自分のブログの、過去の記事を探すのは、大変。
県別のタイトル一覧を作ることにした。
作ってみたら、便利だと分かった。
この3日間、その作業ばっかり。
最後の鹿児島県のファイルが、開かない。
途中で、パソコンがかたまる。 ネットが動かない。 困った。
※ 開けた人がいたら、日にちだけでも教えて欲しい。
※ 追記 保存してあるのがある。 東風さんにしていただいた。 それを見ればいい。
☆ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
27日に、少しだけ見学したので、それを載せます。
※ ※ ※ ※
五足の靴の5人は、島の北にある富岡から大江まで、32㌔を歩く。
暗くなって道に迷った。 偶然会ったおまわりさんに助けられる。
富岡までは、長崎に近い茂木港から船で。
※ 私は長崎を見学するとき、茂木港に車を停めて、バスで行く。
印が、泊まったところ。
大江の町に入ったのは、夜中の10時。
やっと泊めてもらったのが、旅館高砂屋。 1907年、8月9日のこと。
部屋は、屋根裏部屋のような、6畳間。 普段は使っていない。 ※ その日は、満室だった。
その部屋は残っており、○のところ。
次の日、木下杢太郎(もくたろう)が、大江の浜をスケッチ。
鳥居の柱だけが、今も立っている。
十三仏公園に向かった。 海岸にあり、景色がいい。
与謝野鉄幹が、25年後の1932年(昭和7年)に、再び、晶子とともに訪れる。
歌碑がある。
ところが通行止め。 別の道を探したが、見つからない。 ※ 本当はある。
あきらめた時に、気がついた。 歩けばいいと。 1㌔ちょっと。
歩きだしたら、この風景。 天草下島の西海岸。 遠くに、長崎半島。
さらに歩くと、天草町の市街地。 ※ 海沿いの道に行けなかった。
5人は、あの町の中を通り抜けている。
十三仏(じゅうさんぶつ)公園に着いた。 ここは、展望台。 少し離れて、十三仏堂。
与謝野夫妻の歌碑。
鉄幹 「天草の十三仏のやまにみる 海の入日とむらさきの波」
晶子 「天草の西高浜のしろき磯 江蘇省より秋風ぞ吹く」
※ 海のはるか向こうに、南京市がある江蘇省(こうそしょう)。
どうして、その地に思いをはせたのでしょう。 行ったことあるかどうかは、分からない。
でも、彼女の目は、いつも遠くを見つめていた。 シベリア鉄道で、ヨーロッパにも。
断崖が続く。
南の方。
十三仏の他にも、白い仏様。 岬の先に、小さな灯台。 少し手前に、十三仏堂。
十三仏堂。 灯台は、すぐ裏に。
仏様にも、得意分野があるのか。
お堂の奥に、このように。 小さな小さな、仏様。
並び方が、図と違う。
天井の絵。
十三仏は、この高台から、5足の靴の一行を、どう見ていたのでしょう。
この地を通るときは、きっと薄暗い。
「 大江まで道はあと2里 いそぎなされと 十三仏のほとけさま 」
車に戻って、下田温泉に向かった。
ここは、妙見浦。 隙間から、やっとこの風景。
さらい行くと、トンネルの手前に、この看板。
5人にとって忘れられない旅になる。 この旅が、一人ひとりを、大きく成長させるきっかけに。
文を読むと、この度の価値や意義が分かる。
吉井勇と白秋は、早大生。 だから、「白秋とともに・・・」となる。
ほかの2人は、東大生。 鉄幹は35歳。(もう活躍している)
昔の道が、唯一、ここに残っている。
鬼海が浦展望所。 下田温泉まで、すぐ。
この山の中に、細い道がある。
トンネルを抜けたら、下田温泉。
下田温泉の湯は、それなりに、熱い。 ぬるいのもある。 いい。 200円。
この温泉にいる間に、ブログタイトル一覧を完成させる。 あと少し。
見やすいように、直すことになりそう。
※ 大分県と、北海道の一部で試してみた。 見つけやすいように、前に、項目を付ける。
やろうと思った時にやらないと、やれない。
【今日の歌】 作詞、吉井勇。 8年後の大正4年に作っている。
【停泊場所】 下田温泉の港。
【明日、29日の予定】 五足の靴の道を歩いてみる。 やっと、外を歩く。 寝不足気味で。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 2位、
旅行全体 2位です。
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27日に、少しだけ見学したので、それを載せます。
※ ※ ※ ※
五足の靴の5人は、島の北にある富岡から大江まで、32㌔を歩く。
暗くなって道に迷った。 偶然会ったおまわりさんに助けられる。
富岡までは、長崎に近い茂木港から船で。
※ 私は長崎を見学するとき、茂木港に車を停めて、バスで行く。
印が、泊まったところ。
大江の町に入ったのは、夜中の10時。
やっと泊めてもらったのが、旅館高砂屋。 1907年、8月9日のこと。

