中山道と甲州街道が合流する所に、下諏訪宿(しもすわしゅく)。
街並みを歩いて、諏訪大社の下宮秋宮と下宮春宮を見た。
畑の中にぽつんと、不思議な石像があった。
名前は、万治(まんじ)の石仏。
ここは、信玄そして由布姫ゆかりの地。
※ ※ ※ ※
今日行った所は、諏訪湖の北。
和田峠の頂上に近い。
諏訪湖は左に行くが、右に行ったら、美ヶ原高原と霧ヶ峰高原。
2年前に行った。 両方とも高原なのに、百名山。
※ 霧ヶ峰高原 美ヶ原高原 ~2つとも日本百名山、信州ビーナスライン~ 他 (2010/6/25)
中山道沿いの道を、諏訪湖に向かった。
ここが、諏訪大社下宮秋宮。 駐車場が広いので、ここに車を置いて歩く。
下社秋宮(しもしゃあきみや)から1㌔程離れて、下社春宮がある。 後で行く。
他に、湖の南に、上社前宮と上社本宮がある。
4つを総称して、諏訪大社と云うそう。
正面に、大きな杉の木。 根入りの杉。 真夜中、いびきをかくと云う。
諏訪神社は、旅をしていたら良く見る。 全国に25000ある。
諏訪大社は、総本社。
正面は、神楽殿。 後ろに拝殿がある。
右の方に1本、枝の無い木が見える。 こんな柱が、後ろの社殿の四隅に立っている。
諏訪大社について、何も知らないから、初めて知ることばかり。
神楽殿の中。
菊が飾ってあった。
この木が、御柱(おんばしら)と呼ばれる。
※ 6年に1度、山の中からモミの木の大木を、引っ張って持ってくる。
1つの諏訪社に4本。 4つの諏訪社だから、全部で16本。
※ この行事は、御柱祭(おんばしらさい)と云われ、日本三大奇祭の1つだそう。(Wikipedia)
危険に感じるお祭り。 Wikipediaにある御柱祭の写真。
※ 動画では、こう。 2分ほど見たら、祭りの中身が分かる。 テレビで見た人が多いと思う。
おっかなくて、見ていられない。
拝殿。
この後、下社春宮に向かって、中山道を歩いた。
ここは、中山道下諏訪宿本陣。 殿様が泊まる。
この坂を下る。 右に行ったら、和泉式部の何だかがあると云う。 帰りに行くことに。
※ 和泉式部の伝説は多い。 歌の魅力が大きいからか、な。
多い人って、そんなにいない。 義経や小野小町くらい。
昔の雰囲気が残っている。
温泉が出ていた。 私は、コップで飲んだ。 水を持っていなかったから、ちょうどいい。
となりに人がいて、バケツで汲んでいた。 お風呂に入れる。 20回運ぶと、入れるそう。
温泉の上に、御作田社という、小さな神社があった。
下に書いてあることを、温泉を汲んでる人が説明してくれた。
ここは、地域の人達の、交流の場だった。 観光客が入ってもいい。
信玄ゆかりの、矢除石があるという。
ここを行く。 いい雰囲気。
この石。
信玄が来たことがある、と書いてある。
そばに、少し色あせたけど、大河ドラマのノボリがあった。 由布姫の名前が。
※ 小坂観音院 高島城 手仕事屋きち兵衛 他 (2009/06/19)
諏訪湖が見えた。
諏訪大社下社春宮。 20分程で着いた。
ここも、手前に神楽殿。
拝殿。 左右にあるのも拝殿。 諏訪大社の拝殿の特徴。
近くに、「万治(まんじ)の石仏」がある。 有名なようなので、見ることに。
裏に、「峽の田に座して 石佛のどかなり 正人」とあった。
※ 峽は、「はざま」と読むんですね。 谷に意味は似ているかな。
※ 正人って誰なのか、調べても分からない。
万治って何だろうと思った。
万治と云う人を彫ったのか。 万治と云う人が彫ったのか。
説明があって、読むと、万治は元号だった。
万治3年に彫ったとあった。 1660年。
これです。
耳も鼻も大きい。 お地蔵さんの顔とは違う。 下の石に穴があって、そこに、首が入っている。
遠くから見たら、石全体が体に見える。
でも、近くで見たら、体は石に彫ってある。 磨崖仏のよう。
