牛追いの道と言われるのが、旧小本街道。 ※ 小本街道~おもとかいどう
その一番の難所が、早坂峠。
旧小本街道の早坂峠は、旧国道の早坂峠から、少し離れた所にあった。
草に埋もれるように、そっと残っていた。
南部牛追唄を歌いながら歩いた牛追いの面影を追って、歩いてみた。
哀愁を帯びた歌は、きっと、谷に響いた。
人や牛が歩いた道は、小さな谷のように、低くなっていた。
歩いて歩いて、水が流れて、昔の街道の山道は、どこもそうなる。
※ ※ ※ ※
スタートの段階で、大きな問題がある。
南部牛追歌の発祥は、どこなのか。
色々言われていて、はっきりしない。
ただ、ある時期になって、岩手県では、広く歌われていた。
今回やってきた、小本街道では、間違いなく歌われていたようだ。
※ 個人では色んな説を述べてる人はいるが、日本大百科全書(小学館)では、下のようになっている。
この唄の源流は明確でないが、もとは南部領一円で広く歌われ、いまの青森県三戸(さんのへ)郡から、
秋田県鹿角(かづの)郡、岩手県和賀郡や上閉伊(かみへい)郡、下閉伊郡あたりまで歌われていた。
※ 下閉伊郡が、今回の場所に当たる。
※ いくつかある個人の考えをまとめると、上に近いものになる。
現在地が、道の駅三田貝分校。
○の所が、昔の早坂峠。 そこに今日行く。
右に、小本(おもと)がある。 盛岡と小本を結ぶ道が、小本街道。
上の地図に合わせるため、逆さまに。
旧国道の早坂峠が見える。 その少し下に、旧小本街道の早坂峠。
※ 今日歩いたのは、峠の左側(西側)。 右は、道が無かった。
現在の国道は、トンネル。
道の駅に、こんなのがあった。
旧小本街道の道が、上と少し違う。 右の方。
上の図の、カーブしているのが、正しいと思う。
※ 理由は、その辺りが峠では一番急。 現場の風景を見て、真っ直ぐには登れそうにない。
衛星写真から、私も作ってみた。
と云うことで、場所の確認をしました。
ここは、道の駅、三田貝(みたかい)分校。
ここを過ぎたら、谷は急に狭くなる。
南部牛追の道だったことは、確か。 ここを通っている。
岩泉町は、真っ先に、南部牛追唄発祥の地と、名乗りを上げた。
ネット上に、そのことが広まり始めている。
南部牛追歌の全国大会もやっている。
湯沢市の小野は、小町の生誕の地と、大々的に宣伝した。 ※ 小野は、旧雄勝(おがち)町。
小町祭りをやった。 米に、秋田小町と云う名前も付けた。
いつの間にか、小町の生誕の地として、有名になってしまった。
真っ先に名乗りを上げて取り組むことは、恐ろしい力。
いつの日か、岩泉町が、南部牛追歌の発祥の地として、固まってしまうかもしれない。
建物は、昔の学校に似せた。
毎日参観日だから、誰が入ってもいい。
教室で給食を食べる雰囲気。
すずしい秋の風に・・・とある。 今の季節だ。
牛追いの道の説明があった。
海の方からは、塩や海産物。 盛岡からは、米や雑貨。 1日60~70頭とある。
お店。
給食を食べた。 600円しなかった。 牛乳に、ミルメークを入れた。
揚げものは普段食べないから、やっと食べた。 途中から、衣を外して。 中は魚。
最初に赴任した学校に、足踏みオルガンがあった。 電気のより、音が優しい。
古い写真があった。 昔の人の表情を見たくなる。
楽しみは、何だったんだろう。
先日、小川原湖で出会った歌でないが、縦糸と横糸で、どんな人生の綾を織っていたのか。
旧国道の早坂峠に、向かった。 10㌔程でしょうか。
昔、牛追いの人達は、この辺りまで来ると、いよいよ難所の早坂峠に入ると、気持ちを引き締めた。
早坂トンネルの手前で、旧道に入った。
道は、この後、右の方に大きく迂回して、○の所に登っていく。
旧小本街道は、この風景の左側の方を、一気に登っていく。 難所だと、想像がつく。
早坂峠に着いた。 早坂高原でもあるので、お店もある。 小さな観光地。
旧小本街道は、この写真の、左の方にある。
南部牛追唄発祥の地とある。
※ 私は、岩泉町の役場に電話して、南部牛追歌の資料はどこにあるでしょう、と聞いた。
図書館か郷土資料館のような所にありますかと。
返事は、はっきりしなかった。
発祥の地としての根拠は、文書では無いだろうと想像した。
それが事実でも、仕方ない。
どこからかクレームが付いたら、発祥の地の一つと押さえている、と答えると思う。
