寺は、その土地の歴史を知っている、と言えるでしょうか。
そんなことで、阿南町では、2つの寺と1つの神社を見てみました。
この地方は、家康と武田氏が鬩(せめ)ぎ合った土地なので、何か分かるかも知れない。
そんな楽しみもあった。
万里の長城で事故があった。
事故を起こした会社は、アミューズトラベル。
3年前、北海道で、トムラウシの事故をおこした会社。
何の反省もしていなかった。
※ ※ ※ ※
最初に向かったのは、瑞光院。
分かっていることは、武田勝頼が大事にした寺であること。
それと、山門が創建当時のまま。
車は、下の道に置いて歩いた。 道が細いと感じたら、いつもそうする。
畑の野菜は、夏のように元気はないが、それでも育っている。 北海道と全く違う。
山門の前に、大イチョウ。 樹齢600年以上で、寺より古いそう。
山門は、創建当時のものだという。 新しく感じるけど、阿南町のHPにあるので、間違いない。
※ いつ創建かが分からない。
この寺には、1528年に作られた鐘があるが。 (山門の下にあった説明に、書いてあった)
戦国時代、この辺りは、関氏が治めていた。
関氏が居住していた場所の北東が、ここだった。
北東は、鬼が出入りする鬼門。
それで、守るために、この寺を建てた。 そういう寺や神社は、時々見る。
古い鐘があるというので、楽しみが増えた。
大きい鐘と、小さい鐘があった。
小さい方の鐘を見たら、「享○」と読めた。
江戸時代と勝手に思って、大きい方を調べ出した。
いつ作ったか、書いてない。 見つけられない。
作った人の名前は、あった。
右の写真の右上に、「信州伊那郡」と書いてある。
1528年という遥か昔に、「郡」なんてあったのかな、と思った。
途中で、調べるのを諦めた。
晩に、調べてみた。
最初に見た、小さい方の鐘が、古いのだった。
「享○」とあったのは、「享禄」だった。 享禄(きょうろく)は、1528年から1532年まで。
小さな鐘は、享禄元年(1528年)に出来たものだった。
こういう失敗は、しょっちゅう。
※ 写真は撮ってなかった。 「飯田・下伊那の文化財検索」のHPからお借り。
この鐘は、この地を治めていた関春光が、亡くなった息子を弔って作ったそう。
鐘は、寺が火事になっても、残るんですね。 仏像は燃えてしまうけど。
寺の近くの高台に、散歩。 今日も天気はいい。
谷が広い。 こんな風景は、諏訪湖から離れて、初めて。
昨晩いた道の駅は、こっちに。
ところで、武田氏は、甲府からここへは、どこを通って来たのだろう。
南アルプスは、越えられない。
ずっと北の諏訪をまわったのか。 それとも、海まで出たのか。
キャベツです。 野菜ジュースに使っている。
新しい葉っぱは、中から生まれて、全体が大きくなっているのか。
赤い実は何だろう。 千両や万両では、ないみたい。
今日のメインの寺です。 長野県の南部。
少し走ったら、下條村。 道の駅も見える。
関昌寺(せきしょうじ)の入口。 お地蔵様が、お出迎え。
この参道は、400年前のままとあった。
燃えるように、紅葉している。 紅があると、緑も引き立つ。
参道脇に、お地蔵様。 どうしたのよって、声をかけたくなる。
この山門は、関昌寺で一番古い建物。 他は、火事で焼けている。
山道に入ってから、ずっと雰囲気がいい。
もし、石段がコンクリートなら、味気ない。
本堂は新しい。 平成6年に完成。 寺に力がないと建てられない。(檀家の力)
曹洞宗の寺。 写ってないが、十六羅漢の像が多かった。
鍛え抜いた、腹筋。
住職さんが、柿の皮をむいていた。 干し柿を作る。
渋柿を吊るしても、1ヶ月程したら、甘くなるそう。
住職さんは、本を取りに行った。
このあと、柿をよけて、私も座った。 しばらくお話。
外で仕事をしていた奥様にも、ご挨拶。
ここで、関昌寺はどうして、鎮魂の寺なのか。
概略を、阿南町のHPから。
裏切りや策略が日常茶飯事だった戦国時代は、血生臭い事件の連続です。
下条氏だけを見ても、内部抗争に乗じた徳川家康の策略で最後は破滅の道へと歩まされています。
下条氏最後の領主・12代目下条康長(やすなが・幼名は牛千代丸)が跡目をついだのはわずか10歳の時。
下条康長の「康」は徳川家康から拝受した名前で、破格な扱いを受けていたことが伺い知れます。
父親・下条信正は、織田信長が伊那谷へ侵攻した際に黒瀬谷に落ち32歳で死亡。
その3回忌の天正12年(1585年)、菩提を弔うために康長は関昌寺を創建。
領主となった翌年のことでした。
江戸時代には、郡内屈指の大きなお寺でありましたが、その後2回火災にあって再建。
山門は円柱の4足門で、呟龍の立派な彫刻がほどこされています。
参道の両脇にはヒノキや杉の巨木が茂り、うっそうとした寺叢(じそう)を形成しています。
※ 叢~草むら
下条氏は、武田氏とつながりが深かった。
上の文で、子が康長。 父が、信正。
調べてみたら、信正の父は、信氏(のぶうじ)。 武田氏の家臣だった。
信玄に重用され、正室は、信玄の妹。(武田信虎の娘)
川中島の合戦にも参加し、武田氏滅亡まで生き延びる。
こんなことも、分かった。
この地を滅ぼしたのは、上にもある、織田信長。
信長軍の中心メンバーの1人は、森長可(もり ながよし)だった。
森長可は、本能寺の変で最後まで戦った、森蘭丸・森坊丸の兄。
こんなことがあって、ここ阿南の地も、最後は徳川の領地になる。
そして、長く徳川の時代が続く。
頂いた冊子は、これ。
丘の上に、観音像があった。 高さ、15㍍。
住職さんが言ったように、見晴らしが良かった。 遠くに、南アルプスが見える。
飯田市の方向。
少し走って、ここは、古城八万社本殿。 不安を感じる細い道に入ってきた。
戦国時代のもっと前、ここに城があった。 7000万円かけて、修理したとある。
鉄板の屋根の、普通の家。 覆堂(おおいどう)かなと思ってのぞいたが、分からない。
7000万円、どこに使ったのか。
ここは、小さな山のてっぺん。
細い道から、やっと脱出した。
ここは、道の駅、信濃路下條。 お城のような建物。
明日は、ここのどこかを。
【その他】 また事故が起きました。
※ 文は、6日の晩です。 5日の晩、ブログに写真が載せられなかった。
6日の朝に、最近ネットから取り入れたソフトを、外した。 そうしたら、戻った。
以前もこんなこと、あった。 危険なものがあると、知った。
この会社は、何も変わっていない。 今度また、別のタイプの事故を起こす。
事故の概略。 情報が、まだ正確でない感じがする。
※ 大雪山系遭難~登山者の足取り~ 他 (2009/07/19)
トムラウシ ~やっと見えた~ 他 (2009/08/01)
【道の駅】 信濃路下條 ※ 飯田市の天竜峡が近いです。
【あすの予定】 下條村のどこかを
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そんなことで、阿南町では、2つの寺と1つの神社を見てみました。
この地方は、家康と武田氏が鬩(せめ)ぎ合った土地なので、何か分かるかも知れない。
そんな楽しみもあった。
万里の長城で事故があった。
事故を起こした会社は、アミューズトラベル。
3年前、北海道で、トムラウシの事故をおこした会社。
何の反省もしていなかった。
※ ※ ※ ※
最初に向かったのは、瑞光院。
分かっていることは、武田勝頼が大事にした寺であること。
それと、山門が創建当時のまま。
車は、下の道に置いて歩いた。 道が細いと感じたら、いつもそうする。
畑の野菜は、夏のように元気はないが、それでも育っている。 北海道と全く違う。
山門の前に、大イチョウ。 樹齢600年以上で、寺より古いそう。