説明に、石仏のどこかに「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主明誉浄光心誉廣春」とあると云う。
風化して読めないが、向かって左に、書いてあるよう。
南無阿弥陀仏は、何とか読める。 万治三年は、自信ない。
下のような説明があった。
戻る途中、和泉式部の鉄焼地蔵尊(かなやきじぞうそん)のある、来迎寺へ。
どこにあるか説明は無い。
近くに、おばあちゃんがいて、教えてくれた。 伝説なんですけどね、って付け加えて。
入った直ぐの左に、小さなお堂があった。
左の女の人が、和泉式部。 水に写った、自分の顔を見ている。
額の傷が消えているのに、驚いている。
鉄焼地蔵尊像は、年に1回しか見られない。
ネット上に、ここの像の写真は無い。
どんな伝説なのか、近くにある「うらかめや」さんという温泉宿のHPに載っているので紹介。
昔かねという娘が、幼くして父母に死に別れ、下諏訪の湯屋に別当方で召し使われていた。
いつも耕作場へ弁当を運んでいたが、その弁当の飯をいくらか取って、菩薩に供えていた。
それを主人に告げ口され、話を聞いた主人の妻が怒って、焼け火箸でかねのひたいを打ち付けた。
かねは、泣き叫び表に出て、菩薩の顔を見ると、菩薩のひたいから血が流れ、かねのひたいには、傷一つない。
日頃の信心によるものと伏し拝めば、姿形も美しくなる。
これを聞いた主人夫婦は、心を入れ替えかねをかわいがる。
美人の噂が都に聞こえ、帝に召しだされた。 和泉式部そのひとであるという。
式部は菩薩を都に移し、守り本尊として大切にした。
和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まった折、お告げがあって、御像を下諏訪の聖聚院(来迎寺)にお移しした。
これが鉄焼地蔵尊である
お堂の前から、下を撮影。 左に、式部の歌碑。
百人一首の歌ですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 」
( 私は病(やまい)に苦しんでいます まもなくこの世を去って行くでしょう
あの世に行っても あなたのことを恋しつづけたいのです
だから最後の思い出に ひと目逢いたいのです )
和泉式部の伝説に出会ったのは、もう7~8回になるでしょうか。
京都の北にある貴船には、多くの人が集まる。
そこには、和泉式部の魅力がいっぱい。
※ 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
道端に、こんな昔の様子が。
高遠に向かった。 杖突峠から見た、諏訪湖。
右の方。 茅野市(ちのし。)
諏訪大社の上社の方にも、別の機会に行ってみたい。
今日は、標高800㍍ほどの、高い所にいました。
【その他】 日本シリーズ第4戦、日ハムが勝ちました。 これで、2勝2敗。
しぼみかけた夢が、ふくらみ始めました。
もし日ハムが優勝したら、MVPはきっと稲葉、と思っています。 始まる前から。
雰囲気にのまれそうな若い人を、引っ張る。
明日の試合は、大事な試合。
試合の中で、北の国から、が流れた。
【道の駅】 南アルプスむら長谷 (伊那市高遠町の直ぐ近く)
標高が高いからか、寒い。
【明日の予定】 高遠をあるく。 由布姫と絵島。 高遠城。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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街並みを歩いて、諏訪大社の下宮秋宮と下宮春宮を見た。
畑の中にぽつんと、不思議な石像があった。
名前は、万治(まんじ)の石仏。
ここは、信玄そして由布姫ゆかりの地。
※ ※ ※ ※
今日行った所は、諏訪湖の北。
和田峠の頂上に近い。
諏訪湖は左に行くが、右に行ったら、美ヶ原高原と霧ヶ峰高原。
2年前に行った。 両方とも高原なのに、百名山。

