木曽路はすべて山の中である、と藤村は言った。
でも、木曽路のスタートである馬籠(まごめ)宿は、山の中でなく、山の上だった。
どうして、木曽川沿いではなかったのか。(分からない)
馬籠宿から、旧中仙道を、馬籠峠まで歩いてみた。
※ ※ ※ ※
木曽に11の宿がある。 北から下がってきたが、馬籠宿が一番南。
木曽の入り口と言っても、いいようだ。
最後の方に恵那山の写真があるが、馬込宿からは、恵那山の麓が下に見える。
木曽路は、すぐに峠越えから始まっていた。
藤村は、木曽路はすべて山の中と言ったけど、まず山の上からスタート。
馬籠宿の、南の入り口。
妻籠や奈良井の宿も人気があるが、馬籠が一番かも知れない。
観光バスや車の数が多い。
島崎藤村の出身地なので、藤村が魅力をプラスしている。
入り口の道を曲げたのは、そうしようとして、曲げた。
城下町にもあるけど、町の守るときに、役立つようだ。
外から、中が全部見えないように。
明治と大正時代に、全部燃えている。 その後、復元している。
当時の復元だから、観光のためではなく、ここに住み続けるために。
馬籠宿には、無料駐車場がある。
まず、人に来てもらう。 その考えが、今の観光の主流でしょうか。
お金は、お店とかで、気持ちよく使ってもらう。
※ 神社やお寺も、駐車場は無料が多い。
そこでお金を無理やり取ると、お賽銭が減る。
このように、お店が並んでいる。
読んでみて、分かりやすく、いいなと思った時だけ、写真を撮る。 それ以外は、撮らない。
山口誓子。
真っ赤な柿が、灯りのように見えたのでしょうか。
冬が近づくと、柿の赤は、自然の中で目立つ。
藤村が書いた童話。 心が、何か、ホッとする。
間もなく、馬籠宿の北の入り口(出口)。
ここから、馬籠峠に向かう道。
右にあるのは、高札。 知らせたいことが貼ってある。
昨日の冷たい雨は、高い所では、夜に雪に変わった。
少し歩いただけで、この高さ。
畑は、今年の役割を終えた。
少し雑然とした、お疲れさんと感じる、こんな風景もいい。
木の葉は、枯れてみんな落ちた。
それなのに、この葉っぱだけ、まだ緑で残っている。
熊が出そうな、薄暗い道も。 時々、熊除けの鐘がある。
※ 中山道は、江戸時代前、ぶっそうな道と思われた時代があった。 山姥や盗賊がいたとかで。
いい雰囲気の山里に出てきた。
今考えてみると、昨年なら、間違いなく行った。 気持ちを戻したい。
懐かしい風景。
干し芋は、こうやって作るんだ。 初めて見る。 今一番食べたいもの、それは、干し柿。
十返舎一九の狂歌の碑。 ※ 別のところで、説明に出会う。
「渋皮の剥(む)けし女は見えねども 栗のこはめしここの名物」
※ 意味について。
垢(あか)抜けた女性はいないけど、栗のこはめしがあるから、いいかと。
狂歌だから、遊び心のある、もっと深い意味があるのかな。
馬籠は、古くから栗こわめしを名物にしていた。
文化8年(1811)に、十返舎一九は中仙道を旅している。
そして、「木曽街道膝栗毛」を書いた。
道端に、こんなのが。 妻籠は、元は、山口村。 長野県だった。
今は、中津川市と合併して、岐阜県になっている。 こういうことってあるんだ。
雪です。 赤い花は、まゆみ。 ※ この後、写真に出てくる、女性たちが教えてくれた。
峠之御頭頌徳(しょうとく)碑。 ※ 頌徳碑は、ある人をたたえて作った碑。
峠の頂上まで、この人たちと、いっしょ。
ここは、牛方衆の集落。 昔は牛方が住んでいた。 ※ 南部牛追い歌を思い出す。
「 熟女3人 街道てくてく旅 」の感じでしょうか。
