どうして、航路を逸(そ)れたのか。
太平洋の真ん中で逸れるのとは、事情が違うのに。
まだ、冷戦の時代。
アンカレジからソウルに向かった大韓機が、樺太の上空を通ってしまった。
島を過ぎた海上で、ソ連の戦闘機に撃墜された。
民間機を装ったスパイ機、との理由で。
乗員乗客合わせて、269人全員が死亡。
1983年9月1日、午前3時半頃のことだった。
あの日から、今日で、29年。
悲しみが薄まることはない。
※ ※ ※ ※
最北端の地、宗谷岬。 丘の上に、「祈りの塔」がある。
ここで今日、「稚内市子育て平和の日記念式典」がある。
毎年、9月1日に行う。
最後までいて感じたのは、中身は、29年前にあった大韓航空機撃墜事件の、慰霊祭だった。
これから、式典が始まろうとしている。
塔の先は、撃墜された、モネロン塔の方を向いている。
稚内でお世話になっている、Tさんが参加しているので、私も来ることに。
美味しいラーメンがあるというし。
子供たちが、参加している。 市街地の学校は、代表の子。
近くの学校は、全校児童のようだった。
何人かの子が、決意表明をした。 平和に関わる文を、読んだ。
※ 子供に、平和について考えろと言っても、むずかしい。
どんなことが、平和に結びつくかを考えさせたりする。
もし、人と仲良くする力を身につける、と言ったら、具体的に何をするかを書かせればいい。
言葉づかいのチェックは、最後に必要。
昨年の震災の名前とか、間違って使っている子がいたけど、正確な名前を学んでもらって、直す必要があった。
戦争が起きたり、冷戦だとなったら、何でも起こりうる。
起きてから文句言っても、取り返しがつかない。
今日の集まりの主旨は、平和。
平和でなくなったら、大きな事件が起きたら、平和以上に大事な物はないって、気づく。
健康と同じ。 健康以外は、みんな贅沢って。
世界平和の鐘と、子育て平和の鐘があった。 最後に、みんな鳴らした。
これが、大韓機の飛行ルート。
飛行位置のチェックポイントは、何ヶ所かあった。
どこのチェックポイントも、誤差範囲内と押さえ、異常とは考えなかった。
カムチャッカ半島に来た時は、北海道の大きさ程、ずれていた。
チェックポイントの誰かが、操縦士の誰かが、飛行ルートに異常を感じていたら、事故は防げた。
このように、不運と云うか、不幸が続いた。
ソ連の戦闘機の、威嚇発射にも、大韓機は気付かなかった。
ソ連の基地では、「どうやら我々は民間機を撃墜してしまったようだ」と会話している。(アメリカ軍が傍受)
民間機とはっきり認識していたら、なんぼ冷戦でも、ソ連は撃たなかったようだ。
全てが、悪い方へ、悪い方へと流れて、撃墜になってしまった。
3時25分、ミサイル発射。 2発。
30秒後、1発が、ボーイング747の尾翼に命中する。 1.75㎡の穴が開く。 操縦不能。
ミサイルを受けてから、1分44秒で、海に墜落。
機首を下げた状態で、高速で海に激突。 爆発。 漁船から見た人がいる。
客席からの悲鳴が、録音されている。 (ここまでは、Wikipedia等による)
この時の戦闘機は、下と、同じ機種。 ミサイルが見える。
場所は、モネロン島の北34㌔と云うので、大体下の地図の辺りでしょうか。
来賓のどなたかが、物は壊れても、もう一度つくることが出来る。
でも、命はそれが出来ない、と言った。
飛行機事故は、いろんな事故の中でも、とくに悲惨な感じがする。
今回のように、撃墜されたら、なおさら。
Tさんと、この店で、ホタテラーメンを食べた。
美味しかった。 期待した以上。
Tさんは塩味。 私は、醤油。 スープは、しょっぱいのではなく、味が濃い感じ。
写真は、塩。 (観光協会のHPからお借り)
いろんな慰霊碑がある。 戦時中は、多くの事故があった。 アメリカの潜水艦も。
旧海軍望楼。 監視所。
宗谷岬の、全貌。
右手に、宗谷港。
左の方。
式典があった、丘の上。 遠くの建物は、展望施設。
こんなのも。
宮沢賢治の詩碑。 大正12年に、樺太に行っている。 前年に妹を亡くしているので、傷心の旅。

