霧多布、厚岸方面は、午前中深い霧に覆われた。
午後になってやっと上がった。
バラサン岬への道は大丈夫か、道の駅で確認した。
何とか行けそうと分かった。
行ってみたら、鹿しか通っていない道だった。
厚岸の町並みが、一望に見渡せた。
「バラサン岬に吼えろ」を思い出していた。
※ ※ ※ ※
朝起きたら、濃霧。 写真は、午前8時。
浜中から、厚岸へ。 印の所に、国泰寺。
外にずっといたら、濡れる。 何も見えないから、真っ直ぐ厚岸へ。
午後、霧が晴れて行くことになる、バラサン岬と愛冠(あいかっぷ)岬が見える。
厚岸の道の駅で、昼頃まで、ブログを書く。
バラサン岬に行けるか、道の駅の案内所で聞いた。
どこかに電話して、何とか行けると、確認してくれた。
午後、国泰寺に向かった。
国泰寺のそばに、厚岸町郷土館がある。 その前で、アッケシソウを育てていた。
厚岸には、今は、自然の中にアッケシソウはない。 郷土館の人が教えてくれた。
毎日塩水をかける。
※ アッケシソウは、卯原内(うばらない)で見られる。 卯原内は、網走から紋別に行く途中。
4年前の秋に撮った写真。
国泰寺の三門。
「文恭院殿一品大相国公」は、将軍家斉の戒名。
徳川家代々の位牌は、いくつかの寺にある。
下のは、足利学校にあった、位牌。 一番左が、家斉の位牌。 これに、文恭院殿~~と書かさっている。
家斉は、1804年に、北海道に3つ寺を建てた。 蝦夷(えぞ)三官寺と呼ばれる。
北海道の防衛とか、キリスト教を入れないとかが、目的。
他の2つは、有珠の善光寺、様似の等澍院。
※ 足利学校 ばん阿寺 渡良瀬橋 ~足利市~ 他 (2011/10/28)
※ 有珠善光寺は、円空の蝦夷地の旅、最終目的地だった。~伊達市~ 広島原爆の日 他 (2011/8/6)
境内に、大きな李(すもも)の木があった。
寺が出来た、次の年に植えている。
国泰寺の本堂。
国泰寺には、日鑑記と呼ばれる日記が残されている。 郷土館に、コピーが展示されていた。
文化元(1804)年から文久3(1863)年までの60年間に渡って、国泰寺の歴代住職によって書き継がれてきた。
国泰寺は、京都の臨済宗南禅寺派のお寺。
※ 平安神宮から南禅寺、そして、哲学の道を通って銀閣寺へ ~京都市~ アスタ・シエンプレ(カルロス・プエブラ) (2012/5/10)
境内を通って、バラサン岬の突端に向かう。
※ バラサン岬は、この辺り一帯を言う。
だから、国泰寺は、バラサン岬の中にある。 抱かれるように。
左に、細い道が見える。
人が歩いた跡は見られない。 鹿の足跡ばかり。
途中、何カ所も、倒木が道をふさいでいた。
10分ほど歩いたら、上が明るくなった。 着いたみたい。
バラサン岬の標識はなかったけど、これで、ここがバラサン岬と分かった。
バラサン岬は、寺のある谷を、柵(さく)のように囲んでいる。
この柵の感じを、アイヌ語で、バラサンと云う。
※ だから、国泰寺は、バラサンにあるといういい方をしても、大丈夫のよう。
アイヌの人達は、鹿などの動物をこの岬に追い詰めて、寺のある所に、追い落とした。
右奥が厚岸湾。 厚岸大橋が、赤く小さく見える。
写真右遠くに、道の駅がある。
中心街は、海の向こう。 右側。
昔、両角(もろずみ)憲二という、厚岸水産高校の先生が、「バラサン岬に吼(ほ)えろ」という本を書いた。
この人の公演を聞いたことがある。
荒れる学校の荒れる生徒たちと戦った。
夏休みは、全道に散らばる生徒の家を、家庭訪問した。
教え子は、紋別にもいた。
最後は、生徒たちは変わる。 本には、その戦いが書いてあった。
現在、著者の両角憲二さんは、和光高校と中学の校長をしている。
※ いじめで騒がれている大津中には、両角さんに少しでも似た先生はいなかった。
※ 大津中のいじめのあった学級の担任は、決して表に出ない。
学校側が、担任が何をしゃべるか不安なので、出さないようにしている。
