どうして、二十四の瞳なのか。
なぜ、舞台を、田浦分校にしたのか。
一本松を登場させ、大石先生に自転車を乗せた理由は?
こんなことを考えるのが面白いかなと、・・。
※ 今日のブログの情報源は、観光協会さんのHPと、壺井栄文学館、そしておばあちゃんの話、他。
※ ※ ※ ※
一本松は、竹生(たこう)地区にある。 それで、竹生の一本松。
オリーブ公園から、歩いていくことに。
※ 下の地図は、大石先生が自転車で通った道。
子供たちが、先生のところに向かった道。
大石先生の家が、一本松の近くにあった。
二十四の瞳の中では、岬の村から一本松が、見えることになっている。
※ 二十四の瞳の中には、小豆島という名前も、田浦という地名も、出てこない。
読むと、間違いなく、小豆島であり、田浦と分かる。
実際には、分教場のある所からは、見えない。
お話の中では、見えることに。
道の駅 小豆島オリーブ公園。 見える一帯が、道の駅。
坂を下りてきたところ。
地図の、左に向かっている。
途中で、海を見た。 赤○に、分教場。
実際の一本松は、もっと左に。
二十四の瞳では、一本松は向こうから見える、この辺りにし、そばに大石先生の家があることにした。
実際の距離は13㌔程だが、話の中では8㌔。
標識があった。
一本松は、ここにあった。
昔あった木は、昭和20年に台風で倒れ、今のは2代目。 桜の木の向こうに、細く。
今は、このように。 一本松神社も。
昔の木は、樹齢600年の、島で一番の木だった。
話の中では、何度も出てくる。
神社から、海はこのように見える。 分教場は見えない。
道の駅に戻った。 坂道を上っていると、こんな看板。
「てのべそうめん」の文字が隠れている。 分かるでしょうか。 答えは、写真の下に。
※ て、は左に。 の、は上に。 べ、は右に。 そ、は中央右に。 う、は中央左。
め、と、ん、は分かりますね。
分教場に戻って、近くのおばあちゃんの話を聞いた。
基本的には、前回聞いた内容からは、大きな広がりはなかった。
ただ、再度、詳しく。
赤○の道が、昔の道。 大石先生が通った道。 5年生になったら、この道を通って、本校に。
※ 壺井栄の妹の、岩井シンさんが、坂手の紫の○から自転車で分教場に通った道。
緑の○の道は、昔は無かった。 私は、この道を戻ってくる。
緑が3㌔だから、赤○の道も、3㌔くらいか。
この道。
分教場の少し映画村寄りから、道は山に上る。 映画村が見える。
この時、午後の3時17分。 2時間後は、暗い。 懐中電灯を持った。
少し上ったら、この風景。 道を右に曲がったところに、分教場。
道の突き当たりの、ずっと遠くに、一本松。
段畑。 昔は、どこもこのように畑だった。 今は、木が生えてしまった。
ネギを植えている。 冬に向かってるのに。 ジャガイモもあった。
※ この後、道を間違って、15分ほど時間を使った。
道は折れ曲がって、右側が海。
急な坂道が続く。 快適に自転車は乗れない。
人に聞いた話だが、この山道は、半分ほどは自転車を押したという。
石垣が、このように見える。 先人が、苦労して、山の斜面を畑にした。
「二十四の瞳」の題は、どうして生まれたか。 こうなんですね。
壺井栄には、兄弟が10人いた。 他に、2人の子供が、一緒に住んでいた。
それで、12人。 二十四の瞳、となる。
壺井栄は、この題名は急に思いついたのではなく、きっと、温めていた。
山の尾根を越えたら、道は左に曲がり、反対側の海が見えてきた。
二十四の瞳の舞台を、どうして、田浦(たのうら)の分校にしたのか。 ※ 苗羽(のうま)小学校田浦分校。
これは、そこに、妹の岩井シンさんが、勤めていたことと、関係ありますね。
こんな崖なら、海沿いに道は作れない。
今は舗装してある。
物語は昭和3年から始まるが、この道は、車が通れるような道ではなかった。
映画の中でも、この道のどこかで撮影があったという。
やっと、道は下り始める。
向こうに、坂手の港。
あの町から、妹のシンさんは、田浦の分校に、自転車で通った。
