昨日のブログで、戦国期に全盛を極めた、下條氏が出てきた。
その名前を、村の名前にして、下條村。
村なのにと言っては失礼だが、子供の姿が目立つ。
下校時刻には、歩道にいっぱい歩いている。
調べてみたら、この村は、すごかった。
厳しい時代なのに、村は、自立していた。
自分の力で、村を発展させていた。
子供の医療費は無料。
人口も、下のように、減っていない。
そんな下條村の里山を、歩いてみた。
アミューズトラベル社は、トムラウシの反省は、何もしていなかった。
※ 事故調査委員会の、事故原因のまとめも、ひどいものだった。
今回もまだ、反省していない。
※ マスコミが、指摘しないことにも、問題がある。
腹が立つが、東電に対してのものに比べたら、小さすぎるかな。
※ ※ ※ ※
下條村は、谷底にあるのではなく、そんなに急斜面でない丘のような山が、連なってるところにある。
少し高い所に行くと、遠くまで見渡せる。
道は、すべて、坂。 上りか下りのどっちか。 水平なところはない。
時々、登ってるのか下ってるのか、分からなくなる。
今日は、下條村の、南の方を歩くことに。
昔、城があったために、由緒ある神社と寺がある。 そして、滝も。
吉岡城址公園。
下條村は、滝でもなんでも、公園と呼んでいる。 展望台は、展望公園のように。
行って楽しそうな印象になるからか。
吉岡城は、戦国時代の前に使われた城。
下條氏は、甲斐(かい・甲府の方)からやってきた人。
最初の城は、上の地図にもある、古城八幡社の所に。
この場所に、本丸があった。 城の中心。
供養塔や小さな神社があった。
少し動いた。 滝を見る前に、神社。
左の道に、私の車。 そこに停めて、この後は歩く。
石段の両側に、大きな杉の木。 並んでいるから、植えたものだ。
神社の歴史は古い。
大山田神社の右上に、式内とある。 これで、この神社は、平安時代にあったと分かる。
延喜式神名帳というのが、867年に書かれている。
そこに書かれている神社を、式内社と言う。 全国で、2861。
いい感じです。
800年の大杉。 木も大木になると、神になるのか。
この神社のは、2つの国の重要文化財がある。
写真の左は拝殿。
右に本殿。 見える建物は、覆堂(おおいどう)で、その中に小さな神社が2つある。
それが、重要文化財。
昨日見た、古城八幡社の建物も、覆堂だった。
神社の上には、棚田。 この地域の特徴が、ゆるい坂。
右に少しだけ、石灯篭が見える。 この時、ここに寺があると気づかなかった。
戻って、滝に向かった。 ここから、2㌔ほどか。
急な斜面の道でないから、道幅にゆとりがある。
上の写真を左に行ったら、下の写真。
遠くに、小さな紅葉。
胸元のペンダントのように、風景の中での、ワンポイントのお洒落。
柿の木の葉っぱが落ちだしたから、遠くからでも、実が目立つ。
冬になっても、実は残っている。 鳥にとって、大事な食べ物。
親水公園。 オートキャンプ場。
振り返って、この風景。 山並みの向こうに、南アルプス。 見える時がある。
道の壁に絵。 この後行く、滝と寺がある。 滝まで1.5㌔程。
上の写真の後、道が2つに分かれていた。 表示はない。
山の頂上に滝はないと考え、川沿いの道を行った。
花は、まだ咲いている。 ダリア。 後ろ姿がいい。
挨拶したくなるような、コスモス。 手動でピントを合わせた。
道は、ずっと上り。
オオサンショウウオが、棲んでいそうな、清流。
※ 調べてみたら、この地方にはいない。
本州では、郡上八幡と岡山県に。 あとは、九州。
あと1㌔。 クマは、いないわけではないよう。 一応、対策はしている。
鈴を忘れた。 使わない時は、リュックに仕舞っておくのがいいのかな。
2つの砂防ダム。
左は、いいですね。 役に立つ。
右は、土砂で埋まってしまった。 役に立たない。
動物は現れない。 最近、イタチを見た。 車の前を横切った。
短い足で胴長の利点は、何なんだろう。
川沿いに、遊歩道もあった。 不安だから、行かない。
もうすぐ。
高さ16㍍とある。 小滝もあるんだが、見つけられなかった。
不動明王は、後で発見。
滝の名前は書いてないが、当然、鎮西(ちんぜい)大滝でいいですね。 鎮西は、地域の名前。
小さな滝ですが、滝壷まで一気に落ちる、直瀑の滝なので、近づくと迫力がある。
