太平洋戦争末期、政治の中枢機能を、東京から長野県の山の中に移す計画があった。
山の中と言っても、本当の山の中で、トンネルを掘った。
そこで天皇を中心とした政治を行う予定だったが、終戦で、実際に使うことはなかった。
松代象山地下壕と呼ばれる所には、途中まで入ることが出来た。
松代の地は、川中島の合戦が行われたところ。
信玄は、前線基地として、海津城を作った。
後に、松代城となり、石垣が今に残っている。
ここでの戦いで、山本勘助は死んだ。
※ ※ ※ ※
松代は、長野市街地の少し南。
東風さんが、お昼から3時過ぎまで休みを取って案内してくれた。
私の車は、松代城跡に置いて、東風さんの乗用車で動いた。
上に書いた計画は、松代大本営計画。
天皇が住む予定だったところに、まず、行った。
松代の市街地の少し南。 舞鶴山の麓。
現在の写真。
今は、気象庁が、建物の一部と地下を利用して、精密な地震観測を行っている。
松代大本営計画は、昭和19年の11月からスタート。 終戦で終わる。 75%完成。
戦後に撮影された写真。
普段は、この建物で生活。 非常時は、地下に潜る。
地震の観測機器は、地下にある。
階段を下りる所まで、見学できる。 右から2番目の建物から、入った。
コンクリートは当時のままで、板の跡が見えた。
写真の、右端の建物。
窓ガラス越しに、覗けた。
下の写真は、別の所の資料室にあったもの。 地下宮殿も。
近くにある、別の地下への入り口。
今は、下の地図の現在地にいる。 さっきは、赤○に入った。
この舞鶴山の坑道の全長は、2.6㌔㍍。
戻って、ここは、象山神社。 祭神は、幕末に活躍した、佐久間象山。
※ 地元の人は、象山を、「ぞうざん」と読む。 東風さんも、そう言った。
一般的には、「しょうざん」
下に説明が。 龍馬たちとも、関わりがあった。
京都の三条木屋町で、暗殺された。 碑があって、何度か見た。 下のブログに、出てくる。
※ 維新の史跡を残す、木屋町通を歩く ~京都市~ キッスは目にして(ヴィーナス) 他 (2012/6/17)
松代象山地下壕に向かった。 水路があって、感じのいい通り。 東風さんの車は、象山神社の駐車場に。
武家屋敷が残っている。
ここが入り口。 受付がある。 無料。 ヘルメットを着用。
「不戦の誓い」の碑が見える。 公開する目的や姿勢が、見当つく。
松代象山地下壕は、下の地図で、左下の青い四角。
象山神社は、上の方。 その上に、海津城跡。 信玄はここに。 左端に、謙信がいた、妻女山。
松代大本営計画の概要が、分かりやすい。 住民と朝鮮人で掘った、とある。
※ 「強制連行」と云う言葉があるが、広辞苑には、こう書いてある。
【朝鮮人強制連行】 日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・
東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。
100万人とは、すごい数。 生きる希望さえ奪われて。 これが、戦争。 韓国の日本への恨みの元は、ここにもあるのか。
山の中の様子。 赤○の所を歩いた。
鉱山の中の感じ。
岩盤が固いので、岩から水が出てこない。
なんで、松代に、こんなのを作ったのか。
その理由の一つに、この辺りは本州が太くなって、海から遠いと、どこかの説明にあった。
※ 日本で一番海から遠いところは、佐久市だそう。 松代の右の方にある。 海まで、114㌔。
ちなみに、2番目は、私の故郷にある美瑛岳の近く。 海まで、107㌔。
考えてみたら、海には全く縁のない生活をしていた。
トンネルの掘り方は、削岩機で細い穴をたくさんあけ、その中にダイナマイトを詰めて、爆発させる。
下の写真は、削岩機の先っぽが、岩から抜けなくなった。
金網の向こう。
穴の跡。
「ずり」と呼ばれる、砕かれた石は、トロッコで運ばれた。 枕木の跡。
※ 東風さんは、元々は、トンネルで出てきた砕石を「ずり」と呼んでいた、と教えてくれた。
北海道の赤平だったでしょうか、炭鉱の「ずり山」に登った。
坑道の交差点の天井に、こんなのが。 ここから錘(おもり)をぶら下げて、測量の時使った。
千羽鶴。 多くの人が亡くなっている。
詳しくは分かっていないが、こんな資料も。
松代象山地下壕については、地元の高校生も調査研究している。
恵明寺。 2階の屋根が、ゆがんでいる。
豊姫の霊屋(たまや)。 中に、お墓があるのか。
豊姫は、宇和島藩の姫。 松代に嫁いだ。 杏(あんず)の木を持ってきた。 この地に広まった。
宇和島で、豊姫には会っていた。
※ 南楽園の梅まつり お里帰りアンズ ~宇和島市津島町~ 他 (2011/2/17)
※ この後、東風さんは、職場に戻った。
松代小学校。 子供がたくさん飛び出て来たので、驚いた。 大きな武家屋敷に見えた。
松代城跡。 松代城の前は、海津城だった。
江戸時代末期の様子。
川中島の合戦の時、信玄が、ここに陣を張った。
武田軍の一部が、妻女山に向かった。 着いたら、もぬけの殻だった。 上杉軍は山を下りていた。
武田軍の読みは、狂った。 軍師 山本勘助の大きなミス。
妻女山に向かった軍が戦場に戻るまで、武田軍は不利な戦いになる。
今の地図では、こう。
ここから入る。 残っていたのは、石垣だけ。
今は、公園。
北の方に、山が見えた。 右は、高妻山。 左は、戸隠山。
※ 高妻山は遠かった。 そして、危険でもあった。 ~戸隠連峰の最高峰~ 他 (2011/7/13)
戸隠古道を歩く ~奥社参道杉並木 鏡池 長野市戸隠~ 他 (2010/10/29)
今日は、珍しいものを見ました。
松代には、いつか、もう一度来ます。
川中島の合戦について、歩いて、もっと知りたい。
勘助が歩いた道と、私が歩いた道は、今日、どこかで交錯した。
【今日の歌】 今日、奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出していた。
「人生なんて、あっという間だ」「あっけない」
夏も秋も、一瞬に過ぎて行く。 それで、この歌。
【道の駅】 上田 道と川の駅
【明日の予定】 前山寺 別所温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ちゃんと機能するか、1週間ほど様子を見てみます。
山の中と言っても、本当の山の中で、トンネルを掘った。
そこで天皇を中心とした政治を行う予定だったが、終戦で、実際に使うことはなかった。
松代象山地下壕と呼ばれる所には、途中まで入ることが出来た。
松代の地は、川中島の合戦が行われたところ。
信玄は、前線基地として、海津城を作った。
後に、松代城となり、石垣が今に残っている。
ここでの戦いで、山本勘助は死んだ。
※ ※ ※ ※
松代は、長野市街地の少し南。
東風さんが、お昼から3時過ぎまで休みを取って案内してくれた。
私の車は、松代城跡に置いて、東風さんの乗用車で動いた。
上に書いた計画は、松代大本営計画。
天皇が住む予定だったところに、まず、行った。
松代の市街地の少し南。 舞鶴山の麓。
現在の写真。
今は、気象庁が、建物の一部と地下を利用して、精密な地震観測を行っている。

