親子のタンチョウを、久しぶりに見た。
ヒナは、体は大きかったが、親のように白くはなかった。
霧多布岬も、断崖絶壁。 落石岬と、同じ。
この感じは、厚岸まで続きそう。
※ ※ ※ ※
目指す霧多布(きりたっぷ)岬は、ここ。
浜中町は、酪農と漁業の町。
貰人(もうらいと)の海岸、集落。
昔は小学校があったが、今はない。 建物だけ残っている。
教員住宅が見える。
勤め始めた頃、ここに友人がいた。
根室からマージャンをしに、よく来た。
当時道は砂利道だった。 どうやったら飛ばせるか、この道で練習した。
海の向こうに見える所は、浜中町霧多布。
霧多布は、ずっと昔は島だった。 いつの間にか繋(つな)がって、島でなくなった。
ところが、チリ地震の津波で、また島になった。
今は、霧多布大橋でつながっている。
左の端が、霧多布岬。
貰人から、丘を越えたら、幌戸沼(ポロトぬま)が見えた。
※ ポロはアイヌ語で、大きいとか広い。 トは、沼。 トーも沼かな。 オンネトーとか。
サッポロのポロも同じ。 サッポロは、広い芦原の意味。
真中少し上に、幌戸沼。 印の所は、ムツゴロウ動物王国。
遠いので、点のようにしか見えない。
親が1羽と、大きなヒナが2羽。 他は、アオサギ。
もう一羽、親がいた。
ヒナは、母親の側にいるようです。(100%そうなのかは、分からないが)
しゃんとした写真が撮れなかったので、下のをリンクします。
※ 大きなヒナを近くで撮るとこう。 こんなヒナの姿も。
ツルを見て少し走ったら、この看板。
※ ムツゴロウ動物王国は経営に失敗して、今はひっそりとやっている。 公開はしていない。
HPの最初のページはこう。 ここをクリックしたら、HPに行きます。
※ 根室にいた頃の私の印象として、動物王国は地域に溶け込んでいない、という印象を持っていました。
浜中町の中心部が、霧多布と言われる所。 役場もそこにある。
霧多布大橋を渡ったところ。 右の大きな島が、嶮暮帰島(けんぼっきとう)。
ムツゴロウさんは、最初この島に住んだ。
中学に通う娘さんを、小舟で送り迎えした。 海が荒れたら、休み。
※ 学校の帰りに荒れたら、どうしたんだろう。
霧多布岬展望台。 ここに、霧多布岬の標示があったので、ここが霧多布岬と思った。
灯台が見える。 向こうに行ったら、向こうにも霧多布岬の表示があった。
こうかなと。 この辺り一帯が、霧多布岬。 灯台の方は、霧多布岬の突端。
遠くに、さっき通った貰人が見えた。
夏は、南から渡り鳥がやってくる。 スズメでないことは分かるが、そこまで。
こんな岩が、あちこちにある。
悲しいお話し。 似た話がきっと伝わっていて、誰かが整理したのでしょうね。
この岬は、トッカリ岬とも言う。 トッカリは、こんな動物。
※ 女の人が後を追った。 鶴姫伝説に似ていますね。 面白かった。
鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌ・ダルク~ 他 (2009/12/20)
エゾフウロとツリガネニンジン。
※ ハマフウロがあると、駐車場に標示があった。
ハマフウロの違いはいくつかあるが、花の裏にあるガクに毛が密集していたら、エゾフウロ。
毛が、がくにペタッてくっ付いていたら、ハマフウロ。
晩に調べて、やっと分かった。 なかなか、めんどう。
葉の形からしたら、エゾフウロ。 切れ込みが浅かったら、ハマフウロ。
見分けがつかない時もあるよう。 ハマフウロは、エゾフウロの変種。 元々は、一緒だった。
霧多布岬の、突端へ。
「霧多布」の地名はアイヌ語の「キータプ」からきた。 意味は、「茅を刈るところ」。(Wikipedia)
霧とは関係ないけど、実際に、霧は多い。
ナガボノシロワレモコウ (長穂の白吾亦紅)。
よく聞く名前。 どこが美しくて、何が珍しいかは、調べても分からない。 名前はいい。
※ 余計な話。 吾亦紅の名前の由来について。 こんな説がある。 (Wikipedia)
命名するときに、赤黒いこの花はなに色だろうか、と論議があり、その時みなそれぞれに茶色、こげ茶、紫などと言い張った。
そのとき、選者に、どこからか「いや、私は断じて紅ですよ」と言うのが聞こえた。
選者は「花が自分で言っているのだから間違いない、われも紅とする」で「我亦紅」となったという。
議論になった時の吾亦紅は、こんな吾亦紅。
湯沸(とうふつ)岬灯台とある。 ここは、湯沸岬でもあった。 3つ目。
厚岸へと続く海岸線。
最初に行った展望台。 ○の辺りから、海岸に下りれそう。
向こうが、岬の突端。 なかなかな風景。
遊歩道の先に、標識のようなのが。
上にカモメがいた。 松浦武四郎の歌碑だった。
こんな歌。
かねてより あらきしほ路と きいたふの
島根にたかく よする志らなみ
※ 解釈を調べても見つけられないので、だいたいでやってみますね。
「あらき」は、荒き。 「しほ路」は、潮路。 「きいたふ」は、霧多布。
「島根」は、島。 「よする」は、寄する。 「志らなみ」は、白波。
松浦武四郎が、何時ここに来たかですが、安政5年のようです。 1858年。
根室から羅臼に向かったのが、その年の旧暦5月の初めと分かっています。 (新暦で、今の6月)
ということは、旧暦の4月の終わり頃でいいでしょうか。
こう書いてあります。 ※ 2人は、親子ですね。 どうして分かるかって。 なんとなく。
海鳥の楽園。 釣り船が・・。
同じ船を、さっきも見ました。 子供さんが乗っています。
こっちにもいっぱい。 ウミウ。
※ エトピリカがいないか探した。 いなかった。 こんな鳥。 美しい。
※ エトピリカのエトは、くちばし。 ピリカは、美しい。
※ ちなみに、ピリカメノコは、美しい少女の意味。
メノコは、女(め)の子、と書けますよ。 偶然でしょうか。
この後、アゼチの岬に向かった。 ※ アゼチの意味は、分からない。
細く突き出ている。
左手前の小さな島は、小島。 その向こうは、嶮暮帰島(けんぼっきとう)。
浜中町の中心街。 霧多布の市街地。
今日は、いい天気になりました。
霧多布岬は、いい岬でした。
【停泊場所】 アゼチの岬の駐車場
【明日の予定】 海岸沿いを厚岸に向かう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ヒナは、体は大きかったが、親のように白くはなかった。
霧多布岬も、断崖絶壁。 落石岬と、同じ。
この感じは、厚岸まで続きそう。
※ ※ ※ ※
目指す霧多布(きりたっぷ)岬は、ここ。
浜中町は、酪農と漁業の町。