この紅葉は、3人への、大きなご褒美(ほうび)。
※ あれ、きれい、って指差した瞬間があった。 写真は、しっぱい。
どうしたのさって、木に聞きたくなるくらい、燃えている。
馬籠峠。 雨が落ちてきた。
彼女たちは、妻籠宿まで歩く。 そこから電車。(中津川とか名古屋だったかな)
峠の頂上。 人がいないと、寂しい。
直ぐに戻った。 明治天皇がここに来ていた。
明治天皇の皇后が、天皇の旅先の宿に、手紙を送った。 天皇が着いたときに読めるように。
これが、なかなかいい。 下のブログに、別に、いい文があります。 ぜひ。 恋文です。
※ きみまち阪 ~恋文の町~ 他 (2009/09/17)
地図があった。
牛追いの集落。 ここの家並みは、馬籠の集落より古い家が残っている。
放っておいたら、そのうちきれいになるのか。 水が冷たく見える。
途中に説明。 いろんなのが。
これは、水車塚で、文と字は、藤村。
こう書いてある。
「山家にありて 水にうもれたる 蜂谷の家族四人の記念に 島崎藤村しるす」
こんな道を戻る。
時々車道と、交差。
戻ってきた。
猫に、人は見えない。
藤村記念館。 生家は火事で焼けた。 その跡に、建てた。
藤村の書いた、初恋の詩。 歌のモデルの、おゆふさんも、馬籠の人。
※ 下のブログの後半に、藤村が作詞した「椰子の実」について書いてあります。
渥美半島 恋路ヶ浜 椰子の実 伊良湖岬 ~田原市~ 他 (2011/11/15)
遠くに、恵那山。
戻ってきた。 南の入り口(出口)。
※ 大事なことを書いておきます。
馬籠の人たちは、馬籠の家並みを守るために、苦労した。
守るために、どうやって、考えをそろえるか。
外部から利用されるのを、どのように防ぐか。
苦労は、他にもいっぱい。
中心になって戦った人、それを支えた人、多くの人達によって、今の馬籠宿の繁栄はあります。
恵那山です。 ※ 雲が無ければ、こう見えます。
ここは、中津川市坂下。 この中に、今晩の道の駅。 馬籠宿のすぐ近く。
夏に、馬込宿を歩いていたとき、あることを知った。
少し落ち込んで、東風さんに会った後、北海道に真っ直ぐ戻った。
羅臼でひと月、心を休ませた。
いろんな人に、お世話になって、もう一度旅に出ようとなった。
ブログも、今までどおり書くと。
再び馬籠宿に戻ってきた。
そうしたら、ブログのランキングが、国内旅行も旅行全体も、1位になった。
多くの人に、感謝。
馬籠宿は、忘れられない地に、なりそう。
【今日の歌】 画面をクリックしたら、YouTube に行きます。
【道の駅】 きりら坂下
【明日の予定】 高山に向かう予定だったが、雪なので、変更。 妻籠かな。
近いうちに、一気に京都に行くかもしれない。
夜に走って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は1位、
旅行全体でも1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
でも、木曽路のスタートである馬籠(まごめ)宿は、山の中でなく、山の上だった。
どうして、木曽川沿いではなかったのか。(分からない)
馬籠宿から、旧中仙道を、馬籠峠まで歩いてみた。
※ ※ ※ ※
木曽に11の宿がある。 北から下がってきたが、馬籠宿が一番南。
木曽の入り口と言っても、いいようだ。
最後の方に恵那山の写真があるが、馬込宿からは、恵那山の麓が下に見える。
木曽路は、すぐに峠越えから始まっていた。
藤村は、木曽路はすべて山の中と言ったけど、まず山の上からスタート。
馬籠宿の、南の入り口。

