源氏物語は、昔、少し読んだだけ。
勉強のつもりで、京都駅から、御所の向こうまで歩いてみた。
ゆかりの地は、昔の平安京の東の部分に固まっていた。
和泉式部も、だいたい同じ。
平安京の外の、西にある嵯峨野には、貴族の別荘があった。
百人一首が編纂されたのは、こっち。
平安の昔、京都の西と東で、文学が盛んだったことが分かる。
※ ※ ※ ※
見学したのは、赤○の所。
左は、東本願寺の別邸、渉成園。
五条大橋。 国道1号線。 義経と弁慶の像が見える。
でも、昔の五条橋は、1本川上にある、松原橋。 先日歩いた。
橋の手前を、右に曲がる。
曲がって100㍍ほど進むと、碑があった。
河原院跡。
源融(みなもとのとおる)河原院跡と読める。 源融は、光源氏のモデルと云われる人。
河原院は、彼が隠棲した所とある。 別荘の感じでしょうか。
京都の繁華街である河原町の名前は、河原院からと。
小路を歩いて北に。 何小路を歩いているか分からなくなって、おばあちゃんに聞いた。
夕顔之墳の碑。
夕顔 とは、『源氏物語』の夕顔の巻に登場する女性。
事情があって、五条の、この辺りにひっそりと暮らしていた。
その夕顔のもとに、光源氏が通うようになる。
光源氏が夕顔を連れ出したところ、夕顔は物怪(もののけ)により急死する。
光源氏は深く悲しむ。
私は、夕顔って話しがあったな、くらいしか分からない。
現代文の方を見ながら聞いたら、どうでしょう。
更にこんな道を歩く。 子供たちの下校時刻。 蜘蛛の子を散らすように、元気に帰っていく。
3条通りの少し南に、京都文化博物館。
源氏物語が以前展示されていたが、今は、展示はなかった。
建物は、旧日本銀行京都支店。 辰野金吾の設計。 九州で、この人の建物を見た。
上の建物の辺りも、源氏物語の舞台になっているそう。 光源氏が幼少期を過ごしたとか。
いつかのブログで紹介した、イノダコーヒ本店。 三条堺町にある。 上から近い。
高田渡が、こんな歌を歌った。
更に北上。 御所が見えてきた。
大宮御所の北側に、藤原道長の土御門殿があった。
藤原道長の長女が、一条天皇の妃、中宮彰子。
中宮彰子に仕えていたのが、紫式部。
土御門殿で、彰子と紫式部は、一緒に暮らしていた。
ここは、源氏物語とは関係ない。
九条邸跡の中にある、厳島神社。 平清盛の母が祀られている。
拾翠邸の建物が、現在に残っている。
御所の中の道は広い。 野球場やテニスコートなどもある。
九条邸跡の案内。 御所の中で残った皇族の邸宅は、ここだけ。 ※ 再建したとこは、あるよう。
御所の寺町御門。 御所の東側の門では、一番南。 ここを出る。
御所の東側に面する通。 寺町通。 少し行ったら、右に曲がる。
この道が、平安京の東の端。
※ と云うことは、今の御所は、だいたい、平安京の北東の隅っこの場所にある。
曲がったところに、石碑があった。
是より東北、法成寺、とある。 道長が建てた寺があった。
説明。
少し北に歩いて、盧山寺(ろざんじ)。 時間が遅かったので、入れなかった。
ここに、紫式部の邸宅があった。
この後、鴨川沿いを散歩。
出町橋。 鯖街道口とある。 大原や鞍馬を通って来る鯖街道は、ここが終点。
海側のスタートは、小浜市。
鴨川公園。 右の加茂川と左の高野川が合流する。
少しベンチに座って、休憩。 対岸で、ギターを引きながら歌ってる人がいた。
叫ぶように歌うので、聞えてくる。
句碑があった。
「その昔、ここら千鳥の名所かな」 有名な人の句ではない。
上の句を調べてみたら、こうだった。
作った人は、下の文を知っていた。
「鴨の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨」
これは、先日紹介した、あヽ新撰組の冒頭の歌詞。
鴨川には、橋がいっぱい。
場所を移動。 普通は、石の上を歩いて、向こうに行ける。
※ この時、中学生の女の子が、川の縁で何かを探して、遊んでいた。 一人で。
落ちたら流される。 流されたら、どうやって助けるか考えていた。
15分ほどして、川から離れて、ノートに何かを書きだした。
それを見て、離れた。 危ないよって、声をかけた方がよかったか。
この後、暗くなって、息子と食事。 今回の旅では、一緒に食べるのは、最後。
車に戻って来た時は、12時を過ぎていた。
【今日の曲】
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 まだ決まっていない。 どこかで、アジサイが咲いてないかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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勉強のつもりで、京都駅から、御所の向こうまで歩いてみた。
ゆかりの地は、昔の平安京の東の部分に固まっていた。
和泉式部も、だいたい同じ。
平安京の外の、西にある嵯峨野には、貴族の別荘があった。
百人一首が編纂されたのは、こっち。
平安の昔、京都の西と東で、文学が盛んだったことが分かる。
※ ※ ※ ※
見学したのは、赤○の所。