山門は、創建当時のものだという。 新しく感じるけど、阿南町のHPにあるので、間違いない。
※ いつ創建かが分からない。
この寺には、1528年に作られた鐘があるが。 (山門の下にあった説明に、書いてあった)

戦国時代、この辺りは、関氏が治めていた。
関氏が居住していた場所の北東が、ここだった。
北東は、鬼が出入りする鬼門。
それで、守るために、この寺を建てた。 そういう寺や神社は、時々見る。
古い鐘があるというので、楽しみが増えた。
大きい鐘と、小さい鐘があった。
小さい方の鐘を見たら、「享○」と読めた。
江戸時代と勝手に思って、大きい方を調べ出した。
いつ作ったか、書いてない。 見つけられない。
作った人の名前は、あった。
右の写真の右上に、「信州伊那郡」と書いてある。
1528年という遥か昔に、「郡」なんてあったのかな、と思った。
途中で、調べるのを諦めた。


晩に、調べてみた。
最初に見た、小さい方の鐘が、古いのだった。
「享○」とあったのは、「享禄」だった。 享禄(きょうろく)は、1528年から1532年まで。
小さな鐘は、享禄元年(1528年)に出来たものだった。
こういう失敗は、しょっちゅう。
※ 写真は撮ってなかった。 「飯田・下伊那の文化財検索」のHPからお借り。

この鐘は、この地を治めていた関春光が、亡くなった息子を弔って作ったそう。
鐘は、寺が火事になっても、残るんですね。 仏像は燃えてしまうけど。
寺の近くの高台に、散歩。 今日も天気はいい。