見える道を向こうに行く。 500㍍程で、旧小本街道の、早坂峠に着く。
牛追いの道の説明。
道の駅で読んだのと、同じでしょうか。
ここで、もう一つ。
南部牛追歌の、「南部」とは、どこなんでしょう。 大辞泉では、次のように。
陸奥(むつ)の豪族南部氏の旧領地で、現在の青森県東半分から岩手県中部にわたる地域の称。
特に、盛岡をいう場合もある。
上の説明が分かりやすい。 青森県の東半分の中心は、八戸。
八戸も盛岡も、南部藩だった時代がある。 なお、青森県の西半分は、津軽ですね。
下の地図の逆さまのを、最初で使った。
この後、牛追いの道を探しに行った。
ネットの情報で、入り口に、標識があるはずだった。
見つけられず、通りすぎてしまった。 広い牧草地帯に出た。 一帯を、早坂高原と云う。
牧場の向こうには、深い谷。 向こうが、三田貝分校の方向。 北上山地。
早坂峠には、向こうの谷底から登ってくる。
牧場には、黒牛がいた。 途中で引き返した。
地元の人の車とすれ違った。 聞いた。 やっと分かった。
旧国道から、400㍍ほど入ったところに、空き地があった。
そこに、車を停めた。 ※ 上から3枚目の地図の、黄緑の小さな○の所。
下の写真は、そこからの写真。 右に道がある。
写真中央少し左辺りに、旧小本街道の早坂峠はあった。
上の写真の左の方。 写真の右の部分の林の中を通って、旧小本街道は、谷底に下っていく。
探しに向かった。 旧小本街道の入り口は、2本目の電柱の辺りにあった。
左への道は見えなく、右への道だけが、何とか残っていた。
朽ちかけた標識があった。
通りすぎた所から見たら、こう。
正面から。 分かりますね。
道は、人が削って低くなったのではない。
多くの人が通って、長い年月の間にこうなった。 流れる雨も、道を削る。
標識は、読めない。
何年か前に、ここへ来た人がいる。 その人の写真の標識は、何とか読める状態。
「旧小本街道 早坂峠」と読める。
牛追いは、小本街道を、どのようにして通ったのか。
熊もオオカミもいる道。 1人では、危険すぎる。
牛7~8頭が、1つの群れ。 1つの単位。
上の方にあった説明の最後に、追われる牛にとっても、追う牛方にとっても、難所中の難所であった、とある。
100㌔以上(約30貫)の荷物を積んだ牛と人は、どのような感じで進んだのか。
手綱のようなひもを前から引いたのではなく、後ろか横の方から、牛を追うようにしていたのか。
それで、追う牛方と云う表現か。 少しはっきりしない。
※ 元々は、荷物を運ぶ時の歌は「牛方節」、牛を運ぶ時の歌は「牛追唄」だった。
現在は、両方とも、「牛追唄」と言われている。
耳を澄ませば、南部牛追歌が聞こえてきそう。
昔、荷物は馬で運ぶ地方が多かったが、ここ岩泉地方(下閉伊郡~しもへいぐん)は、牛で運ばれた。
海岸から盛岡までは、2泊3日の日程。 野宿だったそう。
1日目は、行けたとしても、三田貝分校の辺りまで。
2日目に、早坂峠を越える。 越えたどこかで、野宿。
3日目は、盛岡まで。
※ 本当に野宿だったんだろうか。 もし雨が降って来たら厳しい。
どこかの民家の軒先でも、借りたのではないだろうか。
向こうから、道を下りてきた。
峠の見晴らしのいい所に出て、そこで歌ったら、きっと谷に響いた。
しばらく歩いたら、道が不安になってきた。
道がはっきりしなくても、少し行ったら、また道は見えてきた。
南部牛追唄は、多くの人が歌っている。
その中で、歌いながら早坂峠を越えることのできる人は、下の人だけでしょうか。
頑強な体が無ければ、牛を追って峠は越えられない。
歌詞は10番以上あるが、下の動画は、そのうちの2つを歌っている。
田舎なれどもサーハーエ 南部の国はサー 西も東もサーハーエ 金の山 コラサンサエー
今度来る時サーハーエ 持って来てたもれヤー 奥の深山のサーハーエ なぎの葉を コラサンサエー
谷に響き渡っている声に、聴こえる。 でも、もうちょっと押さえて歌ってほしい。
上の唄の中で、
「キャラホー」は牛の進行を促す。つまり、進め。
「パォパォパォ」は、牛をなだめる掛け声で、静かに止まれと云うという意味でもあるよう。
両方とも、お囃子(はやし)と云われるもの。
再度、不安になってきた。
歌詞について少しだけ。
「田舎なれども」の言い回しは、よくある。 田舎であるけれども、のような意味。
