「郭公や 樺太島は 遠い夢」
樺太師範学校の碑に、こんな句が。
卒業生の多くは、北海道で子どもたちを育てることになる。
九人の乙女の碑があった。
美化したら、同じことがまた起きる。
彼女たちは犠牲者、と考えなければ、また起きる。
沖縄の海に多くの若い命が散った、特別攻撃隊をどう考えるかに、似ている。
※ ※ ※ ※
教学の碑。 樺太の師範学校の同窓生が建てた。
師範学校は、学校の先生を育てるところ。 今は、教育大。
※ 樺太師範学校の学生は、北海道第一師範学校(現札幌教育大)などに、編入した。
指導していた教師は、一部は師範学校に、他は、小・中・高の学校に勤めた人が多い。
※ 当時の学生さんは、今は、90歳とかになっている。 (いろんなネットの資料から)
「郭公や 樺太島は 遠い夢」 郭公~カッコウ
過去は、遠くなると、夢になるのか。
どうして、ここで、郭公(カッコウ)が登場するのでしょう。
※ 遊びでは、「カッコウ」と「ガッコウ」が似ていると、ふざけたりしたいが。
カッコウが鳴いたら、種をまく。 春が来て、温かくなったと、季節を告げてくれる。
生活とかかわりの深い、身近な鳥。
そんな郭公に、樺太は、遠い夢になったと、語りかけている。
御前は、今も、海を渡って、樺太に行ける。
今はどうなっているか、見て来てくれないか。
こんな感じか。
今はもう、同窓会は、解散しているようです。
4隻の船が、カモメの水兵さんのように並んで、沖に出て行った。
※ 先日、副港市場での港にあった船に似ていた。
最北の街。
北防波堤ドーム。
右に、氷雪の門。 左に、九人の乙女の碑。
望郷の念のもと、樺太で亡くなった人達の慰霊のために、建てた。
像は、本郷新の作。 1963年。
この像は、手と足が大きかった。 ※ このような表現は、時々見る。
大地をしっかり踏み締め、何事も受け止める、と云う意味か。 力強い。
丘の上には、開基百年記念塔。 以前登った。 下に、北方記念館。
九人の乙女の碑。
最後まで、職を全うした訳だが、かわいそう過ぎる。
みんな若い。 人生これから。
シリアで亡くなった山本美香さんは、こんなことを言っていた。(文は正確でないが)
「子どもや若い人の未来、そして命は、自分たちのものより、ずっと重い。 大事にされなければ、ならない。」
命を絶つことの判断が、どのような流れで決まったか、今、正確に思い出せない。(分からない)
※ もし、この中の、上に立つ人の判断だったとすれば、少し気になる。
船の船長のように、上に立つ人は、若い子たちを、逃がさなければならない。
当時の状況が正確に分からないので、何とも言えないが。
※ 東日本大震災で、南三陸町の遠藤未希さんは、最後まで避難を呼びかけた。
でも、最後の最後は、上司の三浦さんが、美香さんを屋上に避難させた。 (最後に、関連ブログを)
(この時、町長さんも防災庁舎にいた。 町長さんが部下の命を守るために、どんな動きをしたかは分からない)
映画が作られたこと、あるんですね。 その主題歌です。
あの日から20年と言っている。 昭和40年の作。
【関連ブログ】 知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~ (2010/1/8)
日本三大砂丘の一つ、吹上浜 万世特高平和祈念館 ~南さつま市~ ショートプログラムは、明後日。 (2010/2/22)
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 礼文島へ
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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樺太師範学校の碑に、こんな句が。
卒業生の多くは、北海道で子どもたちを育てることになる。
九人の乙女の碑があった。
美化したら、同じことがまた起きる。
彼女たちは犠牲者、と考えなければ、また起きる。
沖縄の海に多くの若い命が散った、特別攻撃隊をどう考えるかに、似ている。
※ ※ ※ ※
教学の碑。 樺太の師範学校の同窓生が建てた。
師範学校は、学校の先生を育てるところ。 今は、教育大。
※ 樺太師範学校の学生は、北海道第一師範学校(現札幌教育大)などに、編入した。
指導していた教師は、一部は師範学校に、他は、小・中・高の学校に勤めた人が多い。
※ 当時の学生さんは、今は、90歳とかになっている。 (いろんなネットの資料から)

「郭公や 樺太島は 遠い夢」 郭公~カッコウ
過去は、遠くなると、夢になるのか。
どうして、ここで、郭公(カッコウ)が登場するのでしょう。
※ 遊びでは、「カッコウ」と「ガッコウ」が似ていると、ふざけたりしたいが。
カッコウが鳴いたら、種をまく。 春が来て、温かくなったと、季節を告げてくれる。
生活とかかわりの深い、身近な鳥。
そんな郭公に、樺太は、遠い夢になったと、語りかけている。
御前は、今も、海を渡って、樺太に行ける。
今はどうなっているか、見て来てくれないか。
こんな感じか。

今はもう、同窓会は、解散しているようです。

4隻の船が、カモメの水兵さんのように並んで、沖に出て行った。
※ 先日、副港市場での港にあった船に似ていた。

最北の街。

北防波堤ドーム。

右に、氷雪の門。 左に、九人の乙女の碑。

望郷の念のもと、樺太で亡くなった人達の慰霊のために、建てた。
像は、本郷新の作。 1963年。


この像は、手と足が大きかった。 ※ このような表現は、時々見る。
大地をしっかり踏み締め、何事も受け止める、と云う意味か。 力強い。

丘の上には、開基百年記念塔。 以前登った。 下に、北方記念館。

九人の乙女の碑。

最後まで、職を全うした訳だが、かわいそう過ぎる。
みんな若い。 人生これから。
シリアで亡くなった山本美香さんは、こんなことを言っていた。(文は正確でないが)
「子どもや若い人の未来、そして命は、自分たちのものより、ずっと重い。 大事にされなければ、ならない。」

命を絶つことの判断が、どのような流れで決まったか、今、正確に思い出せない。(分からない)
※ もし、この中の、上に立つ人の判断だったとすれば、少し気になる。
船の船長のように、上に立つ人は、若い子たちを、逃がさなければならない。
当時の状況が正確に分からないので、何とも言えないが。
※ 東日本大震災で、南三陸町の遠藤未希さんは、最後まで避難を呼びかけた。
でも、最後の最後は、上司の三浦さんが、美香さんを屋上に避難させた。 (最後に、関連ブログを)
(この時、町長さんも防災庁舎にいた。 町長さんが部下の命を守るために、どんな動きをしたかは分からない)

映画が作られたこと、あるんですね。 その主題歌です。
あの日から20年と言っている。 昭和40年の作。
【関連ブログ】 知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~ (2010/1/8)
日本三大砂丘の一つ、吹上浜 万世特高平和祈念館 ~南さつま市~ ショートプログラムは、明後日。 (2010/2/22)
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
【道の駅】 わっかない
【明日の予定】 礼文島へ
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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