源頼朝や義経の先祖は、清和源氏(せいわげんじ)、というのを聞く。
武士も、血筋を重んじていた。
清和源氏を先祖とする武士は多い。
この清和は、清和天皇の清和。
清和天皇の第六皇子、貞純親王の子孫の系統が栄え、清和源氏を名乗る。
その清和天皇の墓が、水尾にあった。
普通、その墓が、本当に天皇の墓かどうかは、確証はない。
ところが、清和天皇の墓は、歴史的にもはっきりしており、こういうのは珍しいそう。
※ ※ ※ ※
昨日気になっていたのが、水尾。 行ってしまえ、となった。
保津峡駅から見た、水尾川の上流の沢。 あっちに行く。 ※ 水尾川は、保津川の支流。
1時間ほど歩いたら、水尾。 そこから、30分ほど歩けば、清和天皇陵。
右に行ったら、鳥居本を通って、嵐山。 今日は、左に行く。
案内板。
急な斜面に作られた道。 旧道を、車が通れる幅に広げた。
左に行けば、亀岡。 去年、この道を亀岡から歩いてきた、そして、本能寺まで行った。
亀岡への道。 林道。
下の道は、水尾への旧道。 これを行ってみる。
軽自動車なら、何とか通れるかな。 熊がいないのか、少し心配。 ※ 熊対策はしている。
左への道が、明智越。
こんな道。 昨年この道を来ようと思ったけど、地元の人が迷うよと言ったので、やめた。
※ 明智光秀自身は、老ノ坂を通った。
たまに、スズメバチに出会う。 知らない顔をすることにしている。 これから、巣作りが始まる。
※ この時期に1匹退治するのは、秋に何百匹も退治するに同じ。
昔、雄武町にいる時、学校の周りからスズメバチを消すため、大量のスズメバチを捕まえた。 罠で。
巣があっても、10㍍程離れたら、大丈夫でしょうか。 刺激を与えないようにして。
里山の雰囲気の所に出てきた。 山の斜面が、急でなくなった。 水尾に着いた。
車道に戻った。
米買い道、というのが見える。 この細い道も、山を通って、嵯峨に行く。
清和天皇は、この地を気に入っていた。 天皇の地位を譲った後、来てるんですね。
車道から、脇道に入っている。
米買い道。 少し先で、左に上って、神社へ。 米買い道は、真っ直ぐ。
清和天皇社。
清和天皇は、31歳で亡くなっている。 昔は、長生きするのは大変。
地蔵さんがあった。 向寺って何なのか、調べても分からなかった。
拝殿。
神社の近くに、円覚寺。
宝篋印塔と、板碑。
円覚寺は、元々は、平安神宮の近くにあったとある。
そこで、清和天皇(上皇)が亡くなった。 お墓をこっちに作ったので、寺も移ってきた。
清和天皇陵に向かう。
アジサイが、顔を出していた。
お店があった。 農協の支店。
キキョウです。 明智光秀を思い出します。
この道は、ずっと行くと、丹波や日本海につながる。 鯖街道の1つと考えてよさそう。
天皇陵は、左下に下りていく。
細くなった水尾川を渡って、山を登り始めた。
こんな山の中なのに、道は整備されている。
着いた感じ。 山の中腹だった。
宮内庁が管理していた。
こっちが正面。
和天皇 水尾山陵とある。
※ 読みは、次のよう。 せいわてんのう みずのお やまのみささぎ。
※ 山稜は、さんりょう、と読んでもいいですね。
これが墓ですが、きっと発掘したことはないでしょうね。
山から下りて来て、向こうに帰ります。
細長いナスビ。 カボチャの花。
このように、雰囲気のいい通りが、時々あります。
もし、50年前の家並みを残していたら、重伝建地区になっていたでしょうね。
この後、ずっと歩いた。 旧道が合流する。 行く時通った道。
保津峡駅。
保津川。 トロッコ列車の線路も見える。 船と列車が来たら、完璧。
これに乗って、亀岡駅に。
水尾は現在、柚子の生産が盛んなため、限界集落にはなっていない。
京都の市街地から、およそ10㌔でしょうか。
水尾川・保津川沿いの道も、山越えの米買い道も、昔は苦労して歩いたでしょうね。
【今日の歌】
この歌に出てくるキキョウは、紫色。 今日見たのと同じ。
昔、旅の終りにという芝居の中で、 山崎ハコが歌った。 作詞は、五木寛之。
登場する白い花は、白い花のキキョウ。
白い花が、先にあった。 上の曲は、詞を変えた。 私は、この曲を最初に知った。
この曲も、作詞は、五木寛之。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 午後、京都を出る予定ですが。 もしかしたら、あと一日か
なぜもたもたしてるかは、京都を出た日に書きますね。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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武士も、血筋を重んじていた。
清和源氏を先祖とする武士は多い。
この清和は、清和天皇の清和。
清和天皇の第六皇子、貞純親王の子孫の系統が栄え、清和源氏を名乗る。
その清和天皇の墓が、水尾にあった。
普通、その墓が、本当に天皇の墓かどうかは、確証はない。
ところが、清和天皇の墓は、歴史的にもはっきりしており、こういうのは珍しいそう。
※ ※ ※ ※
昨日気になっていたのが、水尾。 行ってしまえ、となった。
保津峡駅から見た、水尾川の上流の沢。 あっちに行く。 ※ 水尾川は、保津川の支流。

