源平の合戦で、那須与一が、扇の的を射た場所は、屋島の東側の狭い海だった。
その一帯を、歩いてみた。
五剣山に登る予定だったが、登山道はなかった。
その岩山の下に、 85番札所、八栗寺があった。
※ ※ ※ ※
高松市での私は、Mさんという方の情報によって、動いています。、
助かっています。
高松市の観光にも関わっている方なので、詳しいです。
今日は、那須与一が弓を射た場所に行きます。
※ 「射(い)た」は、「射った」ではないんですね。
場所は、ここです。
その後、五剣山に行きます。
道の駅から、全部歩きます。
右に見える、岩山が、五剣山(ごけんざん)。 ※ 5つの剣が上に向いて。
上が平らな、屋島が見える。 屋島の戦いの場所。 右の写真は、五剣山。
※ 2つの山は、豊島(てしま)から、このように見えた。 目立つ山。
途中地図があった。 右端の道の駅から、出発。 ※ 時計回りで、動いた。
歩く距離は、10数㌔でしょうか。
今日歩くところは、八栗。 読み方は、この時知った。 やくり。
※ はちくり、かなとも思っていた。 まさか、パチクリではないと。
琴電やくり駅に向かう。
※ 追記 駅名をはちくりって書いていました。
やくりって、学んだすぐ後なのに。 訂正しました。
コメントで指摘されました。
文字の入力は、はちくり。 それが、まずかった。
琴電やくり駅。
那須与一の他にも見所はあって、観光案内の出発点は、この駅。
源平の古戦場とある。 駅で、地図をいただくことができた。 これで、安心。
射落馬とある。 佐藤継信という人が、弓矢が当たって、馬から落ちた。 その場所。
説明です。
この人は、奥州藤原氏の3代目の、秀衡(ひでひら)の家臣。
秀衡は、義経に一番優しかった。 次の泰衡が裏切ったので、義経は死ぬ。
泰衡は、頼朝に騙された。 自分も、滅ぼされる。
頼朝が平氏打倒に動いたので、義経も向かった。
秀衡は、引き止めた。
それが叶わなかったので、自分の一番信頼できる家来を2名、義経に付けた。
継信は、そのうちの一人。 義経四天王と呼ばれるようになる。
※ 討たれた時の絵の様子の絵です。
※ 中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
少し歩いて、総門跡。
平氏の軍は、屋島に渡る前、ここに拠点を置いていた。
ここは、佐藤継信の菩提寺。 洲崎寺。
石が多い。 ここは、石の産地のよう。
源平の合戦の説明がある。
「だんのうら」が、2つあるとは知らなかった。
ひとつは、下関にある、壇ノ浦。
そして、ここにある、檀の浦。 檀の字が、木偏。
義経は、150騎で攻めたとある。 世紀の戦いにしては、少ない感じ。
佐藤継信は、義経が呼ばれたけど、自分が出て行った。
それで、身代わりという表現でしょうか。
大理石もそうだけど、点々のある石に文字や絵を描いても、見にくいですね。
現在の地図は、海が細い。 昔は、もっと広かった。
海にいるのは平氏。 那須与一は、右の方から弓を射る。
扇の的の話は、難しい。 目的はあったのか。 単なる余興なのか。 そのあたりが。
右の写真、話としては面白いが、本当にあったんだろうか。
このように、石工場が多い。 北に向かっている。
ここが、名場面の舞台。
美しいデザイン。 デザインを学ぶと、発想が豊かになるのでしょうか。
左の岩が、祈り岩。 与一が、弓を射る前に、ここで祈った。
この岩って、昔から、そう言われているんでしょうね。
駒立岩の説明。 初めて聞く名前。
目の前の家はなかった。 岩が見えます。 ここからです。 この距離。 約70㍍とネット上には。
距離を読んで、風を読んで、当てるのは大変。
※ ライフルの弾のように、真っ直ぐは飛ばない。 山なりに。
※ 話はそれるけど、シリアでは、今年36名のジャーナリストが亡くなったそうです。
山本美香さんの、その後の展開は、何か出てるんだろうか。
ライフルと書いたので、思い出しました。
平氏は、屋島の戦いで勝っても負けても、最後は頼朝に負けたでしょうね。
逃げてる者は、最終的には負ける、と思ってしまう。
このイメージ。
※ 「道の駅、那須与一郷」にある、那須与一の像。
※ 与一が有名なので、弟の大八郎も知られる人間になった。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※ 上のブログを書いた2日後、一旦旅を中断して、九州から北に向かいます。
イナム・ノグチ庭園美術館は、休館日。 入口から、庭の一部が見えただけ。 こういう所。(ネットにある写真)
エンドウの花。
まず、八栗寺に向かった。
ここで、雨が降ってきた。 風があるので、傘が使いにくい。
どこかで、雨宿りと考えた。 うどん屋があった。 しばらくそこに。
雨が、私から時間を奪う、と文句を言いながら。
上に行けないかも知れないので、屋島を撮った。
店が立派。 食べたら美味しかった。
今まで、讃岐うどんの美味しいのは食べたことがなかった。
だから、店には、入らないでいた。 雨のおかげ。
上のお店は、情報誌に載っていた。
雨は止んだ。 この時、3時半。 時間がなくなった。
ケーブルカー。 乗らない。
これが、接待と云うものですね。 お遍路さんは、助かる。
小さなお堂。 向かいの家の人が、説明してくれた。
昔、高松の港の少し向こうから、おばあちゃんが毎日やってきた。
片道、約10㌔。
そのあばあちゃんを、祀っていた。 おばあちゃんの願い事を聞けばよかった。
もう少し。
着きました。 多宝塔と大師堂。
五剣山は、すぐ後ろに。
登山道を聞いたら、今はないそう。 昔はあった。
※ 後で調べたら、反対側から、登れそう。
高松市の街並み。 右に屋島。
左の方。
境内の地図。 影は、石塔の影。 その中に入って、撮影。
左上の、一番高い所のお堂に来た。
来た道とは、別の道。 振り返って、見た。
15分ちょっと急いで歩いたら、見えてきた。
四国のみち、とある。
右は、高松北高校。
国道に出た。 この後、10分ほど歩いて、道の駅に。
今日は、新しいことを、たくさん知りました。
那須与一の話がここだったとは、知りませんでした。
【関連ブログ】 寂光院 夜の東山 他 (2009/11/28)
【今日の歌】 今年も、その季節がやってきています。
【道の駅】 源平の里むれ
【明日の予定】 どの時間かで、カメラを受け取ります。
塩江温泉でしょうか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 1位、
旅行全体 1位です。
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その一帯を、歩いてみた。
五剣山に登る予定だったが、登山道はなかった。
その岩山の下に、 85番札所、八栗寺があった。
※ ※ ※ ※
高松市での私は、Mさんという方の情報によって、動いています。、
助かっています。
高松市の観光にも関わっている方なので、詳しいです。
今日は、那須与一が弓を射た場所に行きます。
※ 「射(い)た」は、「射った」ではないんですね。
場所は、ここです。
その後、五剣山に行きます。
道の駅から、全部歩きます。
右に見える、岩山が、五剣山(ごけんざん)。 ※ 5つの剣が上に向いて。

