御手洗(みたらい)の場所は、瀬戸内海のほぼ中央。
中継貿易港として栄えた御手洗には、人や物が集まり、文化が育った。
伝建地区になっている町並みの中に、いくつもの昔の面影が残っていた。
※ ※ ※ ※
御手洗は、安芸灘諸島に。 この辺りの島全体、広くは、芸予諸島と云われる。
レーモンド松屋が歌う「安芸灘の風」の中心の舞台は、御手洗。
潮待ち、風待ち、そして、「あなたを待って」と歌った。
御手洗の隣にある島は、観音崎のある、岡村島。 ここは、四国の愛媛県。
彼は、観音崎に立って、歌っている。 そのように感じるでしょうか。
※ 画面をクリックしたら、YouTubeに。
この部分が、伝建地区。 右の方に、新しい地区がある。
御手洗は、海の街道の大きな宿場町のよう。 瀬戸内を行き来する船は、普通にここを通った。
波が収まり、追い風になるのを、この港で待った。
何日も待つことがある。 退屈するから、遊びも発達。
下にある、小さな船は、オチョロ船。 停泊してる船に、遊女を運んだ。
御手洗の街並み。 向こうに、ずっとある。 江戸時代の高燈籠(たかどうろう)が、見える。
反対側から。 平成の高燈籠。 その左に、岡村島の観音崎。
港の石垣に、鶴と亀が彫ってあった。
※ 観音崎の下から見た、御手洗。 (平成10年に撮影)
中央に、平成の高燈籠が見える。
大阪の住吉大社を、小さくして建てた。(2分の1) 海の神。
大正から昭和の初めの建物も、点在する。
御手洗は、古い建物と、新しい建物が、混ざっている。
※ 先日行った、丸亀市の本島にある笠島は、ほとんどが古い建物。 珍しい。
丘の上に、おいらん公園。
花魁(おいらん)は、遊女のトップ。 華やかな印象。
でも、多くの遊女は、ふるさとから離れて、悲しい生活。
生きる希望をなくし、この地に骨を瘞(うず)める。 ※ 瘞の漢字は、尾道で知った。
※ 最果ての根室にも遊郭があった。
仕事が辛く、多くの遊女が、涙香(るいか)岬から、冷たい流氷の海に身を投げた。
※ 関連ブログ その① その② その③
維新の志士の石碑があった。
特に活躍してないけど、面白い。
大きな傷は、昔は、どんな手当をしたのでしょうか。
化膿して、手がつけられなくなったら、きっと助からない。
消毒は、強い酒か。 口に含んで、プッと吹きかけるのか。 分からない。
おいらん公園から、海が見えた。 遠くまで、見える。
2つの高灯篭と、観音崎。
遠くに見える橋は、来島(くるしま)海峡大橋。 下の海は、来島海峡。
近くには、遊女たちの墓が。 粗末に葬られていたのを、ちゃんとした。
下に降りて、ここは、満舟寺。
大きな石垣。 説明には、加藤清正が作ったと、伝えられていると。
小さな城のようにしたのか。 寺は、戦いの時、前線基地に使われることも。
正面から。 亀は、よく下になる。 少し前、石碑の下に、亀がいた。 高松の崇徳上皇の寺。
こんな墓を、亀趺(きふ)墓と云うそう。
※ 趺の意味は、やっかい。
石仏があぐらを組んで座っている時の、足の感じ。 亀が低くなって、足のように支えている。
別の通り。 海から離れてる。 左は、若胡子屋。 茶屋。 遊郭。
2年前に来た時に撮影。 (広く撮れる、18mmで)
少し行くと、右に、金子邸。
1867年、この建物で、長州藩と広島藩が、話し合いの末、手を結ぶ。
御手洗条約と云われる。(この名前は、他では聞かない。 中身は、密約)
※ 長州藩は、1864年の禁門の変に負けて、体制の立て直し。
1866年の1月、龍馬の仲介で、薩長連合成立。
少し後に、伏見の寺田屋で、お祝いだって酒を飲んでいた。
襲われた。 お龍(りよう)の機転で、命拾い。 この夏に、お龍と薩摩に新婚旅行。
御手洗条約は、その次の年。 もう、幕府の先が見えた。
天満宮。 菅原道真を祀っている。 桜の時期に来たい。 ※ 桜が咲いたら、こう。 (ネット上の写真)
この人は、自転車で世界1周。 お金は無し。 御手洗の人。
逆立ちしていた狛犬(こまいぬ)の、尻尾。
拝殿と本殿の通路の下が、通れる。 上の建物は、細い石の柱3本で、支えていた。
石も木も、立てると、強い。 ※ この写真の柱も。(本島の笠島で)
江戸時代の町並みが残っている所へ。
御手洗の街は、道が入り組み、多くの人で賑わい、奥の深さがあったのでしょうね。
それで、密談などにも、利用された。
生活のゆとりと、指導できる人がいて、俳句などの文化が栄える。
そういう事かな。
地図の、右端に出てきた。 ずっと向こうに、お店や学校。 港も。
ここが、伝建地区の入口。 駐車場は、反対側の奥に。
この辺から、地元の方が、私を案内してくれた。
建物は、七卿落ち遺跡。
三条実美(さねとみ)たちが、逃れるとき、御手洗に寄った。
蛤御門の変は、禁門の変のこと。 長州は、負けた。
※ 禁門の変は、京都御所での戦い。 蛤御門の辺りが、一番激しい戦い。 それで、その名前。
長州に味方した公卿たちは、京都から追放された。 中心が、実美。
最後は、長州たちが勝つから、明治に入って、名誉回復。
幕末の激動の時代、御手洗も歴史の舞台になっていた。
恵比寿(えびす)神社。 反対側に、祠(ほこら)。
さっき、若胡子(えびす)屋を見た。 同じ、えびす。
遊女たちは、ここで手を合わせたのかな。
松浦時計店。 古い時計の修理で、知られた店。
どのくらい知られているかは、分からないが、腕は確からしく、申し込んでも、現在1年待ち。
乙女座跡。 正月休みで、入れない。
※ 2年前に撮影した写真。
上の写真の壁の模様は、何を意味しているのでしょう。 乙女の涙と、言ってるようだが。
最初に見た、高燈籠。 戻っている。
お寺の大木。
最初は、小指のように、細かった。 よく踏まれないで、ここまで。
来島海峡大橋。 観音崎の岬の陰に、関前(せきぜん)の港がある。
今日も、県民の浜に戻る。
豊島に渡る、豊浜大橋。
ずっと雪が、チラチラ舞っていた。 寒い1日。
県民の浜にある温泉が、目に浮かび、見学が少し雑になった。
写真も、1枚撮ったら、ハイ次にって。
花を見ながら、春に、のんびり歩いてみたい。
その時期がお勧め。
【停泊場所】 県民の浜
【4日の予定】 斎(いつき)島
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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中継貿易港として栄えた御手洗には、人や物が集まり、文化が育った。
伝建地区になっている町並みの中に、いくつもの昔の面影が残っていた。
※ ※ ※ ※
御手洗は、安芸灘諸島に。 この辺りの島全体、広くは、芸予諸島と云われる。
レーモンド松屋が歌う「安芸灘の風」の中心の舞台は、御手洗。
潮待ち、風待ち、そして、「あなたを待って」と歌った。
御手洗の隣にある島は、観音崎のある、岡村島。 ここは、四国の愛媛県。
彼は、観音崎に立って、歌っている。 そのように感じるでしょうか。
※ 画面をクリックしたら、YouTubeに。

