京都御所の中心の建物は、紫宸殿(ししんでん)。 ※ 儀式とか行う。
江戸時代の初め、御所の建物は新しくなった。
それまであった紫宸殿は、仁和寺(にんなじ)に移築され、本堂として残った。
現在、日本最古の紫宸殿として、国宝になっている。
仁和寺には国宝が多い。
そのためだろうか、古都京都の文化財として、世界遺産に登録されている。
世界遺産になると観光客が増え、修学旅行生もやってくる。
※ ※ ※ ※
仁和寺は、花園駅の北の方にある。
双ヶ丘(ならびがおか)という小さな山があるので、通ることに。
行く時は、赤○。 帰りは途中から、黄色の○。
丸太町通を少し行って、右に見える山に。 ※ 昨年亀岡から歩いた時、この道を通った。
鎌倉時代の末期、この山に吉田兼好が住んでいた。
彼は徒然草(つれづれぐさ)を書いた人。 仁和寺のことも書いている。
出だしの文は、こう。
つれづれなるまゝに、日ぐらし
硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書き付くれば、
あやしうこそ物狂ほしけれ。
高校の時、古文で習ったが、さっぱり分からなかった。
道は、だいたい整備されている。
清原 夏野(きよはら の なつの)という、平安時代初期の貴族が、ここに居を構えていた。
この人は、令義解(りょうのぎげ)という法(令)の解説書を書いている。
双ヶ丘は、はるか昔は埋葬の地だった。 たくさんの古墳がある。
後の世になって、貴族たちの別荘が建つようになった。
見晴らしのいい所は少ないが、京都の西方面が見えた。 写真の右の嵐山がある。
山の北の方の頂上から、仁和寺が見えた。 大きな二王門。 ※ 二王門を変換していたら、「臭うもん」がでてきた。
山を下りて、二王門に。 門は寺の顔だから、立派にするのか。
仁王像。
広い境内。 中門が見える。 その向こうに、お目当ての紫宸殿(本堂)。
左下の見学は有料。 最後に見ることに。
紫宸殿の屋根が見えた。 修学旅行生が多い。 世界遺産でなかったら、来ない。
五重塔。 屋根の大きさが同じ感じ。 1644年に建った。 重要文化財。
※ 江戸時代の五重塔で国宝なのは、東寺の五重塔だけ。 大きさが日本最大なので。
普通の美しさでしょうか。 最初に見た時、声が出るほどではない。
地図の右上の建物。 経蔵。 建物は、ほとんどが重要文化財。
紫宸殿。 もともとは、京都御所にあった。 江戸時代の初めに、ここに来た。
現在御所にあるのは、江戸時代末期に建てられたものなので、仁和寺の紫宸殿が、一番古い。
それで、国宝。
江戸時代までは、仁和寺は皇室との関わりが強かった。
そんなことがあって、ここに移築された。
明治に入って、廃物棄却で寺は粗末にされた。 皇室との関係も無くなる。
反対側から。
水掛不動尊。
紫宸殿の後ろ側。
御影堂。 御所の清涼殿の一部を移築したと説明にあった。
仁和寺は真言宗だから、中には弘法大師の像がある。
御影堂の中。
戻って来て、二王門。 門の右に見えてる低い山が、双ヶ丘。 昔は、そこも境内だった。
御殿と庭園を見る。 500円。
入ってすぐ。 お花があった。 華道御室流の家元と説明にあった。
左の橘は、右近の橘。 これは、御所にもある。
ここにある建物も御所から移築したが、火事で焼けたため、明治・大正にかけて再建された。
天皇が実際に住んでいた場所だった。
