「ここに幸あり」の資料は、昨日、図書館で見た。
この曲が生まれるまで、どんなドラマがあったかに興味があった。
作曲した飯田三郎は、長く根室市に貢献することになる。
私の最初の赴任校、幌茂尻小学校の校歌も作曲していた。
根室に数日いたが、また羅臼に戻ることに。
最後に、涙香岬(るいかみさき)を眺めて。
※ ※ ※ ※
ここに幸ありは、根室の市街地にいたら、いっつも聴く。
防災無線のような放送で、朝の8時と午後の3時に流れる。
停泊していたときわ台公園は、市役所の隣。
スピーカーは、市役所の建物の上にあるようだ。
歌碑が、市役所の前にある。
作詞は、高橋 掬太郎(きくたろう)。(1901~1970)
作曲は、飯田三郎。 (1912~2003)
高橋の方が。11歳年上。
2人とも、根室出身。
高橋は、国後島で生まれている。 仕事のスタートは、根室新聞社の記者。
飯田は、市内の梅ヶ枝町で生まれている。 繁華街で、根室港に近い。
根室商業高に進学し、作曲を独学で学んでいる。
どんな夢があって、作曲を身に付けようとしたかは分からない。
大津美子(おおつよしこ)が歌った。 彼女の代表曲。
歌碑の裏に、楽譜と2人の経歴があった。 よく見ないと、霞んでいて読めない。
これが、レコードに録音されたもの。 こっちの方がいいかな。
根室市図書館の2階に、飯田三郎資料展示室があった。
彼は、北国讃歌を作るなど、根室市とは生涯関わりが深かった。
下の説明を見ると、昭和8年(1933年)に高橋掬太郎が故郷根室を訪れた。
高橋は32歳。 飯田は、21歳。
高橋と飯田の関わりは、この時に生まれる。
そうして、3年後の昭和11年に、最初の2人の曲「愛のグラス」が生まれる。
「愛のグラス」を歌ったのは、松平 晃(まつだいら あきら)。
この曲の、歌詞やメロディは、ネット上にはない。
ただ、歌謡大全には、下のように載っている。 間違いなく、作られた。
松平晃は、「サーカスの歌」を歌った人。
次の年の昭和12年、上京して、コロンビアレコードの専属になる。
この後は、作曲家としての力を高めていく。
昭和31年に、「ここに幸あり」が生まれる。
ここに幸ありの、楽譜と歌詞。
高橋菊太郎は、昭和6年、酒は涙か溜息か、でデビューしている。
根室に来る2年前。 30歳。 売れっ子の作詞家として、スタートを切っていた。
「ここに幸あり」は、同名の映画の主題歌。
彼女たちが歌うと、こうなる。
古いレコードや、楽譜、歌詞、サインなどが展示されていた。
大津美子は、1990年のNHK紅白歌合戦で、ここに幸ありを歌っている。
この曲も、2人の曲。 昭和22年。
ここに幸ありの、演奏用の楽譜。 飯田三郎、直筆。
ここに幸ありがうまれて、27年経っている。
実は、飯田三郎は、私の最初の赴任校、幌茂尻小学校の校歌も作曲している。
私は、楽譜も歌詞も見なくたって、まだ歌える。
※ ギターを弾いて歌ってみて、恥ずかしくないものだったら、YouTubeに、と思うんだが。
どういう形かで、残せたらと思う。
(札幌のTさんに演奏してもらう、と云う方法もあるか)
