香川県と岡山県の間の瀬戸内に、塩飽諸島(しわくしょとう)がある。
島の数は28。
瀬戸大橋は、その島々を渡って、四国と本州を結んでいた。
一番大きな島は、本島(ほんじま)。
本島にある、笠島の町並みは、伝建地区に選定されている。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には、塩飽(しわく)水軍の根拠地であり、小さな城下町だった。
※ ※ ※ ※
道の駅うたづ臨海公園から、丸亀港まで歩いた。 4㌔ほど。
そこから、船。
※ 前日、間違って高速に入って、与島まで行ってきた。 無料。 戻る時、坂出市の夜景を見た。 何万ドルかな。
瀬戸大橋の近くの島は、塩飽(しわく)諸島の一部。
しばらくこの道を歩いて、途中から、さぬき浜街道。
時間帯によってフェリーもあるけど、乗ったのは、この船。 ボートのよう。
往復、1010円。
12時10分発。 私は、後ろのデッキにいた。 椅子に座って。
あっという間に、丸亀港が遠くなった。
途中の牛島で、何人か下船した。 島には、十数人、人が住んでいる。
本島が見えた。 泊港に船は入る。
こんな島。 右上の、笠島地区に行く。 ここが、伝建地区。
歩きだしたら、この看板。 ある芸術家さんの所のよう。
何言ってんのかが、分からない。 岡山弁か、讃岐弁。
「ここへこい」を、口を動かすのが面倒、って感じで言うと、「こけえけえ」 になるような。
文字を見ないで、会話を続けていくと、どんどん変わるんでしょうね。
それが、方言の生まれる、原因かな。 昔の話ですが。
本島小学校の前を通って。
廃寺。 島の中では、最古の寺だった。 創建は729年。
江戸時代には、島に、24の寺があったそう。 小さな島で、この数。 島の繁栄振りがわかる。
今は11。 住職さんがいるのは3つ。(ネットの情報)
※ 無人の寺がいっぱいある。
行く所がなくなったら、寺の番人でもやらせてもらおうか。
私は、お化けはまったく怖くない。 夜、墓地歩くの平気。 人や熊の方がずっと恐ろしい。
人吉市の幽霊寺で見た幽霊。 お土産に買った、幽霊のお人形。 こんな幽霊なら、会ってみたい。
塩飽勤番所。
塩飽諸島は、珍しいことに、自治が認められていたんですね。
なぜでしょう。
塩飽水軍として、他にはない、組織をまとめる力だあったのでしょうか。
幕府は、それを利用した。
武士でない者たちが、政治を任された。 それが、珍しいんですね。
ここは、政治が行われた中心。
中が見学できた。 200円。
天下を取ると、このように、命令できるんですね。 逆らったら大変。
活躍すると、何かを与えられる。
誰かが所有していたものを、与えられる。 秀吉は、痛くも痒くもない。
なぜ、ここに咸臨丸なんだ、と思った。
こうだった。 咸臨丸(かんりんまる)の乗組員は、50人。 そのうち35人が、塩飽(しわく)の出身。
水軍としての力は、並ではなかった。
咸臨丸は、日本で最初に太平洋を横断した船。
左の絵は、見たことある。 どこでかって。 咸臨丸が沈没した、北海道の木古内です。
※ その時、見た絵。
※ 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)
乗組員が、持ち帰ったもの。
のどかな雰囲気。
鏝絵(こてえ)です。 立派ですよ。
左官の人が、遊びで始めたと思うけど、芸術品のレベルまでに高めた。
※ 鏝絵は、西日本に多いでしょうか。 今まで見た、いくつかを紹介。
その①(丹後半島 伊根) その②(国東半島 日出(ひじ)町) その③(宮崎県日南市の飫肥(おび))
伝建地区の入口に来た。 向こうに少し行ったら、専称寺。
法然が土佐に流されるとき、数ヶ月ここにいたという。(パンフレット)
※ Wikipediaでは、法然は土佐でなく、実際は讃岐に流されたとなっている。
この島にも来ている。 讃岐のあちこちに行っている。 約10ヶ月。
法然75歳。 先日行った法然寺は、その法然を偲んで建てられた。
町並みに入っていく。
笠島の良さは、建物のほとんどが、古い建物なんですね。
どうしてそうできたか。
それは、古い家並みの価値に、気づくのが早かった。 誰かが、まず気づいたんですね。
そして、周りに訴えた。 地域の声が、1つにまとまった。
昭和60年の話です。 きっと、大変な取り組みでしたよ。
古い昔を大事にして何になるのよ、と思うかも知れない。
でも、昔を大事にすることが、今を大事にすることに、繋(つな)がるんですね。
そして、さらに、未来に生きる子供達の幸せをも願うことに・・・。
塩飽水軍の基地でもあった。
どの道を歩いても、遠くは見えない。 戦略上、こうしたんですね。
