「 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 」(崇徳天皇)
「 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 」 (西行法師)
百人一首にある歌。 「われても」「かこち」で、知ってる人が多いと思う。
※ われても~~今は分かれてても、いつかは一緒に。
かこち~~~月のせいにして、本当は恋の悩みなのに。 託(かこ)ちは、~~のせいにして。 託(たく)すと似た意味。
※ 詳しい解釈は、ここと、ここに。
上の2人が、今日の登場人物。
崇徳(すとく)天皇(上皇)は、保元の乱に負けて、讃岐のこの地へ流された。
悲嘆の生涯を過ごし、ここで閉じることになる。
西行は、流された崇徳天皇を励まし、亡くなった後も、この地の白峯(しろみね)の陵(みささぎ)を訪れている。 ※ 陵は、墓のこと。
その場所を、今日は、歩いた。
情報は全て、お世話になっている、Mさんから。
※ ※ ※ ※
場所は、坂出市になります。
車は、青海(おうみ)神社 の駐車場に。 右上の道は、さぬき浜街道。
西行が来たのは、800年以上も前のこと。
きっとこの道を歩いたということで、道が整備された。
西行法師の道。 崇徳天皇の白峯の陵へ続く。
左奥に、青海神社。
崇徳上皇が崩御されて、荼毘(だび)にふしたとき、煙がここに流れてきた。
それは、京都に向かう煙だった。 この地に神社を建てた。 ※ 青梅は、地名。
保元の乱は、天皇家の覇権争いですね。
※ いつの時代もあったと思うけど、この乱は、長い天皇家の歴史の中で、目立つ。
弟の、後白河天皇に、追い出された。
讃岐の松山と言ってるのは、この地方。
※ お墓はここだけど、住んでたのは、近くの、
雲井御所(くもいごしょ)に約3年。
鼓岡(つづみがおか)にある木ノ丸殿(このまるでん)に約6年。
合わせて9年いて、46歳で亡くなる。 暗殺かも知れない。
鬼の形相で、追い出した者たちを、呪っていた、と云われる。 このように。(Wikipedia)
上のようなことがあるので、鎮魂。
道沿いには、歌碑が並んでいる。
最初に、西行が「崇徳院の御霊前に、鎮魂の香華を捧げた」とある。
後半には、仁和寺に、とある。
※ 夏に、仁和寺に行ったけど、崇徳天皇のことは、気づかなかった。
こんなところです。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
幅の広い、立派な道。
天皇のお墓への道だから、これでいいのか。
歩いて、雰囲気のいい道とは、少し違う感じも。
※ デザインを決めるとき、どのような議論をしたのでしょう。
目的地は、山の上。
最初のは、辞世の歌。
「思ひやれ 都はるかに 沖つ波 立ちへだてたる 心細さを」
西行が、崇徳天皇の魂を鎮(しず)めるために詠んだ歌。
「よしや君 昔の玉の 床とても かからむ後は 何かはせむ」
これの解釈な、このようです。
「たとえ君よ、あなたが昔、玉座に着いておられたところで、こんなお姿(死者)になられた以上、
それがなんになりましょう。そういう現世の執着を忘れ去って成仏なさいませ」(古典和歌のHPより)
西行は、天皇に向かってここまで言える関係にあったと、わかりますね。
途中に展望台。
谷に、さぬき浜街道。 右に行ったら、すぐトンネル。 抜けたら、高松市。 左に行けば、坂出市街地。
こんな場所についた。 「稚護が滝」があるようだが、左への道が壊れていて、行けなかった。
※ 雨が降った時に見られるようで、こんな滝。
道は何度か折れて、山の上に。
優しそうな表情の、お地蔵さん。
着きました。 突き当りを、左に上がると、崇徳天皇白峯の陵。 真っ直ぐ行くと、白峯寺。
ホトトギスの声を聴いても、都を思い出した。 下の歌については、後ほど出てきます。
このように。
この上です。 宮内庁の管轄。
墓は、森の中にあるのか。
墓は見えない。
※ 航空写真では、こうです。 大きな規模ではない。
上円下方墳だそう。 こんな形。 明治・大正・昭和天皇の墓も同じ。
別の方向から。
江戸時代の燈籠。 荒れた時代もあったようですが、基本的には、大事にされた。
前面。
白峯寺(しろみねじ)にある、頓証寺殿(とんしょうじでん)。 崇徳天皇の御廟所。
頓証は、速やかに悟りの境地に達すること。
崇徳天皇に、そうなって欲しいと願ってこの名前か。
崇徳天皇の住んでいた建物を、移築したのが、始まり。
上の写真の灯篭は、江戸時代のもの。
ホトトギスについて、書いてある。 ホトトギスが、天皇に気を遣った。 面白いですよ。
頓証寺。
松山天狗について。
西行の、「よしや君・・・」の歌。
崇徳天皇の歌があった。 ブログの最初に出てきた歌。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」
この後、寺を見た。 いろんなお堂が。
81番札所なので、崇徳天皇のこととは関係なく、お遍路さんは来る。
本堂。
変わった石塔。 瑜祇塔(ゆぎとう)。 亀の上に乗っていた。
大師堂。
石段に文字があって、それを調べていた。 どこかの大学という感じ。
寺の入口に、向かっている。
客殿。
寺の入口。 山門。
地図。 歌碑を読みながら、戻った。
遠くに、瀬戸大橋が見えた。
西行の他にも、崇徳天皇を思って歌っている。
最後に、青海神社に寄った。 灯篭の模様は、何でしょう。
この地に来て、崇徳天皇と西行のことを、初めて知りました。
自分には、十分に分かっていないことが、多いです。
【今日の歌】 久しぶりに、山崎ハコ。
【道の駅】 うたづ臨海公園
【明日の予定】 本島
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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「 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 」 (西行法師)
百人一首にある歌。 「われても」「かこち」で、知ってる人が多いと思う。
※ われても~~今は分かれてても、いつかは一緒に。
かこち~~~月のせいにして、本当は恋の悩みなのに。 託(かこ)ちは、~~のせいにして。 託(たく)すと似た意味。
※ 詳しい解釈は、ここと、ここに。
上の2人が、今日の登場人物。
崇徳(すとく)天皇(上皇)は、保元の乱に負けて、讃岐のこの地へ流された。
悲嘆の生涯を過ごし、ここで閉じることになる。
西行は、流された崇徳天皇を励まし、亡くなった後も、この地の白峯(しろみね)の陵(みささぎ)を訪れている。 ※ 陵は、墓のこと。
その場所を、今日は、歩いた。
情報は全て、お世話になっている、Mさんから。
※ ※ ※ ※
場所は、坂出市になります。
車は、青海(おうみ)神社 の駐車場に。 右上の道は、さぬき浜街道。

