昨年は、別子銅山跡を素通りした。
今年寄ってみた。 メインの施設は、やはり魅力はなかった。
ところが、別の所に行ってみたら、よかった。
山道を、600㍍一気に登った。
標高750㍍の、東平(とうなる)地区。 産業遺跡があった。
そこはまるで、インカの遺跡マチュピチュだった。
マイントピア別子に行った。
観光坑道となっており、入場料1200円。 高いから、少し期待した。
坑道の入り口まで、これで行く。 2~3分で着く。
桜が咲いていた。 名前は、小葉桜(コバザクラ)。 十月桜とも、冬桜とも言うそう。
3月まで咲いていると、運転手さんが話してくれた。 次から次と咲くのかな。
桜を見たのが一番うれしかった。
観光坑道の中は、昔を再現したのと、子供の遊び場。 写真は、ほとんど撮ってない。
去年、素通りした訳を忘れていた。
これは、昔の発電所。 産業遺産になっている。
情報誌に、もう一ヶ所見学場所があった。
施設は、冬だからか、閉鎖してると聞いていた。
※ 道の入り口に、通れる車の高さと横幅が書いてあった。 私の車の寸法とほぼ同じだった。
下のマイントピア別子から、600㍍登っていた。 ※ 高度計で調べた。
ここが東平(とうなる)地区。 ※ 平は「ならす」と読めそう。 それが、なまったのか。
標高750㍍。
銅山があった頃、ここの斜面のずっと上から、ずっと下まで、家や工場があった。
下を見たら、こう。 東平貯鉱庫跡。 銅を含んだ鉱石は、ここに貯めた。
ここは人気があり、夏は車でいっぱいになるそう。 広い駐車場の他に、臨時駐車場があった。
ずっと下から、見上げることができる。
上の写真の、右方向。 昔は、山の斜面に建物がいっぱいあった。
ここから、下に降りられる。
今は階段だが、昔はインクライン。 レールを敷いて、トロッコをワイヤーで引き揚げた。
※ 京都にも、インクラインがあった。 銀閣寺他のブログの最後に写真がある。
この感じが、マチュピチュと呼ばれる。
もっと下から撮影ができた。 全体が見えないと考え、行かなかった。 行って確かめるべきだった。
花みたいのが咲いていた。 名前は、コマユミ。
別子銅山は、昭和48年まで続いた。
貯鉱庫の建物は、こうだった。
似た方向から写真を撮ると、こうなる。 下の部分が残った。
林の中に道があった。 下の写真は、娯楽場。
それがあった場所。 橋が残ってる。
他に、保育所、病院などがあった。
下は、接待館の写真。 多くの有名人も来た。
昭和11年に、荒城の月の作詞者でもある、土井晩翠が来ている。 こんな歌を詠んだ。
東平の山ふところに石楠(しゃくなげ)の 花ながめつつ鶯を聞く
面影を探したら、石垣があった。
こんな所も。
瀬戸内海と新居浜市が見えた。
新居浜の市街地。
道の駅から見える、マイントピア別子の建物。
昔の廃墟でも、産業遺産や遺跡と呼べば、様になってくる。
今まで行った所で、似た所はどこでしょう。 城跡以外で。
軍艦島、タウシュベツ川橋梁、他に何があったろう。 ※ ブログにリンクしてある。
【道の駅】 マイントピア別子
【明日の予定】 丸亀市に近づきます。
【今日の歌】 さよなら恋歌(ワルツ) YouTubeになかったので。
※ カメラがゆれる。 止めてあるのが、ゆるんでいた。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。 放浪の旅は67位です。
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今年寄ってみた。 メインの施設は、やはり魅力はなかった。
ところが、別の所に行ってみたら、よかった。
山道を、600㍍一気に登った。
標高750㍍の、東平(とうなる)地区。 産業遺跡があった。
そこはまるで、インカの遺跡マチュピチュだった。
マイントピア別子に行った。
観光坑道となっており、入場料1200円。 高いから、少し期待した。
坑道の入り口まで、これで行く。 2~3分で着く。
桜が咲いていた。 名前は、小葉桜(コバザクラ)。 十月桜とも、冬桜とも言うそう。

3月まで咲いていると、運転手さんが話してくれた。 次から次と咲くのかな。
桜を見たのが一番うれしかった。

観光坑道の中は、昔を再現したのと、子供の遊び場。 写真は、ほとんど撮ってない。
去年、素通りした訳を忘れていた。
これは、昔の発電所。 産業遺産になっている。

情報誌に、もう一ヶ所見学場所があった。
施設は、冬だからか、閉鎖してると聞いていた。
※ 道の入り口に、通れる車の高さと横幅が書いてあった。 私の車の寸法とほぼ同じだった。
下のマイントピア別子から、600㍍登っていた。 ※ 高度計で調べた。
ここが東平(とうなる)地区。 ※ 平は「ならす」と読めそう。 それが、なまったのか。
標高750㍍。
銅山があった頃、ここの斜面のずっと上から、ずっと下まで、家や工場があった。

