奈良井宿は大きかった。
今まで見てきた伝建築の中では、一番のように感じる。
※ 伝建築~重要伝統的建造物群保存地区。
また、伝建築に選定されたのが、1978年と早いため、古い建物が多く残されていた。
見応えのある、古い家並みだった。
※ ※ ※ ※
※ お知らせ。
私のパソコンでは、写真を大きくして見るのに、不具合が生じています。
広島の旅人さんのパソコンでは、問題ありません。
少し時間がたってから、写真にカーソルを載せたら、openが表示されます。
そこでクリックしたら、写真は、一瞬に中央で大きくなります。
現在、私のパソコンでは、左上で大きくなります。
今までと違います。
原因が分からなく、そのうち直るかもしれません。
※ 左上に行ったとき、左上の矢印をクリックしたら、ブログの上の方の画面に戻ります。
そして、数秒したら、写真をクリックした場所に戻ります。
私のパソコンでは、ブログを見るとき、左にブログの一覧がありますが、それをクリックして読むと
今までどおり写真は大きくなります。
ただ、千畳敷カールのだけ、うまくいきません。
もし、私のパソコンと同じ症状の方がおられましたら、参考にしてください。
※ 写真が一瞬に大きくなるのは、旅人さんに設定していただきました。
とても便利です。
印が、奈良井宿。(ならいじゅく)。 奈良井宿の北に、贄川(にえかわ)宿がる。
そこが、木曽路の北の入り口。
奈良井宿の南から歩くことに。 この道を行くと、鳥居峠。
木曽路最大の難所。 分水嶺になっている。 川の流れが、向こうとこっちに分かれる。
※ 明日歩く予定。 10㌔以上はありそう。 列車で戻ってくる。
上が南。 町並みの長さは、1㌔。 長い。
ここは、中仙道。 日本橋から京都まで。 宿場は、69。 木曽路には、11の宿場。
奈良井宿は、北から2番目。 大きさは、木曽路最大。
木曽路の南の入り口は、馬込(まごめ)宿。
平日だが、人は多い。
家の特徴は、詳しく分からない。 格子が目立つでしょうか。
宿場なので、商家の家並みでしょうか。
※ 光が強いため、逆行の写真の方が、かえって見やすい。
道が曲がっている。「鍵の手」と呼ばれるところ。
これは、城下町によくある。 防衛上、便利なようだ。
一直線より、町並みに変化があっていい。
鍵の手の様子。 不動堂。
「おひさま」のロケ地になっていた。
漆器、箸(はし)、櫛(くし)、団子屋などがある。
家光の時代から、宇治からお茶が運ばれたとある。 この道を通って。
日本で最初の伝建築は、三年坂などで、1976年のこと。
奈良井宿は、2年後の、1978年。 時期が早いので、古い家が多く残った。
伝建築の家並みを歩いても、新しい家が混ざっているところが多い。
家のデザインがいい。 昔の大工さんが考えたんでしょうね。 家の奥には、庭。
京都方面に向かう人たちは、さあこれから峠越えだと、この地で気持ちを引き締めた。
向こうから来た人は、やっと越えたと、一安心。
こんな籠もあったのか。
お店には、買わなくても、入りやすい。
右写真に、当時の様子が。 多くの文人も、来ている。
ドライフラワー。 こんなのを見るのが好き。
※ 太陽が山の陰に入ってから、歩いたほうが、写真が撮りやすいかな。
でも、人が減って、さびしいか。
どこかの寺の前に、書いてあった。 そういうこともあるか。
健康なら、十分に幸せですよ、と思っている人もいる。 人は人、って。
バスで来る、おじいちゃんおばあちゃんが、多いでしょうか。
右の写真。 根っこまでこのように。 初めて見た。
経済成長が始まった時代、活気が良すぎたら、古い家は壊された。
もみじの葉っぱが、水の中。 自分もやってみたい。
人生、出会いって、言っている。物も。 漆器のお店。
櫛のお店。 お六櫛の六は、六根清浄の六と言ってる。
奈良井宿の浮世絵に、櫛のお店がある。
電柱はない。
いろんなおやきが売っている。
右の写真に、なつかしい石炭ストーブ。 子供の頃、ある時期、使ったような気がする。