右は、下流の風景。
こっちは、滝の上。 道から撮影。 丸の中に、像。
これが、不動明王か。 ※ ちゃんと、望遠で撮るんだった。別のカメラで。
帰りは下り。 別の風景。 勝手に足は前に行く。
下りてきた。
久しぶりに見る、ナデシコ。 右は、ツツジ。 少しだけ、咲いていた。
白いサザンカ、でいいでしょうか。
龍嶽寺。 ※ 読み方は、りゅうがくじ、りょうがくじ、どっちだろう。 ネット上では、両方。
下條氏の菩提寺。 臨済宗妙心寺派とあった。
※ 京都の大きな寺で行ってないのは、妙心寺だけ。
この次行こうと思っているうちに、・・。
下條村出身の芸能人がいる。 峰竜太。 現在の村長さんは、親戚だそう。
道の駅に、峰竜太の写真が付いたお土産が、たくさんある。
彼は、明るいキャラ。 妻の海老名美どりに、頭が上がらない。
※ 昨日、住職さんに聞いた話だが、国会議員に、下條という人がいる。
下條氏の末裔(まつえい)だと云う。
今日歩いていて、廃屋を見なかった。
若いお母さんと2人の小さな女の子にも会った。
下條村は、限界自治体とは縁のない村に感じた。
プロジェクトと呼ばれるような取り組みが、きっとあった。
その中心は、現在5期目の、今の町長さんか。
【その他】
トムラウシの事故の後、事故調査委員会は、一番の原因は、ガイドの判断ミスとした。
これに、大きな問題があった。 アミューズメント社の経営体質を厳しく指摘しなかった。
それで、また起きた。 会社は、悪天は想定外だったと、口にした。
トムラウシの時、ガイドは、「自分でどう判断しても、会社に文句を言われることはない」とは、思えなかった。
それで、飛行機の日程とかあって、無理をすることになった。
今回、中国人のガイドは、天気予報を知っていたのに、なぜ無理をしたのか。
まず、ガイドは、どのような仕組みで収入が入るのか。
それは、成功報酬。 無事に終わればいくら、と金額は決まっている。
1日伸ばせば、宿泊代とかかかって、収入は減る。
だから、ガイドは、予定の日程で終わらせたい。
参加者は、ガイドの考えを後押しする。
長引けば、プラスの旅行代を、払わなければならない。
つまり、会社は、旅の安全が守られる仕組みを作っていない。
安全管理の体制が、確立されていない。
マスコミは、この部分を指摘しないから、想定外の雪だったと言われて、納得してしまう。
結果、ガイドの力が未熟だったとかになってしまう。
育てなかったのが、会社の責任と。
今度の事故調査委員会の結果も、こうなるかもしれない。 前回と同じように。
会社の、利益優先のずるい体質を見抜かなければ、何も変わらない。
※ アミューズメント社の企画する旅には、参加しやすい。
普通の旅行会社なら、体力不足と断られても、この会社ならOKしてくれる。
だから、どこかのサイトが言っていたが、アミューズメント社は、「最後の砦(とりで)」と呼ばれる。
今回も、やっと登山ができるような人が、参加している。
事故の日、どこをいつ出発して、どこに戻ろうとしていたのか、正確な情報がつかめない。
会社は、発表したくても、情報を持っていない。 ガイドの名前さえ、知らなかった。
※ 上の文の情報源は、ネット上の、20以上のニュースと個人のサイトからのものです。
下の写真は、事故現場の写真。 (時事通信社からお借り)
【今日の歌】
※ 昨日少しだけ載せたけど、今日に変更。
百万本のバラの、原曲。 マーラが与えた人生。 歌っているのは、小田陽子さん。
作曲者と、最初に歌った人が、出てきます。
この歌にも、百万本のバラにも、ドラマがいっぱい。 大好きな歌。
※ 高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8)
【道の駅】 信濃路下條
【明日の予定】 天竜峡
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その名前を、村の名前にして、下條村。
村なのにと言っては失礼だが、子供の姿が目立つ。
下校時刻には、歩道にいっぱい歩いている。
調べてみたら、この村は、すごかった。
厳しい時代なのに、村は、自立していた。
自分の力で、村を発展させていた。
子供の医療費は無料。
人口も、下のように、減っていない。

