木曽といわれる地域の中心は、どこなんだろう。
それは、今日歩いた木曽町かなと思う。
木曽の御嶽山が目の前で、木曽節もこの町から広まった。
木曽町の市街地は、福島地区にあり、そこに福島宿はあった。
塩を使わない、乳酸発酵の漬物「すんき」を、初めて食べた。
すんきは知っていたけど、木曽の名産だったと、初めて知った。
※ ※ ※ ※
福島宿は、御嶽山と木曽駒ケ岳の間にある。 このことでも、山深いと分かる。
谷の上の駐車場から、歩き出した。
※ 福島宿に広い駐車場は、ない。 早朝に来ていた。
橋の下で、若い男の人が、ダンスを踊っていた。 いつまでも。 川は、木曽川。
車道を向こうから、歩いてきた。 この細い道は、後で上から下りてくる。
この場所が、福島宿の出発点。 この後、右向こうの斜面の道を上る。 ※ 写真は、最期に撮影したもの。
現在地からスタート。 右から左へと。
観光案内所が分からないので、地図はない。 上で見たのを覚えて、だいたいで歩く。
この坂の上に、島崎藤村の姉が嫁いだ家がある。
藤村自身は、馬籠(まごめ)宿で生まれた。 もっと南。
藤村の詩に、「初恋」がある。
姉の嫁ぎ先の家は、高瀬資料館に。 藤村に関しては、馬籠宿で見ているので、入らない。
横を通って、関所跡に。
関所資料館の紅葉。 関所に関係のある建物は、残っていない。
福島宿は、4大関所の1つと云われる。。
※ 他の3つは、箱根、碓氷(群馬県と長野県の間)、新居(浜名湖の西)。
関所跡。 柱をのせる、礎石(そせき)が残っていた。
左の道を来て、下に行く。 この頃から、今日は、ずっと雨。
橋を渡って、ここは、山村代官屋敷東門跡。
石垣の石に、文字が刻まれていた。 江戸時代のもの。 尾張藩主の、家臣がここに留まった時に。
「 俎板(まないた)のなる 日はきかず かんこ鳥 也有 延享二年 」
俎板の音が聞こえないというのは、貧しいということかな。
山村代官屋敷。
ここで間違って、橋を渡ってしまった。 案内にあった道は、川の向こうを歩く。
見える建物は、木曽郷土館。 このときは、分からない。
お店の、ショーウィンドウ。 郡上八幡で見た猫踊りは、こんな風に踊った。 若い女性が。
いい感じ。 この地の当主の家を復元。
一番の目的地に入ってきた。 上の段(うえのだん)と呼ばれる所。 古い町並みが残っている。
旧中仙道の道。 昔の雰囲気を再現。 左の休憩所で、少しだけ、雨宿り。
福島宿の特徴は、小路が多いこと。
メインストリート。 傘をさして歩くのは、嫌いじゃない。
向こうから、上がってきた。
横からの道。 いい感じで、女の人が歩いてきた。 うれしい。 チャンスです。
傘をさしているのが、またいい。 数枚撮った。 道には、人が似合う。
撮影の後、まだ遠くのその人に、お礼の意味で、かるくお辞儀をした。
※ 坂道にも、人は似合う。(国東半島 坂道の城下町 杵築(きつき)市)
晴明社の前に、説明が。 ※ 写真を撮り忘れた。 こうです。(Wikipedia)
晴明社のすぐ奥に、観光文化会館(まつり会館)があった。 入った。
ここで、地図が手に入った。
木曽節を世に広めたには、町長を務めた伊東淳(いとう・すなお、1876年-1942年)と云う人だった。
木曽節。 民謡は本来、こんな歌い方だったのでは。
※ 今は、声を張り上げる人が、多い。
南部牛追い歌を YouTube で探したとき、いいのが見つからなかった理由は、上。
※ 南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
船を3人で漕(こ)いだとき、真ん中を「中乗り」と云ったそう。
写真は、昭和17年。 何もない時代でも、祭りだけは楽しんだ。
お店の名前は、「竈炙ビストロ松島亭」。 この時は、読めなかった。
調べたら。 竈炙は、かまあぶり。 ビストロは、小さなレストラン。
ここは、イタリア料理店だった。 ピザは、きっと、かまどであぶって、焼く。
こうやって撮って喜んだ。 そうしたら、Wikiepdia の福島宿に、同じ写真があった。
誰もが考えるレベルだった。
説明があった。 この奥に真理姫の墓があるという。
この奥です。 寺門前小路。 歩きたくなる。
大通寺。
真理姫は、武田信玄の三女。 母は違うが、兄に勝頼がいる。
木曾義昌に嫁ぐ。 昨日のブログの鳥居峠で、勝頼をやっつけたのは、義昌。
真理姫は、義昌が信玄・勝頼を裏切って信長に付いたとき、義昌と別れる。
本堂。 ドウダンツツジ。
町並みの最後。
来た道を撮影。 右上に、井戸。
昭和の中ごろまで使われた、とある。
こうです。
来た道を戻った。
酒屋さん。
雨の日は、傘をさして歩けばいい。
風が強いのは、困るけど。
福島宿は、坂があったり、小路があったり、変化のある町並みだった。
【すんき について】
塩は使っていない、そして、乳酸発酵。 からだにいいですよ。
そんなに酸っぱくもなく、そのままでも、食べやすい。
この地方では、いろんな料理に使う。
醤油をかけて、ご飯のおかずにも、いいそうだ。
焚きたてのご飯なら、他におかずは無いほうがいい。
※ 四国の梼原(ゆすはら)の辺りで、そういうご飯をご馳走になった。 五右衛門風呂にも、入って。
懐かしい思い出。
濁酒も買った。 すんきと冷奴で、全部飲んでしまった。 720ml。
極楽。 酒は、いやなことをみんな忘れさせてくれる。
※ 悲しい酒で、美空ひばりが、そう言った。
【今日の歌】
ニーナさんの親と、加藤登紀子さんの親は、加藤さんがデビューする前から、親しかった。
両方とも、満州から引き上げる。
ニーナさんが百万本のバラのレコードを出すが、加藤さんのお父さんは、レコードを売るなど助ける。(1983年)
お父さんは、ニーナさんの大ファン。
そんなことがあって、おトキさん(登紀子さん)も、コンサートとかで歌うようになる。
おトキさんも、この曲が気に入って、レコードを出す。(1987年)
百万本のバラは、さらに、全国に広まる。
左は、おトキさん。 真ん中、ニーナさん。 右は、おトキさんのお父さん。
※ いつの写真か確認してないが、2人とも若い。(ニーナさんのアルバムから)
※ ニーナさんは、ハーフロシアン。 お母さんがロシア人。
【道の駅】 木曽福島 福島宿から、数㌔。
【明日の予定】 今いる近くかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それは、今日歩いた木曽町かなと思う。
木曽の御嶽山が目の前で、木曽節もこの町から広まった。
木曽町の市街地は、福島地区にあり、そこに福島宿はあった。
塩を使わない、乳酸発酵の漬物「すんき」を、初めて食べた。
すんきは知っていたけど、木曽の名産だったと、初めて知った。
※ ※ ※ ※
福島宿は、御嶽山と木曽駒ケ岳の間にある。 このことでも、山深いと分かる。
谷の上の駐車場から、歩き出した。
※ 福島宿に広い駐車場は、ない。 早朝に来ていた。
橋の下で、若い男の人が、ダンスを踊っていた。 いつまでも。 川は、木曽川。