谷が広い。 こんな風景は、諏訪湖から離れて、初めて。

昨晩いた道の駅は、こっちに。

ところで、武田氏は、甲府からここへは、どこを通って来たのだろう。
南アルプスは、越えられない。
ずっと北の諏訪をまわったのか。 それとも、海まで出たのか。
キャベツです。 野菜ジュースに使っている。
新しい葉っぱは、中から生まれて、全体が大きくなっているのか。

赤い実は何だろう。 千両や万両では、ないみたい。


今日のメインの寺です。 長野県の南部。
少し走ったら、下條村。 道の駅も見える。
関昌寺(せきしょうじ)の入口。 お地蔵様が、お出迎え。

この参道は、400年前のままとあった。

燃えるように、紅葉している。 紅があると、緑も引き立つ。

参道脇に、お地蔵様。 どうしたのよって、声をかけたくなる。

この山門は、関昌寺で一番古い建物。 他は、火事で焼けている。
山道に入ってから、ずっと雰囲気がいい。
もし、石段がコンクリートなら、味気ない。

本堂は新しい。 平成6年に完成。 寺に力がないと建てられない。(檀家の力)

曹洞宗の寺。 写ってないが、十六羅漢の像が多かった。

鍛え抜いた、腹筋。

住職さんが、柿の皮をむいていた。 干し柿を作る。
渋柿を吊るしても、1ヶ月程したら、甘くなるそう。

住職さんは、本を取りに行った。
このあと、柿をよけて、私も座った。 しばらくお話。
外で仕事をしていた奥様にも、ご挨拶。
ここで、関昌寺はどうして、鎮魂の寺なのか。
概略を、阿南町のHPから。
裏切りや策略が日常茶飯事だった戦国時代は、血生臭い事件の連続です。
下条氏だけを見ても、内部抗争に乗じた徳川家康の策略で最後は破滅の道へと歩まされています。
下条氏最後の領主・12代目下条康長(やすなが・幼名は牛千代丸)が跡目をついだのはわずか10歳の時。
下条康長の「康」は徳川家康から拝受した名前で、破格な扱いを受けていたことが伺い知れます。
父親・下条信正は、織田信長が伊那谷へ侵攻した際に黒瀬谷に落ち32歳で死亡。
その3回忌の天正12年(1585年)、菩提を弔うために康長は関昌寺を創建。
領主となった翌年のことでした。
江戸時代には、郡内屈指の大きなお寺でありましたが、その後2回火災にあって再建。
山門は円柱の4足門で、呟龍の立派な彫刻がほどこされています。
参道の両脇にはヒノキや杉の巨木が茂り、うっそうとした寺叢(じそう)を形成しています。
※ 叢~草むら
下条氏は、武田氏とつながりが深かった。
上の文で、子が康長。 父が、信正。
調べてみたら、信正の父は、信氏(のぶうじ)。 武田氏の家臣だった。
信玄に重用され、正室は、信玄の妹。(武田信虎の娘)
川中島の合戦にも参加し、武田氏滅亡まで生き延びる。
こんなことも、分かった。
この地を滅ぼしたのは、上にもある、織田信長。
信長軍の中心メンバーの1人は、森長可(もり ながよし)だった。
森長可は、本能寺の変で最後まで戦った、森蘭丸・森坊丸の兄。
こんなことがあって、ここ阿南の地も、最後は徳川の領地になる。
そして、長く徳川の時代が続く。
頂いた冊子は、これ。

丘の上に、観音像があった。 高さ、15㍍。

住職さんが言ったように、見晴らしが良かった。 遠くに、南アルプスが見える。

飯田市の方向。

少し走って、ここは、古城八万社本殿。 不安を感じる細い道に入ってきた。

戦国時代のもっと前、ここに城があった。 7000万円かけて、修理したとある。

鉄板の屋根の、普通の家。 覆堂(おおいどう)かなと思ってのぞいたが、分からない。
7000万円、どこに使ったのか。
ここは、小さな山のてっぺん。

細い道から、やっと脱出した。
ここは、道の駅、信濃路下條。 お城のような建物。

明日は、ここのどこかを。

【その他】 また事故が起きました。
※ 文は、6日の晩です。 5日の晩、ブログに写真が載せられなかった。
6日の朝に、最近ネットから取り入れたソフトを、外した。 そうしたら、戻った。
以前もこんなこと、あった。 危険なものがあると、知った。
この会社は、何も変わっていない。 今度また、別のタイプの事故を起こす。
事故の概略。 情報が、まだ正確でない感じがする。



※ 大雪山系遭難~登山者の足取り~ 他 (2009/07/19)
トムラウシ ~やっと見えた~ 他 (2009/08/01)
【道の駅】 信濃路下條 ※ 飯田市の天竜峡が近いです。
【あすの予定】 下條村のどこかを
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は2位、


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