岬の突端と言っても、何も無い。
ただ、この場所から、厚岸の全体が見える。
※ アップにした時、ボケた。 どうしてだろう。
こんな道を戻る。 鹿道が、いたるところにあった。
この後、近くにある、愛冠(あいかっぷ)岬に向かった。
駐車場から、400㍍程歩く。
岬の突端に、鐘がある。 見えてきた。
向こうから、2人歩いてきた。 ここで、問題。
この2人とは、私が戻る時、再度出会う。 出会った時、2人は喜ぶ。
いったい、何があったのでしょう。
答えは、戻る時の文に。
開けた。 空が広くなった。
左側に鹿がいた。 逃げない。
いつも人を見ていると、こうなる。 知床の熊が、同じようになってきた。
向こうは、霧多布。
柵を越えて、路がある。 行く人は行く。 黄色い花は、ミヤマアキノキリンソウかなと。 自信はない。
下に見える家並みは、筑紫恋(ちくしこい)地区。 海岸は、筑紫恋海岸。
津波が来たら、大変。 その時は、きっと、全てを捨てて山に逃げる。 命だけ助かればいいと考えて。
読みにくいが、遭難の碑があった。
昭和19年3月16日。 2隻の船が沈んだ。 撃沈された。 3000人以上の命が、海に消えた。
厚岸にある正行寺のHPに、詳しく載っている。
※ なお、正行寺の本堂は、重要文化財。 新潟県から移築した。
建立は寛政11年(1799年)。 その建物を、明治43年に厚岸に。
鹿の子どもが2匹、顔を出していた。
戻る時、ここのフウロソウは、何フウロかなって、花を探していた。
下を見ながら歩いていたら、歩く道の左端に、デジカメが落ちていた。 リコーのコンパクトデジカメ。
駐車場に案内所があるので、そこに預けようと考えながら、歩いていた。
そうしたら、さっき会った2人が、こっちに歩いてきた。
少しだけ、予感はした。
カメラを見なかったですか、と話しかけてきた。
いい人に出会いましたね、と言って、ポケットから出して渡した。
笑顔の2人が、立っていた。 私にお礼を言った。
駐車場に戻って、カメラのことは、ブログに書きますと伝え、名刺を渡した。
私へのお礼は、ランキングを1度でいいからクリックですよ、と云うのを忘れた。
爽やかな雰囲気の2人でした。 きっと、学生さん。
※ カメラを拾った場所は、上の方の写真の、2人が立っている辺り、ちょうどそこです。
落とす瞬間を撮っていれば、完璧だった。
アザミの花は、秋遅くまで、楽しませてくれる。
リコーのコンパクトデジカメで撮影。 花はいつも、このカメラ。 失敗が少ない。
道に駅、厚岸グルメパークからの風景。
厚岸大橋が見える。
向こうの陸地の、右端が、バラサン岬。
外海に、つながる。
朝はどうなるかと思った天気でしたが、午後は温かくなりました。
【その他 1】
昨日、霧多布岬で、タカネナデシコを見ていました。
花の真ん中に、茶色っぽい毛があるのが、特徴の一つ。 断崖の中腹にも、群落が見えました。
【その他 2】
今日は、私の○○回目の○○○。
1人で、お祝いしました。 スーパーで、少しばかりの御馳走を買って。
【停泊場所】 厚岸町門静にあるパーキング
【明日の予定】 情報誌に、こんな紹介の岬がある。
「なーんにもない。 静か。 鹿が来るくらいで誰も来ない」
行かなければならない。
岬の名前は、尻羽岬。 シレパ岬。 または、シリッパ岬、と読む。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は9位、 旅行全体で22位です。
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午後になってやっと上がった。
バラサン岬への道は大丈夫か、道の駅で確認した。
何とか行けそうと分かった。
行ってみたら、鹿しか通っていない道だった。
厚岸の町並みが、一望に見渡せた。
「バラサン岬に吼えろ」を思い出していた。
※ ※ ※ ※
朝起きたら、濃霧。 写真は、午前8時。