車道を向こうから、歩いてきた。 この細い道は、後で上から下りてくる。

この場所が、福島宿の出発点。 この後、右向こうの斜面の道を上る。 ※ 写真は、最期に撮影したもの。

現在地からスタート。 右から左へと。

観光案内所が分からないので、地図はない。 上で見たのを覚えて、だいたいで歩く。
この坂の上に、島崎藤村の姉が嫁いだ家がある。
藤村自身は、馬籠(まごめ)宿で生まれた。 もっと南。

藤村の詩に、「初恋」がある。
姉の嫁ぎ先の家は、高瀬資料館に。 藤村に関しては、馬籠宿で見ているので、入らない。
横を通って、関所跡に。

関所資料館の紅葉。 関所に関係のある建物は、残っていない。
福島宿は、4大関所の1つと云われる。。
※ 他の3つは、箱根、碓氷(群馬県と長野県の間)、新居(浜名湖の西)。

関所跡。 柱をのせる、礎石(そせき)が残っていた。

左の道を来て、下に行く。 この頃から、今日は、ずっと雨。

橋を渡って、ここは、山村代官屋敷東門跡。

石垣の石に、文字が刻まれていた。 江戸時代のもの。 尾張藩主の、家臣がここに留まった時に。
「 俎板(まないた)のなる 日はきかず かんこ鳥 也有 延享二年 」
俎板の音が聞こえないというのは、貧しいということかな。