この部分が、伝建地区。 右の方に、新しい地区がある。

御手洗は、海の街道の大きな宿場町のよう。 瀬戸内を行き来する船は、普通にここを通った。
波が収まり、追い風になるのを、この港で待った。
何日も待つことがある。 退屈するから、遊びも発達。
下にある、小さな船は、オチョロ船。 停泊してる船に、遊女を運んだ。



御手洗の街並み。 向こうに、ずっとある。 江戸時代の高燈籠(たかどうろう)が、見える。

反対側から。 平成の高燈籠。 その左に、岡村島の観音崎。
港の石垣に、鶴と亀が彫ってあった。



※ 観音崎の下から見た、御手洗。 (平成10年に撮影)
中央に、平成の高燈籠が見える。

大阪の住吉大社を、小さくして建てた。(2分の1) 海の神。

大正から昭和の初めの建物も、点在する。
御手洗は、古い建物と、新しい建物が、混ざっている。
※ 先日行った、丸亀市の本島にある笠島は、ほとんどが古い建物。 珍しい。

丘の上に、おいらん公園。
花魁(おいらん)は、遊女のトップ。 華やかな印象。
でも、多くの遊女は、ふるさとから離れて、悲しい生活。
生きる希望をなくし、この地に骨を瘞(うず)める。 ※ 瘞の漢字は、尾道で知った。
※ 最果ての根室にも遊郭があった。
仕事が辛く、多くの遊女が、涙香(るいか)岬から、冷たい流氷の海に身を投げた。
※ 関連ブログ その① その② その③

維新の志士の石碑があった。
特に活躍してないけど、面白い。
大きな傷は、昔は、どんな手当をしたのでしょうか。
化膿して、手がつけられなくなったら、きっと助からない。
消毒は、強い酒か。 口に含んで、プッと吹きかけるのか。 分からない。