松代大本営計画は、昭和19年の11月からスタート。 終戦で終わる。 75%完成。
戦後に撮影された写真。
普段は、この建物で生活。 非常時は、地下に潜る。

地震の観測機器は、地下にある。
階段を下りる所まで、見学できる。 右から2番目の建物から、入った。
コンクリートは当時のままで、板の跡が見えた。

写真の、右端の建物。

窓ガラス越しに、覗けた。

下の写真は、別の所の資料室にあったもの。 地下宮殿も。

近くにある、別の地下への入り口。

今は、下の地図の現在地にいる。 さっきは、赤○に入った。
この舞鶴山の坑道の全長は、2.6㌔㍍。

戻って、ここは、象山神社。 祭神は、幕末に活躍した、佐久間象山。
※ 地元の人は、象山を、「ぞうざん」と読む。 東風さんも、そう言った。
一般的には、「しょうざん」

下に説明が。 龍馬たちとも、関わりがあった。

京都の三条木屋町で、暗殺された。 碑があって、何度か見た。 下のブログに、出てくる。
※ 維新の史跡を残す、木屋町通を歩く ~京都市~ キッスは目にして(ヴィーナス) 他 (2012/6/17)
松代象山地下壕に向かった。 水路があって、感じのいい通り。 東風さんの車は、象山神社の駐車場に。

