高野山の2日目。
主に、世界遺産になっている所を見た。
高野山の人気の場所は、金剛峯寺と奥の院なので、観光客は多くはなかった。
※ ※ ※ ※
赤○の所に行く予定。
駐車場の近くに、伽藍中門再建工事の作業館があった。
昨日見た大塔の近くに、覆(おお)いをした建物があった。 それが中門。 ※ 後ほど見る。
屋根の下の部分の部材を、作っていた。
この木が朽ち果てて交換されるのは、何百年後になるのでしょう。
切りこみが、複雑。 宮大工と云われる人たちが、作業している。
大門に向かった。 大門は、高野山の西の入り口。 ※ 最初の地図は、下が北。
昔は、ここを通ってやってきた。
1705年の建物とある。 世界遺産。
高野山に入るには、7つの入り口があるが、この道が中心の道。
奥の院は、この反対側にある。
高さ25㍍。 圧倒される大きさ。
金剛力士像ににらまれながら、ここを通る。
戻る途中に撮影。 この中で、中門の再建工事が行われている。
2015年に、高野山が開かれて、1200年になる。 その時の完成を目指して。
ここがお世話になっている駐車場。 正面に、金剛峯寺。
徳川家霊台に向かっている。 ずっとお寺が続いている。
高野山には117のお寺がある。
不思議に思うのは、どんな経営をしているのか。
檀家だって多くはないだろうし。
どの寺も、みすぼらしくはない。
半数の寺は、民宿を経営しているそうだ。
他に何かないと、きっと苦しくなる。
どんな収入があるのか、調べてみたが、はっきりしない。
こんなお寺が、ずっと続く。
交番です。 現役。
道は、ゆるい登りが続く。
徳川家霊台に着いた。 突き当たり右に、受付。 200円。
石段を登ったら、この場所に。 左上に屋根だけ見える。
ここ全体を霊台という。
右が、家康の霊屋(れいおく)。 左は、秀忠の霊屋。 霊屋は死者の霊を祭ってある建物。
3代将軍家光が建てた。
日光の東照宮の建物に似ている。
世界遺産。
隙間から撮った。
女人堂に向かっている。
途中右に随心院と云うお寺があったが、京都の随心院との関わりは、分からなかった。
※ 京都の小野にある随心院は、小町ゆかりの寺。 一番信頼性が高い。
門が見えた。 門の右に、女人堂はある。
ここはの入り口の名前は、不動口。 高野山の北西に位置する。
女人堂。 明治時代に入るまで、高野山は女人禁制。 女の人は入れなかった。
どうして女人禁制なのかは、いくつか理由があるよう。
一番の理由は、女の人がいたら、男は修行に専念できない。 気になる。
※ 室生寺五重塔がある室生寺は、女人高野と呼ばれる。 ここは、女人禁制ではない。
女の人は、入り口にある女人堂でお参りした。
高野山の7つの入り口に、それぞれ女人堂はあった。 残ったのはここだけ。
※ 元々、ここが一番の女人堂でもあった。
ここを下ると、高野山の中心に。
高野山の周りには、高野山女人道があった。 7つの女人堂をつなぐ道。
ここは、しばらく歩いて、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)。
この寺は、源頼朝の妻、北条政子が建てた。 頼朝の菩提を弔うため。 ※ 後の時代になって、実朝も。
鎌倉時代は、ここが、高野山の中心寺院。
※ 義経は頼朝に追われた。
静御前は、吉野の山の中で捕まった。
頼朝の前で、義経を慕って、下の歌を歌う。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝は激怒する。
このとき、静御前を助けたのが、北条政子。
思い出します。
国宝の多宝塔が見える。
本堂か、寺の建物。 昔泊ったのは、ここの宿坊かもしれない。 境内に多宝塔があった。
これが国宝の多宝塔。 1223年に建立。 日本で2番目に古い。 これがあるので、世界遺産。
なぜこんなに高野山が栄えたのか。
それを知りたい。
【今日の曲】
作曲は、ベートーベン。 指揮のカラヤンは、何度も日本にやってきています。 若いころ聴きました。
【停泊場所】 金剛峯寺前の駐車場
【明日の予定】 奥の院の見学
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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主に、世界遺産になっている所を見た。
高野山の人気の場所は、金剛峯寺と奥の院なので、観光客は多くはなかった。
※ ※ ※ ※
赤○の所に行く予定。

