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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

とってもよく似ています。 不思議です。
まず聴いてください。 歌詞を見ながら。

下は、五木の子守唄。 



下の歌詞は、福連木の子守唄。   ※ ふくれぎのこもりうた
                       ※ 写真は、天草市役所 天草支所 福連木出張所 でいただいた、パンフレットを撮影。

13年1月30日 (23)

Wikipediaでは、根拠は示していませんが、福連木の子守唄の方が先にできた、と言っています。

子守唄の里、福連木を歩いてみました。
美味しい豆腐も、ありました。
                             ☆ ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
    ※    ※    ※    ※

停泊していた、下田の港。  橋は、下田大橋。
下の川は、下津深江川。
これから行く福連木は、この川の上流にある。

右は、丘の上から、下田温泉の街。  白鷺館の温泉は、右の方。 見えなかった。

13年1月30日 (1)   13年1月30日 (2)

市街地を通り過ぎて、福連木子守唄公園に着いた。



公園には遊具などが。

13年1月30日 (5)

毎年11月に、「子守唄&童謡まつり」が開かれる。

13年1月30日 (4)   13年1月30日 (3)

遊歩道もある。 公園の横を県道が通っていて、7㌔程行くと、先日見た轟橋がある

13年1月30日 (20)

写真を撮りながら、中心街に向かった。 
途中で、子守唄については、支所の出張所に行ったら分かるかも知れないと、教えていただいた。

時々、福連木子守唄の里、とある。

13年1月30日 (6)

静かな山里。 石垣が目立つ。

13年1月30日 (7)

古いけど、大きな家。 建てた当時の豪華さは、今の家は適(かな)わない。
大根が似合う。

13年1月30日 (8)

※ 昔は単独で、天草町(あまくさまち)。 今は、天草市天草町。
  合併しても、天草町の名前を残した。 こういうのが、いい。 
  親しみある町名がそのままだし、看板がそのままでも、不自然でない。

どうして、福連木に、そして五木に、子守唄は生まれたのでしょう。
  ※ ここから先は、支所の出張所で教えていただいたこと、パンフレット、ネットの情報を元に、書いています。

13年1月30日 (9)

福連木と五木には、共通する貧しさがあった。 
昔は、どこも貧しかったが、それにプラスする貧しさの理由があった。 ※ 理由は、後ほど。

山の中に、豆腐のお店が。

13年1月30日 (13)

小さなお店。 四角い豆腐と、寄せ豆腐を買った。 どちらも、200円。 おからは、おまけ。
晩に食べましたよ。 いい味。 
豆腐は最初、塩で。 その後は、生醤油。 醤油も豆腐も、大豆から。 親戚。 合う。 

13年1月30日 (12)   13年1月30日 (14)

13年1月30日 (10)   13年1月30日 (11)

子供たちは10歳になったら、貧しさのために、他所(よそ)に奉公に出る。 
1日いっぱい働かされて、粗末な食べ物だけ。

仕事が辛いから、唄を歌った。
それは、子守唄といっても、子供を寝かしつける唄ではなかった。
自分をなぐさめる唄に、なってしまった。

福連木の小さな中心街。 小学校があります。 ※ 今年の3月に、閉校。

13年1月30日 (15)

では、どこに奉公に行ったか。

福連木の子供たちは、島を出て、八代とか人吉。
ちなみに、五木の子供たちは、五木か八代か人吉が中心。
奉公先で歌われたのが、自分の故郷に戻ってきて、歌い継がれた。

八代や人吉に、両方からの子供がいた。 ※ 他からもいたと思う。
そのために、福連木の子守唄と、五木の子守唄が、似ることになる。

神社。 斜面全部が石垣。

13年1月30日 (16)

福連木の人達の生活は、江戸時代が終われば、ある程度良くなる。(この理由も後ほど)
※ 本当に楽になるのは、戦後の農地改革の後ですね。

下のように、立派な石垣を作ることができたのは、いつ頃でしょう。
貧しい時代に、もう作っていたのか。
 
13年1月30日 (17)

正面に、小学校が見えます。

13年1月30日 (18)

この後、支所の出張所で、天草市役所の方から、福連木の子守唄について、教えていただいた。
その内容を中心に、ブログは、書いています。

福連木の子守唄のCDはあって、希望者に販売していたのだが、ちょうど無くなったところだった。
CDについては、新たに作って、出来たら連絡をいただけることになった。
内容は、地元のおばあちゃんが歌ったのと、子供たちが歌ったもの。

出張所の前の風景。 ※ 最近、逆光の写真が好き。 暖かさを感じるので。

13年1月30日 (19)

