昨日のブログに書いた賃貸物件を、今日の午後見せていただきました。
場所は、白老町竹原。
登別温泉やクッタラ湖まで、10㌔ちょっと、という場所です。
業者の方と、オーナー(持ち主)の方が、迎えてくれました。
2人の方は親子で、温かく迎えてくれました。
また、丁寧に説明していただき、温泉にまで入れさせてもらいました。
間取りは、下の図で、左の部屋は6畳に見えますが、実際は8畳で正方形です。
湯船の大きさは、一坪の半分でした。 大人3人が入っても、狭くない大きさでした。
かけ流しで、常時お湯が、あふれ出ていました。
一人で生活するには十分な広さです。
家の北側が玄関で、そこに駐車場。 私の車と、もう1台停めることが出来ます。
南側に、家と同じくらい広い土地があります。
砕石が敷いてあり、眺めていて、つかれない風景でした。
※ 直ぐ近くに広い道があり、その道は駐車可能。
もし借りると決まれば、冷蔵庫や洗濯機や電子レンジなど、全て使わせていただけます。
温泉に入りましたが、お風呂とは全く違う感じです。
いいものです。 一人では広すぎる大きさ。 シャワーもあります。
建物は、築15年。 外も中も、とても綺麗でした。
一つだけ問題がありました。
気にしていた温泉の湯の温度ですが、今は十分に温かいのですが、冬になると35度くらいに下がるそうです。
それで、ボイラーで温めることになります。
※ 敷地の隅っこに、温泉ポンプ室があって、ボイラーはそこにあります。
この出費がプラスされることが分かりました。
最終的に、私が支払い可能な予算を伝えました。
それは、表記されていた賃料より、1万円安いものです。
その額を、検討していただくことになりました。
明日、結論が出ます。
もしまとまらなければ、この夏動きながら、別のを探すことになります。
※ 浜を歩いてみました。 海まで、歩いて5分です。
ただ、砂浜ではなく、テトラポットが並んでいるので、釣りはむずかしいです。
車で少し走れば、釣りやすい場所はありました。
数日前のブログに、「あることをした」と書きました。
後日書くと言ってあったのですが、書ける状態になったので、書きます。
昨年の4月13日のブログは、「最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた」でした。
今年の3月に、NHKが「全音声が見つかる」というニュースを出しました。
内容は、下のものです。
防災無線で呼び掛けた総数は、62回。
遠藤未希さんが、44回。 三浦毅さんが、18回。
「最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた」ということが証明されました。
このニュースがネット紹介された時、私のブログも紹介されました。
私のブログのアクセス数は、2つのブログの総数で、1000位なのですが、その日は、約5万になりました。
その日以来、上のブログは、ネットで見つけやすい位置にあり、多くの人に読まれるようになりました。
※ 「南三陸 防災無線」で検索した時、YouTube以外では、一番上に。
また、震災関係のブログの記事は、国会図書館が収集して永久に保存することになりました。
そんなことがあり、記事の内容に問題が無いか、確認する必要が出てきました。
要するに、記事の情報は、三浦毅さんの奥様から頂いたのですが、奥さまがどう思っているかの確認が必要になりました。
連絡の取りようがなく、困っていました。
三浦さんの奥さまが、南三陸町の歌津に住んでいることは、知っていました。
それで、今回、北上する時、南三陸を通ることにしました。
手紙を、歌津の郵便局からなら、届くと考えたからです。
行ってみると、歌津の郵便局は流されて、仮設の郵便局はありませんでした。
南三陸の郵便局に行って、お願いしました。
届けてくれることになりました。
封筒の中身は、手紙と、ブログを印刷したものでした。
三浦さんの奥様からの電話が、今日の朝、フェリーに乗っている時にありました。
奥さまは、私のブログを、ネットで読んでいました。
ブログの内容にに問題は無いと、話してくれました。
私は、ほっとしました。
1ヶ所、間違いがありました。 結婚記念日と書いた所は、旦那様の誕生日でした。
これを直したものが、今後ずっと残って行きます。
下のは、直した、最終的なものです。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
奥さまは、1年後も、そして今も、防災庁舎に通い続けています。
ネットに、そのニュースがありますので、紹介します。
ニュースの写真は、すごい写真ですよ。 全てを表現しているように感じます。
(河北新報社 2012年03月11日 日曜日)
宮城県南三陸町の三浦ひろみさん(52)は、この1年、東日本大震災で行方不明になった町職員の夫毅さん=不明当時(51)=
の帰りを祈り続けてきた。
夫が津波で流された町防災対策庁舎に、雪の日も風の日も足を運んだ。
あの日から時間は止まったままだが、供養のため4月に葬儀を出す。
「心から笑える日なんて来るのかな」。
心の整理はつかず、防災庁舎を見上げる日が続く。
