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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

幕末に、各藩の藩邸があったのは、3条・4条の鴨川に近い所だった。
それで、龍馬たちも、その近辺にいることになる。

今日は、高瀬川が流れる木屋町通を歩いた。
京都の路地裏の繁華街と云う感じだった。
    ※    ※    ※    ※

二条駅で降りて、歩きだした。
下が北。 現在地の少し下が、三条通り。 今の三条通りも、同じ場所。 昔の方が広かった。

12年6月17日 (1)

三条商店街を歩いている。 涼しい。

12年6月17日 (2)

1本ずれて、ここは四条通。 ずっと行くと八坂神社。 河原町や、祇園も。

12年6月17日 (3)

四条大橋。 橋の向こうは、祇園。
少し前に、てんかんの人が起こした大きな交通事故は、橋を渡って2本目の道を、右から左に走った。

12年6月17日 (4)

橋の手前に、小路がある。 先斗町(ぽんとちょう)通。

12年6月17日 (5)

木屋町通に入ったら直ぐに、喫茶ソワレがあった。  レトロな喫茶店として、知られている。

12年6月17日 (6)

木屋町通は、下の地図に。 地図の四条通からホテルオークラまで歩く。



高瀬川が流れている。 運河だった。 

12年6月17日 (7)

歩き始めて直ぐの左への道を少し行くと、古高俊太郎の碑があった。 家があった場所。
新撰組が古高を捕まえて自供させる。 池田屋事件が起きる。 拷問で白状させたのは、土方歳三。

12年6月17日 (8)

川があるので、少し涼しい。

12年6月17日 (9)

左の建物は高倉小学校。 明治時代、ここに京都電燈株式会社があった。
その中庭で、日本で初めて、映画が撮影された。 明治30年のこと。

12年6月17日 (10)

右に、土佐藩邸があった。

12年6月17日 (11)

左の小路に入ると、土佐稲荷大明神。 今も地元の人に、守られている。

12年6月17日 (12)

坂元龍馬。 龍馬が住んでいた場所は、近い。

12年6月17日 (13)

山崎橋。 自転車の向こうに、石碑。 彦根藩邸跡の碑。 桜田門外の変の井伊直弼が、彦根藩。 

12年6月17日 (14)

大黒橋から左への道。 龍馬通。
少し行った右に、酢屋(すや)。 ここに龍馬が滞在した。

12年6月17日 (15)

酢屋。

12年6月17日 (16)

瑞泉寺(ずいせんじ)。

12年6月17日 (17)

豊臣秀次と妻子たちの墓。
秀次は、秀吉の養子となり、後継ぎの予定だった。
淀殿が秀頼を生んだ。 そうしたら、秀吉は秀次が邪魔になった。
何だかんだ云いがかりをつけ、一家皆殺し。

秀次は高野山の金剛峯寺で切腹。
妻や子供たち、侍女は、三条河原で殺された。 その地に、瑞泉寺が建てられた。

12年6月17日 (19)

※ 切腹した金剛峯寺には先日行った。

地蔵殿。

12年6月17日 (21)

12年6月17日 (20)

殺された人の肖像画があった。

12年6月17日 (18)

この事件によって、秀吉への人心は離れていく。
関ヶ原で負ける、大きな要因になる。
やり過ぎと思った大名は、家康に着いた。

三条河原の様子。 見に来た人々が固唾をのむ中、処刑されていった。 1595年の夏。

12年6月17日 (22)

先斗町通に動いた。 左の大きな建物は、先斗町歌舞練場。 色んな公演が行われる。 昭和初期の建物。

12年6月17日 (23)

三条大橋。 東海道五十三次の終点。

12年6月17日 (24)

橋のたもとに、弥次さん喜多さんの像があった。

12年6月17日 (25)

橋の欄干の擬宝珠に刃傷があった。 池田屋騒動の時の傷と、言われている。

12年6月17日 (26)

12年6月17日 (27)

三条通りを少し西に行くと、池田屋が見えた。 昔あった建物ではない。

12年6月17日 (28)

池田屋事件の説明があった。

12年6月17日 (29)

飼料として載せます。
新撰組は、池田屋騒動で、新撰組の名前をいかに高めるかを考えた。
先述の古高俊太郎の白状の内容も、新撰組が考えた物に、きっと間違いない。

結果、新撰組は、京都が火の海になるのを防いだと、英雄になった。

12年6月17日 (30)

更に、木屋町通を北に。

12年6月17日 (31)

ここに、武市瑞山(たけちずいざん)と吉村虎太郎の住んでいた家があった。

12年6月17日 (32)

※ 吉村虎太郎は、四国の山の中の津野町出身

梅雨の季節に入って、アジサイは元気。

12年6月17日 (33)

この地で、佐久間象山・大村益次郎が襲われたとあった。 二人とも死亡。

12年6月17日 (34)

一之船入跡。 高瀬川を高瀬舟で物を運んだ。 この場所は、その起点。

12年6月17日 (35)

料理旅館、幾松(いくまつ)。 元々は、長州藩の控え屋敷だった。
桂小五郎は長州藩の人間で、妻は芸妓幾松。 それで、幾松。 彼女の遺品が、多くあるという。

12年6月17日 (36)

京都ホテルオークラ。

12年6月17日 (37)

桂小五郎の像があった。 
彼は、池田屋騒動の時、予定より早く行きすぎた。 入らないで、別の所にいた。
もし入っていたら、きっと助からなかった。

12年6月17日 (38)

この後、二条駅に戻った。

三条商店街の少し南に、六角獄舎跡があった。
池田屋騒動で捕まった者たちは、ここに入って、禁門の変の時に、殺された。

12年6月17日 (39)

幕末から維新にかけての歴史は、複雑。
少しずつしか分からない。


【今日の歌】
京都市役所前で、踊ってる人達がいた。 昔の曲で。



【道の駅】   ガレリアかめおか

【明日の予定】  1条通りを歩いてみようかと。 小町に関する物もあるよう。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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  • 維新の史跡を残す、木屋町通を歩く ~京都市~  キッスは目にして(ヴィーナス)  他  (2012/6/17)
  • 2012年06月18日 (月)
  • 06時37分40秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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