1909年(明治42年)2月28日のこと。
和寒を出発した旅客列車が、塩狩峠の登りにさしかかった。
夜のとばりが下り、小雪が舞っていた。
さらに列車は、急こう配に入り、登り切る少し手前まで来た。
その時、旅客列車の、最後尾の列車の連結器が外れた。
最後尾の客車は、後ろに暴走し始めた。
車内は、大混乱。
その車両には、長野政雄(ながの まさお)という男が乗り合わせていた。
鉄道院(国鉄の前身)の職員だった。 旭川の、六条教会に行くために乗っていた。
暴走する客車のデッキに出て、ブレーキのハンドルを回した。 ※ 一番後ろが、前になって暴走している。
完全に停めることは、出来ない。 この先に、急な坂がある。
長野は、最後の手段を取る。
その時、乗客の方を、一瞬見て、小さくうなづいた。 別れの挨拶だった。
直後、客車の車輪の前に、飛び込んだ。
小さな衝撃を乗客が感じた後、列車のスピードは落ち、停まった。
身をていして、事故を食い止めた。
下敷きとなった長野は殉職した。 そして、乗客の命が救われた。 (Wikipedia等を参考)
※ 事実関係は、ほぼ大丈夫のようです。
( 転倒して落ちたとの指摘はあるが、はっきりしない。)
彼が停めたと云うことは、事実と思われる。
※ ※ ※ ※
塩狩峠の、北の水は天塩川に、南の水は石狩川に、流れる。 分水嶺。
峠を境に、北は和寒(わっさむ)町。 南は比布(ぴっぷ)町。
事故があった場所は、碑のある所から、300㍍程、北にある。 印とかはない。
国道から入ると、このように。 向こうに線路。
右上に、塩狩峠記念館が見える。
塩狩峠記念館。 三浦綾子の旧宅で、旭川の豊岡にあったのを移築した。
彼女の実家は、小さな商店だった。
三浦綾子は、長野政雄をモデルにして、小説を書いた。 それが、塩狩峠。
それがあって、ここに記念館として、昔のお店を持ってきた。
中を見せてもらった。 200円。
写真は撮れないので、下の写真は、パンフレットの小さな写真を撮影。
彼女は、氷点で、世に出た。
広い部屋もあって、資料室として、増築した部分もあった。
右は、彼女が執筆した部屋。
「銃口」と「泥流地帯」は、とにかく面白かった。
どっちも、最初の30ページを読んだら、必ず最後まで行く。 そんな小説。
仕掛けと言われるものが、いっぱいあって、次が知りたくなって、とまらなくなる。
三浦綾子記念館は、旭川の神楽にある。 ※ 小説についても、記念館についても、今までに書いている。
向こうに行くと、和寒。 長野政雄の乗った列車は、向こうから峠を登ってきた。
拡大するとこう。
列車が見える所から、約200㍍むこうが、事故現場。 坂が急になる。
左端に、殉職の地の碑が見える。 隣に、塩狩峠の標柱。
反対側に、塩狩駅。
標柱。 天塩国と石狩国との間にあると、ある。
長野政雄 殉職の地の碑。
彼は、まだ若かった。 遺書は、いつも持っていたと云う。
彼が通っていた旭川の六条教会関係のHPと思うが、下の文が。
食事も粗食で、弁当のおかずなども、大豆の煮たものを壷の中に入れておき、一週間でも一〇日でもその大豆ばかり食べていたことがあるという。
そうして浮いたお金で、彼は国元の母に生活費を送り、また教会に多額の献金をしていたのである。
こんな本。 小説の中では、彼女との結納のために、名寄から札幌に向かったとある。
長野政雄、三浦綾子が通った、現在の六条教会。(昨年撮影かな)
殉職の碑の前から、事故現場方向を見た。 信号まで、およそ100㍍。 下っている。
信号の所から、急な下りになる。 200㍍程向こうが、事故現場。
※ 距離については、塩狩峠記念館で聞いた。
信号の向こうは急になりそうと、分かるでしょうか。
