関前を離れる前に、観音崎を歩くことにした。
今は、観音崎公園となっており、この地域の歴史が集まっていた。
おかげ様で、アクセス数が30万を越えました。 感謝です。 (両方のブログで)
北海道の最東端 根室に、涙香岬(るいかみさき)という小さな岬がある。
涙香岬は、ずっと昔は、ルイカ岬と表記されていた。 ※ アイヌ語で、石の橋の意味。
近くに、遊郭があった。
多くの遊女が仕事の辛さに耐えかねて、ルイカ岬から身を投げた。 冬は流氷の海に。
いつの頃からか、ルイカ岬は、涙香岬と書かれるようになった。 涙は、遊女の涙。
観音崎に、御手洗の海に身を投げた遊女の墓があるというので、行ってみた。
ここは、観音崎の入り口。
(大きくなります)
観音崎は、小さな半島で、小高い山になっている。
昨日まで一緒だった旅人さんは、自分はいつも晴れると言っていた。 いなくなったら、確かに曇った。
知らない名前の鳥。 よく見る。
岬の先端に行く途中。 遊郭のあった、御手洗の町並みが見えた。
岬の先端。 復元した常夜灯の台の上から撮影。
観音崎は、観音堂があるので、そう呼ばれる。
※ 先日の西泊観音もそうだが、弘法大師にゆかりがある。
可能性のある伝説として、残っている。
左の祠に、歯痛地蔵があった。 左手で、頬を押さえていた。
問題の遊女の墓は、写真の左下。 地蔵さんの頭が見える。
遊女が御手洗の浜から身投げした。 遺体の中には、この浜に流れ着いのもあった。
そういうのを含めて、村人たちが、埋葬した。 決めた場所にではなく。
墓標としておいたのは、墓石ではなく、下の写真のものだった。
この石仏を彫ったのは、地元の人であり仲間の遊女とあった。
明治に入って、ここに集めたと言う。
説明には、女郎の墓標群とあった。
御手洗には、100名程の遊女がいたと言う。
近くの島から売られて来たのか。 もっと遠くの、四国か本州かもしれない。
明治の人達は、彼女たちの故郷が見えるかもしれない、この高台に集めた。
観音堂の観音様が救ってくれるとも考え、ここにした。
お地蔵さまの顔は、みんな女性の顔に見えた。
※ 関連ブログ ルイカミサキ(涙香岬) 他 (2009/08/07)
涙香岬追記 タンチョウ 他 (2009/08/09) 記事は、他にもたくさんある。
岬の突端から、少し下った。 向こうは、観音堂の後ろ姿。
小さな祠に、お不動さんが。
「一切の人々を救うまではここを動かじ」、と決意している姿だ。
ここからは、見晴らしがいい。
「安芸灘の風」の歌にあるように、行く船を見送ることができる。
良寛さんの歌があった。 神風特攻隊の心情の歌として知られている。
どうしてここにあるのかは、分からない。
この歌で、彼女たちの心を慰めることはできない。
※ 関連ブログ 知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
良寛ゆかりの地、わしまと出雲崎を歩く ~妻入りの町並、荒海や佐渡によこたふ天の川・おけさ~ (2010/10/17)
ここに、首なし地蔵がある。
子供たちが石をぶつけて、頭がなくなったとあった。
地蔵は、倒れても頭はとれる。 本当は分からない。 上は、きっと言い伝え。
観音崎は、観音崎公園となっており、この地域の歴史が集められていた。
歌のヒットで、さらに整備されると思う。
港に戻ったら時間があった。 神社のある小さな山に登った。 町並みが見えた。
昨日は、ここの小路を歩いた。
こっちは歩いていない。 少し行くと、観音崎。
9時55分のフェリーに乗った。
※ 関前(せきぜん)は、岡村島・小大下島・大下島の地域を言う。
昔は関前村。 今は今治市関前。 愛媛県最後の村だった。
観音崎。
釣り船が集まっていた。 潮の流れがぶつかっている、潮目のよう。
来島(くるしま)海峡大橋をくぐった。
撮影中は、ズームは使わない方がいいかな。 安かったから仕方ない。
瀬戸内の島は、フェリーで結ばれている。
このフェリーは、隣の大島に行く。 小さい。
今治港に着いた。 バックで入って、頭から出る。 こんなの初めて。
とびしま海道、また関前はいい所だった。
関前は、旅人さんとも歩けた。 素敵な歌にも出会い、思い出の地になった。
島の魅力は大きい、と感じた。
特に小路と路地裏、そこに暮らす人の心。 いつかまた来ますね。
※ アクセス数 30万までの内訳。
0~10万・・・1年8ヶ月
10万~20万・・・・・7ヶ月
20万~30万・・・・・4ヶ月
アクセス数が増えた大きな要因は、ブログランキングを上げてくれたこと。
ベストテンに入ってから、多くの人の目に触れ、急にアクセス数が増えた。
そういう意味で、面倒なランキングのクリックをしてくれた方には、特に感謝しなければと思っている。
( ※ 1回のクリックで、たいていランキングは動きます。)
【道の駅】 今治湯ノ浦温泉
【明日の予定】 この近く。 まだ調べてない。
石鎚山の検討に入っていたが、この時期、危険と分かった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で14位です。 放浪の旅は68位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
今は、観音崎公園となっており、この地域の歴史が集まっていた。
おかげ様で、アクセス数が30万を越えました。 感謝です。 (両方のブログで)
北海道の最東端 根室に、涙香岬(るいかみさき)という小さな岬がある。
涙香岬は、ずっと昔は、ルイカ岬と表記されていた。 ※ アイヌ語で、石の橋の意味。
近くに、遊郭があった。
多くの遊女が仕事の辛さに耐えかねて、ルイカ岬から身を投げた。 冬は流氷の海に。
いつの頃からか、ルイカ岬は、涙香岬と書かれるようになった。 涙は、遊女の涙。
観音崎に、御手洗の海に身を投げた遊女の墓があるというので、行ってみた。
ここは、観音崎の入り口。
(大きくなります)

