「 わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城龍宮のごと 」
高松城は、海のそばにある。
与謝野晶子は、その美しさを、上のように詠んだ。
高松城跡は、今は、玉藻公園として整備されている。
天守閣復元の動きがあるようで、まず、天守台石垣の解体修理が進んでいた。
※ ※ ※ ※
フェリーターミナルが、すぐ近くに。
無料駐車場がある。
入口に、艮櫓(うしとら やぐら)。
※ 艮は、丑と寅との中間の方角。 北東。 鬼門(きもん)とされる。(Wikipedia)
小さな城のよう。 他から移築されている。 重要文化財。
建物が石垣からはみ出している。 昔の、高松城の天守もそうだった。
旭橋。 ここを渡って受付。 入園料200円。
城跡の説明。 海のそばなので、水城(みずしろ)。
彦根城と姉妹城縁組とある。
※ 姉妹とあるから、女。 彦根城のゆるキャラは、ひこにゃん。 ひこにゃんは、男っぽい。 ?。
※ ひこにゃん の 彦根城 他 (2009年4月16日)
※ 彦根城の天守は、昔のままで、現存天守。 国宝の城ですね。
井伊直弼が暗殺された、桜田門外ノ変の映画を思い出します。
石垣に、穴を開けたような様な門。 埋門(うずみもん)。 珍しいでよ。
高松と云われるだけあった、ここも松。
栗林公園の松は、美しかった。 曲がりくねってもいたが。
美しいですね。
近くで、若い女の子たち3人が、写真を撮っていた。
1人が跳び上がって、それを、別の子が撮った。 時々見る風景。
3人に跳んでもらって、それを撮ればよかったか。 どう頼めばいい。
天守の石垣の工事が、ほぼ終わったよう。
城の近くに、大きな建物。
少し気になる。 じゃまというか。 でも、みにくい建物でない。 仕方ないか。
昔の天守は、こうだった。 ※ 天守は、天守閣と言ってもいいが、元々は天守と言っていた。
建物が、石垣からはみ出ている。 はみ出た所に、石を落とす仕組みを作ったよう。
熊本城も、同じつくり。 (2010年に撮影)
※ 熊本城の天守は、鉄筋コンクリート。 価値はない。 価値は、石垣に。
鉄筋で建てたのを後悔したのか、本丸御殿を木造で復元した。 これは、すごい。
石垣は崩れないのか、少し心配。
城の中に、海水。
城の中に、再び石垣。 中に、披雲閣(ひうんかく)と云う建物。
この場所には、この建物より大きな披雲閣があった。 藩主が住んでいた。
現在の披雲閣は、明治に入って建てられたもの。
高松城は、お城の庭の立派さが、目立つ。 栗林公園を思い出す。
ガラスって、美しい。
昔のガラスは、ガラスの向こうの景色が、少し揺れる。 それがいい。
この写真には、後ろが写っていたり、向こうが写っていたり、混ざっている。
ソテツ。 和室の向こうにソテツが見えたら、落ち着かない。 強すぎる。
栗林公園のように、池の向こうの遠くにあるのがいい。
刈り込まれた、山茶花(さざんか)。 歩きたくなります。
披雲閣の一部。
井戸です。 水は塩っぱくないのか。
岩の割れ目に松が。 根性松と、名前があった。
自然の中では、根性があってもなくても、みんなこのように生きる力を持っている。
披雲閣を囲む石垣の外に。
※ 下の建物などいくつかは、高松市の空襲の時、運良く焼け残ったんですね。
※ 今、この町の情報面でお世話になっている、Mさんが、下の文をメールで送ってくれました。
「高松は焼け野原になったのですが、祖母と母は毛布を被って玉藻公園に逃げ込みました。
目の前に焼夷弾がたくさん落ちたそうです。
栗林公園に逃げ込んだ人は大半が亡くなられたそうです」
過去のことだけど、思い出したら、助かってと、思わず願ってしまいますね。
助からなかったら、自分は生まれなかったことに、なってしまう。
月見櫓。 重要文化財。
こんなのを見ると、風蘭などの、ランかなって思う。
石垣の向こうの、月見櫓。 この石垣の向こうは、昔は、海だった。
門は、水手御門。 この門から、船に乗った。 門の左は、続櫓。 右は、渡櫓。
こうだから、水城と呼ばれる。
石垣の上から。 昔は、目の前全部海。 右に、フェリーターミナル。 遠くに、小豆島。
見づらいけど、海への水門。 右に海がある。
※ 昔の城は、広かった。
今は、下の地図の真ん中上に、少しだけ。 少しでも、広いけど。(Wikipediaからお借り)
鞘橋(さやはし)。 屋根付き橋ですよ。 四国には多い。 檮原(ゆすはら)の方に。
※ 屋根付き橋を、2つ紹介。
龍馬の脱藩の道にある、御幸(みゆき)の橋。(大州市)
神幸橋(みゆきばし)。 これも、脱藩の道に。(檮原町)
他に、大江健三郎の故郷である内子町や、東北にも少しあります。
築山。 木が育ちすぎて、庭のバランスが悪くなることは、ないのでしょうか。
天守の石垣の近くに、再度。 全部ばらして、そっくり元のように、積んだ。
復元を目指しているが、願いが叶ったら、このように。
※ 木造での昔と同じの、復元天守を目指して欲しい。
模擬天守や、復興天守と呼ばれるものではなく。
近くにある見本としては、大州城がある。(写真は、昨年の2月に)
本物の復元をすれば、長持ちするし、年が経てば経つほど、価値は高まる。
名古屋城は、再度、木造での復元の計画がスタートしている。
最後に、石垣を少し。
よく見たら、考えて作っていると分かる。 特に、数字の石や線は。
こうしなければ、美しくならないと、計画的に。
高松市の観光を城で売り出すのは、大変。
何せ、四国には立派な城が多い。
天守が昔のまま残っている、現存天守の城は、全国に、たった12。
そのうちの4つが、四国にある。
すぐ近くに、丸亀城。 そして、松山城。 宇和島城。 高知城。
高松城の天守は大きい。
復元したら、それと庭を、アピールするのでしょうか。
栗林公園とセットにすれば、魅力の大きさでは、他の4つと戦えそう。
数年後、天守はどうなるのか、楽しみです。
【今日の歌】
【道の駅】 滝宮
【明日の予定】 仏生山の予定だが、変更するかも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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高松城は、海のそばにある。
与謝野晶子は、その美しさを、上のように詠んだ。
高松城跡は、今は、玉藻公園として整備されている。
天守閣復元の動きがあるようで、まず、天守台石垣の解体修理が進んでいた。
※ ※ ※ ※
フェリーターミナルが、すぐ近くに。
無料駐車場がある。