浜中から、厚岸へ。 印の所に、国泰寺。
外にずっといたら、濡れる。 何も見えないから、真っ直ぐ厚岸へ。
午後、霧が晴れて行くことになる、バラサン岬と愛冠(あいかっぷ)岬が見える。
厚岸の道の駅で、昼頃まで、ブログを書く。
バラサン岬に行けるか、道の駅の案内所で聞いた。
どこかに電話して、何とか行けると、確認してくれた。
午後、国泰寺に向かった。
国泰寺のそばに、厚岸町郷土館がある。 その前で、アッケシソウを育てていた。

厚岸には、今は、自然の中にアッケシソウはない。 郷土館の人が教えてくれた。
毎日塩水をかける。

※ アッケシソウは、卯原内(うばらない)で見られる。 卯原内は、網走から紋別に行く途中。
4年前の秋に撮った写真。
国泰寺の三門。

「文恭院殿一品大相国公」は、将軍家斉の戒名。
徳川家代々の位牌は、いくつかの寺にある。
下のは、足利学校にあった、位牌。 一番左が、家斉の位牌。 これに、文恭院殿~~と書かさっている。

家斉は、1804年に、北海道に3つ寺を建てた。 蝦夷(えぞ)三官寺と呼ばれる。
北海道の防衛とか、キリスト教を入れないとかが、目的。
他の2つは、有珠の善光寺、様似の等澍院。
※ 足利学校 ばん阿寺 渡良瀬橋 ~足利市~ 他 (2011/10/28)
※ 有珠善光寺は、円空の蝦夷地の旅、最終目的地だった。~伊達市~ 広島原爆の日 他 (2011/8/6)
境内に、大きな李(すもも)の木があった。

寺が出来た、次の年に植えている。

国泰寺の本堂。

国泰寺には、日鑑記と呼ばれる日記が残されている。 郷土館に、コピーが展示されていた。
文化元(1804)年から文久3(1863)年までの60年間に渡って、国泰寺の歴代住職によって書き継がれてきた。

国泰寺は、京都の臨済宗南禅寺派のお寺。
※ 平安神宮から南禅寺、そして、哲学の道を通って銀閣寺へ ~京都市~ アスタ・シエンプレ(カルロス・プエブラ) (2012/5/10)
境内を通って、バラサン岬の突端に向かう。

※ バラサン岬は、この辺り一帯を言う。
だから、国泰寺は、バラサン岬の中にある。 抱かれるように。
左に、細い道が見える。

人が歩いた跡は見られない。 鹿の足跡ばかり。
途中、何カ所も、倒木が道をふさいでいた。

10分ほど歩いたら、上が明るくなった。 着いたみたい。

バラサン岬の標識はなかったけど、これで、ここがバラサン岬と分かった。

バラサン岬は、寺のある谷を、柵(さく)のように囲んでいる。
この柵の感じを、アイヌ語で、バラサンと云う。
※ だから、国泰寺は、バラサンにあるといういい方をしても、大丈夫のよう。
アイヌの人達は、鹿などの動物をこの岬に追い詰めて、寺のある所に、追い落とした。
右奥が厚岸湾。 厚岸大橋が、赤く小さく見える。

