時間が無かったので、伝承園を少しだけ見た。
昔を再現した所。 遠野物語の資料が展示してあった。
たくさんのオシラ様もあった。
※ ※ ※ ※
伝承園やカッパ淵は、大槌町への道(大槌街道)にある。
伝承園は、遠野の昔を再現したところ。
受付のある建物は、1850年頃に建てられた農家の納屋。 ここに、移築した。
写真中央上の曲がり屋は、元々ここにあった。 国の重要文化財。
カッパの帽子があった。 面白い。
貸してくれるのか、売り物なのか? カッパ淵に行く時、かぶったらいいよとあった。
入ったところ。 正面は、板倉という建物。
佐々木喜善(きぜん)記念館。
中は、資料館。
「遠野物語」の誕生について。
右側は、作者の柳田國男。 柳田~やなぎた
手前は、佐々木喜善。 この人が、遠野にある様々な話を、柳田に話した。
その向こうは、水野葉舟。 柳田に佐々木を紹介した人。
上の3人。
遠野物語の原稿。 最初の文に、佐々木喜善が出てくる。
最初、岩手医学校に入った、とありますね。
彼は、この近くで生まれている。
土淵と云われるこの一帯は、遠野の中でも、最も遠野らしい地域。
不思議に思うことがある。
なぜ、佐々木喜善は柳田國男に話したんだろう。
話したのは自分なのに、遠野物語の作者は、柳田國男。
自分で書けば、自分の作品になった。
柳田國男は、苦労してその土地に入って古老から聞き取りする手間が省けた。
遠野物語は、柳田國男の書いた文体の素晴らしさは、確かにあるんだが。
佐々木喜善に、話すことのメリットはあったんだろうか。
これが、よく分からない。
下の写真。 金田一京助が、佐々木喜善を評価している。
※ アイヌ 神謡集を書いた知里幸恵の面倒を見たのが、金田一京助でしたね。
金田一京助の自宅で撮影された、彼女の写真。 大正11年7月。 亡くなる2ヶ月前。 19才。
※ アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)
板倉。 元々は、倉庫だった。
コスモス。 風にゆれている。 温かいから楽しそう。
少しばかりの展示。 集会場所とかに、使われている。
昔の写真があった。 障子が破けている。 これが普通か。 敷物もなつかしい。
女の子は、何を見ているんだろう。 まさか、テレビ・・・?
小さな紅葉しか、見つからない。
いつか入ってみたい。
これが、曲がり屋。 大きい。 左側に、馬小屋がある。
この部屋で、語部(かたりべ)が、昔話を語る。 今日は、CDの声。
子供の頃、まゆ玉と呼んでいた。 木の枝を山に採りに行って作った。
この飾りが好きなので、どこかで見つけたら、買う。 今年も、正月が見えてきた。
部屋の隅にあった。 座敷童子(わらし)か。
オシラ様。 馬と娘。
奥の部屋に向かう。 おしら堂に。
次の廊下に。 どうして、こんな話が生まれたのかなあ。
となりに写真が並んでいた。 オシラ様の映画とか作ったんだろうか。
馬の目。
おしら堂の中。 オシラ様が、所狭しと。
願い事を書いて、下げてある。
そう云えば、山の中を走っていたら、薪(まき)を積んでる家を、よく見かけた。
薪ストーブは、やわらかな温かさか。
釜石に向かった。 その途中に。 小さな、お堂か。
釜石市内にある、鉄橋。 昨年の震災後には、鉄橋にもたくさんの残骸が引っ掛かっていた。
津波は、この鉄橋を越えた。 振り返れば、私のボランティは、この街から始まったんでしたね。
繁華街。 家を直し始めた。
※ 3月の20日過ぎに撮影した、この近くの写真。
その① その② その③ その④ その⑤ その⑥ その⑦(被災者の食事を作った。仕事の合間に、許可を得て撮影)
車が通る所以外は、残骸の山だった。
元の風景が、少しずつ戻っていた。
朝、父さん(Sさん)が、山ほどのリンゴとナシを届けてくれた。
父さんは、盛岡に入院している友人を、他の人と一緒に見舞いに行った。
遠野を離れた。 この後は、南下しながら、南三陸町を過ぎたら、海から大きく離れる。
【動画】 東北鎮魂の旅 / 竹中直人 霊界を行く「遠野」(YouTube)
【関連ブログ】 遠野ふるさと村 デンデラ野 ~遠野市~ 他 (2011/7/24)
石の彫刻 馬仙峡男神岩 座敷わらしの宿 (2009/07/10) ※ この宿は、火事で焼けた。
【道の駅】 さんりく
【明日の予定】 南に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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昔を再現した所。 遠野物語の資料が展示してあった。
たくさんのオシラ様もあった。
※ ※ ※ ※
伝承園やカッパ淵は、大槌町への道(大槌街道)にある。