※ 当時の線路と今の線路は、一部違う。
登りやすくするために、変えたという。
駅から400㍍ほどの地点なので、当時とくらべて、場所に大きなズレはないと思う。
※ 機関車は、このように登ってきた。
現場は、写真のカーブを曲がってから。
傾斜が急なので、機関車は苦しい。 それで、いっぱい煙を出す。 大きく息をするように。
2月28日だから、このように雪があった。
和寒の方に向かう列車の動画なら、ある。 ※ 事故の列車とは、反対方向に進んでいる。
下の動画で、事故現場は、1分39秒の辺り。
※ 上の動画で、1分48秒の時、小さな橋が見える。
その場所には行けたのだが、現場は、カーブがあるため、見えなかった。 線路を歩くのはやめた。
※ この写真に、連結器が見える。 狭いデッキが、あるようにも見える。
この客車では、ハンドルを回すブレーキは、見えない。
どのように考えたら、どのように生きたら、長野政雄のように出来るかは、分からない。
世の中には、普通の人が、おぼれた子供を助けたりする。 自分の命を犠牲にして。
人間、いざとなったら、結構なことが出来る人がいる。
今日は、見る所を決めていなかったし、少しだけ時間があったので、気になっていた塩狩峠に寄ってみました。
【動画】 三浦綾子の紹介は、下の動画が、いいようです。 ※ 韓国の動画かな。 貼り付けが難しい。
Miura Ayako, 三浦綾子
※ 動画の中で、「銃口」が紹介される。
この話の中の、主人公のモデルになった人は、雄武町の生まれ。 最後は、上渚滑中の校長。
雄武にいた時、教育長さんが、ぜひ銃口を読んでみてくださいと言った。
読んだのは、それから10年後だった。
【今日の歌】 今日は、教会が出てきたので、讃美歌です。
この曲は、「フランダースの犬」の最後の場面で流れた曲。
ルーベンスの絵がある、マリア大聖堂の中で。
【停泊場所】 国道沿いの駐車場。
【明日の予定】 はっきりしない。 コースを検討中。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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和寒を出発した旅客列車が、塩狩峠の登りにさしかかった。
夜のとばりが下り、小雪が舞っていた。
さらに列車は、急こう配に入り、登り切る少し手前まで来た。
その時、旅客列車の、最後尾の列車の連結器が外れた。
最後尾の客車は、後ろに暴走し始めた。
車内は、大混乱。
その車両には、長野政雄(ながの まさお)という男が乗り合わせていた。
鉄道院(国鉄の前身)の職員だった。 旭川の、六条教会に行くために乗っていた。
暴走する客車のデッキに出て、ブレーキのハンドルを回した。 ※ 一番後ろが、前になって暴走している。
完全に停めることは、出来ない。 この先に、急な坂がある。
長野は、最後の手段を取る。
その時、乗客の方を、一瞬見て、小さくうなづいた。 別れの挨拶だった。
直後、客車の車輪の前に、飛び込んだ。
小さな衝撃を乗客が感じた後、列車のスピードは落ち、停まった。
身をていして、事故を食い止めた。
下敷きとなった長野は殉職した。 そして、乗客の命が救われた。 (Wikipedia等を参考)
※ 事実関係は、ほぼ大丈夫のようです。
( 転倒して落ちたとの指摘はあるが、はっきりしない。)
彼が停めたと云うことは、事実と思われる。
※ ※ ※ ※
塩狩峠の、北の水は天塩川に、南の水は石狩川に、流れる。 分水嶺。
峠を境に、北は和寒(わっさむ)町。 南は比布(ぴっぷ)町。
事故があった場所は、碑のある所から、300㍍程、北にある。 印とかはない。