おいらん公園から、海が見えた。 遠くまで、見える。
2つの高灯篭と、観音崎。
遠くに見える橋は、来島(くるしま)海峡大橋。 下の海は、来島海峡。

近くには、遊女たちの墓が。 粗末に葬られていたのを、ちゃんとした。

下に降りて、ここは、満舟寺。
大きな石垣。 説明には、加藤清正が作ったと、伝えられていると。
小さな城のようにしたのか。 寺は、戦いの時、前線基地に使われることも。

正面から。 亀は、よく下になる。 少し前、石碑の下に、亀がいた。 高松の崇徳上皇の寺。
こんな墓を、亀趺(きふ)墓と云うそう。
※ 趺の意味は、やっかい。
石仏があぐらを組んで座っている時の、足の感じ。 亀が低くなって、足のように支えている。


別の通り。 海から離れてる。 左は、若胡子屋。 茶屋。 遊郭。

2年前に来た時に撮影。 (広く撮れる、18mmで)


少し行くと、右に、金子邸。
1867年、この建物で、長州藩と広島藩が、話し合いの末、手を結ぶ。
御手洗条約と云われる。(この名前は、他では聞かない。 中身は、密約)
※ 長州藩は、1864年の禁門の変に負けて、体制の立て直し。
1866年の1月、龍馬の仲介で、薩長連合成立。
少し後に、伏見の寺田屋で、お祝いだって酒を飲んでいた。
襲われた。 お龍(りよう)の機転で、命拾い。 この夏に、お龍と薩摩に新婚旅行。
御手洗条約は、その次の年。 もう、幕府の先が見えた。

天満宮。 菅原道真を祀っている。 桜の時期に来たい。 ※ 桜が咲いたら、こう。 (ネット上の写真)

この人は、自転車で世界1周。 お金は無し。 御手洗の人。

逆立ちしていた狛犬(こまいぬ)の、尻尾。


拝殿と本殿の通路の下が、通れる。 上の建物は、細い石の柱3本で、支えていた。
石も木も、立てると、強い。 ※ この写真の柱も。(本島の笠島で)


江戸時代の町並みが残っている所へ。

御手洗の街は、道が入り組み、多くの人で賑わい、奥の深さがあったのでしょうね。
それで、密談などにも、利用された。

生活のゆとりと、指導できる人がいて、俳句などの文化が栄える。
そういう事かな。


地図の、右端に出てきた。 ずっと向こうに、お店や学校。 港も。

ここが、伝建地区の入口。 駐車場は、反対側の奥に。

この辺から、地元の方が、私を案内してくれた。
建物は、七卿落ち遺跡。

三条実美(さねとみ)たちが、逃れるとき、御手洗に寄った。
蛤御門の変は、禁門の変のこと。 長州は、負けた。
※ 禁門の変は、京都御所での戦い。 蛤御門の辺りが、一番激しい戦い。 それで、その名前。
長州に味方した公卿たちは、京都から追放された。 中心が、実美。
最後は、長州たちが勝つから、明治に入って、名誉回復。
幕末の激動の時代、御手洗も歴史の舞台になっていた。

恵比寿(えびす)神社。 反対側に、祠(ほこら)。
さっき、若胡子(えびす)屋を見た。 同じ、えびす。
遊女たちは、ここで手を合わせたのかな。


松浦時計店。 古い時計の修理で、知られた店。
どのくらい知られているかは、分からないが、腕は確からしく、申し込んでも、現在1年待ち。



乙女座跡。 正月休みで、入れない。

※ 2年前に撮影した写真。
上の写真の壁の模様は、何を意味しているのでしょう。 乙女の涙と、言ってるようだが。

最初に見た、高燈籠。 戻っている。

お寺の大木。
最初は、小指のように、細かった。 よく踏まれないで、ここまで。

来島海峡大橋。 観音崎の岬の陰に、関前(せきぜん)の港がある。

今日も、県民の浜に戻る。
豊島に渡る、豊浜大橋。

ずっと雪が、チラチラ舞っていた。 寒い1日。
県民の浜にある温泉が、目に浮かび、見学が少し雑になった。
写真も、1枚撮ったら、ハイ次にって。
花を見ながら、春に、のんびり歩いてみたい。
その時期がお勧め。
【停泊場所】 県民の浜
【4日の予定】 斎(いつき)島
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
目撃しました
Re: 目撃しました
そうですよ。
その後、広島へ。
返事有り難うございます
やっぱりそうでしたか。
風呂ででも旅の話を聞きたかったです。
車内見学と(笑)
風呂ででも旅の話を聞きたかったです。
車内見学と(笑)
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ゆらりで風呂ですか?