瀬戸内の島に、こんな所があるとは思わなかった。 ここは、御手洗(みたらい)。
今は橋ができて、行き来が便利になった。
しかし、橋がなかった昔の方が、きっと魅力は大きかった。
島をつなぐ道は、とびしま海道。 ずいぶん東に来た。 大三島(おおみしま)も近い。
観光客のための駐車場があった。 無料。 ありがたい。
雪が舞ったのに、まだ咲いている。
島にある伝建地区は、ここと佐渡島にだけ。 島にあるのは、珍しい。 (沖縄にはある)
※ 伝建地区~重要伝統的建造物群保存地区 群とあるように、ひとまとめにしている所が特徴。
島だったから、これだけ古い物が残ったのでしょうね。
30年前に橋ができていたら、経済が発展して、残らなかったかもしれない。
ずっと昔はトラックがなかった。 重たい物は、船で運んだ。
瀬戸内海は、たくさんの船が行き来した。
海は、いつも穏やかではない。 潮の流れもある。
波が収まるのを待つ。 帆船はいい風を待つ。 都合のいい潮の流れを待つ。
ここ御手洗には、その船が集まってきた。
少し石段を登って、おいらん公園から撮影。 昭和の初期まで、この島には遊女がいっぱいいた。
※ おいらんは、遊女のトップの人たち。
満舟寺(まんしゅうじ)の石垣。 お城の石垣のよう。
寺の説明では、ここは、秀吉の四国征伐のときの最前線基地、とあった。 作ったのは、加藤清正。
大きな石の間に、小さな石がはさまっている。
若胡子屋(わかえびすや)という茶屋が明治まであった。 ※ 茶屋~遊郭
建物は、お寺になったり、公会堂になったりした。
今は、復元の途中。 たまたま、中を見ることができた。 基礎から作りなおしていた。
なお、全国でこの辺りにだけ、おちょろ船というのがあった。 ※ ちょろは、女郎がなまったのか。(?)
遊女がこの船に乗っての、出張サービスをした。
これは、船に乗ってる身分の低い者へのサービスで、身分の上の者は、若胡子屋に来た。(この部分の情報源は、旅人さん)
若胡子屋の斜め向かいに、金子邸があった。 金子氏は、島の豪商。
ここは、慶応三年(1866)11月26日、「御手洗条約」が交わされた場所。 初めて聞いた。
その日、薩摩と長州藩はここで倒幕の密約を交わした。広島藩の軍も来ており、密約に参加している。
※ 倒幕に広島藩が関わっていたことは、初めて知った。
どうして広島藩がと思った。 こうだった。
広島藩の毛利氏は、関ヶ原で西軍についた。
そのため、家康の怒りで、毛利氏は長州藩の殿様に移封されていた。
長州藩と広島藩は、そんな関わりがあった。
※ 広島藩が倒幕に向けて、明確な態度を取らなかったことがあって、歴史に名が出てこないようだ。
※ 龍馬が暗殺されたのは、11月15日。 少し前のこと。
龍馬も中岡慎太郎も、この島に来ている。
天満宮。 菅公の井戸というのがあった。 その水で書き初めをすると、頭がよくなると説明があった。
誰だかが、ここで手を洗ったために、御手洗という地名になったという話も。
ここは、常磐町通りで、江戸の町並みが残っていた。
古い資料を展示している所があった。
そこに、なつかしい木の風呂が。 中学生の頃まで、こんな風呂だった。 もう一度入ってみたい。
車が通らない。 それがいい。 気分は昔に戻った。
明治から続く、古い時計屋があった。 日本で一番古いという話も。
全国から、時計の修理の注文があるとも。
復元した、乙女座があった。 壁の模様が「乙女の涙」と言われている。
※ 乙女の涙という滝が知床にあった。 岩の隙間から、涙のように水が出ていた。 関連ブログ 乙女の涙。
使おうと思ったら使える。 古い映画のポスターがあった。
ここは、七卿館という建物。
元治元年(1864)、三条実美ら倒幕派がの5人が、追っ手から逃れる際にこの建物に泊まった。
5人は、七卿落ち7人のうちの5人。 七卿落ちは、7人の公家が京都から追放された事件。
※ 庄屋竹原屋の家。 県重要文化財。
駐車場の近くに、江戸時代に作られた、防波堤があった。 面白い石が。
鶴と亀のようだが、鶴がはっきり分かる。 遊び心、ですね。
車に戻ったら、海遊旅人さんから電話が入った。 昨日私がいた県民の浜にいると。
これからそっちに向かうとあった。
歴史の見える丘公園に行こうとなった。
この橋を右に渡ったら四国。 来島海峡大橋。
旅人さんの車も見える。 右側。 遠くに見えるのは、本州。
海に映る灯りが綺麗だって、旅人さんが言った。 言われて、私は気付いた。
今日は、ここを歩いた。
御手洗には、1日では見切れない程、たくさんの歴史が残っていた。
瀬戸内の島の中で、ここは最も栄えた島であり港だった。
旅人さんの車で、食べ物を持ち寄って、食事をした。
※ 動画を載せるのは、時間がなく、後になります。
【停泊場所】 歴史の見える丘公園
【明日の予定】 島のどこかに。 隣の島へも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で19位です。 放浪の旅は70位です。
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今は橋ができて、行き来が便利になった。
しかし、橋がなかった昔の方が、きっと魅力は大きかった。
島をつなぐ道は、とびしま海道。 ずいぶん東に来た。 大三島(おおみしま)も近い。
観光客のための駐車場があった。 無料。 ありがたい。
雪が舞ったのに、まだ咲いている。

