今日行く所に有名な観光地は無いんだけれど、何かあるかなって、行ってみた。
歴史の中で、下北半島は、中央からは遠い場所だった。
それでも、この地を支配していた者はいた。
※ ※ ※ ※
左端の、ピンクの○に来た。
九艘泊(くそうどまり)という地域。
※ 下から行った。 道は、九艘泊で行き止まり。
変わった名前。 調べたら、こうだった。
義経伝説なんだが、義経は北海道に行く時、ここに来て、停泊したと云う。
嵐を避けるため。 その時の船の数が、9艘。 それで、九艘泊。
※ 津軽半島を通ったと云う伝説もある。
三厩(みんまや)という所には、義経寺があった。
やっと1人、人がいた。
写真の人に、展望台への道や、サルがいるかもしれない所を聞いた。
どれも、見つけることは出来なかった。
これかなって云う道はあったが、歩ける道ではなかった。
この地域は、イワシの焼干しを作るのが、盛んなよう。
※ 焼干しラーメンを食べられるチャンスがあれば、食べてみたい。
九艘泊は、贈与交換の村だと云う。 どういうことか。
例えば、イワシの焼干しをする仕事を手伝ったとする。
普通は、賃金が支払われる。
でも、ここは違う。 魚とかが、お金の代わりに渡される。
もらった人は、さらに、それを米に交換したりもする。
面白いことがある。
体調が悪かったり、年を取っていたりして、手伝えない人もいる。
その人にも、魚は配られる。 働いた人と同じように。
大ざっぱにいえば、こんな感じ。
お金を使うことはもちろんあるが、助け合いの村(地域)だ。
海岸沿いの道を、戻った。 鯛島(弁天島)が見えた。
この島には、伝説があった。 (日本の島へ行こう、より)
鯛島の背中にある弁財天には征夷大将軍“坂上田村麻呂”にまつわる伝説が残されています。
蝦夷(東北)征伐でこの地を訪れた田村麻呂は、村の娘と恋仲になり子を孕ませてしまいます。
しかし、田村麻呂は役目を果たすと都へ戻ってしまい、残された娘は恋しさのあまり悲嘆に暮れ、
子供を生んだ後自ら命を絶ってしまいます。
哀れんだ村人は少しでも田村麻呂に近づけるようにと鯛の形をした島に娘を葬むりますが、
島の周囲では遭難が続き娘の祟りだと恐れられるようになります。
後の南北朝時代、都落ちした藤原藤房がその話を聞き、鎮魂のために建てたのがこの弁財天だと言われています。
この話は、戦国時代より、ずっと前の話し。
生まれた子の子孫がいたら、面白い。 坂上(さかがみ)とかの苗字で。
地域の半分くらいが坂上家だったら、申し分ない。
九州の椎葉村にも同じような話があって、その村には、那須家がたくさんあった。
※ 福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※(上のブログを書いたのは、震災の4日後。 次の日、東北に向かうことを決める)
鯛と云うよりは、鯨(くじら)ですね。
地元の人は、白い灯台は、鯨が潮を吹いている、というそう。
海釣り公園があったので、寄った。
左奥の生簀(いけす)で釣るよう。 平日は休み。
面白い滑り台。
近くに、飛びこみ禁止とあった。 海が浅いからか。
この辺りから、海に落ち込む急な崖はなくなる。 遠くの山は、釜臥(かまぶせ)山。
釜臥山は、右かな。
砂浜の砂は、小砂利ではない。 凝灰岩が風化した、白い砂のよう。
背丈の低い花。 名前は?
※ 追記 「ハマニガナ」です。 コメントで教えていただきました。 漢字では、浜苦菜。
少し走って、蛎崎(かきざき)地区。 小さな神社。 蛎崎八幡宮。
何か歴史が分かるかなと思って、停まった。
難しい。 下北半島の支配者の移り変わりを理解するのは、大変。
武田修理太夫信義とある。
始め、武田信義のことかなと思ったが、別人。
※ 武田信義は、甲斐武田氏の初代当主。 信玄は、16代目。
少し走って、むつ市川内町。 立派な煉瓦の囲い。
建物を見ても、酒屋とか何だとかは分からない。
調べたら、この地方では名のある人のお家だった。 先祖も、それなりの人。
人には会わなかったので、聞けなかった。
コスモスの季節でしょうか。
下の地図のパーキングで、今日は停泊。
小さな展望台。
道は、ずっと海岸線。
ここに停めた。 夜になったら、他に車は無い。
今日見た地域の人達は、例えば、青森市まで行くのは遠い。 フェリーで行くよう。
※ 大間の人達は、函館に行っていた。
だから、大間の町は、函館市大間町に感じていた。
※ 追記 書き忘れました。
川内町は、「北の川柳の町」を目指している。
行ってないが、川内湖に時実新子(ときざねしんこ)の文学碑があるそう。
自分の町とは、何の関係もない人だが、文学碑をつくった。
こんなのも「あり」なんかなと、思った。
時実新子と云う人は、下のような作品を残している。
面白いですよ。
心奪われ阿呆のような日が流れ
どうぞあなたも孤独であってほしい雨
何でも二つ並べてしまう淋しがり
男の嘘に敏感なふしあわせ
爪を切る時にも思う人のあり
孤独ではない恋人を見た孤独
妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ
泣いた泣いた泣いた沢山泣いたたくあんかじる
困らせて泣かせてみたいそれも愛
慕われているしあわせの髪を梳き
嫌い嫌い嫌い二の腕まで洗い
死ぬほどの思いも逢えばあっけなし
※ 時実新子(本名:大野恵美子)(1929年~2007年)
※ こんな人
【停泊場所】 むつ市川内にある、パーキング
【明日の予定】 南下します。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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歴史の中で、下北半島は、中央からは遠い場所だった。
それでも、この地を支配していた者はいた。
※ ※ ※ ※
左端の、ピンクの○に来た。
九艘泊(くそうどまり)という地域。
※ 下から行った。 道は、九艘泊で行き止まり。

