今いるすぐ近くに、昔俘虜収容所があった。 ※ 俘虜~ふりょ。 捕虜と、ほぼ同じ意味。
そこで、日本で初めて、ベートーベンの第九が演奏され、また歌われた。
道の駅の名前が、第九の里。
隣は、鳴門市ドイツ館。 下が、その建物。 左に見える像は、ベートーベン。
大正時代の中頃、道の駅の少し南に、俘虜収容所があった。
※ 捕虜も俘虜も同じ意味だが、ドイツ館の説明では、捕まったすぐは俘虜とは言わないそう。 その後が俘虜。
実際は、同じ意味に使うようだ。
その俘虜の人達と、地域が仲良くなった。
仲良くなれた下地は、この地域は、お遍路さんが通ることにある。
接待の習慣があり、見知らぬ人間に対して冷たくない、という地域の人たちの人間性があったようだ。(ドイツ館の説明)
※ 直ぐ近くに、四国88ヶ寺の1番札所と2番札所の寺がある。 (霊山時、極楽寺)
板東俘虜収容所の模型。 合併する前、ここは板東町。
今日最後にここへ行く。 池が残っていた。
1918年6月1日、第九が、収容所内で演奏された。 これが、日本最初の演奏とされている。
舞台の人形が動いた。 指揮者も動いた。 ※ 写真は、パンフレットのもの。
鳴門市では、市民がこのように歌う。
6月1日は、第九の日。 この日に一番近い日曜日に歌う。
市民がこのように歌うのは、今、全国に広がっている。 ※ 北海道の清水町は、第九の町。
下の説明が、分かりやすい。
映画「バルトの楽園」は、ここの話が映画になった。 ※ バルトは「髭(ひげ)」の意味。 所長の髭が立派だったので。
ドイツ人が日本人を見ての感想があったので、いくつか。
① 日本人は、最初、なぜ地面を見るのだろう。(挨拶のこと)
② レスリングがあるが、レフリーが騒がしい。(相撲)
③ この仕事は、とにかく腰が痛い。(田植え)
④ お祭りの日、徳島の人達は、突然陽気になる。(阿波踊り)
昔、ソ連の捕虜になった日本人は、極寒(ごっかん)のシベリアに送られた。
生き延びることしか、考えられなかった。
しかし、板東の捕虜は、ただ生きるだけでなく、生きる喜びを持とうとした。
また、持つことが可能だった。
本当の「生きる」の意味を、教えてくれたかな。
左が、道の駅の建物。 収容所の建物を再現している。
右は、賀川豊彦記念館。 後で行く。
捕虜の人たちが、石橋を残したというので、見に行った。
大麻比古(おおあさひこ)神社の裏にある。
駐車場が広かった。 一目、乗用車千台、バス数十台。
※ ブログを書き終わって、本当は何台駐車できるか調べた。 1000台だった。 私の一目はすごい。 自分で感心。
後で知ったが、徳島県で一番大きな神社だった。
さらっと、通っただけ。 右に、石のフクロウが。
神社とフクロウの好きな、しうさんが見たら、喜ぶ。
標識を見落として、迷った。 人がいたので聞いた。 その人は、スダチの木を剪定(せんてい)していた。
これ。 小さい。 右の小高い丘の上に神社がある。 そこへの道。
捕虜の人たちが造ってくれた。
穴の高さは、人の背丈くらい。 そう言えば、九州から離れたら、石橋はそんなに見ない。
池に、眼鏡橋。 かわいい。
行く時は、参道を通らなかった。 戻る時、参道を。 振り返って撮影。
この柿が干してあるのを見た。 皮をむいて。
長い参道。
こんなのが、あった。 この地図の中を歩いている。
「まほろば」は、素晴らしい場所、住みやすい場所、の意味だそう。 どこが、まほろばかな。
高速の橋。 手前が川に。 向こうは道に。 さっきの眼鏡橋と同じにした。
ここで、賀川豊彦記念館に寄った。
いろんな分野で活躍していた。 日本生活協同組合(生協)の生みの親でもある。
若い頃は、戦争に反対し、キリスト教を信じ、理想に向かって生きた。
後半の人生は、自分を活かせる所で生きた。 そんな感じがした。
大宅壮市一は、この人を、こう評した。
「およそ運動と名の付く物の大部分は、加賀豊彦に源を発している」
晩年の前の生き方に、魅力があるでしょうか。
板東俘虜収容所跡の入り口。 少し向こうで、第九が、日本最初に演奏された。 第九、日本発祥の地かな。
草取りなどの管理が、十分ではなかった。
建てるための予算は付いても、維持管理する予算が、十分でないことが多い。 昔から。
亡くなった人達の慰霊碑があった。
池は、そのままあった。
捕虜と地元の人が、親しくなった。 いい話だ。
所長の方針もよかったんですね。
でも、収容所跡があれでは、少しさびしい。 市民の関心は薄いのかな。
【道の駅】 第九の里
【明日の予定】 今日、やっと徳島県だけの詳しい情報誌が手に入った。 見所はいっぱいある。
徳島ラーメンがどうだとか、情報誌がうるさい。 しかたないから、食べてみるか。
【今日の歌】 鳴門市の第九が見つからないので、「一万人の第九 歓喜の歌 (08年 大阪城ホール)」
※ 高校生の時、第九を歌ったことがある。 旭川市民会館の舞台で。
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そこで、日本で初めて、ベートーベンの第九が演奏され、また歌われた。
道の駅の名前が、第九の里。
隣は、鳴門市ドイツ館。 下が、その建物。 左に見える像は、ベートーベン。