西行が来たのは、800年以上も前のこと。
きっとこの道を歩いたということで、道が整備された。
西行法師の道。 崇徳天皇の白峯の陵へ続く。

左奥に、青海神社。
崇徳上皇が崩御されて、荼毘(だび)にふしたとき、煙がここに流れてきた。
それは、京都に向かう煙だった。 この地に神社を建てた。 ※ 青梅は、地名。


保元の乱は、天皇家の覇権争いですね。
※ いつの時代もあったと思うけど、この乱は、長い天皇家の歴史の中で、目立つ。
弟の、後白河天皇に、追い出された。
讃岐の松山と言ってるのは、この地方。
※ お墓はここだけど、住んでたのは、近くの、
雲井御所(くもいごしょ)に約3年。
鼓岡(つづみがおか)にある木ノ丸殿(このまるでん)に約6年。
合わせて9年いて、46歳で亡くなる。 暗殺かも知れない。
鬼の形相で、追い出した者たちを、呪っていた、と云われる。 このように。(Wikipedia)

上のようなことがあるので、鎮魂。

道沿いには、歌碑が並んでいる。

最初に、西行が「崇徳院の御霊前に、鎮魂の香華を捧げた」とある。
後半には、仁和寺に、とある。

※ 夏に、仁和寺に行ったけど、崇徳天皇のことは、気づかなかった。
こんなところです。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
幅の広い、立派な道。

天皇のお墓への道だから、これでいいのか。
歩いて、雰囲気のいい道とは、少し違う感じも。
※ デザインを決めるとき、どのような議論をしたのでしょう。
目的地は、山の上。


最初のは、辞世の歌。
「思ひやれ 都はるかに 沖つ波 立ちへだてたる 心細さを」
西行が、崇徳天皇の魂を鎮(しず)めるために詠んだ歌。
「よしや君 昔の玉の 床とても かからむ後は 何かはせむ」
これの解釈な、このようです。
「たとえ君よ、あなたが昔、玉座に着いておられたところで、こんなお姿(死者)になられた以上、
それがなんになりましょう。そういう現世の執着を忘れ去って成仏なさいませ」(古典和歌のHPより)
西行は、天皇に向かってここまで言える関係にあったと、わかりますね。

途中に展望台。
谷に、さぬき浜街道。 右に行ったら、すぐトンネル。 抜けたら、高松市。 左に行けば、坂出市街地。


こんな場所についた。 「稚護が滝」があるようだが、左への道が壊れていて、行けなかった。
※ 雨が降った時に見られるようで、こんな滝。


道は何度か折れて、山の上に。


優しそうな表情の、お地蔵さん。


着きました。 突き当りを、左に上がると、崇徳天皇白峯の陵。 真っ直ぐ行くと、白峯寺。

ホトトギスの声を聴いても、都を思い出した。 下の歌については、後ほど出てきます。


このように。

この上です。 宮内庁の管轄。

墓は、森の中にあるのか。

墓は見えない。

※ 航空写真では、こうです。 大きな規模ではない。
上円下方墳だそう。 こんな形。 明治・大正・昭和天皇の墓も同じ。


別の方向から。

江戸時代の燈籠。 荒れた時代もあったようですが、基本的には、大事にされた。


前面。

白峯寺(しろみねじ)にある、頓証寺殿(とんしょうじでん)。 崇徳天皇の御廟所。

頓証は、速やかに悟りの境地に達すること。
崇徳天皇に、そうなって欲しいと願ってこの名前か。

崇徳天皇の住んでいた建物を、移築したのが、始まり。

上の写真の灯篭は、江戸時代のもの。


ホトトギスについて、書いてある。 ホトトギスが、天皇に気を遣った。 面白いですよ。


頓証寺。

松山天狗について。


西行の、「よしや君・・・」の歌。



崇徳天皇の歌があった。 ブログの最初に出てきた歌。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」


この後、寺を見た。 いろんなお堂が。
81番札所なので、崇徳天皇のこととは関係なく、お遍路さんは来る。

本堂。

変わった石塔。 瑜祇塔(ゆぎとう)。 亀の上に乗っていた。

大師堂。

石段に文字があって、それを調べていた。 どこかの大学という感じ。



寺の入口に、向かっている。

客殿。

寺の入口。 山門。

地図。 歌碑を読みながら、戻った。



遠くに、瀬戸大橋が見えた。


西行の他にも、崇徳天皇を思って歌っている。



最後に、青海神社に寄った。 灯篭の模様は、何でしょう。


この地に来て、崇徳天皇と西行のことを、初めて知りました。
自分には、十分に分かっていないことが、多いです。
【今日の歌】 久しぶりに、山崎ハコ。
【道の駅】 うたづ臨海公園
【明日の予定】 本島
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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