今はないが、こんな校舎だった。 道を挟んだ向かいに、私は住んでいた。 最初は、電話もなかった。
飯田三郎とは関係ないが、下の歌が、幌茂尻小学校にはあった。
卒業式で歌った。
今回楽譜は見つけられなかったけれど、根室市の教育委員会には、きっとある。
若い先生方で作った曲。
子供たちが歌うのを、いつも感動して聴いていた。
だいたいなら、歌えるかな。
この曲も、何とかして、YouTubeに残せたらいい。
根室を出る時、涙香岬を見に行った。
今度根室には、いつ来れるか分からないので。
※ 涙香岬については、たくさんの記事で書いています。
ブログ内検索すると見つかります。 放浪の旅のⅠの方かな。
別海の浜で、1時間ほど釣り。 少しのゴミを燃やした。 カレイは釣れなかった。
この浜で昔、サケ釣りをした。 この浜から職場に通ったことも。
「ここに幸あり」の歌が気になっていたので、調べてみた。
大きなドラマのようなのは、見つけられなかったけど、流れは分かったでしょうか。
図書館では、「密猟の海で」という本を読んだ。 1時間ほど。
昔、レポ船と云う密猟船があった。
そのことについて書いてあった。
今日書くには時間が無い。
雨が降った日に、羅臼の図書館で、残りも読んで、書けたら書きます。
中間ラインの向こうに行ったら、10倍の漁獲高があった。
ロシア警備艇と、うまく関わりを作り上げたら、中間ラインを越えることが出来た。
レポ船が盛んだった時代、根室は潤った。
ネオン街は、不夜城のように、朝まで灯りは消えなかった。
船底(ふなぞこ)の下は地獄だと言って、漁師は、宵越しの金は持たなかった。
そんな時代があった。
【その他】
オリンピックが始まったが、ロンドンと日本の時差は9時間。
地球は、北極の方から見ると、左回りに周っている。
日本の方が、9時間早く朝を迎える。
日本が晩の6時になったら、ロンドンは朝の9時。
ということで、夕方から、いろんな競技の実況が始まる。
今日気付いた。
実況で見た方が感動が大きい。
【道の駅】 知床・らうす
【明日の予定】 オリンピックを少し見るかな。
どうやったら熊を見ることが出来るか、それを考える。
半島の先の方に移動するかもしれない。
相泊温泉の方に。
※ ランキングは最近載せていなかったんですが、応援していただいている状態が続いています。
それで、また載せることに・・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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この曲が生まれるまで、どんなドラマがあったかに興味があった。
作曲した飯田三郎は、長く根室市に貢献することになる。
私の最初の赴任校、幌茂尻小学校の校歌も作曲していた。
根室に数日いたが、また羅臼に戻ることに。
最後に、涙香岬(るいかみさき)を眺めて。
※ ※ ※ ※
ここに幸ありは、根室の市街地にいたら、いっつも聴く。
防災無線のような放送で、朝の8時と午後の3時に流れる。
停泊していたときわ台公園は、市役所の隣。
スピーカーは、市役所の建物の上にあるようだ。
歌碑が、市役所の前にある。