真ん中の家に、家並みの説明があった。 家の並びが、一直線でない。 変化がある。
道の駅が、直ぐ近くに。 入り込む車は、少ない。 たまに、歩くのが面倒な人の車が通る。
地元の人に車は、仕方ない。
カエルがいた。
「塩尻市民となりて 桔梗の花」 数年前、合併した。
桔梗の文字から、「木へん」を取ると、吉と更に。 更に吉で、さらによくなる。
それで、桔梗の花か。
来る人は、福の神と。
向こうから来た。 そろそろ端っこ。
水場が何箇所かあった。 旅人は、助かる。
昔の杉並木の街道が残っていた。
杉並木のそばに、二百地蔵。 道や鉄道を作ったとき、ここに移した。
二十三夜塔が、いくつかあった。
昭和の初めのもあった。
下のは、江戸時代。 弘化3年は、1846年。
向こうは、鳥居峠。 列車は、トンネルを通る。 でも、きっと登りが続く。
木曽の大橋。
今日は、いい町並みを見ました。
【今日の歌】
ラトビアで生まれた曲の、メロディーがソ連に伝わった。
別の歌詞で歌われた。 題名は、ロシア語で、Миллион роз(ミリオーン・ロース)
歌詞の内容は、グルジアが舞台。
画家ニコ・ピロスマニが、マルガリータという女優に恋したという話。
バラを贈ったのは、ソチ、という町。 ※ 今度の、冬季オリンピックの舞台。
ピロスマニは、相手にされなかった。
彼は生きてる間は、画家として認められなく、貧しかった。
後に、認められることになるが。
バラを贈った60年後の、1969年、パリでピロスマニの個展が開催された。
その個展に、一人の女性が、ひっそりとやってきて、絵を見ていた。
もう、80才になる彼女、マルガリータだった。
自分を描いた絵もあった。
彼女がどんな人生を送ったかは分からないが、ピロスマニのこと、そして、バラのことは忘れてはいなかった。
自分の人生で、自分を一番好きになってくれたのはピロスマニと、晩年になって気づいたのかも知れない。
ロシアで最初に歌ったのが、アーラ・プガチョワ。
※ 明日は、日本で最初に歌った人と、プガチョワについて。
【道の駅】 木曽ならかわ
【明日の予定】 時間があれば、鳥居峠を歩きたい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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今まで見てきた伝建築の中では、一番のように感じる。
※ 伝建築~重要伝統的建造物群保存地区。
また、伝建築に選定されたのが、1978年と早いため、古い建物が多く残されていた。
見応えのある、古い家並みだった。
※ ※ ※ ※
※ お知らせ。
私のパソコンでは、写真を大きくして見るのに、不具合が生じています。
広島の旅人さんのパソコンでは、問題ありません。
少し時間がたってから、写真にカーソルを載せたら、openが表示されます。
そこでクリックしたら、写真は、一瞬に中央で大きくなります。
現在、私のパソコンでは、左上で大きくなります。
今までと違います。
原因が分からなく、そのうち直るかもしれません。
※ 左上に行ったとき、左上の矢印をクリックしたら、ブログの上の方の画面に戻ります。
そして、数秒したら、写真をクリックした場所に戻ります。
私のパソコンでは、ブログを見るとき、左にブログの一覧がありますが、それをクリックして読むと
今までどおり写真は大きくなります。
ただ、千畳敷カールのだけ、うまくいきません。
もし、私のパソコンと同じ症状の方がおられましたら、参考にしてください。
※ 写真が一瞬に大きくなるのは、旅人さんに設定していただきました。
とても便利です。
印が、奈良井宿。(ならいじゅく)。 奈良井宿の北に、贄川(にえかわ)宿がる。
そこが、木曽路の北の入り口。
奈良井宿の南から歩くことに。 この道を行くと、鳥居峠。
木曽路最大の難所。 分水嶺になっている。 川の流れが、向こうとこっちに分かれる。
※ 明日歩く予定。 10㌔以上はありそう。 列車で戻ってくる。