高校生は、少し見て、暑いので一休み。 今日は、目に汗が入る暑さ。
大きな庭が2つある。 向こうに、五重塔。
嵯峨野を馬で遊んでる絵だろうか。 宸殿(しんでん)の中。
宸殿の中の上段の間。
廊下が迷路のように。
一番奥にある、霊明殿という建物。
霊明殿の中。
霊明殿から見た庭。
※ 徒然草の中に、3つ程、仁和寺の話が出てくる。 一つを紹介。
『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師 (後深草院二条というHPからお借り)
御室駅。 京福北野線が走っている。
この辺り一帯は、御室という地域。 仁和寺は昔、御室御所とも呼ばれた。
駅への途中に、吉田兼好ゆかりの、長泉寺があった。 兼好の像や墓がある。
晩年、ここに住んだと云われている。
仁和寺は、大きな寺だった。
世界遺産と云われて、納得。
【今日の歌】
昨日6月6日のブログには、人が1人も写っていない。
ところが、実は、1人だけ、写っている。 気が付いた人はいないと思う。
下の写真の中。 神社の建物の前にいる。
中学生の男の子。 まだ学校は終わっていない。
パンかなんかが入っている、買い物袋を持っていた。
少し動くけど、ずっとこの場所の近くにいた。
行く所が無くて、ここにいる感じ。 何かを我慢している表情。
神社や池の写真を撮り、説明の看板を読んでる間、時々様子を見ていた。
何か声をかけたらいいか、迷っていた。
池を離れる時、「何か困ってること、あるのかい」と声をかけようと、少年のいた場所に行ってみた。
でも、どこかに行ったあとだった。
男の子の本当の心の中は分からなかったけど、時代の流れに取り残されてるような子供は、日本中にいっぱいいる。
大人を信用できなければ、心を伝えることは出来ない。
学校が、つらい思いをしている子供を救う取り組みをしても、大きな評価には結びつかない。
1クラスに40人もいたら、1人の先生では、目が行きとどかない。
全ての子どもが大事にされてはいないと、大人はみんな、心の中に感じている。 気が付いている。
今の少子化は、ここからスタートしている。
文科省も日教組も、この何十年も、子供たちを助ける大きな力を発揮することはできなかった。 しなかった。
ク画面をリックしたら、YouTubeに行きます。
※ 編曲とギター演奏は、石川鷹彦です。 彼は、森田童子を放っておけなかった。
コメントも読んでみたらどうでしょう。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 明日は午後から雨が降りそう。 どうしましょう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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江戸時代の初め、御所の建物は新しくなった。
それまであった紫宸殿は、仁和寺(にんなじ)に移築され、本堂として残った。
現在、日本最古の紫宸殿として、国宝になっている。
仁和寺には国宝が多い。
そのためだろうか、古都京都の文化財として、世界遺産に登録されている。
世界遺産になると観光客が増え、修学旅行生もやってくる。
※ ※ ※ ※
仁和寺は、花園駅の北の方にある。
双ヶ丘(ならびがおか)という小さな山があるので、通ることに。
行く時は、赤○。 帰りは途中から、黄色の○。