観音崎は、小さな半島で、小高い山になっている。
昨日まで一緒だった旅人さんは、自分はいつも晴れると言っていた。 いなくなったら、確かに曇った。
知らない名前の鳥。 よく見る。

岬の先端に行く途中。 遊郭のあった、御手洗の町並みが見えた。

岬の先端。 復元した常夜灯の台の上から撮影。
観音崎は、観音堂があるので、そう呼ばれる。
※ 先日の西泊観音もそうだが、弘法大師にゆかりがある。
可能性のある伝説として、残っている。
左の祠に、歯痛地蔵があった。 左手で、頬を押さえていた。
問題の遊女の墓は、写真の左下。 地蔵さんの頭が見える。

遊女が御手洗の浜から身投げした。 遺体の中には、この浜に流れ着いのもあった。
そういうのを含めて、村人たちが、埋葬した。 決めた場所にではなく。
墓標としておいたのは、墓石ではなく、下の写真のものだった。
この石仏を彫ったのは、地元の人であり仲間の遊女とあった。
明治に入って、ここに集めたと言う。
説明には、女郎の墓標群とあった。

御手洗には、100名程の遊女がいたと言う。
近くの島から売られて来たのか。 もっと遠くの、四国か本州かもしれない。
明治の人達は、彼女たちの故郷が見えるかもしれない、この高台に集めた。
観音堂の観音様が救ってくれるとも考え、ここにした。
お地蔵さまの顔は、みんな女性の顔に見えた。

※ 関連ブログ ルイカミサキ(涙香岬) 他 (2009/08/07)
涙香岬追記 タンチョウ 他 (2009/08/09) 記事は、他にもたくさんある。
岬の突端から、少し下った。 向こうは、観音堂の後ろ姿。
小さな祠に、お不動さんが。