左は、東本願寺の別邸、渉成園。

五条大橋。 国道1号線。 義経と弁慶の像が見える。
でも、昔の五条橋は、1本川上にある、松原橋。 先日歩いた。
橋の手前を、右に曲がる。

曲がって100㍍ほど進むと、碑があった。

河原院跡。

源融(みなもとのとおる)河原院跡と読める。 源融は、光源氏のモデルと云われる人。
河原院は、彼が隠棲した所とある。 別荘の感じでしょうか。
京都の繁華街である河原町の名前は、河原院からと。

小路を歩いて北に。 何小路を歩いているか分からなくなって、おばあちゃんに聞いた。

夕顔之墳の碑。

夕顔 とは、『源氏物語』の夕顔の巻に登場する女性。
事情があって、五条の、この辺りにひっそりと暮らしていた。
その夕顔のもとに、光源氏が通うようになる。
光源氏が夕顔を連れ出したところ、夕顔は物怪(もののけ)により急死する。
光源氏は深く悲しむ。
私は、夕顔って話しがあったな、くらいしか分からない。

現代文の方を見ながら聞いたら、どうでしょう。
更にこんな道を歩く。 子供たちの下校時刻。 蜘蛛の子を散らすように、元気に帰っていく。

3条通りの少し南に、京都文化博物館。
源氏物語が以前展示されていたが、今は、展示はなかった。
建物は、旧日本銀行京都支店。 辰野金吾の設計。 九州で、この人の建物を見た。

上の建物の辺りも、源氏物語の舞台になっているそう。 光源氏が幼少期を過ごしたとか。
いつかのブログで紹介した、イノダコーヒ本店。 三条堺町にある。 上から近い。

高田渡が、こんな歌を歌った。
更に北上。 御所が見えてきた。

大宮御所の北側に、藤原道長の土御門殿があった。
藤原道長の長女が、一条天皇の妃、中宮彰子。
中宮彰子に仕えていたのが、紫式部。
土御門殿で、彰子と紫式部は、一緒に暮らしていた。

ここは、源氏物語とは関係ない。
九条邸跡の中にある、厳島神社。 平清盛の母が祀られている。


拾翠邸の建物が、現在に残っている。

御所の中の道は広い。 野球場やテニスコートなどもある。

九条邸跡の案内。 御所の中で残った皇族の邸宅は、ここだけ。 ※ 再建したとこは、あるよう。

御所の寺町御門。 御所の東側の門では、一番南。 ここを出る。

御所の東側に面する通。 寺町通。 少し行ったら、右に曲がる。
この道が、平安京の東の端。
※ と云うことは、今の御所は、だいたい、平安京の北東の隅っこの場所にある。

曲がったところに、石碑があった。

是より東北、法成寺、とある。 道長が建てた寺があった。

説明。

少し北に歩いて、盧山寺(ろざんじ)。 時間が遅かったので、入れなかった。

ここに、紫式部の邸宅があった。


この後、鴨川沿いを散歩。
出町橋。 鯖街道口とある。 大原や鞍馬を通って来る鯖街道は、ここが終点。
海側のスタートは、小浜市。

鴨川公園。 右の加茂川と左の高野川が合流する。

少しベンチに座って、休憩。 対岸で、ギターを引きながら歌ってる人がいた。
叫ぶように歌うので、聞えてくる。

句碑があった。
「その昔、ここら千鳥の名所かな」 有名な人の句ではない。

上の句を調べてみたら、こうだった。
作った人は、下の文を知っていた。
「鴨の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨」
これは、先日紹介した、あヽ新撰組の冒頭の歌詞。
鴨川には、橋がいっぱい。

場所を移動。 普通は、石の上を歩いて、向こうに行ける。
※ この時、中学生の女の子が、川の縁で何かを探して、遊んでいた。 一人で。
落ちたら流される。 流されたら、どうやって助けるか考えていた。
15分ほどして、川から離れて、ノートに何かを書きだした。
それを見て、離れた。 危ないよって、声をかけた方がよかったか。

この後、暗くなって、息子と食事。 今回の旅では、一緒に食べるのは、最後。
車に戻って来た時は、12時を過ぎていた。
【今日の曲】
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 まだ決まっていない。 どこかで、アジサイが咲いてないかな。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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