はだれに 暗く 緑する 宗谷岬の たゝずみと
北はま蒼に うち睡る サガレン島の 東尾や
宮澤賢治詠 東大寺長老 清水公照書
※ はだれ、は、雪がはらはらと降る様子。
サガレン島は、サハリン。 樺太のこと。
東尾や、が分からない。
稚内周辺の地図。
宗谷岬。
日本最北端の地の碑。
お土産屋さん街。
間宮林蔵。 もう少し、稚内寄りの場所から、樺太に渡る。 碑がある。
宗谷岬の歌。
動画を撮ったんだが、風が強く、風の音しか聞こえないので、ボツ。
この後、稚内の市街に戻る。
6時過ぎに出かけた。 北防波堤ドーム。
燈籠の点灯ががある。
※ 詳しくは、「稚内市子育て平和祈念の灯」。
※ この行事の、全体の責任者がTさんなので、見に来た。
開会式をやっている。
点灯が終わった。
もちろん、大韓機と関わっての行事。
日本人の犠牲者、28名。 遺族の方も、参加している。
灯籠流しと同じ意味合いでやっている。 死者の魂を弔っている。
暗くなってきた。
壁に、映像を映していた。
無情の海とある。
中央に、吉永小百合さん。
山の上は、稚内公園。
向こうに、ノシャップ岬。
高い所から。
9月1日は、稚内市にとって、忘れられない日になっていた。
【関連ブログ】 24年目の御巣鷹の尾根~日航123便~ 他 (2009/10/24)
【その他】 ※ ペチカのニーナさんの記事が、最終的に、完成しています。
誰か分からなかった、百万本のバラは、ニーナさんが歌ったものでした。
若い時の、ニーナさんの声です。
貴重な音源です。
【動画】 この動画は、数日後に、8月29日の、ニーナさんの記事に、移動します。
ニーナさんの18才が流れます。
※ 「ロシア民謡と弾き語りの夕べ ’07」の中の1曲。
黒い瞳など、聴いて、いいな~ってのが、詰まっている。 (い、を、に に、したいところ)
お話しも、なかなか、面白い。
CDは、ペチカで買うことが出来ます。
【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 ブログを書く。 夕方、稚内公園に。
礼文島は、明後日に行きます。 3日。
4日の朝に、稚内を出ます。
どこに行くかは、わっかない。 (言ってしまった)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で15位です。
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太平洋の真ん中で逸れるのとは、事情が違うのに。
まだ、冷戦の時代。
アンカレジからソウルに向かった大韓機が、樺太の上空を通ってしまった。
島を過ぎた海上で、ソ連の戦闘機に撃墜された。
民間機を装ったスパイ機、との理由で。
乗員乗客合わせて、269人全員が死亡。
1983年9月1日、午前3時半頃のことだった。
あの日から、今日で、29年。
悲しみが薄まることはない。
※ ※ ※ ※
最北端の地、宗谷岬。 丘の上に、「祈りの塔」がある。
ここで今日、「稚内市子育て平和の日記念式典」がある。
毎年、9月1日に行う。
最後までいて感じたのは、中身は、29年前にあった大韓航空機撃墜事件の、慰霊祭だった。
これから、式典が始まろうとしている。
塔の先は、撃墜された、モネロン塔の方を向いている。

稚内でお世話になっている、Tさんが参加しているので、私も来ることに。
美味しいラーメンがあるというし。
子供たちが、参加している。 市街地の学校は、代表の子。
近くの学校は、全校児童のようだった。
何人かの子が、決意表明をした。 平和に関わる文を、読んだ。
※ 子供に、平和について考えろと言っても、むずかしい。
どんなことが、平和に結びつくかを考えさせたりする。
もし、人と仲良くする力を身につける、と言ったら、具体的に何をするかを書かせればいい。
言葉づかいのチェックは、最後に必要。
昨年の震災の名前とか、間違って使っている子がいたけど、正確な名前を学んでもらって、直す必要があった。

戦争が起きたり、冷戦だとなったら、何でも起こりうる。
起きてから文句言っても、取り返しがつかない。
今日の集まりの主旨は、平和。
平和でなくなったら、大きな事件が起きたら、平和以上に大事な物はないって、気づく。
健康と同じ。 健康以外は、みんな贅沢って。