島にある伝建地区は、ここと佐渡島にだけ。 島にあるのは、珍しい。 (沖縄にはある)
※ 伝建地区~重要伝統的建造物群保存地区 群とあるように、ひとまとめにしている所が特徴。
島だったから、これだけ古い物が残ったのでしょうね。
30年前に橋ができていたら、経済が発展して、残らなかったかもしれない。

ずっと昔はトラックがなかった。 重たい物は、船で運んだ。
瀬戸内海は、たくさんの船が行き来した。
海は、いつも穏やかではない。 潮の流れもある。
波が収まるのを待つ。 帆船はいい風を待つ。 都合のいい潮の流れを待つ。
ここ御手洗には、その船が集まってきた。
少し石段を登って、おいらん公園から撮影。 昭和の初期まで、この島には遊女がいっぱいいた。
※ おいらんは、遊女のトップの人たち。

満舟寺(まんしゅうじ)の石垣。 お城の石垣のよう。
寺の説明では、ここは、秀吉の四国征伐のときの最前線基地、とあった。 作ったのは、加藤清正。
大きな石の間に、小さな石がはさまっている。

若胡子屋(わかえびすや)という茶屋が明治まであった。 ※ 茶屋~遊郭
建物は、お寺になったり、公会堂になったりした。
今は、復元の途中。 たまたま、中を見ることができた。 基礎から作りなおしていた。
なお、全国でこの辺りにだけ、おちょろ船というのがあった。 ※ ちょろは、女郎がなまったのか。(?)
遊女がこの船に乗っての、出張サービスをした。
これは、船に乗ってる身分の低い者へのサービスで、身分の上の者は、若胡子屋に来た。(この部分の情報源は、旅人さん)

若胡子屋の斜め向かいに、金子邸があった。 金子氏は、島の豪商。
ここは、慶応三年(1866)11月26日、「御手洗条約」が交わされた場所。 初めて聞いた。
その日、薩摩と長州藩はここで倒幕の密約を交わした。広島藩の軍も来ており、密約に参加している。
※ 倒幕に広島藩が関わっていたことは、初めて知った。
どうして広島藩がと思った。 こうだった。
広島藩の毛利氏は、関ヶ原で西軍についた。
そのため、家康の怒りで、毛利氏は長州藩の殿様に移封されていた。
長州藩と広島藩は、そんな関わりがあった。
※ 広島藩が倒幕に向けて、明確な態度を取らなかったことがあって、歴史に名が出てこないようだ。
※ 龍馬が暗殺されたのは、11月15日。 少し前のこと。
龍馬も中岡慎太郎も、この島に来ている。

天満宮。 菅公の井戸というのがあった。 その水で書き初めをすると、頭がよくなると説明があった。
誰だかが、ここで手を洗ったために、御手洗という地名になったという話も。

ここは、常磐町通りで、江戸の町並みが残っていた。

古い資料を展示している所があった。
そこに、なつかしい木の風呂が。 中学生の頃まで、こんな風呂だった。 もう一度入ってみたい。

車が通らない。 それがいい。 気分は昔に戻った。

明治から続く、古い時計屋があった。 日本で一番古いという話も。
全国から、時計の修理の注文があるとも。

復元した、乙女座があった。 壁の模様が「乙女の涙」と言われている。
※ 乙女の涙という滝が知床にあった。 岩の隙間から、涙のように水が出ていた。 関連ブログ 乙女の涙。

使おうと思ったら使える。 古い映画のポスターがあった。

ここは、七卿館という建物。
元治元年(1864)、三条実美ら倒幕派がの5人が、追っ手から逃れる際にこの建物に泊まった。
5人は、七卿落ち7人のうちの5人。 七卿落ちは、7人の公家が京都から追放された事件。
※ 庄屋竹原屋の家。 県重要文化財。

駐車場の近くに、江戸時代に作られた、防波堤があった。 面白い石が。

鶴と亀のようだが、鶴がはっきり分かる。 遊び心、ですね。

車に戻ったら、海遊旅人さんから電話が入った。 昨日私がいた県民の浜にいると。
これからそっちに向かうとあった。
歴史の見える丘公園に行こうとなった。
この橋を右に渡ったら四国。 来島海峡大橋。

旅人さんの車も見える。 右側。 遠くに見えるのは、本州。

海に映る灯りが綺麗だって、旅人さんが言った。 言われて、私は気付いた。

今日は、ここを歩いた。

御手洗には、1日では見切れない程、たくさんの歴史が残っていた。
瀬戸内の島の中で、ここは最も栄えた島であり港だった。
旅人さんの車で、食べ物を持ち寄って、食事をした。
※ 動画を載せるのは、時間がなく、後になります。
【停泊場所】 歴史の見える丘公園
【明日の予定】 島のどこかに。 隣の島へも。
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コメント
御手洗
Re: 御手洗
福山には分からないです。
丸亀には伝建地区がありますね。 行ってみたいです。
御手洗は、いいですね。 歴史が詰まっている。
19日の最終か、20日の朝、四国に渡ります。
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丸亀の本島にも古い町並みが残っています。ここは塩飽水軍の本拠地でした。