「一切の人々を救うまではここを動かじ」、と決意している姿だ。

ここからは、見晴らしがいい。

「安芸灘の風」の歌にあるように、行く船を見送ることができる。

良寛さんの歌があった。 神風特攻隊の心情の歌として知られている。
どうしてここにあるのかは、分からない。
この歌で、彼女たちの心を慰めることはできない。
※ 関連ブログ 知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
良寛ゆかりの地、わしまと出雲崎を歩く ~妻入りの町並、荒海や佐渡によこたふ天の川・おけさ~ (2010/10/17)

ここに、首なし地蔵がある。

子供たちが石をぶつけて、頭がなくなったとあった。
地蔵は、倒れても頭はとれる。 本当は分からない。 上は、きっと言い伝え。

観音崎は、観音崎公園となっており、この地域の歴史が集められていた。
歌のヒットで、さらに整備されると思う。
港に戻ったら時間があった。 神社のある小さな山に登った。 町並みが見えた。
昨日は、ここの小路を歩いた。

こっちは歩いていない。 少し行くと、観音崎。

9時55分のフェリーに乗った。
※ 関前(せきぜん)は、岡村島・小大下島・大下島の地域を言う。
昔は関前村。 今は今治市関前。 愛媛県最後の村だった。

観音崎。

釣り船が集まっていた。 潮の流れがぶつかっている、潮目のよう。

来島(くるしま)海峡大橋をくぐった。

撮影中は、ズームは使わない方がいいかな。 安かったから仕方ない。
瀬戸内の島は、フェリーで結ばれている。
このフェリーは、隣の大島に行く。 小さい。

今治港に着いた。 バックで入って、頭から出る。 こんなの初めて。

とびしま海道、また関前はいい所だった。
関前は、旅人さんとも歩けた。 素敵な歌にも出会い、思い出の地になった。
島の魅力は大きい、と感じた。
特に小路と路地裏、そこに暮らす人の心。 いつかまた来ますね。
※ アクセス数 30万までの内訳。
0~10万・・・1年8ヶ月
10万~20万・・・・・7ヶ月
20万~30万・・・・・4ヶ月
アクセス数が増えた大きな要因は、ブログランキングを上げてくれたこと。
ベストテンに入ってから、多くの人の目に触れ、急にアクセス数が増えた。
そういう意味で、面倒なランキングのクリックをしてくれた方には、特に感謝しなければと思っている。
( ※ 1回のクリックで、たいていランキングは動きます。)
【道の駅】 今治湯ノ浦温泉
【明日の予定】 この近く。 まだ調べてない。
石鎚山の検討に入っていたが、この時期、危険と分かった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で14位です。 放浪の旅は68位です。
記事は役立ったでしょうか。
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コメント
観音崎行きましたか
Re: 観音崎行きましたか
お墓は、墓標と言っていました。
その墓標は、お地蔵さんです。
写真のものです。
身投げしたことについては、根室の涙香岬(るいかみさき)と同じです。
悲しい歴史を秘めています。
旅人さんが行ったら、晴れなかった。
その墓標は、お地蔵さんです。
写真のものです。
身投げしたことについては、根室の涙香岬(るいかみさき)と同じです。
悲しい歴史を秘めています。
旅人さんが行ったら、晴れなかった。
石鎚山
石鎚山は西日本最高峰の山なので早ければ11月始めには雪が積もります。土小屋という登山口に行くスカイラインも通行止めです。鎖場や天狗岳という岩峰があるスリル満天の山なので違う時期に是非挑戦して下さい。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
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「遊女の墓」 行きましたか 写真を撮られていたらみたいです
「御手洗」には、「北前船」が出入りしていた時代から、100名を超す遊女さんがいたようですね
貧農の娘が売られてきて 「オチョロ船」で働かされていたんでしょうね
そんな生活に耐えられなくなって、海に身投げした遊女さんも少なくないみたいですね
そんな遊女さんの死体が対岸の観音崎に打ち上げられ、引き取り手もいない遊女さん達を、地元の村人たちが無縁仏として弔っていたようですね
追伸 石鎚は、冬は、寒く、雪で危険なんですね
写真UP どうも お地蔵さんなんだ
安らかなお顔にみえますね 合掌!!です