妻籠や奈良井の宿も人気があるが、馬籠が一番かも知れない。
観光バスや車の数が多い。


島崎藤村の出身地なので、藤村が魅力をプラスしている。

入り口の道を曲げたのは、そうしようとして、曲げた。
城下町にもあるけど、町の守るときに、役立つようだ。
外から、中が全部見えないように。


明治と大正時代に、全部燃えている。 その後、復元している。
当時の復元だから、観光のためではなく、ここに住み続けるために。

馬籠宿には、無料駐車場がある。
まず、人に来てもらう。 その考えが、今の観光の主流でしょうか。
お金は、お店とかで、気持ちよく使ってもらう。
※ 神社やお寺も、駐車場は無料が多い。
そこでお金を無理やり取ると、お賽銭が減る。
このように、お店が並んでいる。

読んでみて、分かりやすく、いいなと思った時だけ、写真を撮る。 それ以外は、撮らない。
山口誓子。
真っ赤な柿が、灯りのように見えたのでしょうか。
冬が近づくと、柿の赤は、自然の中で目立つ。

藤村が書いた童話。 心が、何か、ホッとする。


間もなく、馬籠宿の北の入り口(出口)。

ここから、馬籠峠に向かう道。
右にあるのは、高札。 知らせたいことが貼ってある。

昨日の冷たい雨は、高い所では、夜に雪に変わった。

少し歩いただけで、この高さ。
畑は、今年の役割を終えた。
少し雑然とした、お疲れさんと感じる、こんな風景もいい。

木の葉は、枯れてみんな落ちた。
それなのに、この葉っぱだけ、まだ緑で残っている。

熊が出そうな、薄暗い道も。 時々、熊除けの鐘がある。
※ 中山道は、江戸時代前、ぶっそうな道と思われた時代があった。 山姥や盗賊がいたとかで。

いい雰囲気の山里に出てきた。

今考えてみると、昨年なら、間違いなく行った。 気持ちを戻したい。

懐かしい風景。

干し芋は、こうやって作るんだ。 初めて見る。 今一番食べたいもの、それは、干し柿。


十返舎一九の狂歌の碑。 ※ 別のところで、説明に出会う。
「渋皮の剥(む)けし女は見えねども 栗のこはめしここの名物」
※ 意味について。
垢(あか)抜けた女性はいないけど、栗のこはめしがあるから、いいかと。
狂歌だから、遊び心のある、もっと深い意味があるのかな。
馬籠は、古くから栗こわめしを名物にしていた。
文化8年(1811)に、十返舎一九は中仙道を旅している。
そして、「木曽街道膝栗毛」を書いた。

道端に、こんなのが。 妻籠は、元は、山口村。 長野県だった。
今は、中津川市と合併して、岐阜県になっている。 こういうことってあるんだ。
雪です。 赤い花は、まゆみ。 ※ この後、写真に出てくる、女性たちが教えてくれた。


峠之御頭頌徳(しょうとく)碑。 ※ 頌徳碑は、ある人をたたえて作った碑。
峠の頂上まで、この人たちと、いっしょ。

ここは、牛方衆の集落。 昔は牛方が住んでいた。 ※ 南部牛追い歌を思い出す。

「 熟女3人 街道てくてく旅 」の感じでしょうか。


この紅葉は、3人への、大きなご褒美(ほうび)。
※ あれ、きれい、って指差した瞬間があった。 写真は、しっぱい。
どうしたのさって、木に聞きたくなるくらい、燃えている。

馬籠峠。 雨が落ちてきた。
彼女たちは、妻籠宿まで歩く。 そこから電車。(中津川とか名古屋だったかな)

峠の頂上。 人がいないと、寂しい。

直ぐに戻った。 明治天皇がここに来ていた。

明治天皇の皇后が、天皇の旅先の宿に、手紙を送った。 天皇が着いたときに読めるように。
これが、なかなかいい。 下のブログに、別に、いい文があります。 ぜひ。 恋文です。
※ きみまち阪 ~恋文の町~ 他 (2009/09/17)
地図があった。


牛追いの集落。 ここの家並みは、馬籠の集落より古い家が残っている。

放っておいたら、そのうちきれいになるのか。 水が冷たく見える。

途中に説明。 いろんなのが。

これは、水車塚で、文と字は、藤村。
こう書いてある。
「山家にありて 水にうもれたる 蜂谷の家族四人の記念に 島崎藤村しるす」


こんな道を戻る。

時々車道と、交差。

戻ってきた。

猫に、人は見えない。

藤村記念館。 生家は火事で焼けた。 その跡に、建てた。

藤村の書いた、初恋の詩。 歌のモデルの、おゆふさんも、馬籠の人。

※ 下のブログの後半に、藤村が作詞した「椰子の実」について書いてあります。
渥美半島 恋路ヶ浜 椰子の実 伊良湖岬 ~田原市~ 他 (2011/11/15)
遠くに、恵那山。

戻ってきた。 南の入り口(出口)。

※ 大事なことを書いておきます。
馬籠の人たちは、馬籠の家並みを守るために、苦労した。
守るために、どうやって、考えをそろえるか。
外部から利用されるのを、どのように防ぐか。
苦労は、他にもいっぱい。
中心になって戦った人、それを支えた人、多くの人達によって、今の馬籠宿の繁栄はあります。
恵那山です。 ※ 雲が無ければ、こう見えます。

ここは、中津川市坂下。 この中に、今晩の道の駅。 馬籠宿のすぐ近く。

夏に、馬込宿を歩いていたとき、あることを知った。
少し落ち込んで、東風さんに会った後、北海道に真っ直ぐ戻った。
羅臼でひと月、心を休ませた。
いろんな人に、お世話になって、もう一度旅に出ようとなった。
ブログも、今までどおり書くと。
再び馬籠宿に戻ってきた。
そうしたら、ブログのランキングが、国内旅行も旅行全体も、1位になった。
多くの人に、感謝。
馬籠宿は、忘れられない地に、なりそう。
【今日の歌】 画面をクリックしたら、YouTube に行きます。

【道の駅】 きりら坂下
【明日の予定】 高山に向かう予定だったが、雪なので、変更。 妻籠かな。
近いうちに、一気に京都に行くかもしれない。
夜に走って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は1位、


気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/810-a12a350a