大正時代の中頃、道の駅の少し南に、俘虜収容所があった。
※ 捕虜も俘虜も同じ意味だが、ドイツ館の説明では、捕まったすぐは俘虜とは言わないそう。 その後が俘虜。
実際は、同じ意味に使うようだ。
その俘虜の人達と、地域が仲良くなった。
仲良くなれた下地は、この地域は、お遍路さんが通ることにある。
接待の習慣があり、見知らぬ人間に対して冷たくない、という地域の人たちの人間性があったようだ。(ドイツ館の説明)
※ 直ぐ近くに、四国88ヶ寺の1番札所と2番札所の寺がある。 (霊山時、極楽寺)
板東俘虜収容所の模型。 合併する前、ここは板東町。
今日最後にここへ行く。 池が残っていた。

1918年6月1日、第九が、収容所内で演奏された。 これが、日本最初の演奏とされている。
舞台の人形が動いた。 指揮者も動いた。 ※ 写真は、パンフレットのもの。

鳴門市では、市民がこのように歌う。
6月1日は、第九の日。 この日に一番近い日曜日に歌う。
市民がこのように歌うのは、今、全国に広がっている。 ※ 北海道の清水町は、第九の町。

下の説明が、分かりやすい。
映画「バルトの楽園」は、ここの話が映画になった。 ※ バルトは「髭(ひげ)」の意味。 所長の髭が立派だったので。
ドイツ人が日本人を見ての感想があったので、いくつか。
① 日本人は、最初、なぜ地面を見るのだろう。(挨拶のこと)
② レスリングがあるが、レフリーが騒がしい。(相撲)
③ この仕事は、とにかく腰が痛い。(田植え)
④ お祭りの日、徳島の人達は、突然陽気になる。(阿波踊り)
昔、ソ連の捕虜になった日本人は、極寒(ごっかん)のシベリアに送られた。
生き延びることしか、考えられなかった。
しかし、板東の捕虜は、ただ生きるだけでなく、生きる喜びを持とうとした。
また、持つことが可能だった。
本当の「生きる」の意味を、教えてくれたかな。
左が、道の駅の建物。 収容所の建物を再現している。
右は、賀川豊彦記念館。 後で行く。