白壁、または、板壁。 2階は、中2階でしょうか。 低い。 商家の建物の感じ。
正式な2階建ては、制限されていた時代があったようです。
いい感じ。
通りの名前が、面白い。 塩飽の男は、逞(たくま)しかったのか。
右の建物は、町並み保存センター。 ここに入る。 管理人が、説明してくれた。
江戸時代の建物。 この島を統治する、年寄りと呼ばれた人の建物。
左は、蔵への入口の戸。 戸を引くと軽い。 台車のような部分も、動く。 不思議な仕組み。
右は、天井は船の底の感じ。 船大工が造るからか。
小さな火鉢。 船の中でも、大丈夫。 灰皿。
船のタンスは、沈没しても、タンスは、水にプカプカ浮く。 右は、「ほうこうさん」という、高松市の郷土玩具。
外の蔵。 たての柱が、細い。
焼いた板は、腐らないのか。
これは、小路。
立ち話です。 私のカメラに気づいて、話をやめた。
お願いして、話を続けてもらった。
管理人さんが、見晴らしのいい所があるよって、連れて行ってくれた。
小さな島での伝建地区は、ここと広島の御手洗(みたらい)でしょうか。
私は、御手洗で年を越すのかな。
一番左の建物は、タバコを乾燥する建物ですね。
※ 上のような建物は、昨年、白石島で見ました。 ここから近い島。
笠島城跡に登った。
専称寺に向かっている。
小さなお寺。
この島の、お偉い人の墓。 墓石の形が、変わっている。 巨大な、位牌。
町並みに戻ってきて、遠見山の展望台へ。
右に上がると、尾上神社。 その左の道を行く。
いい道です。
瀬戸大橋。 橋ができたことが、島に大きな潤いをもたらすことはなかった。
与島。 パーキングがある。
港に、戻る。 梅の木かな。
やっと分かった。 梅の木が、デコボコになる理由が。
梅の木は、伸びすぎた枝を、切る。 つまり、剪定(せんてい)。
あっちに伸びようと思ってて切られたら、こっちに伸びようとする。
それで切られたら、そっちに伸びようとする。
そんなことをしているうちに、枝は、ガタガタになる。
子供と一緒かな。
あれしたらダメ。 これしたらダメ。
そう言われているうちに、どうしたらいいか分からなくなる。
萎縮した子供になってしまう。
正しいかどうかなんて、大きなことではない。
せっかく、自分で動こうとしているのに、・・・。
勤番所に、戻ってきた。
お墓。 えんどう豆。 そばに、笹を立てている。 どうして?
島を後にした。 帰りは、フェリー。
月を見ながら、1時間ほど歩いた。 道の駅の近くに、こんな建物。
笠島は、昔がいい状態で残った、魅力あふれる、伝建地区の町並みでした。
今日の笠島も、Mさんのおすすめでした。
おかげで、高松そして讃岐の魅力を、楽しませていただきました。
明日(28日)、瀬戸大橋を渡ります。
今年も、あと少し。
【その他】 写真について。
ほとんどは、新しい、X-E1で撮っています。 時々、以前のX-100。(これは、近々修理に)
※ 今日のでは、船での写真が、X-100。 しぶきが飛んだので。 他に少し。
X-100の方は、広く撮れます。(X-100は23mm。 X-E1は35mm)
新しいカメラのレンズと同じ明るさ(F1.4)の、23mmのレンズが、来年の春には発売されます。
レンズをその都度取り替えるのは面倒なので、そのレンズを付けたカメラを買うことになると思います。
新しいカメラを買うと、お酒を買うお金がなくなる。
ズームレンズは便利ですが、今のブログの写真は、撮れません。
他には、ワイドと望遠のレンズがあります。 マクロもあるか。
これらは、将来的な話ですね。 いいレンズが出たとき。
【今日の歌】
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【30日の予定】 尾道 久しぶり。 楽しみです。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 1位、
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島の数は28。
瀬戸大橋は、その島々を渡って、四国と本州を結んでいた。
一番大きな島は、本島(ほんじま)。
本島にある、笠島の町並みは、伝建地区に選定されている。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には、塩飽(しわく)水軍の根拠地であり、小さな城下町だった。
※ ※ ※ ※
道の駅うたづ臨海公園から、丸亀港まで歩いた。 4㌔ほど。
そこから、船。
※ 前日、間違って高速に入って、与島まで行ってきた。 無料。 戻る時、坂出市の夜景を見た。 何万ドルかな。
瀬戸大橋の近くの島は、塩飽(しわく)諸島の一部。