「ふぶいてっから、きょうは冷たいよね。お父さん、温まってね」
雪が降りしきる2日夜も、ひろみさんは防災庁舎に車を走らせた。
暗闇の中、車のヘッドライトで祭壇を照らす。
赤い鉄骨が浮かぶ。
好物の日本酒をそっと供えて「帰ってきてよ、早く」。
祈りを重ねて、また3月が巡ってきた。
昨年3月11日。
町危機管理課職員の毅さんは防災庁舎2階の放送室で、最後まで町民に避難を呼び掛けた。
ひろみさんは手掛かりを求め、庁舎周辺を毎日歩き回った。
ヘルメットをかぶり、鉄骨がぶら下がる2階にも上った。
「ねぇ、返事してよ」。泣きながら大声で叫び続けた。
3カ月後の6月11日。
「毎日待ってるから」。
夫の携帯電話を鳴らし、留守番電話に吹き込んだ。
誕生日には携帯メールを送った。
「会いたいよ」。
結婚記念日の秋。
挙式した町内のホテルに泊まり、思い出に浸った。
窓の外に人なつっこいウミネコ。
「お父さんなの?」
季節感はなく、大みそかも正月も自宅で泣いて過ごした。
年が明け、行方不明の町職員の葬儀を営む家族が増えた。
「本当は2年でも3年でも、一生でも待ちたい。でもお父さんは、天国でみんなと一緒に居たいのかもしれないな」
区切りではない。
供養なんだ。
自分に言い聞かせ、葬儀を4月にすることを決めた。
死亡届を出す。
死を認めてしまうことに胸が張り裂ける。
夫がいない暮らし。
何を食べてもおいしいと思えない。
おしゃれも、化粧もしたくない。
「私が悲しむ姿をお父さんが望まないとしても、どうやって元気になればいいのだろう。
前へ進むって、なに」
まだ1年。悲しみは癒えない。
奥様とは、どんな考え方をすればいいだろうね、とか、そんなことを話しました。
記事を書いた目的についても。
明日、賃貸物件については決まります。
寅さんのように、放浪の旅を続けるしかないのか・・・。
【今日の歌】
【道の駅】 みたら室蘭
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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場所は、白老町竹原。
登別温泉やクッタラ湖まで、10㌔ちょっと、という場所です。

業者の方と、オーナー(持ち主)の方が、迎えてくれました。
2人の方は親子で、温かく迎えてくれました。
また、丁寧に説明していただき、温泉にまで入れさせてもらいました。
間取りは、下の図で、左の部屋は6畳に見えますが、実際は8畳で正方形です。
湯船の大きさは、一坪の半分でした。 大人3人が入っても、狭くない大きさでした。
かけ流しで、常時お湯が、あふれ出ていました。

一人で生活するには十分な広さです。
家の北側が玄関で、そこに駐車場。 私の車と、もう1台停めることが出来ます。
南側に、家と同じくらい広い土地があります。
砕石が敷いてあり、眺めていて、つかれない風景でした。
※ 直ぐ近くに広い道があり、その道は駐車可能。
もし借りると決まれば、冷蔵庫や洗濯機や電子レンジなど、全て使わせていただけます。
温泉に入りましたが、お風呂とは全く違う感じです。
いいものです。 一人では広すぎる大きさ。 シャワーもあります。
建物は、築15年。 外も中も、とても綺麗でした。
一つだけ問題がありました。
気にしていた温泉の湯の温度ですが、今は十分に温かいのですが、冬になると35度くらいに下がるそうです。
それで、ボイラーで温めることになります。
※ 敷地の隅っこに、温泉ポンプ室があって、ボイラーはそこにあります。
この出費がプラスされることが分かりました。
最終的に、私が支払い可能な予算を伝えました。
それは、表記されていた賃料より、1万円安いものです。
その額を、検討していただくことになりました。
明日、結論が出ます。
もしまとまらなければ、この夏動きながら、別のを探すことになります。
※ 浜を歩いてみました。 海まで、歩いて5分です。
ただ、砂浜ではなく、テトラポットが並んでいるので、釣りはむずかしいです。
車で少し走れば、釣りやすい場所はありました。
数日前のブログに、「あることをした」と書きました。
後日書くと言ってあったのですが、書ける状態になったので、書きます。
昨年の4月13日のブログは、「最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた」でした。
今年の3月に、NHKが「全音声が見つかる」というニュースを出しました。
内容は、下のものです。

防災無線で呼び掛けた総数は、62回。
遠藤未希さんが、44回。 三浦毅さんが、18回。
「最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた」ということが証明されました。
このニュースがネット紹介された時、私のブログも紹介されました。
私のブログのアクセス数は、2つのブログの総数で、1000位なのですが、その日は、約5万になりました。
その日以来、上のブログは、ネットで見つけやすい位置にあり、多くの人に読まれるようになりました。
※ 「南三陸 防災無線」で検索した時、YouTube以外では、一番上に。
