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昨日の﨑津天主堂、今日の大江天主堂のある地域は、天草で最も、キリシタンの多い地域だった。
そこは、彼らにとって、祈りの里であり、隠れの里だった。
鉄幹をはじめとする「五足の靴」の目的地は天草だが、その中でも、ここ大江は、大事な地だったよう。
ロザリオ館で、キリシタンの苦難の歴史を、少しだけ勉強。
海の近くに、 お万ヶ池があった。
※ ※ ※ ※
昨日の崎津から、遠くない。 印が、大江天主堂。 左下に、お万ヶ池。
昔は、きっと海だった。
上は淡水、下は海水。 上には鯉(こい)、下には、鯛(たい)。 変わっている。
大きな船。 動かぬ船を引っ張っている。 伝説を表現。
池の向こうに、お万という娘。
下のような伝説。
何があって、この伝説が生まれたのかなって思います。
池が危険だから、大蛇がいることにしていた。
お万の像が、ちょっとかなって。
あと、伝説をどうまとめるか、最後の部分が難しいですね。
伝説は、変化してきたから、今の時代に、優れた内容に完成させてもいいのではと・・。
向こうに国道。 左に上がって、大江天主堂。
丘の上に、天主堂。 下に、ロザリオ館。 下に車を置いて歩いた。
梅の花。 咲いたはいいけど、寒くなった。
おばあちゃんが、こっちに近道って、教えてくれた。
崎津天主堂より、一回り大きい。 全体が白。
塔の部分は前にある。 決まりなのかな。
キリスト教は、死後の世界は極楽でなく、天国。
天主堂は、空に向かう、というイメージでしょうか。
ガルニエ神父の貢献が、書いてある。
五足の靴の旅の主な目的は、ガルニエ神父に会うことと。
天草四郎を始め、キリシタンの歴史に思いを馳せて、旅をしたのだろうか。
教会の中に入った。 仕事をしている人が2人いた。 おだやかに、挨拶してくれた。
決して、大声を出す場所ではない。 そんな雰囲気。
写真の撮影はできない。
内部の写真は、五足の靴の資料の中から、お借り。 右は、ガルニエ神父の像。
正面、右に下ると、市街地。
天主堂前に、吉井勇の歌碑。
5人の旅は、本人達にいい影響を与えた。
「白秋ととも泊りし天草の 大江の宿は 伴天連の宿」
この宿は、高砂屋と云って、港の近くにある。 ※ あす行ってこようと。
吉井勇は、45年後、再び訪れた。
「ともにゆきし友みなあらず 我一人老いてまた踏む 天草の島」
書いてあるとおり、生きているのは、吉井勇だけ。
旅のコースと、5人。
島の北の富岡から大江まで、32㌔を歩いてきた。 着いたのは、夜中の10時。
彼らの旅は、1907年の8月のこと。
彼らが会った、ガルニエ神父。 右の写真は、牛深で泊まった、今津屋。 記念碑があったところ。
ここは、天草ロザリオ館。 キリシタンの歴史の資料を展示している。
最初、15分ほど映画を見た。
写真はパンフレットを撮影。
左は、マリア観音。 仏像に似せている。
葬式は、仏教でしなければならない。
でも、こっそりキリスト教の言葉を唱えて、この壺に閉じ込める。
そうやって、死者を送った。 壺も一緒に埋葬したということかな。
左はメダイ。 像が彫ってある。
踏み絵。 毎年行う。 もし踏まなかったら打ち首との話もあるが、時代によって変化があるよう。
隠れ部屋。 ここで、お祈り。
江戸時代、どのくらいの割合でキリシタンがいたのか。
あるときの調査で、おおよそ半分だという。
命をかけて、信仰を守る。 キリシタンにとっては、当たり前。
宗教のもつ力には、驚かされる。
ガルニエ神父は、フランスから若くしてやって来た。
他国での布教の価値の大きさを、誰もが認めるので、来ることができる。
5足の靴については、別の日にも触れます。
【関連ブログ】 祇園新橋のブログに、吉井勇が出てきます。
京都祇園にある重伝建地区、祇園新橋 ~京都市~ しあわせ芝居(中島みゆき) 他 (2912/6/23)
ロザリオの島、松島を歩く ~唐津市鎮西町松島~ 他 (2012/1/7)
【今日の歌】 ムーランルージュ。 キム・ヨナの滑りで。 2006年。 16歳。
1分過ぎからの滑りが、今の彼女の滑りを、思い出させる。
【停泊場所】 大江地区にある、道沿いの空き地。
【明日の予定】 北に動く。
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※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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昨日の﨑津天主堂、今日の大江天主堂のある地域は、天草で最も、キリシタンの多い地域だった。
そこは、彼らにとって、祈りの里であり、隠れの里だった。
鉄幹をはじめとする「五足の靴」の目的地は天草だが、その中でも、ここ大江は、大事な地だったよう。
ロザリオ館で、キリシタンの苦難の歴史を、少しだけ勉強。
海の近くに、 お万ヶ池があった。
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昨日の崎津から、遠くない。 印が、大江天主堂。 左下に、お万ヶ池。
昔は、きっと海だった。