途中で、散歩している男の人に会った。 一緒に歩いた。
イノシシが穴を掘ったと、教えてくれた。 ミミズとかを探すために、掘る。
坂手の港を、アップで。 フェリーは、神戸からの来た。
堀越の集落が見えた。
後で知るが、写真の左辺りに、壺井繁治の詩碑がある。
昔はそこに、堀越分校(分教場)があって、そばに壺井繁治の家があった。
壺井栄は、そこに遊びに行ってた。
堀越分校で高等小学校時代の同級生が勤めていた。
その先生の、子供たちとの関わりが気に入っていた。
このことが、大石先生のイメージを作り上げたよう。
※ 妹の岩井シンさんは、特に目立つ人ではなかった。
大石先生のハイカラなイメージは、壺井栄自身が、そうなってみたい姿だったよう。
壺井繁治の詩碑には、暗くなってから行く。
山の向こうは海。 内海湾。
昔は、今のような護岸は無かった。
瀬戸内海も、台風の時とかは、荒れるのでしょうか。
向こうから来た。 赤○の所を通って。
湾の方に向かった。
200㍍も歩かないうちに、湾沿いの道に出た。
この時、壺井繁治の詩碑を通り過ぎたことに、気づいた。
歩き出したら、道の駅と一本松の場所が、見え出した。
一本松には、壺井栄の知人とかが住んでるわけではなかった。
ただ、田浦の人たちが、船で湾を渡ることは、壺井栄は知っていた。
大石先生をどこに住まわすかを考えたとき、上のことがヒントになったと思う。
自分の実家には出来ない。 それでは、安易過ぎる。
急な崖が時々あるので、昔の技術では、道は作れなかった。
早く戻って、壺井繁治の詩碑を見なければならない。
間もなく5時。 暗くなってきた。
正面中央の少し左に、一本松。 私の真後ろの方向に、分教場。
左に曲がったら、分教場。
正面の左に、分教場。
田浦の中心街。 私の車も、見える。
奥に、分教場。
駐車場に戻ったら、おばあちゃんが、私の帰りを待っていた。
私は少しのお土産しか渡さなかったのに、おばあちゃんからは、山ほど頂いてしまった。
※ 田浦の人は、登場人物の誰々は、自分の身内の人と考えている人が多い、と聞く。
でも、おばあちゃんの言ってる事は、十分真実味があった。
おばあちゃんの叔母さんに当たる人が、壺井栄の妹の岩井シンさんに習っていた。
その叔母さんは、若くして結核で亡くなる。
二十四の瞳の中に、琴江と言う子が、結核になっている。
おばあちゃんは、琴江のモデルが、おばさんと考えている。
堀越に戻ってきた。
集落の一番奥に、壺井繁治の詩碑はあった。 ここに、昔、学校があった。
隣に、繁治の家。 壺井栄が遊びに来たとき、学校の様子が見えた。
暗くて読めない。 とりあえず写真を撮った。
「 石は億万年を黙って 暮らしつづけた その間に空は晴れたり曇ったりした 」と、あった。
動き出す時間が遅いから、最後は暗くなる。
5時22分。 坂手港からフェリーが出て行った。
十分ではないけど、「二十四の瞳」が生まれた背景が、何となく分かったでしょうか。
映画によって、二十四の瞳の輝きは、さらに増した。
そう、言えるでしょうね。
【今日の歌】
【道の駅】 オリーブ公園
【明日の予定】 坂手地区を歩く。 生田春月と云う人の、海の詩碑がある。 岬も。
壺井栄の文学碑も。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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なぜ、舞台を、田浦分校にしたのか。
一本松を登場させ、大石先生に自転車を乗せた理由は?
こんなことを考えるのが面白いかなと、・・。
※ 今日のブログの情報源は、観光協会さんのHPと、壺井栄文学館、そしておばあちゃんの話、他。
※ ※ ※ ※
一本松は、竹生(たこう)地区にある。 それで、竹生の一本松。
オリーブ公園から、歩いていくことに。
※ 下の地図は、大石先生が自転車で通った道。
子供たちが、先生のところに向かった道。