作詞は、高橋 掬太郎(きくたろう)。(1901~1970)
作曲は、飯田三郎。 (1912~2003)
高橋の方が。11歳年上。
2人とも、根室出身。
高橋は、国後島で生まれている。 仕事のスタートは、根室新聞社の記者。
飯田は、市内の梅ヶ枝町で生まれている。 繁華街で、根室港に近い。
根室商業高に進学し、作曲を独学で学んでいる。
どんな夢があって、作曲を身に付けようとしたかは分からない。


大津美子(おおつよしこ)が歌った。 彼女の代表曲。
歌碑の裏に、楽譜と2人の経歴があった。 よく見ないと、霞んでいて読めない。


これが、レコードに録音されたもの。 こっちの方がいいかな。
根室市図書館の2階に、飯田三郎資料展示室があった。
彼は、北国讃歌を作るなど、根室市とは生涯関わりが深かった。

下の説明を見ると、昭和8年(1933年)に高橋掬太郎が故郷根室を訪れた。
高橋は32歳。 飯田は、21歳。
高橋と飯田の関わりは、この時に生まれる。
そうして、3年後の昭和11年に、最初の2人の曲「愛のグラス」が生まれる。

「愛のグラス」を歌ったのは、松平 晃(まつだいら あきら)。
この曲の、歌詞やメロディは、ネット上にはない。
ただ、歌謡大全には、下のように載っている。 間違いなく、作られた。

松平晃は、「サーカスの歌」を歌った人。
次の年の昭和12年、上京して、コロンビアレコードの専属になる。
この後は、作曲家としての力を高めていく。
昭和31年に、「ここに幸あり」が生まれる。
ここに幸ありの、楽譜と歌詞。

高橋菊太郎は、昭和6年、酒は涙か溜息か、でデビューしている。
根室に来る2年前。 30歳。 売れっ子の作詞家として、スタートを切っていた。
「ここに幸あり」は、同名の映画の主題歌。
彼女たちが歌うと、こうなる。
古いレコードや、楽譜、歌詞、サインなどが展示されていた。

大津美子は、1990年のNHK紅白歌合戦で、ここに幸ありを歌っている。

この曲も、2人の曲。 昭和22年。
ここに幸ありの、演奏用の楽譜。 飯田三郎、直筆。

ここに幸ありがうまれて、27年経っている。

実は、飯田三郎は、私の最初の赴任校、幌茂尻小学校の校歌も作曲している。
私は、楽譜も歌詞も見なくたって、まだ歌える。
※ ギターを弾いて歌ってみて、恥ずかしくないものだったら、YouTubeに、と思うんだが。
どういう形かで、残せたらと思う。
(札幌のTさんに演奏してもらう、と云う方法もあるか)

今はないが、こんな校舎だった。 道を挟んだ向かいに、私は住んでいた。 最初は、電話もなかった。

飯田三郎とは関係ないが、下の歌が、幌茂尻小学校にはあった。
卒業式で歌った。
今回楽譜は見つけられなかったけれど、根室市の教育委員会には、きっとある。
若い先生方で作った曲。
子供たちが歌うのを、いつも感動して聴いていた。
だいたいなら、歌えるかな。
この曲も、何とかして、YouTubeに残せたらいい。

根室を出る時、涙香岬を見に行った。
今度根室には、いつ来れるか分からないので。
※ 涙香岬については、たくさんの記事で書いています。
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別海の浜で、1時間ほど釣り。 少しのゴミを燃やした。 カレイは釣れなかった。
この浜で昔、サケ釣りをした。 この浜から職場に通ったことも。

「ここに幸あり」の歌が気になっていたので、調べてみた。
大きなドラマのようなのは、見つけられなかったけど、流れは分かったでしょうか。
図書館では、「密猟の海で」という本を読んだ。 1時間ほど。
昔、レポ船と云う密猟船があった。
そのことについて書いてあった。
今日書くには時間が無い。
雨が降った日に、羅臼の図書館で、残りも読んで、書けたら書きます。
中間ラインの向こうに行ったら、10倍の漁獲高があった。
ロシア警備艇と、うまく関わりを作り上げたら、中間ラインを越えることが出来た。
レポ船が盛んだった時代、根室は潤った。
ネオン街は、不夜城のように、朝まで灯りは消えなかった。
船底(ふなぞこ)の下は地獄だと言って、漁師は、宵越しの金は持たなかった。
そんな時代があった。
【その他】
オリンピックが始まったが、ロンドンと日本の時差は9時間。
地球は、北極の方から見ると、左回りに周っている。
日本の方が、9時間早く朝を迎える。
日本が晩の6時になったら、ロンドンは朝の9時。
ということで、夕方から、いろんな競技の実況が始まる。
今日気付いた。
実況で見た方が感動が大きい。
【道の駅】 知床・らうす
【明日の予定】 オリンピックを少し見るかな。
どうやったら熊を見ることが出来るか、それを考える。
半島の先の方に移動するかもしれない。
相泊温泉の方に。
※ ランキングは最近載せていなかったんですが、応援していただいている状態が続いています。
それで、また載せることに・・・。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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