上が平らな、屋島が見える。 屋島の戦いの場所。 右の写真は、五剣山。


※ 2つの山は、豊島(てしま)から、このように見えた。 目立つ山。
途中地図があった。 右端の道の駅から、出発。 ※ 時計回りで、動いた。
歩く距離は、10数㌔でしょうか。

今日歩くところは、八栗。 読み方は、この時知った。 やくり。
※ はちくり、かなとも思っていた。 まさか、パチクリではないと。
琴電やくり駅に向かう。
※ 追記 駅名をはちくりって書いていました。
やくりって、学んだすぐ後なのに。 訂正しました。
コメントで指摘されました。
文字の入力は、はちくり。 それが、まずかった。

琴電やくり駅。
那須与一の他にも見所はあって、観光案内の出発点は、この駅。

源平の古戦場とある。 駅で、地図をいただくことができた。 これで、安心。

射落馬とある。 佐藤継信という人が、弓矢が当たって、馬から落ちた。 その場所。

説明です。

この人は、奥州藤原氏の3代目の、秀衡(ひでひら)の家臣。
秀衡は、義経に一番優しかった。 次の泰衡が裏切ったので、義経は死ぬ。
泰衡は、頼朝に騙された。 自分も、滅ぼされる。
頼朝が平氏打倒に動いたので、義経も向かった。
秀衡は、引き止めた。
それが叶わなかったので、自分の一番信頼できる家来を2名、義経に付けた。
継信は、そのうちの一人。 義経四天王と呼ばれるようになる。
※ 討たれた時の絵の様子の絵です。
※ 中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
少し歩いて、総門跡。