※ 霧ヶ峰高原 美ヶ原高原 ~2つとも日本百名山、信州ビーナスライン~ 他 (2010/6/25)
中山道沿いの道を、諏訪湖に向かった。
ここが、諏訪大社下宮秋宮。 駐車場が広いので、ここに車を置いて歩く。

下社秋宮(しもしゃあきみや)から1㌔程離れて、下社春宮がある。 後で行く。
他に、湖の南に、上社前宮と上社本宮がある。
4つを総称して、諏訪大社と云うそう。
正面に、大きな杉の木。 根入りの杉。 真夜中、いびきをかくと云う。

諏訪神社は、旅をしていたら良く見る。 全国に25000ある。
諏訪大社は、総本社。
正面は、神楽殿。 後ろに拝殿がある。
右の方に1本、枝の無い木が見える。 こんな柱が、後ろの社殿の四隅に立っている。

諏訪大社について、何も知らないから、初めて知ることばかり。
神楽殿の中。

菊が飾ってあった。

この木が、御柱(おんばしら)と呼ばれる。

※ 6年に1度、山の中からモミの木の大木を、引っ張って持ってくる。
1つの諏訪社に4本。 4つの諏訪社だから、全部で16本。
※ この行事は、御柱祭(おんばしらさい)と云われ、日本三大奇祭の1つだそう。(Wikipedia)
危険に感じるお祭り。 Wikipediaにある御柱祭の写真。
※ 動画では、こう。 2分ほど見たら、祭りの中身が分かる。 テレビで見た人が多いと思う。
おっかなくて、見ていられない。
拝殿。

この後、下社春宮に向かって、中山道を歩いた。
ここは、中山道下諏訪宿本陣。 殿様が泊まる。

この坂を下る。 右に行ったら、和泉式部の何だかがあると云う。 帰りに行くことに。
※ 和泉式部の伝説は多い。 歌の魅力が大きいからか、な。
多い人って、そんなにいない。 義経や小野小町くらい。

昔の雰囲気が残っている。

温泉が出ていた。 私は、コップで飲んだ。 水を持っていなかったから、ちょうどいい。
となりに人がいて、バケツで汲んでいた。 お風呂に入れる。 20回運ぶと、入れるそう。

温泉の上に、御作田社という、小さな神社があった。

下に書いてあることを、温泉を汲んでる人が説明してくれた。

ここは、地域の人達の、交流の場だった。 観光客が入ってもいい。

信玄ゆかりの、矢除石があるという。

ここを行く。 いい雰囲気。

この石。

信玄が来たことがある、と書いてある。

そばに、少し色あせたけど、大河ドラマのノボリがあった。 由布姫の名前が。
※ 小坂観音院 高島城 手仕事屋きち兵衛 他 (2009/06/19)

諏訪湖が見えた。

諏訪大社下社春宮。 20分程で着いた。

ここも、手前に神楽殿。

拝殿。 左右にあるのも拝殿。 諏訪大社の拝殿の特徴。

近くに、「万治(まんじ)の石仏」がある。 有名なようなので、見ることに。

裏に、「峽の田に座して 石佛のどかなり 正人」とあった。
※ 峽は、「はざま」と読むんですね。 谷に意味は似ているかな。
※ 正人って誰なのか、調べても分からない。

万治って何だろうと思った。
万治と云う人を彫ったのか。 万治と云う人が彫ったのか。
説明があって、読むと、万治は元号だった。
万治3年に彫ったとあった。 1660年。
これです。

耳も鼻も大きい。 お地蔵さんの顔とは違う。 下の石に穴があって、そこに、首が入っている。

遠くから見たら、石全体が体に見える。
でも、近くで見たら、体は石に彫ってある。 磨崖仏のよう。

説明に、石仏のどこかに「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主明誉浄光心誉廣春」とあると云う。
風化して読めないが、向かって左に、書いてあるよう。
南無阿弥陀仏は、何とか読める。 万治三年は、自信ない。