丸太町通を少し行って、右に見える山に。 ※ 昨年亀岡から歩いた時、この道を通った。


鎌倉時代の末期、この山に吉田兼好が住んでいた。
彼は徒然草(つれづれぐさ)を書いた人。 仁和寺のことも書いている。
出だしの文は、こう。
つれづれなるまゝに、日ぐらし
硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書き付くれば、
あやしうこそ物狂ほしけれ。
高校の時、古文で習ったが、さっぱり分からなかった。
道は、だいたい整備されている。

清原 夏野(きよはら の なつの)という、平安時代初期の貴族が、ここに居を構えていた。
この人は、令義解(りょうのぎげ)という法(令)の解説書を書いている。

双ヶ丘は、はるか昔は埋葬の地だった。 たくさんの古墳がある。
後の世になって、貴族たちの別荘が建つようになった。
見晴らしのいい所は少ないが、京都の西方面が見えた。 写真の右の嵐山がある。

山の北の方の頂上から、仁和寺が見えた。 大きな二王門。 ※ 二王門を変換していたら、「臭うもん」がでてきた。

山を下りて、二王門に。 門は寺の顔だから、立派にするのか。

仁王像。

広い境内。 中門が見える。 その向こうに、お目当ての紫宸殿(本堂)。

左下の見学は有料。 最後に見ることに。

紫宸殿の屋根が見えた。 修学旅行生が多い。 世界遺産でなかったら、来ない。

五重塔。 屋根の大きさが同じ感じ。 1644年に建った。 重要文化財。
※ 江戸時代の五重塔で国宝なのは、東寺の五重塔だけ。 大きさが日本最大なので。

普通の美しさでしょうか。 最初に見た時、声が出るほどではない。

地図の右上の建物。 経蔵。 建物は、ほとんどが重要文化財。

紫宸殿。 もともとは、京都御所にあった。 江戸時代の初めに、ここに来た。
現在御所にあるのは、江戸時代末期に建てられたものなので、仁和寺の紫宸殿が、一番古い。
それで、国宝。

江戸時代までは、仁和寺は皇室との関わりが強かった。
そんなことがあって、ここに移築された。
明治に入って、廃物棄却で寺は粗末にされた。 皇室との関係も無くなる。
反対側から。

水掛不動尊。

紫宸殿の後ろ側。

御影堂。 御所の清涼殿の一部を移築したと説明にあった。
仁和寺は真言宗だから、中には弘法大師の像がある。

御影堂の中。

戻って来て、二王門。 門の右に見えてる低い山が、双ヶ丘。 昔は、そこも境内だった。

御殿と庭園を見る。 500円。

入ってすぐ。 お花があった。 華道御室流の家元と説明にあった。

左の橘は、右近の橘。 これは、御所にもある。

ここにある建物も御所から移築したが、火事で焼けたため、明治・大正にかけて再建された。
天皇が実際に住んでいた場所だった。
高校生は、少し見て、暑いので一休み。 今日は、目に汗が入る暑さ。

大きな庭が2つある。 向こうに、五重塔。

嵯峨野を馬で遊んでる絵だろうか。 宸殿(しんでん)の中。

宸殿の中の上段の間。

廊下が迷路のように。

一番奥にある、霊明殿という建物。

霊明殿の中。

霊明殿から見た庭。

※ 徒然草の中に、3つ程、仁和寺の話が出てくる。 一つを紹介。
『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師 (後深草院二条というHPからお借り)


御室駅。 京福北野線が走っている。
この辺り一帯は、御室という地域。 仁和寺は昔、御室御所とも呼ばれた。

駅への途中に、吉田兼好ゆかりの、長泉寺があった。 兼好の像や墓がある。
晩年、ここに住んだと云われている。

仁和寺は、大きな寺だった。
世界遺産と云われて、納得。
【今日の歌】
昨日6月6日のブログには、人が1人も写っていない。
ところが、実は、1人だけ、写っている。 気が付いた人はいないと思う。
下の写真の中。 神社の建物の前にいる。

中学生の男の子。 まだ学校は終わっていない。
パンかなんかが入っている、買い物袋を持っていた。
少し動くけど、ずっとこの場所の近くにいた。
行く所が無くて、ここにいる感じ。 何かを我慢している表情。
神社や池の写真を撮り、説明の看板を読んでる間、時々様子を見ていた。
何か声をかけたらいいか、迷っていた。
池を離れる時、「何か困ってること、あるのかい」と声をかけようと、少年のいた場所に行ってみた。
でも、どこかに行ったあとだった。
男の子の本当の心の中は分からなかったけど、時代の流れに取り残されてるような子供は、日本中にいっぱいいる。
大人を信用できなければ、心を伝えることは出来ない。
学校が、つらい思いをしている子供を救う取り組みをしても、大きな評価には結びつかない。
1クラスに40人もいたら、1人の先生では、目が行きとどかない。
全ての子どもが大事にされてはいないと、大人はみんな、心の中に感じている。 気が付いている。
今の少子化は、ここからスタートしている。
文科省も日教組も、この何十年も、子供たちを助ける大きな力を発揮することはできなかった。 しなかった。

ク画面をリックしたら、YouTubeに行きます。
※ 編曲とギター演奏は、石川鷹彦です。 彼は、森田童子を放っておけなかった。
コメントも読んでみたらどうでしょう。

【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 明日は午後から雨が降りそう。 どうしましょう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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