入口に、艮櫓(うしとら やぐら)。
※ 艮は、丑と寅との中間の方角。 北東。 鬼門(きもん)とされる。(Wikipedia)
小さな城のよう。 他から移築されている。 重要文化財。
建物が石垣からはみ出している。 昔の、高松城の天守もそうだった。

旭橋。 ここを渡って受付。 入園料200円。

城跡の説明。 海のそばなので、水城(みずしろ)。
彦根城と姉妹城縁組とある。
※ 姉妹とあるから、女。 彦根城のゆるキャラは、ひこにゃん。 ひこにゃんは、男っぽい。 ?。

※ ひこにゃん の 彦根城 他 (2009年4月16日)
※ 彦根城の天守は、昔のままで、現存天守。 国宝の城ですね。
井伊直弼が暗殺された、桜田門外ノ変の映画を思い出します。
石垣に、穴を開けたような様な門。 埋門(うずみもん)。 珍しいでよ。

高松と云われるだけあった、ここも松。
栗林公園の松は、美しかった。 曲がりくねってもいたが。

美しいですね。
近くで、若い女の子たち3人が、写真を撮っていた。
1人が跳び上がって、それを、別の子が撮った。 時々見る風景。
3人に跳んでもらって、それを撮ればよかったか。 どう頼めばいい。

天守の石垣の工事が、ほぼ終わったよう。
城の近くに、大きな建物。
少し気になる。 じゃまというか。 でも、みにくい建物でない。 仕方ないか。

昔の天守は、こうだった。 ※ 天守は、天守閣と言ってもいいが、元々は天守と言っていた。
建物が、石垣からはみ出ている。 はみ出た所に、石を落とす仕組みを作ったよう。
熊本城も、同じつくり。 (2010年に撮影)
※ 熊本城の天守は、鉄筋コンクリート。 価値はない。 価値は、石垣に。
鉄筋で建てたのを後悔したのか、本丸御殿を木造で復元した。 これは、すごい。

