをやっている。
「おかみそり」とも言われるもの。 信者になるための儀式かな。
これを見ていた。
天井。
西本願寺と東本願寺があるが、東本願寺は分かれた方。
組織が大きくなると、一つにまとめるのは大変。 トップになりたい人間が、何人も現れる。
向こう隣りに、阿弥陀堂。
浄土宗との関係で、浄土真宗と名乗れたのは、明治に入ってから。 それまでは、一向宗とか。
床板の修理。
大きなイチョウの木。 長い年月の剪定(せんてい)によって、背が高くない。
江戸時代の大火では火の粉を浴びたが、生き延びた。
西本願寺と東本願寺に分かれることは、家康にとっても都合がよかったよう。
一つにまとまってる方が、敵になった時、大変。
阿弥陀堂への、渡り廊下。
渡り廊下の左。 左の建物には行けない。
阿弥陀堂。 本堂。 阿弥陀如来像が安置されている。
少し前まで、こっちでも帰敬式が行われていたよう。
向こうは、最初に行った御影堂。
阿弥陀堂。 お寺は、どこも立派。
あの世にお金は持って行けない。
自分の死が見えて来たら、信者はお寺のためにお金を使うのを、惜しまなくなるのか。
御影堂。
親鸞の弟子に、唯円がいた。 彼は、歎異抄(たんにしょう)を書いた。
内容は、親鸞が話したことを書いたもの。
こんな文があった。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
意味は、善人でさえ往生できるのだから、悪人は云うにおよばない。
この歎異抄を、若い頃に読んだ。
生き方が書いてあった。 大きな影響を受けた。 子供を見る目も変わった。
地図の左の方の、国宝の唐門(からもん)を見に。
眺めていると、その美しさに、日が暮れるを忘れるそう。 だから、日暮門(ひぐらしもん)とも。
四隅に柱があるので、四脚門。
桃山時代の伏見城の遺構と、説明にあった。
彫刻が魅力。 日光の陽明門のような派手さはない。
建築年代は、はっきりしない。 江戸時代の初めには、あった。
中央は牛でしょうか。 右下に、不思議な動物。
唐門の隣に、大玄関門。
2つの門の前の建物。
再び、唐門。
御影堂に再度。
御影堂門を出てきた。 ここから、最初入った。
門前は、仏壇・仏具のお店が並んでいた。
西本願寺の境内は、世界遺産に登録されている。 ※ 東本願寺は違う。
※ 浄土真宗を開いた親鸞は、こんな人でした。
【今日の歌】
どこかで聴いたことがありますね。
下のは、レコードかCDに録音されたもの。 完成している。
こっちは、ライブですね。 どっちもいいかな。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 東本願寺の別邸に渉成園というのがある。 そこに。 京都駅から近い。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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法然の教えを発展させて、南無阿弥陀仏を唱えたら、極楽浄土に行けると説いた。
親鸞の没後に、親鸞の門弟たちが、浄土真宗として新しい教団を作った。 ※ 呼び名は、変遷するが。
親鸞の教えが分かりやすかったこともあり、信者数は、爆発するように増える。
現在、浄土真宗は10派に分かれているが、西本願寺を本山とする本願寺派が、最大。
末寺数も信者数も、日本で最も多い。
※ ※ ※ ※
西本願寺派、京都駅から歩いて行ける。
堀川通りを北に。 左に、見えてきた。

御影堂門。 観光客の多くは、この門を入る。

特別の所以外は、無料。 東本願寺も無料。 法然の浄土宗の知恩院も、無料。
信者数が多いために、こう出来るのかな。
無料と云うことで、お参りが、京都市民の生活の中に溶け込んでいる。

御影堂(ごえいどう)。 親鸞の像がある。
本堂はとなりの阿弥陀堂だが、御影堂が西本願寺の中心の感じ。

御影堂に上った。

御影堂の中。 涼しい。 しばらく休憩。 観光客も、お坊さんのお話しを聞く。
1時半過ぎに行ったんだけど、この時間は毎日、帰敬式(ききょうしき)というのをやっている。
「おかみそり」とも言われるもの。 信者になるための儀式かな。
これを見ていた。

天井。

西本願寺と東本願寺があるが、東本願寺は分かれた方。
組織が大きくなると、一つにまとめるのは大変。 トップになりたい人間が、何人も現れる。
向こう隣りに、阿弥陀堂。

浄土宗との関係で、浄土真宗と名乗れたのは、明治に入ってから。 それまでは、一向宗とか。
床板の修理。

大きなイチョウの木。 長い年月の剪定(せんてい)によって、背が高くない。
江戸時代の大火では火の粉を浴びたが、生き延びた。

西本願寺と東本願寺に分かれることは、家康にとっても都合がよかったよう。
一つにまとまってる方が、敵になった時、大変。
阿弥陀堂への、渡り廊下。

渡り廊下の左。 左の建物には行けない。

阿弥陀堂。 本堂。 阿弥陀如来像が安置されている。
少し前まで、こっちでも帰敬式が行われていたよう。

向こうは、最初に行った御影堂。

阿弥陀堂。 お寺は、どこも立派。
あの世にお金は持って行けない。
自分の死が見えて来たら、信者はお寺のためにお金を使うのを、惜しまなくなるのか。

御影堂。

親鸞の弟子に、唯円がいた。 彼は、歎異抄(たんにしょう)を書いた。
内容は、親鸞が話したことを書いたもの。
こんな文があった。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
意味は、善人でさえ往生できるのだから、悪人は云うにおよばない。
この歎異抄を、若い頃に読んだ。
生き方が書いてあった。 大きな影響を受けた。 子供を見る目も変わった。
地図の左の方の、国宝の唐門(からもん)を見に。

眺めていると、その美しさに、日が暮れるを忘れるそう。 だから、日暮門(ひぐらしもん)とも。
四隅に柱があるので、四脚門。
桃山時代の伏見城の遺構と、説明にあった。

彫刻が魅力。 日光の陽明門のような派手さはない。

建築年代は、はっきりしない。 江戸時代の初めには、あった。


中央は牛でしょうか。 右下に、不思議な動物。

唐門の隣に、大玄関門。

2つの門の前の建物。

再び、唐門。

御影堂に再度。

御影堂門を出てきた。 ここから、最初入った。

門前は、仏壇・仏具のお店が並んでいた。

西本願寺の境内は、世界遺産に登録されている。 ※ 東本願寺は違う。
※ 浄土真宗を開いた親鸞は、こんな人でした。
【今日の歌】
どこかで聴いたことがありますね。
下のは、レコードかCDに録音されたもの。 完成している。
こっちは、ライブですね。 どっちもいいかな。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 東本願寺の別邸に渉成園というのがある。 そこに。 京都駅から近い。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
こんにちは☆
Re: こんにちは☆
西本願寺は世界遺産になっているというので、行ってみました。
お坊さんのお参りする人達への接し方に、温かみを感じました。
親鸞の教えによるものでしょうか。
お坊さんのお参りする人達への接し方に、温かみを感じました。
親鸞の教えによるものでしょうか。
龍谷山本願寺境内にある阿弥陀堂に隣接するお堂はごえいどうと申します。こちらの読み方では真宗大谷派の方の本願寺と勘違いされてしまいますので訂正をお願いします。
Re: タイトルなし
ごえいどう、と確認できましたので、訂正しました。
ご指摘、ありがとうございました。
ご指摘、ありがとうございました。
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私も実は2日は大谷本廟へ納骨後、西本願寺へ行ってました!翌日はおあさじの後におかみそりをしてもらいました。 もしかしたらニアミス?だったのかもですね(笑)