写真右遠くに、道の駅がある。

中心街は、海の向こう。 右側。

昔、両角(もろずみ)憲二という、厚岸水産高校の先生が、「バラサン岬に吼(ほ)えろ」という本を書いた。
この人の公演を聞いたことがある。
荒れる学校の荒れる生徒たちと戦った。
夏休みは、全道に散らばる生徒の家を、家庭訪問した。
教え子は、紋別にもいた。
最後は、生徒たちは変わる。 本には、その戦いが書いてあった。
現在、著者の両角憲二さんは、和光高校と中学の校長をしている。
※ いじめで騒がれている大津中には、両角さんに少しでも似た先生はいなかった。
※ 大津中のいじめのあった学級の担任は、決して表に出ない。
学校側が、担任が何をしゃべるか不安なので、出さないようにしている。
岬の突端と言っても、何も無い。
ただ、この場所から、厚岸の全体が見える。

※ アップにした時、ボケた。 どうしてだろう。
こんな道を戻る。 鹿道が、いたるところにあった。

この後、近くにある、愛冠(あいかっぷ)岬に向かった。
駐車場から、400㍍程歩く。

岬の突端に、鐘がある。 見えてきた。

向こうから、2人歩いてきた。 ここで、問題。
この2人とは、私が戻る時、再度出会う。 出会った時、2人は喜ぶ。
いったい、何があったのでしょう。
答えは、戻る時の文に。

開けた。 空が広くなった。

左側に鹿がいた。 逃げない。
いつも人を見ていると、こうなる。 知床の熊が、同じようになってきた。

向こうは、霧多布。

柵を越えて、路がある。 行く人は行く。 黄色い花は、ミヤマアキノキリンソウかなと。 自信はない。

下に見える家並みは、筑紫恋(ちくしこい)地区。 海岸は、筑紫恋海岸。

津波が来たら、大変。 その時は、きっと、全てを捨てて山に逃げる。 命だけ助かればいいと考えて。

読みにくいが、遭難の碑があった。

昭和19年3月16日。 2隻の船が沈んだ。 撃沈された。 3000人以上の命が、海に消えた。
厚岸にある正行寺のHPに、詳しく載っている。
※ なお、正行寺の本堂は、重要文化財。 新潟県から移築した。
建立は寛政11年(1799年)。 その建物を、明治43年に厚岸に。




鹿の子どもが2匹、顔を出していた。

戻る時、ここのフウロソウは、何フウロかなって、花を探していた。
下を見ながら歩いていたら、歩く道の左端に、デジカメが落ちていた。 リコーのコンパクトデジカメ。
駐車場に案内所があるので、そこに預けようと考えながら、歩いていた。
そうしたら、さっき会った2人が、こっちに歩いてきた。
少しだけ、予感はした。
カメラを見なかったですか、と話しかけてきた。
いい人に出会いましたね、と言って、ポケットから出して渡した。
笑顔の2人が、立っていた。 私にお礼を言った。
駐車場に戻って、カメラのことは、ブログに書きますと伝え、名刺を渡した。
私へのお礼は、ランキングを1度でいいからクリックですよ、と云うのを忘れた。
爽やかな雰囲気の2人でした。 きっと、学生さん。
※ カメラを拾った場所は、上の方の写真の、2人が立っている辺り、ちょうどそこです。
落とす瞬間を撮っていれば、完璧だった。
アザミの花は、秋遅くまで、楽しませてくれる。
リコーのコンパクトデジカメで撮影。 花はいつも、このカメラ。 失敗が少ない。

道に駅、厚岸グルメパークからの風景。
厚岸大橋が見える。

向こうの陸地の、右端が、バラサン岬。

外海に、つながる。

朝はどうなるかと思った天気でしたが、午後は温かくなりました。
【その他 1】
昨日、霧多布岬で、タカネナデシコを見ていました。
花の真ん中に、茶色っぽい毛があるのが、特徴の一つ。 断崖の中腹にも、群落が見えました。

【その他 2】
今日は、私の○○回目の○○○。
1人で、お祝いしました。 スーパーで、少しばかりの御馳走を買って。
【停泊場所】 厚岸町門静にあるパーキング
【明日の予定】 情報誌に、こんな紹介の岬がある。
「なーんにもない。 静か。 鹿が来るくらいで誰も来ない」
行かなければならない。
岬の名前は、尻羽岬。 シレパ岬。 または、シリッパ岬、と読む。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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