世界平和の鐘と、子育て平和の鐘があった。 最後に、みんな鳴らした。

これが、大韓機の飛行ルート。
飛行位置のチェックポイントは、何ヶ所かあった。
どこのチェックポイントも、誤差範囲内と押さえ、異常とは考えなかった。
カムチャッカ半島に来た時は、北海道の大きさ程、ずれていた。
チェックポイントの誰かが、操縦士の誰かが、飛行ルートに異常を感じていたら、事故は防げた。
このように、不運と云うか、不幸が続いた。
ソ連の戦闘機の、威嚇発射にも、大韓機は気付かなかった。
ソ連の基地では、「どうやら我々は民間機を撃墜してしまったようだ」と会話している。(アメリカ軍が傍受)
民間機とはっきり認識していたら、なんぼ冷戦でも、ソ連は撃たなかったようだ。
全てが、悪い方へ、悪い方へと流れて、撃墜になってしまった。

3時25分、ミサイル発射。 2発。
30秒後、1発が、ボーイング747の尾翼に命中する。 1.75㎡の穴が開く。 操縦不能。
ミサイルを受けてから、1分44秒で、海に墜落。
機首を下げた状態で、高速で海に激突。 爆発。 漁船から見た人がいる。
客席からの悲鳴が、録音されている。 (ここまでは、Wikipedia等による)
この時の戦闘機は、下と、同じ機種。 ミサイルが見える。

場所は、モネロン島の北34㌔と云うので、大体下の地図の辺りでしょうか。
来賓のどなたかが、物は壊れても、もう一度つくることが出来る。
でも、命はそれが出来ない、と言った。
飛行機事故は、いろんな事故の中でも、とくに悲惨な感じがする。
今回のように、撃墜されたら、なおさら。
Tさんと、この店で、ホタテラーメンを食べた。
美味しかった。 期待した以上。
Tさんは塩味。 私は、醤油。 スープは、しょっぱいのではなく、味が濃い感じ。
写真は、塩。 (観光協会のHPからお借り)


いろんな慰霊碑がある。 戦時中は、多くの事故があった。 アメリカの潜水艦も。

旧海軍望楼。 監視所。

宗谷岬の、全貌。

右手に、宗谷港。

左の方。

式典があった、丘の上。 遠くの建物は、展望施設。

こんなのも。

宮沢賢治の詩碑。 大正12年に、樺太に行っている。 前年に妹を亡くしているので、傷心の旅。

はだれに 暗く 緑する 宗谷岬の たゝずみと
北はま蒼に うち睡る サガレン島の 東尾や
宮澤賢治詠 東大寺長老 清水公照書
※ はだれ、は、雪がはらはらと降る様子。
サガレン島は、サハリン。 樺太のこと。
東尾や、が分からない。
稚内周辺の地図。


宗谷岬。

日本最北端の地の碑。

お土産屋さん街。

間宮林蔵。 もう少し、稚内寄りの場所から、樺太に渡る。 碑がある。

宗谷岬の歌。

動画を撮ったんだが、風が強く、風の音しか聞こえないので、ボツ。

この後、稚内の市街に戻る。
6時過ぎに出かけた。 北防波堤ドーム。
燈籠の点灯ががある。
※ 詳しくは、「稚内市子育て平和祈念の灯」。
※ この行事の、全体の責任者がTさんなので、見に来た。
開会式をやっている。

点灯が終わった。


もちろん、大韓機と関わっての行事。
日本人の犠牲者、28名。 遺族の方も、参加している。

灯籠流しと同じ意味合いでやっている。 死者の魂を弔っている。

暗くなってきた。

壁に、映像を映していた。

無情の海とある。

中央に、吉永小百合さん。

山の上は、稚内公園。

向こうに、ノシャップ岬。

高い所から。

9月1日は、稚内市にとって、忘れられない日になっていた。
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【その他】 ※ ペチカのニーナさんの記事が、最終的に、完成しています。
誰か分からなかった、百万本のバラは、ニーナさんが歌ったものでした。
若い時の、ニーナさんの声です。
貴重な音源です。
【動画】 この動画は、数日後に、8月29日の、ニーナさんの記事に、移動します。
ニーナさんの18才が流れます。
※ 「ロシア民謡と弾き語りの夕べ ’07」の中の1曲。
黒い瞳など、聴いて、いいな~ってのが、詰まっている。 (い、を、に に、したいところ)
お話しも、なかなか、面白い。
CDは、ペチカで買うことが出来ます。

【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 ブログを書く。 夕方、稚内公園に。
礼文島は、明後日に行きます。 3日。
4日の朝に、稚内を出ます。
どこに行くかは、わっかない。 (言ってしまった)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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