下を見たら、こう。 東平貯鉱庫跡。 銅を含んだ鉱石は、ここに貯めた。

ここは人気があり、夏は車でいっぱいになるそう。 広い駐車場の他に、臨時駐車場があった。
ずっと下から、見上げることができる。

上の写真の、右方向。 昔は、山の斜面に建物がいっぱいあった。

ここから、下に降りられる。
今は階段だが、昔はインクライン。 レールを敷いて、トロッコをワイヤーで引き揚げた。
※ 京都にも、インクラインがあった。 銀閣寺他のブログの最後に写真がある。

この感じが、マチュピチュと呼ばれる。

もっと下から撮影ができた。 全体が見えないと考え、行かなかった。 行って確かめるべきだった。

花みたいのが咲いていた。 名前は、コマユミ。

別子銅山は、昭和48年まで続いた。
貯鉱庫の建物は、こうだった。

似た方向から写真を撮ると、こうなる。 下の部分が残った。

林の中に道があった。 下の写真は、娯楽場。

それがあった場所。 橋が残ってる。

他に、保育所、病院などがあった。
下は、接待館の写真。 多くの有名人も来た。
昭和11年に、荒城の月の作詞者でもある、土井晩翠が来ている。 こんな歌を詠んだ。
東平の山ふところに石楠(しゃくなげ)の 花ながめつつ鶯を聞く

面影を探したら、石垣があった。

こんな所も。

瀬戸内海と新居浜市が見えた。

新居浜の市街地。

道の駅から見える、マイントピア別子の建物。

昔の廃墟でも、産業遺産や遺跡と呼べば、様になってくる。
今まで行った所で、似た所はどこでしょう。 城跡以外で。
軍艦島、タウシュベツ川橋梁、他に何があったろう。 ※ ブログにリンクしてある。
【道の駅】 マイントピア別子
【明日の予定】 丸亀市に近づきます。
【今日の歌】 さよなら恋歌(ワルツ) YouTubeになかったので。
※ カメラがゆれる。 止めてあるのが、ゆるんでいた。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。 放浪の旅は67位です。
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コメント
別子銅山
別子銅山の東平地区に行った事はありませんがすぐ裏の西赤石山へ登山した時に劇場跡などの遺跡を見ながら登った記憶があります。
Re: 別子銅山
そう言えば、登山道はあっち、という案内がありました。
四国に来たら感じるけど、10㌔程山に入ったら、山の深さが大変。
急に変わる。
丸亀市まであと少しの所に、今日は行きますよ。
四国に来たら感じるけど、10㌔程山に入ったら、山の深さが大変。
急に変わる。
丸亀市まであと少しの所に、今日は行きますよ。
別子銅山跡
別子銅山跡いいですね。
昔は栄えたけど今は産業の変化により廃墟になってしまった場所。
産業遺産と言うのですか。
私たちの所にも、小串鉱山・米子鉱山跡がありますが荒廃してしまったり、あるいは解体整地してしまったりであまり旅情を感じません。
ここの石垣はお城の石垣みたいでいいですね。
四国の景色はとても綺麗ですね。
寒いところにいると暖かい気持ちになります。
信州は、朝から雪です。積もりそうですよ。
昔は栄えたけど今は産業の変化により廃墟になってしまった場所。
産業遺産と言うのですか。
私たちの所にも、小串鉱山・米子鉱山跡がありますが荒廃してしまったり、あるいは解体整地してしまったりであまり旅情を感じません。
ここの石垣はお城の石垣みたいでいいですね。
四国の景色はとても綺麗ですね。
寒いところにいると暖かい気持ちになります。
信州は、朝から雪です。積もりそうですよ。
Re: 別子銅山跡
少し前は暖かかったけど、今日は寒くなりました。
廃墟は、どんな条件がそろったら、いいなってなるのでしょうね。
タウシュベツ川橋梁はいいですよ。
瀬戸内の風景は、まぶしい感じがしましたね。
また島に行きたいです。
アポイ岳に一緒に登った人は、白馬に行きましたよ。
仕事に。
廃墟は、どんな条件がそろったら、いいなってなるのでしょうね。
タウシュベツ川橋梁はいいですよ。
瀬戸内の風景は、まぶしい感じがしましたね。
また島に行きたいです。
アポイ岳に一緒に登った人は、白馬に行きましたよ。
仕事に。
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