変わった名前。 調べたら、こうだった。
義経伝説なんだが、義経は北海道に行く時、ここに来て、停泊したと云う。
嵐を避けるため。 その時の船の数が、9艘。 それで、九艘泊。
※ 津軽半島を通ったと云う伝説もある。
三厩(みんまや)という所には、義経寺があった。
やっと1人、人がいた。

写真の人に、展望台への道や、サルがいるかもしれない所を聞いた。
どれも、見つけることは出来なかった。
これかなって云う道はあったが、歩ける道ではなかった。

この地域は、イワシの焼干しを作るのが、盛んなよう。
※ 焼干しラーメンを食べられるチャンスがあれば、食べてみたい。
九艘泊は、贈与交換の村だと云う。 どういうことか。
例えば、イワシの焼干しをする仕事を手伝ったとする。
普通は、賃金が支払われる。
でも、ここは違う。 魚とかが、お金の代わりに渡される。
もらった人は、さらに、それを米に交換したりもする。
面白いことがある。
体調が悪かったり、年を取っていたりして、手伝えない人もいる。
その人にも、魚は配られる。 働いた人と同じように。
大ざっぱにいえば、こんな感じ。
お金を使うことはもちろんあるが、助け合いの村(地域)だ。

海岸沿いの道を、戻った。 鯛島(弁天島)が見えた。

この島には、伝説があった。 (日本の島へ行こう、より)
鯛島の背中にある弁財天には征夷大将軍“坂上田村麻呂”にまつわる伝説が残されています。
蝦夷(東北)征伐でこの地を訪れた田村麻呂は、村の娘と恋仲になり子を孕ませてしまいます。
しかし、田村麻呂は役目を果たすと都へ戻ってしまい、残された娘は恋しさのあまり悲嘆に暮れ、
子供を生んだ後自ら命を絶ってしまいます。
哀れんだ村人は少しでも田村麻呂に近づけるようにと鯛の形をした島に娘を葬むりますが、
島の周囲では遭難が続き娘の祟りだと恐れられるようになります。
後の南北朝時代、都落ちした藤原藤房がその話を聞き、鎮魂のために建てたのがこの弁財天だと言われています。
この話は、戦国時代より、ずっと前の話し。
生まれた子の子孫がいたら、面白い。 坂上(さかがみ)とかの苗字で。
地域の半分くらいが坂上家だったら、申し分ない。
九州の椎葉村にも同じような話があって、その村には、那須家がたくさんあった。
※ 福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※(上のブログを書いたのは、震災の4日後。 次の日、東北に向かうことを決める)
鯛と云うよりは、鯨(くじら)ですね。
地元の人は、白い灯台は、鯨が潮を吹いている、というそう。

海釣り公園があったので、寄った。

左奥の生簀(いけす)で釣るよう。 平日は休み。
面白い滑り台。
近くに、飛びこみ禁止とあった。 海が浅いからか。

この辺りから、海に落ち込む急な崖はなくなる。 遠くの山は、釜臥(かまぶせ)山。

釜臥山は、右かな。

砂浜の砂は、小砂利ではない。 凝灰岩が風化した、白い砂のよう。

背丈の低い花。 名前は?
※ 追記 「ハマニガナ」です。 コメントで教えていただきました。 漢字では、浜苦菜。

少し走って、蛎崎(かきざき)地区。 小さな神社。 蛎崎八幡宮。
何か歴史が分かるかなと思って、停まった。

難しい。 下北半島の支配者の移り変わりを理解するのは、大変。
武田修理太夫信義とある。
始め、武田信義のことかなと思ったが、別人。
※ 武田信義は、甲斐武田氏の初代当主。 信玄は、16代目。

少し走って、むつ市川内町。 立派な煉瓦の囲い。

建物を見ても、酒屋とか何だとかは分からない。

調べたら、この地方では名のある人のお家だった。 先祖も、それなりの人。


人には会わなかったので、聞けなかった。

コスモスの季節でしょうか。

下の地図のパーキングで、今日は停泊。


小さな展望台。

道は、ずっと海岸線。

ここに停めた。 夜になったら、他に車は無い。

今日見た地域の人達は、例えば、青森市まで行くのは遠い。 フェリーで行くよう。
※ 大間の人達は、函館に行っていた。
だから、大間の町は、函館市大間町に感じていた。
※ 追記 書き忘れました。
川内町は、「北の川柳の町」を目指している。
行ってないが、川内湖に時実新子(ときざねしんこ)の文学碑があるそう。
自分の町とは、何の関係もない人だが、文学碑をつくった。
こんなのも「あり」なんかなと、思った。
時実新子と云う人は、下のような作品を残している。
面白いですよ。
心奪われ阿呆のような日が流れ
どうぞあなたも孤独であってほしい雨
何でも二つ並べてしまう淋しがり
男の嘘に敏感なふしあわせ
爪を切る時にも思う人のあり
孤独ではない恋人を見た孤独
妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ
泣いた泣いた泣いた沢山泣いたたくあんかじる
困らせて泣かせてみたいそれも愛
慕われているしあわせの髪を梳き
嫌い嫌い嫌い二の腕まで洗い
死ぬほどの思いも逢えばあっけなし
※ 時実新子(本名:大野恵美子)(1929年~2007年)
※ こんな人
【停泊場所】 むつ市川内にある、パーキング
【明日の予定】 南下します。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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Re: タイトルなし
ありがとうございました。
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