「西も東も金の山」も、ありそう。 すばらしさを、「金の山」で表現。
岩手では、元々黄金の平泉を支えるだけの金が、採掘された。
「なぎの葉」のなぎ(梛)は、神木。 なぎの葉は、お守りのような物で、道中の安全を守ってくれる。
まだ、行ってみる。
九州の「刈干切唄」などに似ていると云う声もあるが、似てる民謡は見つからない。
南部牛追唄のメロディは、他の民謡と比較して、飛びぬけて美しい。
そのために、似ているようには、聴こえない。
※ 似ていなくて美しいのは、五木の子守唄。
山口淑子の歌うそれは、南部牛追唄と同じくらい、哀調を帯びたものになっている。
いや、こっちは、哀(かな)しみが、より深いか。
斜面でない所は、道はそんなに低くならない。
今は、この旧小本街道を通る人はいない。 使われることもない。
道を再現できたらいい。 特に、三田貝分校側の急斜面を。
岩泉町は、ここを南部牛追歌の発祥の地として定着させたいのなら、お金を使っても価値はある。
観光の目玉は、鍾乳洞と南部牛追唄。
何とか、まだ行ける。
ここまで来て、お終い。 道の先は、ササ薮。 ここまで、何百㍍か入った。 大した距離でない感じも。
戻った。
キノコ。 食べられそう。
戻る時、道が分からなくなった。 迷った。
斜面を下らないようにすれば、上の道に出る。 不安は、少しだけ。
しばらく歩いたら、道は見つかった。
旧国道の早坂峠に戻って来た。 左に行ったら、盛岡。 そっちに向かう。
南部牛追唄を、完璧に歌っているのが、YouTubeにはない。
満足できるのが、見つからない。
私は、牛追いの人は、そんなに力んで歌ってはいなかった、と思う。
曲が醸し出す、哀調・哀愁のようなものから、想像は広がる。
最後に、南部地方の何がこの民謡を生み出したのか、また、南部牛追唄はいったい何を意味しているのか、
それをまとめて、終わります。
① 曲の哀調を生み出したのは、南部の貧しさと思う。
南部は「やませ」という風が吹いて、冷害が多かった。
秋田や津軽のようには、米は獲れなかった。
貧しさが、この曲の全てを表しているのではなく、曲の根底に「まずしさ」があった、と云う意味。
② 南部に暮らす人達に、心の貧しさは、全くなかった。
メロディは、ネット上で、下のように評価されている。
伸びやかで勇壮 粘り強さ 洗練された落ち着き 品がある
ゆうゆうと旅する牛方 おおどかさ
※ おおどか ~ 性質がこせこせしないで、おっとりしているさま。 おうよう。おおらか。
私も、そう思う。
南部牛追歌の、際立ったメロディの美しさは、南部に生きる人達の豊かな心と、繊細で鋭い感性が生み出していた。
これで、一段落です。
「 南部牛追唄は、その時代に生きた南部人の『心』を歌った唄 」で、まとめます。
下の感じで歌ってくれる人がいたらいい。 哀愁を感じる歌い方。
【道の駅】 遠野に来ています。
【明日の予定】 遠野
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その一番の難所が、早坂峠。
旧小本街道の早坂峠は、旧国道の早坂峠から、少し離れた所にあった。
草に埋もれるように、そっと残っていた。
南部牛追唄を歌いながら歩いた牛追いの面影を追って、歩いてみた。
哀愁を帯びた歌は、きっと、谷に響いた。
人や牛が歩いた道は、小さな谷のように、低くなっていた。
歩いて歩いて、水が流れて、昔の街道の山道は、どこもそうなる。
※ ※ ※ ※
スタートの段階で、大きな問題がある。
南部牛追歌の発祥は、どこなのか。
色々言われていて、はっきりしない。
ただ、ある時期になって、岩手県では、広く歌われていた。
今回やってきた、小本街道では、間違いなく歌われていたようだ。
※ 個人では色んな説を述べてる人はいるが、日本大百科全書(小学館)では、下のようになっている。
この唄の源流は明確でないが、もとは南部領一円で広く歌われ、いまの青森県三戸(さんのへ)郡から、
秋田県鹿角(かづの)郡、岩手県和賀郡や上閉伊(かみへい)郡、下閉伊郡あたりまで歌われていた。
※ 下閉伊郡が、今回の場所に当たる。
※ いくつかある個人の考えをまとめると、上に近いものになる。
現在地が、道の駅三田貝分校。
○の所が、昔の早坂峠。 そこに今日行く。
右に、小本(おもと)がある。 盛岡と小本を結ぶ道が、小本街道。