山村代官屋敷。

ここで間違って、橋を渡ってしまった。 案内にあった道は、川の向こうを歩く。
見える建物は、木曽郷土館。 このときは、分からない。

お店の、ショーウィンドウ。 郡上八幡で見た猫踊りは、こんな風に踊った。 若い女性が。

いい感じ。 この地の当主の家を復元。

一番の目的地に入ってきた。 上の段(うえのだん)と呼ばれる所。 古い町並みが残っている。

旧中仙道の道。 昔の雰囲気を再現。 左の休憩所で、少しだけ、雨宿り。

福島宿の特徴は、小路が多いこと。

メインストリート。 傘をさして歩くのは、嫌いじゃない。

向こうから、上がってきた。

横からの道。 いい感じで、女の人が歩いてきた。 うれしい。 チャンスです。
傘をさしているのが、またいい。 数枚撮った。 道には、人が似合う。
撮影の後、まだ遠くのその人に、お礼の意味で、かるくお辞儀をした。
※ 坂道にも、人は似合う。(国東半島 坂道の城下町 杵築(きつき)市)

晴明社の前に、説明が。 ※ 写真を撮り忘れた。 こうです。(Wikipedia)

晴明社のすぐ奥に、観光文化会館(まつり会館)があった。 入った。
ここで、地図が手に入った。
木曽節を世に広めたには、町長を務めた伊東淳(いとう・すなお、1876年-1942年)と云う人だった。

木曽節。 民謡は本来、こんな歌い方だったのでは。
※ 今は、声を張り上げる人が、多い。
南部牛追い歌を YouTube で探したとき、いいのが見つからなかった理由は、上。
※ 南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
船を3人で漕(こ)いだとき、真ん中を「中乗り」と云ったそう。
写真は、昭和17年。 何もない時代でも、祭りだけは楽しんだ。


お店の名前は、「竈炙ビストロ松島亭」。 この時は、読めなかった。
調べたら。 竈炙は、かまあぶり。 ビストロは、小さなレストラン。
ここは、イタリア料理店だった。 ピザは、きっと、かまどであぶって、焼く。

こうやって撮って喜んだ。 そうしたら、Wikiepdia の福島宿に、同じ写真があった。
誰もが考えるレベルだった。

説明があった。 この奥に真理姫の墓があるという。


この奥です。 寺門前小路。 歩きたくなる。

大通寺。

真理姫は、武田信玄の三女。 母は違うが、兄に勝頼がいる。
木曾義昌に嫁ぐ。 昨日のブログの鳥居峠で、勝頼をやっつけたのは、義昌。

真理姫は、義昌が信玄・勝頼を裏切って信長に付いたとき、義昌と別れる。

本堂。 ドウダンツツジ。

町並みの最後。

来た道を撮影。 右上に、井戸。

昭和の中ごろまで使われた、とある。


こうです。

来た道を戻った。

酒屋さん。

雨の日は、傘をさして歩けばいい。
風が強いのは、困るけど。
福島宿は、坂があったり、小路があったり、変化のある町並みだった。
【すんき について】
塩は使っていない、そして、乳酸発酵。 からだにいいですよ。
そんなに酸っぱくもなく、そのままでも、食べやすい。
この地方では、いろんな料理に使う。
醤油をかけて、ご飯のおかずにも、いいそうだ。
焚きたてのご飯なら、他におかずは無いほうがいい。
※ 四国の梼原(ゆすはら)の辺りで、そういうご飯をご馳走になった。 五右衛門風呂にも、入って。
懐かしい思い出。


濁酒も買った。 すんきと冷奴で、全部飲んでしまった。 720ml。
極楽。 酒は、いやなことをみんな忘れさせてくれる。
※ 悲しい酒で、美空ひばりが、そう言った。

【今日の歌】
ニーナさんの親と、加藤登紀子さんの親は、加藤さんがデビューする前から、親しかった。
両方とも、満州から引き上げる。
ニーナさんが百万本のバラのレコードを出すが、加藤さんのお父さんは、レコードを売るなど助ける。(1983年)
お父さんは、ニーナさんの大ファン。
そんなことがあって、おトキさん(登紀子さん)も、コンサートとかで歌うようになる。
おトキさんも、この曲が気に入って、レコードを出す。(1987年)
百万本のバラは、さらに、全国に広まる。
左は、おトキさん。 真ん中、ニーナさん。 右は、おトキさんのお父さん。
※ いつの写真か確認してないが、2人とも若い。(ニーナさんのアルバムから)
※ ニーナさんは、ハーフロシアン。 お母さんがロシア人。

【道の駅】 木曽福島 福島宿から、数㌔。
【明日の予定】 今いる近くかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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