しばらくこの道を歩いて、途中から、さぬき浜街道。

時間帯によってフェリーもあるけど、乗ったのは、この船。 ボートのよう。
往復、1010円。


12時10分発。 私は、後ろのデッキにいた。 椅子に座って。


あっという間に、丸亀港が遠くなった。

途中の牛島で、何人か下船した。 島には、十数人、人が住んでいる。

本島が見えた。 泊港に船は入る。


こんな島。 右上の、笠島地区に行く。 ここが、伝建地区。

歩きだしたら、この看板。 ある芸術家さんの所のよう。
何言ってんのかが、分からない。 岡山弁か、讃岐弁。
「ここへこい」を、口を動かすのが面倒、って感じで言うと、「こけえけえ」 になるような。
文字を見ないで、会話を続けていくと、どんどん変わるんでしょうね。
それが、方言の生まれる、原因かな。 昔の話ですが。
本島小学校の前を通って。


廃寺。 島の中では、最古の寺だった。 創建は729年。
江戸時代には、島に、24の寺があったそう。 小さな島で、この数。 島の繁栄振りがわかる。
今は11。 住職さんがいるのは3つ。(ネットの情報)
※ 無人の寺がいっぱいある。
行く所がなくなったら、寺の番人でもやらせてもらおうか。
私は、お化けはまったく怖くない。 夜、墓地歩くの平気。 人や熊の方がずっと恐ろしい。
人吉市の幽霊寺で見た幽霊。 お土産に買った、幽霊のお人形。 こんな幽霊なら、会ってみたい。

塩飽勤番所。

塩飽諸島は、珍しいことに、自治が認められていたんですね。
なぜでしょう。
塩飽水軍として、他にはない、組織をまとめる力だあったのでしょうか。
幕府は、それを利用した。
武士でない者たちが、政治を任された。 それが、珍しいんですね。
ここは、政治が行われた中心。

中が見学できた。 200円。


天下を取ると、このように、命令できるんですね。 逆らったら大変。
活躍すると、何かを与えられる。
誰かが所有していたものを、与えられる。 秀吉は、痛くも痒くもない。


なぜ、ここに咸臨丸なんだ、と思った。

こうだった。 咸臨丸(かんりんまる)の乗組員は、50人。 そのうち35人が、塩飽(しわく)の出身。
水軍としての力は、並ではなかった。
咸臨丸は、日本で最初に太平洋を横断した船。
左の絵は、見たことある。 どこでかって。 咸臨丸が沈没した、北海道の木古内です。
※ その時、見た絵。


※ 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)
乗組員が、持ち帰ったもの。


のどかな雰囲気。

鏝絵(こてえ)です。 立派ですよ。
左官の人が、遊びで始めたと思うけど、芸術品のレベルまでに高めた。


※ 鏝絵は、西日本に多いでしょうか。 今まで見た、いくつかを紹介。
その①(丹後半島 伊根) その②(国東半島 日出(ひじ)町) その③(宮崎県日南市の飫肥(おび))
伝建地区の入口に来た。 向こうに少し行ったら、専称寺。
法然が土佐に流されるとき、数ヶ月ここにいたという。(パンフレット)
※ Wikipediaでは、法然は土佐でなく、実際は讃岐に流されたとなっている。
この島にも来ている。 讃岐のあちこちに行っている。 約10ヶ月。
法然75歳。 先日行った法然寺は、その法然を偲んで建てられた。

町並みに入っていく。

笠島の良さは、建物のほとんどが、古い建物なんですね。
どうしてそうできたか。
それは、古い家並みの価値に、気づくのが早かった。 誰かが、まず気づいたんですね。
そして、周りに訴えた。 地域の声が、1つにまとまった。
昭和60年の話です。 きっと、大変な取り組みでしたよ。
古い昔を大事にして何になるのよ、と思うかも知れない。
でも、昔を大事にすることが、今を大事にすることに、繋(つな)がるんですね。
そして、さらに、未来に生きる子供達の幸せをも願うことに・・・。
塩飽水軍の基地でもあった。