上の地図に合わせるため、逆さまに。
旧国道の早坂峠が見える。 その少し下に、旧小本街道の早坂峠。
※ 今日歩いたのは、峠の左側(西側)。 右は、道が無かった。
現在の国道は、トンネル。

道の駅に、こんなのがあった。
旧小本街道の道が、上と少し違う。 右の方。
上の図の、カーブしているのが、正しいと思う。
※ 理由は、その辺りが峠では一番急。 現場の風景を見て、真っ直ぐには登れそうにない。

衛星写真から、私も作ってみた。

と云うことで、場所の確認をしました。
ここは、道の駅、三田貝(みたかい)分校。

ここを過ぎたら、谷は急に狭くなる。

南部牛追の道だったことは、確か。 ここを通っている。

岩泉町は、真っ先に、南部牛追唄発祥の地と、名乗りを上げた。
ネット上に、そのことが広まり始めている。
南部牛追歌の全国大会もやっている。
湯沢市の小野は、小町の生誕の地と、大々的に宣伝した。 ※ 小野は、旧雄勝(おがち)町。
小町祭りをやった。 米に、秋田小町と云う名前も付けた。
いつの間にか、小町の生誕の地として、有名になってしまった。
真っ先に名乗りを上げて取り組むことは、恐ろしい力。
いつの日か、岩泉町が、南部牛追歌の発祥の地として、固まってしまうかもしれない。
建物は、昔の学校に似せた。

毎日参観日だから、誰が入ってもいい。


教室で給食を食べる雰囲気。


すずしい秋の風に・・・とある。 今の季節だ。


牛追いの道の説明があった。
海の方からは、塩や海産物。 盛岡からは、米や雑貨。 1日60~70頭とある。

お店。


給食を食べた。 600円しなかった。 牛乳に、ミルメークを入れた。
揚げものは普段食べないから、やっと食べた。 途中から、衣を外して。 中は魚。


最初に赴任した学校に、足踏みオルガンがあった。 電気のより、音が優しい。

古い写真があった。 昔の人の表情を見たくなる。
楽しみは、何だったんだろう。
先日、小川原湖で出会った歌でないが、縦糸と横糸で、どんな人生の綾を織っていたのか。


旧国道の早坂峠に、向かった。 10㌔程でしょうか。
昔、牛追いの人達は、この辺りまで来ると、いよいよ難所の早坂峠に入ると、気持ちを引き締めた。

早坂トンネルの手前で、旧道に入った。
道は、この後、右の方に大きく迂回して、○の所に登っていく。
旧小本街道は、この風景の左側の方を、一気に登っていく。 難所だと、想像がつく。