また、震災関係のブログの記事は、国会図書館が収集して永久に保存することになりました。
そんなことがあり、記事の内容に問題が無いか、確認する必要が出てきました。
要するに、記事の情報は、三浦毅さんの奥様から頂いたのですが、奥さまがどう思っているかの確認が必要になりました。
連絡の取りようがなく、困っていました。
三浦さんの奥さまが、南三陸町の歌津に住んでいることは、知っていました。
それで、今回、北上する時、南三陸を通ることにしました。
手紙を、歌津の郵便局からなら、届くと考えたからです。
行ってみると、歌津の郵便局は流されて、仮設の郵便局はありませんでした。
南三陸の郵便局に行って、お願いしました。
届けてくれることになりました。
封筒の中身は、手紙と、ブログを印刷したものでした。
三浦さんの奥様からの電話が、今日の朝、フェリーに乗っている時にありました。
奥さまは、私のブログを、ネットで読んでいました。
ブログの内容にに問題は無いと、話してくれました。
私は、ほっとしました。
1ヶ所、間違いがありました。 結婚記念日と書いた所は、旦那様の誕生日でした。
これを直したものが、今後ずっと残って行きます。
下のは、直した、最終的なものです。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
奥さまは、1年後も、そして今も、防災庁舎に通い続けています。
ネットに、そのニュースがありますので、紹介します。
ニュースの写真は、すごい写真ですよ。 全てを表現しているように感じます。
(河北新報社 2012年03月11日 日曜日)
宮城県南三陸町の三浦ひろみさん(52)は、この1年、東日本大震災で行方不明になった町職員の夫毅さん=不明当時(51)=
の帰りを祈り続けてきた。
夫が津波で流された町防災対策庁舎に、雪の日も風の日も足を運んだ。
あの日から時間は止まったままだが、供養のため4月に葬儀を出す。
「心から笑える日なんて来るのかな」。
心の整理はつかず、防災庁舎を見上げる日が続く。
「ふぶいてっから、きょうは冷たいよね。お父さん、温まってね」
雪が降りしきる2日夜も、ひろみさんは防災庁舎に車を走らせた。
暗闇の中、車のヘッドライトで祭壇を照らす。
赤い鉄骨が浮かぶ。
好物の日本酒をそっと供えて「帰ってきてよ、早く」。

祈りを重ねて、また3月が巡ってきた。
昨年3月11日。
町危機管理課職員の毅さんは防災庁舎2階の放送室で、最後まで町民に避難を呼び掛けた。
ひろみさんは手掛かりを求め、庁舎周辺を毎日歩き回った。
ヘルメットをかぶり、鉄骨がぶら下がる2階にも上った。
「ねぇ、返事してよ」。泣きながら大声で叫び続けた。
3カ月後の6月11日。
「毎日待ってるから」。
夫の携帯電話を鳴らし、留守番電話に吹き込んだ。
誕生日には携帯メールを送った。
「会いたいよ」。
結婚記念日の秋。
挙式した町内のホテルに泊まり、思い出に浸った。
窓の外に人なつっこいウミネコ。
「お父さんなの?」
季節感はなく、大みそかも正月も自宅で泣いて過ごした。
年が明け、行方不明の町職員の葬儀を営む家族が増えた。
「本当は2年でも3年でも、一生でも待ちたい。でもお父さんは、天国でみんなと一緒に居たいのかもしれないな」
区切りではない。
供養なんだ。
自分に言い聞かせ、葬儀を4月にすることを決めた。
死亡届を出す。
死を認めてしまうことに胸が張り裂ける。
夫がいない暮らし。
何を食べてもおいしいと思えない。
おしゃれも、化粧もしたくない。
「私が悲しむ姿をお父さんが望まないとしても、どうやって元気になればいいのだろう。
前へ進むって、なに」
まだ1年。悲しみは癒えない。
奥様とは、どんな考え方をすればいいだろうね、とか、そんなことを話しました。
記事を書いた目的についても。
明日、賃貸物件については決まります。
寅さんのように、放浪の旅を続けるしかないのか・・・。
【今日の歌】
【道の駅】 みたら室蘭
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
ご愁傷様って言えない
Re: ご愁傷様って言えない
私も、山に登りますね。
室根山に、元気をもらいました。
室根山に、元気をもらいました。
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坊主の話が聞けるのでいいですね。なるほどと思える
話をする坊主もいれば、こんちくしょうって思う話しか
できない坊主もいる。でも、どちらも、心の傷を癒す
薬になるんだよね。女房の先輩も、ご主人が息を引き取った
病院に3年くらい入ることができなかった。時間よりも
人間かな?癒すのは。
今日の昼前に岩木山の8合目駐車場に着きましたが、
濃霧で何も見えません。食事をしたり、昼寝をして、
霧晴れ待ちをしましたが、いっこうに回復しないまま、
スカイラインの閉門時間になりました。しかたがないので、
宿泊届けを出して、駐車場泊まりです。でも、トイレは、
ウォッシュレットだし、ヘタな道の駅よりいいかも。
暴走バイクも入ってこれないし。明日も霧なら、霧をついて
歩いてみるか、それとも、もう一日、だらだら過ごすか、
明日のことは明日の気分で。