捕虜の人たちが、石橋を残したというので、見に行った。
大麻比古(おおあさひこ)神社の裏にある。
駐車場が広かった。 一目、乗用車千台、バス数十台。
※ ブログを書き終わって、本当は何台駐車できるか調べた。 1000台だった。 私の一目はすごい。 自分で感心。
後で知ったが、徳島県で一番大きな神社だった。

さらっと、通っただけ。 右に、石のフクロウが。

神社とフクロウの好きな、しうさんが見たら、喜ぶ。

標識を見落として、迷った。 人がいたので聞いた。 その人は、スダチの木を剪定(せんてい)していた。

これ。 小さい。 右の小高い丘の上に神社がある。 そこへの道。
捕虜の人たちが造ってくれた。

穴の高さは、人の背丈くらい。 そう言えば、九州から離れたら、石橋はそんなに見ない。

池に、眼鏡橋。 かわいい。

行く時は、参道を通らなかった。 戻る時、参道を。 振り返って撮影。


この柿が干してあるのを見た。 皮をむいて。

長い参道。

こんなのが、あった。 この地図の中を歩いている。

「まほろば」は、素晴らしい場所、住みやすい場所、の意味だそう。 どこが、まほろばかな。

高速の橋。 手前が川に。 向こうは道に。 さっきの眼鏡橋と同じにした。

ここで、賀川豊彦記念館に寄った。
いろんな分野で活躍していた。 日本生活協同組合(生協)の生みの親でもある。
若い頃は、戦争に反対し、キリスト教を信じ、理想に向かって生きた。
後半の人生は、自分を活かせる所で生きた。 そんな感じがした。
大宅壮市一は、この人を、こう評した。
「およそ運動と名の付く物の大部分は、加賀豊彦に源を発している」
晩年の前の生き方に、魅力があるでしょうか。
板東俘虜収容所跡の入り口。 少し向こうで、第九が、日本最初に演奏された。 第九、日本発祥の地かな。

草取りなどの管理が、十分ではなかった。
建てるための予算は付いても、維持管理する予算が、十分でないことが多い。 昔から。

亡くなった人達の慰霊碑があった。

池は、そのままあった。

捕虜と地元の人が、親しくなった。 いい話だ。
所長の方針もよかったんですね。
でも、収容所跡があれでは、少しさびしい。 市民の関心は薄いのかな。
【道の駅】 第九の里
【明日の予定】 今日、やっと徳島県だけの詳しい情報誌が手に入った。 見所はいっぱいある。
徳島ラーメンがどうだとか、情報誌がうるさい。 しかたないから、食べてみるか。
【今日の歌】 鳴門市の第九が見つからないので、「一万人の第九 歓喜の歌 (08年 大阪城ホール)」
※ 高校生の時、第九を歌ったことがある。 旭川市民会館の舞台で。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で11位です。 放浪の旅は、42位です。
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コメント
ようこそ四国へ
徳島は先日久々に行ってきました。眉山と徳島中央公園に行きましたが眉山からの眺めは良かったですよ。徳島ラーメンは「いのたに」という店に行きました。徳島ラーメンは味が濃いのでご飯と一緒に食べることをお勧めします。
Re: ようこそ四国へ
この冬は、四国で勝負。 細かく見ますからね。 情報とアドバイスお願いします。
徳島ラーメンは、味が濃そう。
濃くない店を見つけていたが、その店は、今日休み。 どうしましょう。
徳島ラーメンは、味が濃そう。
濃くない店を見つけていたが、その店は、今日休み。 どうしましょう。
そうなんだ 第九の里
第九の里
そんな歴史があったですね
所長さんが
人の痛みを判る人だったんだ
まだまだ知らないことが
たくさんある
そんな歴史があったですね
所長さんが
人の痛みを判る人だったんだ
まだまだ知らないことが
たくさんある
Re: そうなんだ 第九の里
ドイツ館の中の写真が撮れたらいいんだけど、ダメでしたね。
写真を撮ってもらうことは、宣伝になると思うんですよ。
広島に向かいます。 よろしく。
写真を撮ってもらうことは、宣伝になると思うんですよ。
広島に向かいます。 よろしく。
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