部屋は、屋根裏部屋のような、6畳間。 普段は使っていない。 ※ その日は、満室だった。
その部屋は残っており、○のところ。

次の日、木下杢太郎(もくたろう)が、大江の浜をスケッチ。
鳥居の柱だけが、今も立っている。


十三仏公園に向かった。 海岸にあり、景色がいい。
与謝野鉄幹が、25年後の1932年(昭和7年)に、再び、晶子とともに訪れる。
歌碑がある。
ところが通行止め。 別の道を探したが、見つからない。 ※ 本当はある。
あきらめた時に、気がついた。 歩けばいいと。 1㌔ちょっと。
歩きだしたら、この風景。 天草下島の西海岸。 遠くに、長崎半島。


さらに歩くと、天草町の市街地。 ※ 海沿いの道に行けなかった。
5人は、あの町の中を通り抜けている。

十三仏(じゅうさんぶつ)公園に着いた。 ここは、展望台。 少し離れて、十三仏堂。
与謝野夫妻の歌碑。

鉄幹 「天草の十三仏のやまにみる 海の入日とむらさきの波」
晶子 「天草の西高浜のしろき磯 江蘇省より秋風ぞ吹く」
※ 海のはるか向こうに、南京市がある江蘇省(こうそしょう)。
どうして、その地に思いをはせたのでしょう。 行ったことあるかどうかは、分からない。
でも、彼女の目は、いつも遠くを見つめていた。 シベリア鉄道で、ヨーロッパにも。

断崖が続く。

南の方。

十三仏の他にも、白い仏様。 岬の先に、小さな灯台。 少し手前に、十三仏堂。

十三仏堂。 灯台は、すぐ裏に。

仏様にも、得意分野があるのか。

お堂の奥に、このように。 小さな小さな、仏様。

並び方が、図と違う。

天井の絵。


十三仏は、この高台から、5足の靴の一行を、どう見ていたのでしょう。
この地を通るときは、きっと薄暗い。
「 大江まで道はあと2里 いそぎなされと 十三仏のほとけさま 」

車に戻って、下田温泉に向かった。
ここは、妙見浦。 隙間から、やっとこの風景。

さらい行くと、トンネルの手前に、この看板。

5人にとって忘れられない旅になる。 この旅が、一人ひとりを、大きく成長させるきっかけに。
文を読むと、この度の価値や意義が分かる。
吉井勇と白秋は、早大生。 だから、「白秋とともに・・・」となる。
ほかの2人は、東大生。 鉄幹は35歳。(もう活躍している)
昔の道が、唯一、ここに残っている。


鬼海が浦展望所。 下田温泉まで、すぐ。

この山の中に、細い道がある。

トンネルを抜けたら、下田温泉。

下田温泉の湯は、それなりに、熱い。 ぬるいのもある。 いい。 200円。
この温泉にいる間に、ブログタイトル一覧を完成させる。 あと少し。
見やすいように、直すことになりそう。
※ 大分県と、北海道の一部で試してみた。 見つけやすいように、前に、項目を付ける。
やろうと思った時にやらないと、やれない。
【今日の歌】 作詞、吉井勇。 8年後の大正4年に作っている。
【停泊場所】 下田温泉の港。
【明日、29日の予定】 五足の靴の道を歩いてみる。 やっと、外を歩く。 寝不足気味で。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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