貰人(もうらいと)の海岸、集落。

昔は小学校があったが、今はない。 建物だけ残っている。
教員住宅が見える。
勤め始めた頃、ここに友人がいた。
根室からマージャンをしに、よく来た。
当時道は砂利道だった。 どうやったら飛ばせるか、この道で練習した。

海の向こうに見える所は、浜中町霧多布。

霧多布は、ずっと昔は島だった。 いつの間にか繋(つな)がって、島でなくなった。
ところが、チリ地震の津波で、また島になった。
今は、霧多布大橋でつながっている。
左の端が、霧多布岬。


貰人から、丘を越えたら、幌戸沼(ポロトぬま)が見えた。
※ ポロはアイヌ語で、大きいとか広い。 トは、沼。 トーも沼かな。 オンネトーとか。
サッポロのポロも同じ。 サッポロは、広い芦原の意味。

真中少し上に、幌戸沼。 印の所は、ムツゴロウ動物王国。
遠いので、点のようにしか見えない。

親が1羽と、大きなヒナが2羽。 他は、アオサギ。

もう一羽、親がいた。

ヒナは、母親の側にいるようです。(100%そうなのかは、分からないが)

しゃんとした写真が撮れなかったので、下のをリンクします。
※ 大きなヒナを近くで撮るとこう。 こんなヒナの姿も。
ツルを見て少し走ったら、この看板。

※ ムツゴロウ動物王国は経営に失敗して、今はひっそりとやっている。 公開はしていない。
HPの最初のページはこう。 ここをクリックしたら、HPに行きます。

※ 根室にいた頃の私の印象として、動物王国は地域に溶け込んでいない、という印象を持っていました。
浜中町の中心部が、霧多布と言われる所。 役場もそこにある。

霧多布大橋を渡ったところ。 右の大きな島が、嶮暮帰島(けんぼっきとう)。
ムツゴロウさんは、最初この島に住んだ。
中学に通う娘さんを、小舟で送り迎えした。 海が荒れたら、休み。
※ 学校の帰りに荒れたら、どうしたんだろう。