武家屋敷が残っている。

ここが入り口。 受付がある。 無料。 ヘルメットを着用。
「不戦の誓い」の碑が見える。 公開する目的や姿勢が、見当つく。

松代象山地下壕は、下の地図で、左下の青い四角。
象山神社は、上の方。 その上に、海津城跡。 信玄はここに。 左端に、謙信がいた、妻女山。

松代大本営計画の概要が、分かりやすい。 住民と朝鮮人で掘った、とある。

※ 「強制連行」と云う言葉があるが、広辞苑には、こう書いてある。
【朝鮮人強制連行】 日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・
東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。
100万人とは、すごい数。 生きる希望さえ奪われて。 これが、戦争。 韓国の日本への恨みの元は、ここにもあるのか。
山の中の様子。 赤○の所を歩いた。

鉱山の中の感じ。

岩盤が固いので、岩から水が出てこない。

なんで、松代に、こんなのを作ったのか。
その理由の一つに、この辺りは本州が太くなって、海から遠いと、どこかの説明にあった。
※ 日本で一番海から遠いところは、佐久市だそう。 松代の右の方にある。 海まで、114㌔。
ちなみに、2番目は、私の故郷にある美瑛岳の近く。 海まで、107㌔。
考えてみたら、海には全く縁のない生活をしていた。
トンネルの掘り方は、削岩機で細い穴をたくさんあけ、その中にダイナマイトを詰めて、爆発させる。
下の写真は、削岩機の先っぽが、岩から抜けなくなった。

金網の向こう。

穴の跡。

「ずり」と呼ばれる、砕かれた石は、トロッコで運ばれた。 枕木の跡。

※ 東風さんは、元々は、トンネルで出てきた砕石を「ずり」と呼んでいた、と教えてくれた。
北海道の赤平だったでしょうか、炭鉱の「ずり山」に登った。
坑道の交差点の天井に、こんなのが。 ここから錘(おもり)をぶら下げて、測量の時使った。

千羽鶴。 多くの人が亡くなっている。

詳しくは分かっていないが、こんな資料も。
松代象山地下壕については、地元の高校生も調査研究している。

恵明寺。 2階の屋根が、ゆがんでいる。

豊姫の霊屋(たまや)。 中に、お墓があるのか。

豊姫は、宇和島藩の姫。 松代に嫁いだ。 杏(あんず)の木を持ってきた。 この地に広まった。

宇和島で、豊姫には会っていた。
※ 南楽園の梅まつり お里帰りアンズ ~宇和島市津島町~ 他 (2011/2/17)
※ この後、東風さんは、職場に戻った。
松代小学校。 子供がたくさん飛び出て来たので、驚いた。 大きな武家屋敷に見えた。

松代城跡。 松代城の前は、海津城だった。

江戸時代末期の様子。

川中島の合戦の時、信玄が、ここに陣を張った。

武田軍の一部が、妻女山に向かった。 着いたら、もぬけの殻だった。 上杉軍は山を下りていた。
武田軍の読みは、狂った。 軍師 山本勘助の大きなミス。
妻女山に向かった軍が戦場に戻るまで、武田軍は不利な戦いになる。

今の地図では、こう。

ここから入る。 残っていたのは、石垣だけ。

今は、公園。

北の方に、山が見えた。 右は、高妻山。 左は、戸隠山。

※ 高妻山は遠かった。 そして、危険でもあった。 ~戸隠連峰の最高峰~ 他 (2011/7/13)
戸隠古道を歩く ~奥社参道杉並木 鏡池 長野市戸隠~ 他 (2010/10/29)
今日は、珍しいものを見ました。
松代には、いつか、もう一度来ます。
川中島の合戦について、歩いて、もっと知りたい。
勘助が歩いた道と、私が歩いた道は、今日、どこかで交錯した。
【今日の歌】 今日、奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出していた。
「人生なんて、あっという間だ」「あっけない」
夏も秋も、一瞬に過ぎて行く。 それで、この歌。
【道の駅】 上田 道と川の駅
【明日の予定】 前山寺 別所温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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