早坂峠に着いた。 早坂高原でもあるので、お店もある。 小さな観光地。
旧小本街道は、この写真の、左の方にある。

南部牛追唄発祥の地とある。
※ 私は、岩泉町の役場に電話して、南部牛追歌の資料はどこにあるでしょう、と聞いた。
図書館か郷土資料館のような所にありますかと。
返事は、はっきりしなかった。
発祥の地としての根拠は、文書では無いだろうと想像した。
それが事実でも、仕方ない。
どこからかクレームが付いたら、発祥の地の一つと押さえている、と答えると思う。
見える道を向こうに行く。 500㍍程で、旧小本街道の、早坂峠に着く。

牛追いの道の説明。
道の駅で読んだのと、同じでしょうか。

ここで、もう一つ。
南部牛追歌の、「南部」とは、どこなんでしょう。 大辞泉では、次のように。
陸奥(むつ)の豪族南部氏の旧領地で、現在の青森県東半分から岩手県中部にわたる地域の称。
特に、盛岡をいう場合もある。
上の説明が分かりやすい。 青森県の東半分の中心は、八戸。
八戸も盛岡も、南部藩だった時代がある。 なお、青森県の西半分は、津軽ですね。
下の地図の逆さまのを、最初で使った。

この後、牛追いの道を探しに行った。
ネットの情報で、入り口に、標識があるはずだった。
見つけられず、通りすぎてしまった。 広い牧草地帯に出た。 一帯を、早坂高原と云う。
牧場の向こうには、深い谷。 向こうが、三田貝分校の方向。 北上山地。
早坂峠には、向こうの谷底から登ってくる。

牧場には、黒牛がいた。 途中で引き返した。
地元の人の車とすれ違った。 聞いた。 やっと分かった。
旧国道から、400㍍ほど入ったところに、空き地があった。
そこに、車を停めた。 ※ 上から3枚目の地図の、黄緑の小さな○の所。
下の写真は、そこからの写真。 右に道がある。
写真中央少し左辺りに、旧小本街道の早坂峠はあった。

上の写真の左の方。 写真の右の部分の林の中を通って、旧小本街道は、谷底に下っていく。

探しに向かった。 旧小本街道の入り口は、2本目の電柱の辺りにあった。
左への道は見えなく、右への道だけが、何とか残っていた。

朽ちかけた標識があった。

通りすぎた所から見たら、こう。

正面から。 分かりますね。
道は、人が削って低くなったのではない。
多くの人が通って、長い年月の間にこうなった。 流れる雨も、道を削る。
標識は、読めない。

何年か前に、ここへ来た人がいる。 その人の写真の標識は、何とか読める状態。
「旧小本街道 早坂峠」と読める。

牛追いは、小本街道を、どのようにして通ったのか。
熊もオオカミもいる道。 1人では、危険すぎる。
牛7~8頭が、1つの群れ。 1つの単位。
上の方にあった説明の最後に、追われる牛にとっても、追う牛方にとっても、難所中の難所であった、とある。
100㌔以上(約30貫)の荷物を積んだ牛と人は、どのような感じで進んだのか。
手綱のようなひもを前から引いたのではなく、後ろか横の方から、牛を追うようにしていたのか。
それで、追う牛方と云う表現か。 少しはっきりしない。
※ 元々は、荷物を運ぶ時の歌は「牛方節」、牛を運ぶ時の歌は「牛追唄」だった。
現在は、両方とも、「牛追唄」と言われている。
耳を澄ませば、南部牛追歌が聞こえてきそう。

昔、荷物は馬で運ぶ地方が多かったが、ここ岩泉地方(下閉伊郡~しもへいぐん)は、牛で運ばれた。
海岸から盛岡までは、2泊3日の日程。 野宿だったそう。
1日目は、行けたとしても、三田貝分校の辺りまで。
2日目に、早坂峠を越える。 越えたどこかで、野宿。
3日目は、盛岡まで。
※ 本当に野宿だったんだろうか。 もし雨が降って来たら厳しい。
どこかの民家の軒先でも、借りたのではないだろうか。
向こうから、道を下りてきた。

峠の見晴らしのいい所に出て、そこで歌ったら、きっと谷に響いた。
しばらく歩いたら、道が不安になってきた。
道がはっきりしなくても、少し行ったら、また道は見えてきた。