伝承園は、遠野の昔を再現したところ。
受付のある建物は、1850年頃に建てられた農家の納屋。 ここに、移築した。

写真中央上の曲がり屋は、元々ここにあった。 国の重要文化財。

カッパの帽子があった。 面白い。
貸してくれるのか、売り物なのか? カッパ淵に行く時、かぶったらいいよとあった。

入ったところ。 正面は、板倉という建物。

佐々木喜善(きぜん)記念館。

中は、資料館。

「遠野物語」の誕生について。
右側は、作者の柳田國男。 柳田~やなぎた
手前は、佐々木喜善。 この人が、遠野にある様々な話を、柳田に話した。
その向こうは、水野葉舟。 柳田に佐々木を紹介した人。

上の3人。

遠野物語の原稿。 最初の文に、佐々木喜善が出てくる。

最初、岩手医学校に入った、とありますね。
彼は、この近くで生まれている。

土淵と云われるこの一帯は、遠野の中でも、最も遠野らしい地域。

不思議に思うことがある。
なぜ、佐々木喜善は柳田國男に話したんだろう。
話したのは自分なのに、遠野物語の作者は、柳田國男。
自分で書けば、自分の作品になった。
柳田國男は、苦労してその土地に入って古老から聞き取りする手間が省けた。
遠野物語は、柳田國男の書いた文体の素晴らしさは、確かにあるんだが。
佐々木喜善に、話すことのメリットはあったんだろうか。
これが、よく分からない。
下の写真。 金田一京助が、佐々木喜善を評価している。
※ アイヌ 神謡集を書いた知里幸恵の面倒を見たのが、金田一京助でしたね。
金田一京助の自宅で撮影された、彼女の写真。 大正11年7月。 亡くなる2ヶ月前。 19才。
※ アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)

板倉。 元々は、倉庫だった。

コスモス。 風にゆれている。 温かいから楽しそう。

少しばかりの展示。 集会場所とかに、使われている。

昔の写真があった。 障子が破けている。 これが普通か。 敷物もなつかしい。
女の子は、何を見ているんだろう。 まさか、テレビ・・・?

小さな紅葉しか、見つからない。

いつか入ってみたい。

これが、曲がり屋。 大きい。 左側に、馬小屋がある。

この部屋で、語部(かたりべ)が、昔話を語る。 今日は、CDの声。

子供の頃、まゆ玉と呼んでいた。 木の枝を山に採りに行って作った。
この飾りが好きなので、どこかで見つけたら、買う。 今年も、正月が見えてきた。

部屋の隅にあった。 座敷童子(わらし)か。

オシラ様。 馬と娘。

奥の部屋に向かう。 おしら堂に。

次の廊下に。 どうして、こんな話が生まれたのかなあ。

となりに写真が並んでいた。 オシラ様の映画とか作ったんだろうか。
馬の目。




おしら堂の中。 オシラ様が、所狭しと。

願い事を書いて、下げてある。

そう云えば、山の中を走っていたら、薪(まき)を積んでる家を、よく見かけた。
薪ストーブは、やわらかな温かさか。

釜石に向かった。 その途中に。 小さな、お堂か。

釜石市内にある、鉄橋。 昨年の震災後には、鉄橋にもたくさんの残骸が引っ掛かっていた。
津波は、この鉄橋を越えた。 振り返れば、私のボランティは、この街から始まったんでしたね。

繁華街。 家を直し始めた。
※ 3月の20日過ぎに撮影した、この近くの写真。
その① その② その③ その④ その⑤ その⑥ その⑦(被災者の食事を作った。仕事の合間に、許可を得て撮影)

車が通る所以外は、残骸の山だった。

元の風景が、少しずつ戻っていた。

朝、父さん(Sさん)が、山ほどのリンゴとナシを届けてくれた。
父さんは、盛岡に入院している友人を、他の人と一緒に見舞いに行った。
遠野を離れた。 この後は、南下しながら、南三陸町を過ぎたら、海から大きく離れる。
【動画】 東北鎮魂の旅 / 竹中直人 霊界を行く「遠野」(YouTube)
【関連ブログ】 遠野ふるさと村 デンデラ野 ~遠野市~ 他 (2011/7/24)
石の彫刻 馬仙峡男神岩 座敷わらしの宿 (2009/07/10) ※ この宿は、火事で焼けた。
【道の駅】 さんりく
【明日の予定】 南に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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