1時間ほど歩いたら、水尾。 そこから、30分ほど歩けば、清和天皇陵。

右に行ったら、鳥居本を通って、嵐山。 今日は、左に行く。

案内板。

急な斜面に作られた道。 旧道を、車が通れる幅に広げた。


左に行けば、亀岡。 去年、この道を亀岡から歩いてきた、そして、本能寺まで行った。

亀岡への道。 林道。

下の道は、水尾への旧道。 これを行ってみる。

軽自動車なら、何とか通れるかな。 熊がいないのか、少し心配。 ※ 熊対策はしている。

左への道が、明智越。

こんな道。 昨年この道を来ようと思ったけど、地元の人が迷うよと言ったので、やめた。
※ 明智光秀自身は、老ノ坂を通った。

たまに、スズメバチに出会う。 知らない顔をすることにしている。 これから、巣作りが始まる。
※ この時期に1匹退治するのは、秋に何百匹も退治するに同じ。
昔、雄武町にいる時、学校の周りからスズメバチを消すため、大量のスズメバチを捕まえた。 罠で。
巣があっても、10㍍程離れたら、大丈夫でしょうか。 刺激を与えないようにして。

里山の雰囲気の所に出てきた。 山の斜面が、急でなくなった。 水尾に着いた。


車道に戻った。

米買い道、というのが見える。 この細い道も、山を通って、嵯峨に行く。

清和天皇は、この地を気に入っていた。 天皇の地位を譲った後、来てるんですね。

車道から、脇道に入っている。

米買い道。 少し先で、左に上って、神社へ。 米買い道は、真っ直ぐ。

清和天皇社。

清和天皇は、31歳で亡くなっている。 昔は、長生きするのは大変。

地蔵さんがあった。 向寺って何なのか、調べても分からなかった。


拝殿。

神社の近くに、円覚寺。

宝篋印塔と、板碑。
円覚寺は、元々は、平安神宮の近くにあったとある。
そこで、清和天皇(上皇)が亡くなった。 お墓をこっちに作ったので、寺も移ってきた。


清和天皇陵に向かう。

アジサイが、顔を出していた。

お店があった。 農協の支店。

キキョウです。 明智光秀を思い出します。

この道は、ずっと行くと、丹波や日本海につながる。 鯖街道の1つと考えてよさそう。
天皇陵は、左下に下りていく。

細くなった水尾川を渡って、山を登り始めた。

こんな山の中なのに、道は整備されている。

着いた感じ。 山の中腹だった。

宮内庁が管理していた。

こっちが正面。

和天皇 水尾山陵とある。
※ 読みは、次のよう。 せいわてんのう みずのお やまのみささぎ。
※ 山稜は、さんりょう、と読んでもいいですね。

これが墓ですが、きっと発掘したことはないでしょうね。

山から下りて来て、向こうに帰ります。

細長いナスビ。 カボチャの花。


このように、雰囲気のいい通りが、時々あります。
もし、50年前の家並みを残していたら、重伝建地区になっていたでしょうね。

この後、ずっと歩いた。 旧道が合流する。 行く時通った道。

保津峡駅。

保津川。 トロッコ列車の線路も見える。 船と列車が来たら、完璧。

これに乗って、亀岡駅に。

水尾は現在、柚子の生産が盛んなため、限界集落にはなっていない。
京都の市街地から、およそ10㌔でしょうか。
水尾川・保津川沿いの道も、山越えの米買い道も、昔は苦労して歩いたでしょうね。
【今日の歌】
この歌に出てくるキキョウは、紫色。 今日見たのと同じ。
昔、旅の終りにという芝居の中で、 山崎ハコが歌った。 作詞は、五木寛之。
登場する白い花は、白い花のキキョウ。
白い花が、先にあった。 上の曲は、詞を変えた。 私は、この曲を最初に知った。
この曲も、作詞は、五木寛之。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 午後、京都を出る予定ですが。 もしかしたら、あと一日か
なぜもたもたしてるかは、京都を出た日に書きますね。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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