国道から入ると、このように。 向こうに線路。
右上に、塩狩峠記念館が見える。

塩狩峠記念館。 三浦綾子の旧宅で、旭川の豊岡にあったのを移築した。

彼女の実家は、小さな商店だった。
三浦綾子は、長野政雄をモデルにして、小説を書いた。 それが、塩狩峠。
それがあって、ここに記念館として、昔のお店を持ってきた。

中を見せてもらった。 200円。
写真は撮れないので、下の写真は、パンフレットの小さな写真を撮影。


彼女は、氷点で、世に出た。
広い部屋もあって、資料室として、増築した部分もあった。
右は、彼女が執筆した部屋。


「銃口」と「泥流地帯」は、とにかく面白かった。
どっちも、最初の30ページを読んだら、必ず最後まで行く。 そんな小説。
仕掛けと言われるものが、いっぱいあって、次が知りたくなって、とまらなくなる。

三浦綾子記念館は、旭川の神楽にある。 ※ 小説についても、記念館についても、今までに書いている。
向こうに行くと、和寒。 長野政雄の乗った列車は、向こうから峠を登ってきた。

拡大するとこう。
列車が見える所から、約200㍍むこうが、事故現場。 坂が急になる。
左端に、殉職の地の碑が見える。 隣に、塩狩峠の標柱。

反対側に、塩狩駅。

標柱。 天塩国と石狩国との間にあると、ある。

長野政雄 殉職の地の碑。

彼は、まだ若かった。 遺書は、いつも持っていたと云う。

彼が通っていた旭川の六条教会関係のHPと思うが、下の文が。
食事も粗食で、弁当のおかずなども、大豆の煮たものを壷の中に入れておき、一週間でも一〇日でもその大豆ばかり食べていたことがあるという。
そうして浮いたお金で、彼は国元の母に生活費を送り、また教会に多額の献金をしていたのである。

こんな本。 小説の中では、彼女との結納のために、名寄から札幌に向かったとある。

長野政雄、三浦綾子が通った、現在の六条教会。(昨年撮影かな)

殉職の碑の前から、事故現場方向を見た。 信号まで、およそ100㍍。 下っている。
信号の所から、急な下りになる。 200㍍程向こうが、事故現場。
※ 距離については、塩狩峠記念館で聞いた。

信号の向こうは急になりそうと、分かるでしょうか。
※ 当時の線路と今の線路は、一部違う。
登りやすくするために、変えたという。
駅から400㍍ほどの地点なので、当時とくらべて、場所に大きなズレはないと思う。

※ 機関車は、このように登ってきた。
現場は、写真のカーブを曲がってから。
傾斜が急なので、機関車は苦しい。 それで、いっぱい煙を出す。 大きく息をするように。
2月28日だから、このように雪があった。
和寒の方に向かう列車の動画なら、ある。 ※ 事故の列車とは、反対方向に進んでいる。
下の動画で、事故現場は、1分39秒の辺り。
※ 上の動画で、1分48秒の時、小さな橋が見える。
その場所には行けたのだが、現場は、カーブがあるため、見えなかった。 線路を歩くのはやめた。
※ この写真に、連結器が見える。 狭いデッキが、あるようにも見える。
この客車では、ハンドルを回すブレーキは、見えない。
どのように考えたら、どのように生きたら、長野政雄のように出来るかは、分からない。
世の中には、普通の人が、おぼれた子供を助けたりする。 自分の命を犠牲にして。
人間、いざとなったら、結構なことが出来る人がいる。
今日は、見る所を決めていなかったし、少しだけ時間があったので、気になっていた塩狩峠に寄ってみました。
【動画】 三浦綾子の紹介は、下の動画が、いいようです。 ※ 韓国の動画かな。 貼り付けが難しい。
Miura Ayako, 三浦綾子
※ 動画の中で、「銃口」が紹介される。
この話の中の、主人公のモデルになった人は、雄武町の生まれ。 最後は、上渚滑中の校長。
雄武にいた時、教育長さんが、ぜひ銃口を読んでみてくださいと言った。
読んだのは、それから10年後だった。
【今日の歌】 今日は、教会が出てきたので、讃美歌です。
この曲は、「フランダースの犬」の最後の場面で流れた曲。
ルーベンスの絵がある、マリア大聖堂の中で。
【停泊場所】 国道沿いの駐車場。
【明日の予定】 はっきりしない。 コースを検討中。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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