駐車場の近くに、伽藍中門再建工事の作業館があった。
昨日見た大塔の近くに、覆(おお)いをした建物があった。 それが中門。 ※ 後ほど見る。

屋根の下の部分の部材を、作っていた。

この木が朽ち果てて交換されるのは、何百年後になるのでしょう。

切りこみが、複雑。 宮大工と云われる人たちが、作業している。

大門に向かった。 大門は、高野山の西の入り口。 ※ 最初の地図は、下が北。

昔は、ここを通ってやってきた。

1705年の建物とある。 世界遺産。

高野山に入るには、7つの入り口があるが、この道が中心の道。
奥の院は、この反対側にある。
高さ25㍍。 圧倒される大きさ。

金剛力士像ににらまれながら、ここを通る。

戻る途中に撮影。 この中で、中門の再建工事が行われている。
2015年に、高野山が開かれて、1200年になる。 その時の完成を目指して。

ここがお世話になっている駐車場。 正面に、金剛峯寺。

徳川家霊台に向かっている。 ずっとお寺が続いている。

高野山には117のお寺がある。
不思議に思うのは、どんな経営をしているのか。
檀家だって多くはないだろうし。
どの寺も、みすぼらしくはない。
半数の寺は、民宿を経営しているそうだ。
他に何かないと、きっと苦しくなる。
どんな収入があるのか、調べてみたが、はっきりしない。
こんなお寺が、ずっと続く。

交番です。 現役。

道は、ゆるい登りが続く。

徳川家霊台に着いた。 突き当たり右に、受付。 200円。

石段を登ったら、この場所に。 左上に屋根だけ見える。

ここ全体を霊台という。
右が、家康の霊屋(れいおく)。 左は、秀忠の霊屋。 霊屋は死者の霊を祭ってある建物。
3代将軍家光が建てた。
日光の東照宮の建物に似ている。
世界遺産。

隙間から撮った。

女人堂に向かっている。
途中右に随心院と云うお寺があったが、京都の随心院との関わりは、分からなかった。
※ 京都の小野にある随心院は、小町ゆかりの寺。 一番信頼性が高い。

門が見えた。 門の右に、女人堂はある。
ここはの入り口の名前は、不動口。 高野山の北西に位置する。

女人堂。 明治時代に入るまで、高野山は女人禁制。 女の人は入れなかった。
どうして女人禁制なのかは、いくつか理由があるよう。
一番の理由は、女の人がいたら、男は修行に専念できない。 気になる。
※ 室生寺五重塔がある室生寺は、女人高野と呼ばれる。 ここは、女人禁制ではない。
女の人は、入り口にある女人堂でお参りした。

高野山の7つの入り口に、それぞれ女人堂はあった。 残ったのはここだけ。
※ 元々、ここが一番の女人堂でもあった。

ここを下ると、高野山の中心に。

高野山の周りには、高野山女人道があった。 7つの女人堂をつなぐ道。

ここは、しばらく歩いて、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)。

この寺は、源頼朝の妻、北条政子が建てた。 頼朝の菩提を弔うため。 ※ 後の時代になって、実朝も。
鎌倉時代は、ここが、高野山の中心寺院。
※ 義経は頼朝に追われた。
静御前は、吉野の山の中で捕まった。
頼朝の前で、義経を慕って、下の歌を歌う。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝は激怒する。
このとき、静御前を助けたのが、北条政子。
思い出します。
国宝の多宝塔が見える。

本堂か、寺の建物。 昔泊ったのは、ここの宿坊かもしれない。 境内に多宝塔があった。

これが国宝の多宝塔。 1223年に建立。 日本で2番目に古い。 これがあるので、世界遺産。

なぜこんなに高野山が栄えたのか。
それを知りたい。
【今日の曲】
作曲は、ベートーベン。 指揮のカラヤンは、何度も日本にやってきています。 若いころ聴きました。
【停泊場所】 金剛峯寺前の駐車場
【明日の予定】 奥の院の見学
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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