上は淡水、下は海水。 上には鯉(こい)、下には、鯛(たい)。 変わっている。

大きな船。 動かぬ船を引っ張っている。 伝説を表現。

池の向こうに、お万という娘。


下のような伝説。





何があって、この伝説が生まれたのかなって思います。
池が危険だから、大蛇がいることにしていた。
お万の像が、ちょっとかなって。
あと、伝説をどうまとめるか、最後の部分が難しいですね。
伝説は、変化してきたから、今の時代に、優れた内容に完成させてもいいのではと・・。
向こうに国道。 左に上がって、大江天主堂。

丘の上に、天主堂。 下に、ロザリオ館。 下に車を置いて歩いた。
梅の花。 咲いたはいいけど、寒くなった。
おばあちゃんが、こっちに近道って、教えてくれた。

崎津天主堂より、一回り大きい。 全体が白。

塔の部分は前にある。 決まりなのかな。

キリスト教は、死後の世界は極楽でなく、天国。
天主堂は、空に向かう、というイメージでしょうか。


ガルニエ神父の貢献が、書いてある。
五足の靴の旅の主な目的は、ガルニエ神父に会うことと。
天草四郎を始め、キリシタンの歴史に思いを馳せて、旅をしたのだろうか。


教会の中に入った。 仕事をしている人が2人いた。 おだやかに、挨拶してくれた。
決して、大声を出す場所ではない。 そんな雰囲気。
写真の撮影はできない。
内部の写真は、五足の靴の資料の中から、お借り。 右は、ガルニエ神父の像。


正面、右に下ると、市街地。

天主堂前に、吉井勇の歌碑。

5人の旅は、本人達にいい影響を与えた。
「白秋ととも泊りし天草の 大江の宿は 伴天連の宿」
この宿は、高砂屋と云って、港の近くにある。 ※ あす行ってこようと。


吉井勇は、45年後、再び訪れた。
「ともにゆきし友みなあらず 我一人老いてまた踏む 天草の島」
書いてあるとおり、生きているのは、吉井勇だけ。

旅のコースと、5人。
島の北の富岡から大江まで、32㌔を歩いてきた。 着いたのは、夜中の10時。
彼らの旅は、1907年の8月のこと。


彼らが会った、ガルニエ神父。 右の写真は、牛深で泊まった、今津屋。 記念碑があったところ。


ここは、天草ロザリオ館。 キリシタンの歴史の資料を展示している。

最初、15分ほど映画を見た。
写真はパンフレットを撮影。
左は、マリア観音。 仏像に似せている。
葬式は、仏教でしなければならない。
でも、こっそりキリスト教の言葉を唱えて、この壺に閉じ込める。
そうやって、死者を送った。 壺も一緒に埋葬したということかな。


左はメダイ。 像が彫ってある。
踏み絵。 毎年行う。 もし踏まなかったら打ち首との話もあるが、時代によって変化があるよう。


隠れ部屋。 ここで、お祈り。

江戸時代、どのくらいの割合でキリシタンがいたのか。
あるときの調査で、おおよそ半分だという。
命をかけて、信仰を守る。 キリシタンにとっては、当たり前。
宗教のもつ力には、驚かされる。
ガルニエ神父は、フランスから若くしてやって来た。
他国での布教の価値の大きさを、誰もが認めるので、来ることができる。
5足の靴については、別の日にも触れます。
【関連ブログ】 祇園新橋のブログに、吉井勇が出てきます。
京都祇園にある重伝建地区、祇園新橋 ~京都市~ しあわせ芝居(中島みゆき) 他 (2912/6/23)
ロザリオの島、松島を歩く ~唐津市鎮西町松島~ 他 (2012/1/7)
【今日の歌】 ムーランルージュ。 キム・ヨナの滑りで。 2006年。 16歳。
1分過ぎからの滑りが、今の彼女の滑りを、思い出させる。
【停泊場所】 大江地区にある、道沿いの空き地。
【明日の予定】 北に動く。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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