石垣は崩れないのか、少し心配。

城の中に、海水。

城の中に、再び石垣。 中に、披雲閣(ひうんかく)と云う建物。

この場所には、この建物より大きな披雲閣があった。 藩主が住んでいた。
現在の披雲閣は、明治に入って建てられたもの。

高松城は、お城の庭の立派さが、目立つ。 栗林公園を思い出す。

ガラスって、美しい。

昔のガラスは、ガラスの向こうの景色が、少し揺れる。 それがいい。
この写真には、後ろが写っていたり、向こうが写っていたり、混ざっている。

ソテツ。 和室の向こうにソテツが見えたら、落ち着かない。 強すぎる。
栗林公園のように、池の向こうの遠くにあるのがいい。

刈り込まれた、山茶花(さざんか)。 歩きたくなります。

披雲閣の一部。

井戸です。 水は塩っぱくないのか。

岩の割れ目に松が。 根性松と、名前があった。
自然の中では、根性があってもなくても、みんなこのように生きる力を持っている。

披雲閣を囲む石垣の外に。

※ 下の建物などいくつかは、高松市の空襲の時、運良く焼け残ったんですね。
※ 今、この町の情報面でお世話になっている、Mさんが、下の文をメールで送ってくれました。
「高松は焼け野原になったのですが、祖母と母は毛布を被って玉藻公園に逃げ込みました。
目の前に焼夷弾がたくさん落ちたそうです。
栗林公園に逃げ込んだ人は大半が亡くなられたそうです」
過去のことだけど、思い出したら、助かってと、思わず願ってしまいますね。
助からなかったら、自分は生まれなかったことに、なってしまう。
月見櫓。 重要文化財。

こんなのを見ると、風蘭などの、ランかなって思う。

石垣の向こうの、月見櫓。 この石垣の向こうは、昔は、海だった。

門は、水手御門。 この門から、船に乗った。 門の左は、続櫓。 右は、渡櫓。
こうだから、水城と呼ばれる。

石垣の上から。 昔は、目の前全部海。 右に、フェリーターミナル。 遠くに、小豆島。

見づらいけど、海への水門。 右に海がある。

※ 昔の城は、広かった。
今は、下の地図の真ん中上に、少しだけ。 少しでも、広いけど。(Wikipediaからお借り)

鞘橋(さやはし)。 屋根付き橋ですよ。 四国には多い。 檮原(ゆすはら)の方に。

※ 屋根付き橋を、2つ紹介。
龍馬の脱藩の道にある、御幸(みゆき)の橋。(大州市)
神幸橋(みゆきばし)。 これも、脱藩の道に。(檮原町)
他に、大江健三郎の故郷である内子町や、東北にも少しあります。
築山。 木が育ちすぎて、庭のバランスが悪くなることは、ないのでしょうか。

天守の石垣の近くに、再度。 全部ばらして、そっくり元のように、積んだ。

復元を目指しているが、願いが叶ったら、このように。

※ 木造での昔と同じの、復元天守を目指して欲しい。
模擬天守や、復興天守と呼ばれるものではなく。
近くにある見本としては、大州城がある。(写真は、昨年の2月に)
本物の復元をすれば、長持ちするし、年が経てば経つほど、価値は高まる。
名古屋城は、再度、木造での復元の計画がスタートしている。
最後に、石垣を少し。
よく見たら、考えて作っていると分かる。 特に、数字の石や線は。
こうしなければ、美しくならないと、計画的に。

高松市の観光を城で売り出すのは、大変。
何せ、四国には立派な城が多い。
天守が昔のまま残っている、現存天守の城は、全国に、たった12。
そのうちの4つが、四国にある。
すぐ近くに、丸亀城。 そして、松山城。 宇和島城。 高知城。
高松城の天守は大きい。
復元したら、それと庭を、アピールするのでしょうか。
栗林公園とセットにすれば、魅力の大きさでは、他の4つと戦えそう。
数年後、天守はどうなるのか、楽しみです。
【今日の歌】
【道の駅】 滝宮
【明日の予定】 仏生山の予定だが、変更するかも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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