今日は、少しだけの見学です。
稚内市は昔、北への、つまり、樺太への玄関口だった。
もし戦争が無くて、樺太が日本の領土だったら、稚内はどんな町になったんでしょう。
副港市場を見学して、そんな夢を見ました。
※ ※ ※ ※
北防波堤の、奥の方に行ってなかったので、見に行った。
そうしたら、私の車の後ろに、車を停めた人がいた。
お世話になっている、Tさんだった。
明日ここで行事があるので、確認に来た。 彼は、責任者になっている。
防波堤と通路の、2つの役割。 今は、観光もプラス。 走っている人もいるかな。
向こうが、突き当たり。
巡視船、れぶん。 1つの船は、一生同じ名前かと思ったら、違った。
※ れぶんのHPから。
1980年1月 建造
巡視船だいせつ 釧路海上保安部(北海道)
巡視船くだか 1988年4月~ 第十一管区海上保安本部(沖縄)
巡視船くりこま 1994年8月~ 釜石海上保安部(岩手県)
巡視船いわみ 2000年4月~ 浜田海上保安部(島根県)
巡視船れぶん 2008年12月~ 稚内海上保安部(北海道)
向こうは、フェリーターミナル。
小さく写ってるのが、Tさん。
これから市役所に戻るけど、行かないか~って、誘ってくれた。
車を道の駅に置いて、乗せてもらって、行った。
稚内市役所。 3階だったかな。
子ども安全育成センターや市の教育研究所が入っている部屋だった。
お茶を御馳走になって、しばらく仕事を見ていた。
市役所の近くの、アーケード街。 昔は、稚内のメインストリート。 今は?
副港市場の方に来た。 何の船だろう。
副港市場です。 ニーナさんのペチカが見えます。
少し左。 建物の中は、後で。
さらに、左。 松坂大輔スタジアムがある。
副港市場の中。 昔の、稚内や樺太を伝える施設が多い。
ビデオが見られる。
樺太について、書いてあった。
樺太には、戦前、たくさんの人が住んでいた。
松浦武四郎も行っている。
この人は、日本に大きな影響を与えた。 高野長英など、たくさんの人を育てた。
九州では、シーボルトが訪れた所には、記念碑とかがあった。
佐賀県の嬉野温泉には、シーボルトの湯があった。
こんな所も。 本当にラーメンを作っている。
地域FMのスタジオがあった。
よく見たら、ニーナさんだった。
昔は、稚内港駅があった。
のちに、稚内駅になる。
この後、歩いていたら、ニーナさんに会う。
お店に行って、見ていただいていた、ブログの印刷を受け取った。
中身には、何ヶ所か、ペンが入っていた。
説明をしていただいた。
この後、Tさんと、お風呂に入って食事をした。
ペチカは、7時半に席が空いていたら、取っててもらうことにしていた。
30分とか、待ってもいいことにして。
店の前で、Tさんと待ち合わせしていた。 7時半。
少し早く行ったら、ニーナさんは、もう歌っていた。 何曲も。
私は、外で聴いた。
後で分かったことだが、ニーナさんは、目の前の一番いい席を用意してくれていた。
申し訳なかった。
歌が終わった頃、Tさんはやってきた。
また、料理を食べて、ビールを飲んだ。
でも、ニーナさんは、仕事ですっかり疲れてしまい、歌う元気は残っていなかった。
※ ペチカは、料理の値段は、決して高くない。 良心的。 専門のシェフがいる。 美味しい。
店に、こんなのが、貼ってあった。 二十三夜待ちは、何度も石碑を見たし、調べた。
でも、二十二夜待ちは、初めて。
何なのかを知りたいし、舞台も見たい。
※ 舞台のあらすじは、下。
この後、どのように展開するのか。 ならず者の心に、変化が起きるのか。
木下順二は、人間を悪く描かない。
人間ってそういうものなんだと、「矛盾」を表現するかもしれない。
※ 二十二夜待ちにつては、ここに詳しく載っています。
戦争や冷戦と呼ばれるものが無ければ、大韓機のような事故は起きない。
シリアで、山本美香さんが死ぬこともない。
戦争が無かったら、今も、樺太には、日本人が住んでいた。
そうだったら、稚内の町は、どんな賑わいになっていたんだろう。
副港市場を歩きながら、賑わっている、夢を見た。
【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 宗谷岬に。 大韓機撃墜事件の慰霊祭がある。 戻ってくる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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稚内市は昔、北への、つまり、樺太への玄関口だった。
もし戦争が無くて、樺太が日本の領土だったら、稚内はどんな町になったんでしょう。
副港市場を見学して、そんな夢を見ました。
※ ※ ※ ※
北防波堤の、奥の方に行ってなかったので、見に行った。
そうしたら、私の車の後ろに、車を停めた人がいた。
お世話になっている、Tさんだった。
明日ここで行事があるので、確認に来た。 彼は、責任者になっている。