上が南。 町並みの長さは、1㌔。 長い。

ここは、中仙道。 日本橋から京都まで。 宿場は、69。 木曽路には、11の宿場。
奈良井宿は、北から2番目。 大きさは、木曽路最大。
木曽路の南の入り口は、馬込(まごめ)宿。
平日だが、人は多い。

家の特徴は、詳しく分からない。 格子が目立つでしょうか。

宿場なので、商家の家並みでしょうか。
※ 光が強いため、逆行の写真の方が、かえって見やすい。

道が曲がっている。「鍵の手」と呼ばれるところ。
これは、城下町によくある。 防衛上、便利なようだ。
一直線より、町並みに変化があっていい。

鍵の手の様子。 不動堂。


「おひさま」のロケ地になっていた。

漆器、箸(はし)、櫛(くし)、団子屋などがある。

家光の時代から、宇治からお茶が運ばれたとある。 この道を通って。

日本で最初の伝建築は、三年坂などで、1976年のこと。
奈良井宿は、2年後の、1978年。 時期が早いので、古い家が多く残った。
伝建築の家並みを歩いても、新しい家が混ざっているところが多い。

家のデザインがいい。 昔の大工さんが考えたんでしょうね。 家の奥には、庭。


京都方面に向かう人たちは、さあこれから峠越えだと、この地で気持ちを引き締めた。
向こうから来た人は、やっと越えたと、一安心。

こんな籠もあったのか。

お店には、買わなくても、入りやすい。
右写真に、当時の様子が。 多くの文人も、来ている。


ドライフラワー。 こんなのを見るのが好き。

※ 太陽が山の陰に入ってから、歩いたほうが、写真が撮りやすいかな。
でも、人が減って、さびしいか。

どこかの寺の前に、書いてあった。 そういうこともあるか。
健康なら、十分に幸せですよ、と思っている人もいる。 人は人、って。

バスで来る、おじいちゃんおばあちゃんが、多いでしょうか。

右の写真。 根っこまでこのように。 初めて見た。


経済成長が始まった時代、活気が良すぎたら、古い家は壊された。

もみじの葉っぱが、水の中。 自分もやってみたい。


人生、出会いって、言っている。物も。 漆器のお店。

櫛のお店。 お六櫛の六は、六根清浄の六と言ってる。
奈良井宿の浮世絵に、櫛のお店がある。


電柱はない。

いろんなおやきが売っている。

右の写真に、なつかしい石炭ストーブ。 子供の頃、ある時期、使ったような気がする。


真ん中の家に、家並みの説明があった。 家の並びが、一直線でない。 変化がある。


道の駅が、直ぐ近くに。 入り込む車は、少ない。 たまに、歩くのが面倒な人の車が通る。
地元の人に車は、仕方ない。

カエルがいた。
「塩尻市民となりて 桔梗の花」 数年前、合併した。
桔梗の文字から、「木へん」を取ると、吉と更に。 更に吉で、さらによくなる。
それで、桔梗の花か。


来る人は、福の神と。


向こうから来た。 そろそろ端っこ。

水場が何箇所かあった。 旅人は、助かる。

昔の杉並木の街道が残っていた。

杉並木のそばに、二百地蔵。 道や鉄道を作ったとき、ここに移した。
二十三夜塔が、いくつかあった。

昭和の初めのもあった。
下のは、江戸時代。 弘化3年は、1846年。

向こうは、鳥居峠。 列車は、トンネルを通る。 でも、きっと登りが続く。

木曽の大橋。

今日は、いい町並みを見ました。
【今日の歌】
ラトビアで生まれた曲の、メロディーがソ連に伝わった。
別の歌詞で歌われた。 題名は、ロシア語で、Миллион роз(ミリオーン・ロース)
歌詞の内容は、グルジアが舞台。
画家ニコ・ピロスマニが、マルガリータという女優に恋したという話。
バラを贈ったのは、ソチ、という町。 ※ 今度の、冬季オリンピックの舞台。
ピロスマニは、相手にされなかった。
彼は生きてる間は、画家として認められなく、貧しかった。
後に、認められることになるが。
バラを贈った60年後の、1969年、パリでピロスマニの個展が開催された。
その個展に、一人の女性が、ひっそりとやってきて、絵を見ていた。
もう、80才になる彼女、マルガリータだった。
自分を描いた絵もあった。
彼女がどんな人生を送ったかは分からないが、ピロスマニのこと、そして、バラのことは忘れてはいなかった。
自分の人生で、自分を一番好きになってくれたのはピロスマニと、晩年になって気づいたのかも知れない。
ロシアで最初に歌ったのが、アーラ・プガチョワ。
※ 明日は、日本で最初に歌った人と、プガチョワについて。
【道の駅】 木曽ならかわ

【明日の予定】 時間があれば、鳥居峠を歩きたい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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