そんな下條村の里山を、歩いてみた。
アミューズトラベル社は、トムラウシの反省は、何もしていなかった。
※ 事故調査委員会の、事故原因のまとめも、ひどいものだった。
今回もまだ、反省していない。
※ マスコミが、指摘しないことにも、問題がある。
腹が立つが、東電に対してのものに比べたら、小さすぎるかな。
※ ※ ※ ※
下條村は、谷底にあるのではなく、そんなに急斜面でない丘のような山が、連なってるところにある。
少し高い所に行くと、遠くまで見渡せる。
道は、すべて、坂。 上りか下りのどっちか。 水平なところはない。
時々、登ってるのか下ってるのか、分からなくなる。
今日は、下條村の、南の方を歩くことに。
昔、城があったために、由緒ある神社と寺がある。 そして、滝も。

吉岡城址公園。
下條村は、滝でもなんでも、公園と呼んでいる。 展望台は、展望公園のように。
行って楽しそうな印象になるからか。
吉岡城は、戦国時代の前に使われた城。
下條氏は、甲斐(かい・甲府の方)からやってきた人。
最初の城は、上の地図にもある、古城八幡社の所に。
この場所に、本丸があった。 城の中心。

供養塔や小さな神社があった。


少し動いた。 滝を見る前に、神社。
左の道に、私の車。 そこに停めて、この後は歩く。

石段の両側に、大きな杉の木。 並んでいるから、植えたものだ。
神社の歴史は古い。

大山田神社の右上に、式内とある。 これで、この神社は、平安時代にあったと分かる。
延喜式神名帳というのが、867年に書かれている。
そこに書かれている神社を、式内社と言う。 全国で、2861。

いい感じです。

800年の大杉。 木も大木になると、神になるのか。

この神社のは、2つの国の重要文化財がある。
写真の左は拝殿。
右に本殿。 見える建物は、覆堂(おおいどう)で、その中に小さな神社が2つある。
それが、重要文化財。
昨日見た、古城八幡社の建物も、覆堂だった。

神社の上には、棚田。 この地域の特徴が、ゆるい坂。
右に少しだけ、石灯篭が見える。 この時、ここに寺があると気づかなかった。

戻って、滝に向かった。 ここから、2㌔ほどか。
急な斜面の道でないから、道幅にゆとりがある。

上の写真を左に行ったら、下の写真。
遠くに、小さな紅葉。
胸元のペンダントのように、風景の中での、ワンポイントのお洒落。

柿の木の葉っぱが落ちだしたから、遠くからでも、実が目立つ。
冬になっても、実は残っている。 鳥にとって、大事な食べ物。

親水公園。 オートキャンプ場。

振り返って、この風景。 山並みの向こうに、南アルプス。 見える時がある。

道の壁に絵。 この後行く、滝と寺がある。 滝まで1.5㌔程。

上の写真の後、道が2つに分かれていた。 表示はない。
山の頂上に滝はないと考え、川沿いの道を行った。
花は、まだ咲いている。 ダリア。 後ろ姿がいい。


挨拶したくなるような、コスモス。 手動でピントを合わせた。

道は、ずっと上り。
オオサンショウウオが、棲んでいそうな、清流。
※ 調べてみたら、この地方にはいない。
本州では、郡上八幡と岡山県に。 あとは、九州。

あと1㌔。 クマは、いないわけではないよう。 一応、対策はしている。
鈴を忘れた。 使わない時は、リュックに仕舞っておくのがいいのかな。

2つの砂防ダム。
左は、いいですね。 役に立つ。
右は、土砂で埋まってしまった。 役に立たない。


動物は現れない。 最近、イタチを見た。 車の前を横切った。
短い足で胴長の利点は、何なんだろう。

川沿いに、遊歩道もあった。 不安だから、行かない。


もうすぐ。

高さ16㍍とある。 小滝もあるんだが、見つけられなかった。
不動明王は、後で発見。
滝の名前は書いてないが、当然、鎮西(ちんぜい)大滝でいいですね。 鎮西は、地域の名前。