南部牛追唄は、多くの人が歌っている。
その中で、歌いながら早坂峠を越えることのできる人は、下の人だけでしょうか。
頑強な体が無ければ、牛を追って峠は越えられない。
歌詞は10番以上あるが、下の動画は、そのうちの2つを歌っている。
田舎なれどもサーハーエ 南部の国はサー 西も東もサーハーエ 金の山 コラサンサエー
今度来る時サーハーエ 持って来てたもれヤー 奥の深山のサーハーエ なぎの葉を コラサンサエー
谷に響き渡っている声に、聴こえる。 でも、もうちょっと押さえて歌ってほしい。
上の唄の中で、
「キャラホー」は牛の進行を促す。つまり、進め。
「パォパォパォ」は、牛をなだめる掛け声で、静かに止まれと云うという意味でもあるよう。
両方とも、お囃子(はやし)と云われるもの。
再度、不安になってきた。

歌詞について少しだけ。
「田舎なれども」の言い回しは、よくある。 田舎であるけれども、のような意味。
「西も東も金の山」も、ありそう。 すばらしさを、「金の山」で表現。
岩手では、元々黄金の平泉を支えるだけの金が、採掘された。
「なぎの葉」のなぎ(梛)は、神木。 なぎの葉は、お守りのような物で、道中の安全を守ってくれる。
まだ、行ってみる。

九州の「刈干切唄」などに似ていると云う声もあるが、似てる民謡は見つからない。
南部牛追唄のメロディは、他の民謡と比較して、飛びぬけて美しい。
そのために、似ているようには、聴こえない。
※ 似ていなくて美しいのは、五木の子守唄。
山口淑子の歌うそれは、南部牛追唄と同じくらい、哀調を帯びたものになっている。
いや、こっちは、哀(かな)しみが、より深いか。
斜面でない所は、道はそんなに低くならない。
今は、この旧小本街道を通る人はいない。 使われることもない。
道を再現できたらいい。 特に、三田貝分校側の急斜面を。
岩泉町は、ここを南部牛追歌の発祥の地として定着させたいのなら、お金を使っても価値はある。
観光の目玉は、鍾乳洞と南部牛追唄。
何とか、まだ行ける。

ここまで来て、お終い。 道の先は、ササ薮。 ここまで、何百㍍か入った。 大した距離でない感じも。

戻った。
キノコ。 食べられそう。

戻る時、道が分からなくなった。 迷った。
斜面を下らないようにすれば、上の道に出る。 不安は、少しだけ。
しばらく歩いたら、道は見つかった。

旧国道の早坂峠に戻って来た。 左に行ったら、盛岡。 そっちに向かう。

南部牛追唄を、完璧に歌っているのが、YouTubeにはない。
満足できるのが、見つからない。
私は、牛追いの人は、そんなに力んで歌ってはいなかった、と思う。
曲が醸し出す、哀調・哀愁のようなものから、想像は広がる。
最後に、南部地方の何がこの民謡を生み出したのか、また、南部牛追唄はいったい何を意味しているのか、
それをまとめて、終わります。
① 曲の哀調を生み出したのは、南部の貧しさと思う。
南部は「やませ」という風が吹いて、冷害が多かった。
秋田や津軽のようには、米は獲れなかった。
貧しさが、この曲の全てを表しているのではなく、曲の根底に「まずしさ」があった、と云う意味。
② 南部に暮らす人達に、心の貧しさは、全くなかった。
メロディは、ネット上で、下のように評価されている。
伸びやかで勇壮 粘り強さ 洗練された落ち着き 品がある
ゆうゆうと旅する牛方 おおどかさ
※ おおどか ~ 性質がこせこせしないで、おっとりしているさま。 おうよう。おおらか。
私も、そう思う。
南部牛追歌の、際立ったメロディの美しさは、南部に生きる人達の豊かな心と、繊細で鋭い感性が生み出していた。
これで、一段落です。
「 南部牛追唄は、その時代に生きた南部人の『心』を歌った唄 」で、まとめます。
下の感じで歌ってくれる人がいたらいい。 哀愁を感じる歌い方。
【道の駅】 遠野に来ています。
【明日の予定】 遠野
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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