どの道を歩いても、遠くは見えない。 戦略上、こうしたんですね。

白壁、または、板壁。 2階は、中2階でしょうか。 低い。 商家の建物の感じ。
正式な2階建ては、制限されていた時代があったようです。


いい感じ。

通りの名前が、面白い。 塩飽の男は、逞(たくま)しかったのか。



右の建物は、町並み保存センター。 ここに入る。 管理人が、説明してくれた。

江戸時代の建物。 この島を統治する、年寄りと呼ばれた人の建物。


左は、蔵への入口の戸。 戸を引くと軽い。 台車のような部分も、動く。 不思議な仕組み。
右は、天井は船の底の感じ。 船大工が造るからか。


小さな火鉢。 船の中でも、大丈夫。 灰皿。


船のタンスは、沈没しても、タンスは、水にプカプカ浮く。 右は、「ほうこうさん」という、高松市の郷土玩具。



外の蔵。 たての柱が、細い。


焼いた板は、腐らないのか。

これは、小路。

立ち話です。 私のカメラに気づいて、話をやめた。
お願いして、話を続けてもらった。


管理人さんが、見晴らしのいい所があるよって、連れて行ってくれた。

小さな島での伝建地区は、ここと広島の御手洗(みたらい)でしょうか。
私は、御手洗で年を越すのかな。

一番左の建物は、タバコを乾燥する建物ですね。

※ 上のような建物は、昨年、白石島で見ました。 ここから近い島。
笠島城跡に登った。

専称寺に向かっている。

小さなお寺。

この島の、お偉い人の墓。 墓石の形が、変わっている。 巨大な、位牌。

町並みに戻ってきて、遠見山の展望台へ。

右に上がると、尾上神社。 その左の道を行く。

いい道です。

瀬戸大橋。 橋ができたことが、島に大きな潤いをもたらすことはなかった。

与島。 パーキングがある。

港に、戻る。 梅の木かな。
やっと分かった。 梅の木が、デコボコになる理由が。
梅の木は、伸びすぎた枝を、切る。 つまり、剪定(せんてい)。
あっちに伸びようと思ってて切られたら、こっちに伸びようとする。
それで切られたら、そっちに伸びようとする。
そんなことをしているうちに、枝は、ガタガタになる。
子供と一緒かな。
あれしたらダメ。 これしたらダメ。
そう言われているうちに、どうしたらいいか分からなくなる。
萎縮した子供になってしまう。
正しいかどうかなんて、大きなことではない。
せっかく、自分で動こうとしているのに、・・・。

勤番所に、戻ってきた。

お墓。 えんどう豆。 そばに、笹を立てている。 どうして?


島を後にした。 帰りは、フェリー。

月を見ながら、1時間ほど歩いた。 道の駅の近くに、こんな建物。

笠島は、昔がいい状態で残った、魅力あふれる、伝建地区の町並みでした。
今日の笠島も、Mさんのおすすめでした。
おかげで、高松そして讃岐の魅力を、楽しませていただきました。
明日(28日)、瀬戸大橋を渡ります。
今年も、あと少し。
【その他】 写真について。
ほとんどは、新しい、X-E1で撮っています。 時々、以前のX-100。(これは、近々修理に)
※ 今日のでは、船での写真が、X-100。 しぶきが飛んだので。 他に少し。
X-100の方は、広く撮れます。(X-100は23mm。 X-E1は35mm)
新しいカメラのレンズと同じ明るさ(F1.4)の、23mmのレンズが、来年の春には発売されます。
レンズをその都度取り替えるのは面倒なので、そのレンズを付けたカメラを買うことになると思います。
新しいカメラを買うと、お酒を買うお金がなくなる。
ズームレンズは便利ですが、今のブログの写真は、撮れません。
他には、ワイドと望遠のレンズがあります。 マクロもあるか。
これらは、将来的な話ですね。 いいレンズが出たとき。
【今日の歌】
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【30日の予定】 尾道 久しぶり。 楽しみです。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
おやおや。
Re: おやおや。
小豆島、高松に長くいたこともあって、気持ちは、広島・九州に動いていました。
笠岡ベイファームは、夜に畑の方で、ライトアップしています。
車が、たくさんやってくる。
他は、何もない。 お店だけです。
魚が売ってるけど、スーパーより安い感じがしない。
みかんとかは、安い。
今後のコースを検討中です。
笠岡ベイファームは、夜に畑の方で、ライトアップしています。
車が、たくさんやってくる。
他は、何もない。 お店だけです。
魚が売ってるけど、スーパーより安い感じがしない。
みかんとかは、安い。
今後のコースを検討中です。
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笠岡ベイファームは、ちょっと、不便なところになりますね。
でも、菜の花を見に行って、ここだったら、ひまわりも、コスモスも
スゴイだろうなと、思いました。さすがに、今の時期は、
何も咲いていないと思いますが…
笠岡はシャコが、おいしいですけど、尾道は、オコゼがおいしいですね。
オコゼの旬て、いつなんでしょうね。夏って説もあるようですが、
冬も、肝がおいしそう。