下のような説明があった。


戻る途中、和泉式部の鉄焼地蔵尊(かなやきじぞうそん)のある、来迎寺へ。

どこにあるか説明は無い。
近くに、おばあちゃんがいて、教えてくれた。 伝説なんですけどね、って付け加えて。
入った直ぐの左に、小さなお堂があった。
左の女の人が、和泉式部。 水に写った、自分の顔を見ている。
額の傷が消えているのに、驚いている。

鉄焼地蔵尊像は、年に1回しか見られない。

ネット上に、ここの像の写真は無い。
どんな伝説なのか、近くにある「うらかめや」さんという温泉宿のHPに載っているので紹介。
昔かねという娘が、幼くして父母に死に別れ、下諏訪の湯屋に別当方で召し使われていた。
いつも耕作場へ弁当を運んでいたが、その弁当の飯をいくらか取って、菩薩に供えていた。
それを主人に告げ口され、話を聞いた主人の妻が怒って、焼け火箸でかねのひたいを打ち付けた。
かねは、泣き叫び表に出て、菩薩の顔を見ると、菩薩のひたいから血が流れ、かねのひたいには、傷一つない。
日頃の信心によるものと伏し拝めば、姿形も美しくなる。
これを聞いた主人夫婦は、心を入れ替えかねをかわいがる。
美人の噂が都に聞こえ、帝に召しだされた。 和泉式部そのひとであるという。
式部は菩薩を都に移し、守り本尊として大切にした。
和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まった折、お告げがあって、御像を下諏訪の聖聚院(来迎寺)にお移しした。
これが鉄焼地蔵尊である
お堂の前から、下を撮影。 左に、式部の歌碑。

百人一首の歌ですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 」
( 私は病(やまい)に苦しんでいます まもなくこの世を去って行くでしょう
あの世に行っても あなたのことを恋しつづけたいのです
だから最後の思い出に ひと目逢いたいのです )

和泉式部の伝説に出会ったのは、もう7~8回になるでしょうか。
京都の北にある貴船には、多くの人が集まる。
そこには、和泉式部の魅力がいっぱい。
※ 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
道端に、こんな昔の様子が。

高遠に向かった。 杖突峠から見た、諏訪湖。

右の方。 茅野市(ちのし。)

諏訪大社の上社の方にも、別の機会に行ってみたい。
今日は、標高800㍍ほどの、高い所にいました。
【その他】 日本シリーズ第4戦、日ハムが勝ちました。 これで、2勝2敗。
しぼみかけた夢が、ふくらみ始めました。
もし日ハムが優勝したら、MVPはきっと稲葉、と思っています。 始まる前から。
雰囲気にのまれそうな若い人を、引っ張る。
明日の試合は、大事な試合。
試合の中で、北の国から、が流れた。
【道の駅】 南アルプスむら長谷 (伊那市高遠町の直ぐ近く)
標高が高いからか、寒い。
【明日の予定】 高遠をあるく。 由布姫と絵島。 高遠城。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
木落とし
Re: 木落とし
滅多に見られない物を、見ていたんですね。
時間がかかると云うのは、私達には分からない、手順があるのでしょうか。
今度は4年後ですか。
見てみたいけど、目を開けて見られるか、不安。
時間がかかると云うのは、私達には分からない、手順があるのでしょうか。
今度は4年後ですか。
見てみたいけど、目を開けて見られるか、不安。
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一本が落とされたのは、10時頃だったかなあ。坂の横手の
林の中から見たのですが、とにかく、迫力でした。多くの人間が
縦回りに転がって落ちていくんですもの。滑り落ちる巨木の
スピードも尋常じゃないし。
時間の流れ方が、なんだか、違うんですよね。一本目を
落として、二本目を落とすまで、何時間もかかっちゃいます。
お柱が、斜面の縁に頭を出してから、綱が断ち切られるまで、
1時間ぐらいかかったと思います。
8年前、上社の里曳きと建て御柱を見たときにも、ゆっくりな
時間の流れと、地元の各家庭で祭りを祝う風景、あの独特な
木遣り歌など、他の祭りにない魅力が満載でした。4年後には、
下社の川越しを見に行きたいと思ってます。