霧多布岬展望台。 ここに、霧多布岬の標示があったので、ここが霧多布岬と思った。

灯台が見える。 向こうに行ったら、向こうにも霧多布岬の表示があった。
こうかなと。 この辺り一帯が、霧多布岬。 灯台の方は、霧多布岬の突端。

遠くに、さっき通った貰人が見えた。
夏は、南から渡り鳥がやってくる。 スズメでないことは分かるが、そこまで。


こんな岩が、あちこちにある。

悲しいお話し。 似た話がきっと伝わっていて、誰かが整理したのでしょうね。

この岬は、トッカリ岬とも言う。 トッカリは、こんな動物。
※ 女の人が後を追った。 鶴姫伝説に似ていますね。 面白かった。
鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌ・ダルク~ 他 (2009/12/20)
エゾフウロとツリガネニンジン。
※ ハマフウロがあると、駐車場に標示があった。
ハマフウロの違いはいくつかあるが、花の裏にあるガクに毛が密集していたら、エゾフウロ。
毛が、がくにペタッてくっ付いていたら、ハマフウロ。
晩に調べて、やっと分かった。 なかなか、めんどう。

葉の形からしたら、エゾフウロ。 切れ込みが浅かったら、ハマフウロ。
見分けがつかない時もあるよう。 ハマフウロは、エゾフウロの変種。 元々は、一緒だった。

霧多布岬の、突端へ。

「霧多布」の地名はアイヌ語の「キータプ」からきた。 意味は、「茅を刈るところ」。(Wikipedia)
霧とは関係ないけど、実際に、霧は多い。

ナガボノシロワレモコウ (長穂の白吾亦紅)。
よく聞く名前。 どこが美しくて、何が珍しいかは、調べても分からない。 名前はいい。

※ 余計な話。 吾亦紅の名前の由来について。 こんな説がある。 (Wikipedia)
命名するときに、赤黒いこの花はなに色だろうか、と論議があり、その時みなそれぞれに茶色、こげ茶、紫などと言い張った。
そのとき、選者に、どこからか「いや、私は断じて紅ですよ」と言うのが聞こえた。
選者は「花が自分で言っているのだから間違いない、われも紅とする」で「我亦紅」となったという。
議論になった時の吾亦紅は、こんな吾亦紅。
湯沸(とうふつ)岬灯台とある。 ここは、湯沸岬でもあった。 3つ目。


厚岸へと続く海岸線。

最初に行った展望台。 ○の辺りから、海岸に下りれそう。

向こうが、岬の突端。 なかなかな風景。

遊歩道の先に、標識のようなのが。

上にカモメがいた。 松浦武四郎の歌碑だった。
こんな歌。
かねてより あらきしほ路と きいたふの
島根にたかく よする志らなみ
※ 解釈を調べても見つけられないので、だいたいでやってみますね。
「あらき」は、荒き。 「しほ路」は、潮路。 「きいたふ」は、霧多布。
「島根」は、島。 「よする」は、寄する。 「志らなみ」は、白波。

松浦武四郎が、何時ここに来たかですが、安政5年のようです。 1858年。
根室から羅臼に向かったのが、その年の旧暦5月の初めと分かっています。 (新暦で、今の6月)
ということは、旧暦の4月の終わり頃でいいでしょうか。
こう書いてあります。 ※ 2人は、親子ですね。 どうして分かるかって。 なんとなく。

海鳥の楽園。 釣り船が・・。

同じ船を、さっきも見ました。 子供さんが乗っています。

こっちにもいっぱい。 ウミウ。

※ エトピリカがいないか探した。 いなかった。 こんな鳥。 美しい。
※ エトピリカのエトは、くちばし。 ピリカは、美しい。
※ ちなみに、ピリカメノコは、美しい少女の意味。
メノコは、女(め)の子、と書けますよ。 偶然でしょうか。
この後、アゼチの岬に向かった。 ※ アゼチの意味は、分からない。

細く突き出ている。
左手前の小さな島は、小島。 その向こうは、嶮暮帰島(けんぼっきとう)。

浜中町の中心街。 霧多布の市街地。

今日は、いい天気になりました。
霧多布岬は、いい岬でした。
【停泊場所】 アゼチの岬の駐車場
【明日の予定】 海岸沿いを厚岸に向かう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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