大石先生の家が、一本松の近くにあった。
二十四の瞳の中では、岬の村から一本松が、見えることになっている。
※ 二十四の瞳の中には、小豆島という名前も、田浦という地名も、出てこない。
読むと、間違いなく、小豆島であり、田浦と分かる。
実際には、分教場のある所からは、見えない。
お話の中では、見えることに。

道の駅 小豆島オリーブ公園。 見える一帯が、道の駅。
坂を下りてきたところ。

地図の、左に向かっている。

途中で、海を見た。 赤○に、分教場。
実際の一本松は、もっと左に。
二十四の瞳では、一本松は向こうから見える、この辺りにし、そばに大石先生の家があることにした。
実際の距離は13㌔程だが、話の中では8㌔。

標識があった。

一本松は、ここにあった。
昔あった木は、昭和20年に台風で倒れ、今のは2代目。 桜の木の向こうに、細く。

今は、このように。 一本松神社も。

昔の木は、樹齢600年の、島で一番の木だった。
話の中では、何度も出てくる。

神社から、海はこのように見える。 分教場は見えない。

道の駅に戻った。 坂道を上っていると、こんな看板。
「てのべそうめん」の文字が隠れている。 分かるでしょうか。 答えは、写真の下に。

※ て、は左に。 の、は上に。 べ、は右に。 そ、は中央右に。 う、は中央左。
め、と、ん、は分かりますね。
分教場に戻って、近くのおばあちゃんの話を聞いた。
基本的には、前回聞いた内容からは、大きな広がりはなかった。
ただ、再度、詳しく。
赤○の道が、昔の道。 大石先生が通った道。 5年生になったら、この道を通って、本校に。
※ 壺井栄の妹の、岩井シンさんが、坂手の紫の○から自転車で分教場に通った道。
緑の○の道は、昔は無かった。 私は、この道を戻ってくる。
緑が3㌔だから、赤○の道も、3㌔くらいか。

この道。

分教場の少し映画村寄りから、道は山に上る。 映画村が見える。
この時、午後の3時17分。 2時間後は、暗い。 懐中電灯を持った。

少し上ったら、この風景。 道を右に曲がったところに、分教場。
道の突き当たりの、ずっと遠くに、一本松。

段畑。 昔は、どこもこのように畑だった。 今は、木が生えてしまった。
ネギを植えている。 冬に向かってるのに。 ジャガイモもあった。

※ この後、道を間違って、15分ほど時間を使った。
道は折れ曲がって、右側が海。
急な坂道が続く。 快適に自転車は乗れない。
人に聞いた話だが、この山道は、半分ほどは自転車を押したという。

石垣が、このように見える。 先人が、苦労して、山の斜面を畑にした。

「二十四の瞳」の題は、どうして生まれたか。 こうなんですね。
壺井栄には、兄弟が10人いた。 他に、2人の子供が、一緒に住んでいた。
それで、12人。 二十四の瞳、となる。
壺井栄は、この題名は急に思いついたのではなく、きっと、温めていた。
山の尾根を越えたら、道は左に曲がり、反対側の海が見えてきた。

二十四の瞳の舞台を、どうして、田浦(たのうら)の分校にしたのか。 ※ 苗羽(のうま)小学校田浦分校。
これは、そこに、妹の岩井シンさんが、勤めていたことと、関係ありますね。
こんな崖なら、海沿いに道は作れない。