平氏の軍は、屋島に渡る前、ここに拠点を置いていた。

ここは、佐藤継信の菩提寺。 洲崎寺。

石が多い。 ここは、石の産地のよう。

源平の合戦の説明がある。

「だんのうら」が、2つあるとは知らなかった。
ひとつは、下関にある、壇ノ浦。
そして、ここにある、檀の浦。 檀の字が、木偏。
義経は、150騎で攻めたとある。 世紀の戦いにしては、少ない感じ。
佐藤継信は、義経が呼ばれたけど、自分が出て行った。
それで、身代わりという表現でしょうか。


大理石もそうだけど、点々のある石に文字や絵を描いても、見にくいですね。
現在の地図は、海が細い。 昔は、もっと広かった。
海にいるのは平氏。 那須与一は、右の方から弓を射る。


扇の的の話は、難しい。 目的はあったのか。 単なる余興なのか。 そのあたりが。
右の写真、話としては面白いが、本当にあったんだろうか。


このように、石工場が多い。 北に向かっている。

ここが、名場面の舞台。

美しいデザイン。 デザインを学ぶと、発想が豊かになるのでしょうか。


左の岩が、祈り岩。 与一が、弓を射る前に、ここで祈った。
この岩って、昔から、そう言われているんでしょうね。

駒立岩の説明。 初めて聞く名前。

目の前の家はなかった。 岩が見えます。 ここからです。 この距離。 約70㍍とネット上には。
距離を読んで、風を読んで、当てるのは大変。
※ ライフルの弾のように、真っ直ぐは飛ばない。 山なりに。
※ 話はそれるけど、シリアでは、今年36名のジャーナリストが亡くなったそうです。
山本美香さんの、その後の展開は、何か出てるんだろうか。
ライフルと書いたので、思い出しました。

平氏は、屋島の戦いで勝っても負けても、最後は頼朝に負けたでしょうね。
逃げてる者は、最終的には負ける、と思ってしまう。
このイメージ。

※ 「道の駅、那須与一郷」にある、那須与一の像。
※ 与一が有名なので、弟の大八郎も知られる人間になった。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※ 上のブログを書いた2日後、一旦旅を中断して、九州から北に向かいます。
イナム・ノグチ庭園美術館は、休館日。 入口から、庭の一部が見えただけ。 こういう所。(ネットにある写真)

エンドウの花。

まず、八栗寺に向かった。

ここで、雨が降ってきた。 風があるので、傘が使いにくい。
どこかで、雨宿りと考えた。 うどん屋があった。 しばらくそこに。
雨が、私から時間を奪う、と文句を言いながら。
上に行けないかも知れないので、屋島を撮った。

店が立派。 食べたら美味しかった。
今まで、讃岐うどんの美味しいのは食べたことがなかった。
だから、店には、入らないでいた。 雨のおかげ。


上のお店は、情報誌に載っていた。
雨は止んだ。 この時、3時半。 時間がなくなった。

ケーブルカー。 乗らない。

これが、接待と云うものですね。 お遍路さんは、助かる。


小さなお堂。 向かいの家の人が、説明してくれた。
昔、高松の港の少し向こうから、おばあちゃんが毎日やってきた。
片道、約10㌔。
そのあばあちゃんを、祀っていた。 おばあちゃんの願い事を聞けばよかった。


もう少し。

着きました。 多宝塔と大師堂。

五剣山は、すぐ後ろに。
登山道を聞いたら、今はないそう。 昔はあった。
※ 後で調べたら、反対側から、登れそう。

高松市の街並み。 右に屋島。

左の方。

境内の地図。 影は、石塔の影。 その中に入って、撮影。

左上の、一番高い所のお堂に来た。

来た道とは、別の道。 振り返って、見た。

15分ちょっと急いで歩いたら、見えてきた。

四国のみち、とある。

右は、高松北高校。

国道に出た。 この後、10分ほど歩いて、道の駅に。

今日は、新しいことを、たくさん知りました。
那須与一の話がここだったとは、知りませんでした。
【関連ブログ】 寂光院 夜の東山 他 (2009/11/28)
【今日の歌】 今年も、その季節がやってきています。
【道の駅】 源平の里むれ
【明日の予定】 どの時間かで、カメラを受け取ります。
塩江温泉でしょうか。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
193号線でお車見てここに来ました。駅名もやくりって読みますよ~頑張ってください
Re: タイトルなし
ありがとうございました。
高松市、いいところですね。 人も。
高松市、いいところですね。 人も。
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