防波堤と通路の、2つの役割。 今は、観光もプラス。 走っている人もいるかな。

向こうが、突き当たり。

巡視船、れぶん。 1つの船は、一生同じ名前かと思ったら、違った。
※ れぶんのHPから。
1980年1月 建造
巡視船だいせつ 釧路海上保安部(北海道)
巡視船くだか 1988年4月~ 第十一管区海上保安本部(沖縄)
巡視船くりこま 1994年8月~ 釜石海上保安部(岩手県)
巡視船いわみ 2000年4月~ 浜田海上保安部(島根県)
巡視船れぶん 2008年12月~ 稚内海上保安部(北海道)

向こうは、フェリーターミナル。

小さく写ってるのが、Tさん。
これから市役所に戻るけど、行かないか~って、誘ってくれた。
車を道の駅に置いて、乗せてもらって、行った。

稚内市役所。 3階だったかな。
子ども安全育成センターや市の教育研究所が入っている部屋だった。
お茶を御馳走になって、しばらく仕事を見ていた。

市役所の近くの、アーケード街。 昔は、稚内のメインストリート。 今は?

副港市場の方に来た。 何の船だろう。

副港市場です。 ニーナさんのペチカが見えます。

少し左。 建物の中は、後で。

さらに、左。 松坂大輔スタジアムがある。

副港市場の中。 昔の、稚内や樺太を伝える施設が多い。

ビデオが見られる。

樺太について、書いてあった。

樺太には、戦前、たくさんの人が住んでいた。

松浦武四郎も行っている。

この人は、日本に大きな影響を与えた。 高野長英など、たくさんの人を育てた。
九州では、シーボルトが訪れた所には、記念碑とかがあった。
佐賀県の嬉野温泉には、シーボルトの湯があった。

こんな所も。 本当にラーメンを作っている。

地域FMのスタジオがあった。

よく見たら、ニーナさんだった。

昔は、稚内港駅があった。

のちに、稚内駅になる。

この後、歩いていたら、ニーナさんに会う。
お店に行って、見ていただいていた、ブログの印刷を受け取った。
中身には、何ヶ所か、ペンが入っていた。
説明をしていただいた。
この後、Tさんと、お風呂に入って食事をした。
ペチカは、7時半に席が空いていたら、取っててもらうことにしていた。
30分とか、待ってもいいことにして。
店の前で、Tさんと待ち合わせしていた。 7時半。
少し早く行ったら、ニーナさんは、もう歌っていた。 何曲も。
私は、外で聴いた。
後で分かったことだが、ニーナさんは、目の前の一番いい席を用意してくれていた。
申し訳なかった。


歌が終わった頃、Tさんはやってきた。
また、料理を食べて、ビールを飲んだ。
でも、ニーナさんは、仕事ですっかり疲れてしまい、歌う元気は残っていなかった。
※ ペチカは、料理の値段は、決して高くない。 良心的。 専門のシェフがいる。 美味しい。
店に、こんなのが、貼ってあった。 二十三夜待ちは、何度も石碑を見たし、調べた。
でも、二十二夜待ちは、初めて。
何なのかを知りたいし、舞台も見たい。

※ 舞台のあらすじは、下。
この後、どのように展開するのか。 ならず者の心に、変化が起きるのか。
木下順二は、人間を悪く描かない。
人間ってそういうものなんだと、「矛盾」を表現するかもしれない。

※ 二十二夜待ちにつては、ここに詳しく載っています。
戦争や冷戦と呼ばれるものが無ければ、大韓機のような事故は起きない。
シリアで、山本美香さんが死ぬこともない。
戦争が無かったら、今も、樺太には、日本人が住んでいた。
そうだったら、稚内の町は、どんな賑わいになっていたんだろう。
副港市場を歩きながら、賑わっている、夢を見た。
【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 宗谷岬に。 大韓機撃墜事件の慰霊祭がある。 戻ってくる。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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