今は舗装してある。
物語は昭和3年から始まるが、この道は、車が通れるような道ではなかった。

映画の中でも、この道のどこかで撮影があったという。
やっと、道は下り始める。

向こうに、坂手の港。
あの町から、妹のシンさんは、田浦の分校に、自転車で通った。

途中で、散歩している男の人に会った。 一緒に歩いた。
イノシシが穴を掘ったと、教えてくれた。 ミミズとかを探すために、掘る。

坂手の港を、アップで。 フェリーは、神戸からの来た。

堀越の集落が見えた。

後で知るが、写真の左辺りに、壺井繁治の詩碑がある。
昔はそこに、堀越分校(分教場)があって、そばに壺井繁治の家があった。
壺井栄は、そこに遊びに行ってた。
堀越分校で高等小学校時代の同級生が勤めていた。
その先生の、子供たちとの関わりが気に入っていた。
このことが、大石先生のイメージを作り上げたよう。
※ 妹の岩井シンさんは、特に目立つ人ではなかった。
大石先生のハイカラなイメージは、壺井栄自身が、そうなってみたい姿だったよう。
壺井繁治の詩碑には、暗くなってから行く。
山の向こうは海。 内海湾。

昔は、今のような護岸は無かった。

瀬戸内海も、台風の時とかは、荒れるのでしょうか。

向こうから来た。 赤○の所を通って。

湾の方に向かった。

200㍍も歩かないうちに、湾沿いの道に出た。
この時、壺井繁治の詩碑を通り過ぎたことに、気づいた。

歩き出したら、道の駅と一本松の場所が、見え出した。

一本松には、壺井栄の知人とかが住んでるわけではなかった。
ただ、田浦の人たちが、船で湾を渡ることは、壺井栄は知っていた。
大石先生をどこに住まわすかを考えたとき、上のことがヒントになったと思う。
自分の実家には出来ない。 それでは、安易過ぎる。
急な崖が時々あるので、昔の技術では、道は作れなかった。

早く戻って、壺井繁治の詩碑を見なければならない。

間もなく5時。 暗くなってきた。
正面中央の少し左に、一本松。 私の真後ろの方向に、分教場。

左に曲がったら、分教場。

正面の左に、分教場。

田浦の中心街。 私の車も、見える。

奥に、分教場。

駐車場に戻ったら、おばあちゃんが、私の帰りを待っていた。
私は少しのお土産しか渡さなかったのに、おばあちゃんからは、山ほど頂いてしまった。
※ 田浦の人は、登場人物の誰々は、自分の身内の人と考えている人が多い、と聞く。
でも、おばあちゃんの言ってる事は、十分真実味があった。
おばあちゃんの叔母さんに当たる人が、壺井栄の妹の岩井シンさんに習っていた。
その叔母さんは、若くして結核で亡くなる。
二十四の瞳の中に、琴江と言う子が、結核になっている。
おばあちゃんは、琴江のモデルが、おばさんと考えている。
堀越に戻ってきた。

集落の一番奥に、壺井繁治の詩碑はあった。 ここに、昔、学校があった。

隣に、繁治の家。 壺井栄が遊びに来たとき、学校の様子が見えた。

暗くて読めない。 とりあえず写真を撮った。
「 石は億万年を黙って 暮らしつづけた その間に空は晴れたり曇ったりした 」と、あった。


動き出す時間が遅いから、最後は暗くなる。
5時22分。 坂手港からフェリーが出て行った。

十分ではないけど、「二十四の瞳」が生まれた背景が、何となく分かったでしょうか。
映画によって、二十四の瞳の輝きは、さらに増した。
そう、言えるでしょうね。
【今日の歌】
【道の駅】 オリーブ公園
【明日の予定】 坂手地区を歩く。 生田春月と云う人の、海の詩碑がある。 岬も。
壺井栄の文学碑も。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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