小さな滝ですが、滝壷まで一気に落ちる、直瀑の滝なので、近づくと迫力がある。

右は、下流の風景。


こっちは、滝の上。 道から撮影。 丸の中に、像。

これが、不動明王か。 ※ ちゃんと、望遠で撮るんだった。別のカメラで。

帰りは下り。 別の風景。 勝手に足は前に行く。

下りてきた。

久しぶりに見る、ナデシコ。 右は、ツツジ。 少しだけ、咲いていた。


白いサザンカ、でいいでしょうか。

龍嶽寺。 ※ 読み方は、りゅうがくじ、りょうがくじ、どっちだろう。 ネット上では、両方。
下條氏の菩提寺。 臨済宗妙心寺派とあった。
※ 京都の大きな寺で行ってないのは、妙心寺だけ。
この次行こうと思っているうちに、・・。

下條村出身の芸能人がいる。 峰竜太。 現在の村長さんは、親戚だそう。
道の駅に、峰竜太の写真が付いたお土産が、たくさんある。
彼は、明るいキャラ。 妻の海老名美どりに、頭が上がらない。
※ 昨日、住職さんに聞いた話だが、国会議員に、下條という人がいる。
下條氏の末裔(まつえい)だと云う。
今日歩いていて、廃屋を見なかった。
若いお母さんと2人の小さな女の子にも会った。
下條村は、限界自治体とは縁のない村に感じた。
プロジェクトと呼ばれるような取り組みが、きっとあった。
その中心は、現在5期目の、今の町長さんか。
【その他】
トムラウシの事故の後、事故調査委員会は、一番の原因は、ガイドの判断ミスとした。
これに、大きな問題があった。 アミューズメント社の経営体質を厳しく指摘しなかった。
それで、また起きた。 会社は、悪天は想定外だったと、口にした。
トムラウシの時、ガイドは、「自分でどう判断しても、会社に文句を言われることはない」とは、思えなかった。
それで、飛行機の日程とかあって、無理をすることになった。
今回、中国人のガイドは、天気予報を知っていたのに、なぜ無理をしたのか。
まず、ガイドは、どのような仕組みで収入が入るのか。
それは、成功報酬。 無事に終わればいくら、と金額は決まっている。
1日伸ばせば、宿泊代とかかかって、収入は減る。
だから、ガイドは、予定の日程で終わらせたい。
参加者は、ガイドの考えを後押しする。
長引けば、プラスの旅行代を、払わなければならない。
つまり、会社は、旅の安全が守られる仕組みを作っていない。
安全管理の体制が、確立されていない。
マスコミは、この部分を指摘しないから、想定外の雪だったと言われて、納得してしまう。
結果、ガイドの力が未熟だったとかになってしまう。
育てなかったのが、会社の責任と。
今度の事故調査委員会の結果も、こうなるかもしれない。 前回と同じように。
会社の、利益優先のずるい体質を見抜かなければ、何も変わらない。
※ アミューズメント社の企画する旅には、参加しやすい。
普通の旅行会社なら、体力不足と断られても、この会社ならOKしてくれる。
だから、どこかのサイトが言っていたが、アミューズメント社は、「最後の砦(とりで)」と呼ばれる。
今回も、やっと登山ができるような人が、参加している。
事故の日、どこをいつ出発して、どこに戻ろうとしていたのか、正確な情報がつかめない。
会社は、発表したくても、情報を持っていない。 ガイドの名前さえ、知らなかった。
※ 上の文の情報源は、ネット上の、20以上のニュースと個人のサイトからのものです。
下の写真は、事故現場の写真。 (時事通信社からお借り)

【今日の歌】
※ 昨日少しだけ載せたけど、今日に変更。
百万本のバラの、原曲。 マーラが与えた人生。 歌っているのは、小田陽子さん。
作曲者と、最初に歌った人が、出てきます。
この歌にも、百万本のバラにも、ドラマがいっぱい。 大好きな歌。
※ 高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8)
【道の駅】 信濃路下條
【明日の予定】 天竜峡
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は2位、


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