※ ここからの写真も、福連木出張上でいただいたパンフレットを撮影。

福連木の森で採れた樫の木が、槍(やり)の柄(え)の部分に向いていた、とある。
樫の木は、こんな木。(ネットの写真) 珍しい木ではない。

字を見て分かる通り、堅い木。 頑丈なため、槍の柄(え)の部分に使われた。
※ 樫の木は、他に、スコップや斧(おの)の柄、太鼓のバチに向いているそう。

福連木の樫が特に良かったという。 他より堅かったということか。
堅さだけでない特性があったのか、その辺りは、分からない。

とにかく、いい樫の木があるということで、山は、幕府に奪われてしまった。
自分達の山ではなくなった。

炭焼きはできない、木材としての木を、切り出せない。
福連木の村は、他の村の貧しさとは、程度が違ってしまった。

13年1月30日 (22)cc

福連木の人達の生活が大変になるのは、上の事情で、江戸時代から。

五木の人たちが苦しくなるのは、鎌倉時代から。
五家荘(ごかのしょう)に平氏一族がいて、その見張りのために、武士が五木に入ってきた。
土地から農耕の道具まで、全てが、武士のものになった。
支配は、末代までずっと続いた。
五木の貧しさも、他の村とは違った。 ※ ここまで、 Wikipedia による。

※ 追記 ただ、上の文については、伝承の上に積み重ねている考え。
     「三十三人衆」と呼ばれる地主層は確かにいたが、五家荘と関係あるかは、はっきりしていない。
      五家荘との関係は、大義名分として、作ったかも知れない。

そんな中、江戸時代の終わり頃、奉公先で歌が生まれ、歌い継がれたと、下にある。

13年1月30日 (21)

どちらが先かを知りたいが、証拠が見つからない。

歌詞が、驚くほど似ていることは分かったが、メロディはどうでしょう。
普通に聴いたら、別だなと感じますね。

支所の出張上で、あばあちゃんが歌うのを聞いたとき、ある部分が似ている、と感じた。
でも、下のを聴いたら、どこが似ているか、難しい。



メロディの特徴は、五木の子守唄は、優れたメロディ。 良さが、分かりやすい。
そのために、全国に知られることになる。

福連木の子守唄は、素朴で何度も聴くうちに、良さが分かってくる。
メロディが単純でないとも、言えそう。

山は、官山(かんざん)と呼ぶようになった。

13年1月30日 (23)

下は、別の形の説明。  明日は、官山である角山(かどやま)に登る。

13年1月30日 (25)

下には、4代将軍綱吉の頃から、とある。 江戸時代は、まだ200年続く。

13年1月30日 (24)

福連木の子守唄を、さらに全国に知ってもらうためには、どうしたらいいでしょう。
まず、質の高い動画を作ることでしょうか。
おばあちゃんと、子供たちのと。 あと、誰か上手に歌える人。
おばあちゃんの歌は、福連木の風景をバックに。

人に感動を与えるだけの、優れた唄と演奏が必要になります。
それを、天草市のHPと、YouTubeに。 CDをつくるかも、検討。

春には、小学校が閉校します。
どのように歌い継いでいくかも、大事になります。

また、旅で福連木に来た人がどこかで聴けたら、いいですね。
福連木の子守唄の歌碑の前に立つと、唄が流れるように、とか。

子守唄を残す価値は何なのか、それを整理するのは、とっても大事。
はっきりすると、地域の人たちの気持ちが、1つに強くまとまります。

五木の子守歌との関係は、どっちが先か、はっきりしない。
ただ、奉公先の地で、お互いが影響し合って、それぞれの歌詞が生まれた。
どちらも、数え切れないほどの歌詞を持っている。

メロディに関しては、作り出すのは、難しい。
どちらの子守唄にも、それに貢献した人が、必ずいますね。
基本がまず出来た。 基本の良さを残しながら、変化していった。
そんな風に、考えます。

福連木の子守唄は、哀愁ただよう、そして、切なさが伝わる子守唄です。
いい唄です。 

※ お世話になった支所の出張所の方々に、感謝します。

【その他】  五木の子守歌では、私は、山口淑子が歌っているのが好きです。
       ブログの最初に載せた曲です。
       彼女は、子供になったつもりで歌ってはいないんですね。
       辛い思いをしている子供たちを、少し離れたところから見ている。
       そうして、子供たちの心情をくみとって、歌っているんですね。
       時代の悲しさまで、伝わってきます。       

【関連ブログ】
  五木の子守歌   他   (5月10日 晩) 

  ※ 美空ひばりは、『哀愁波止場』の中に、五木の子守歌の一部を入れている。
     五木の子守歌を最初に歌って世に出したのは、音丸。  (YouTubeにあります)
     ひばりは、このことを知っており、音丸にはお世話になっていた。
     彼女は、四国に巡業に行って、バス事故に遭った。 この巡業は、乙丸にくっついていったもの。
  日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~  他  (2011/5/27) 

【停泊場所】  福連木子守唄公園

【明日の予定】 官山(角山)に登山道がある。 行ってみようかと。
        轟滝にも。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント

福連木の槍については、司馬遼太郎の「国盗り物語」の中に述べられてます。司馬遼太郎の本はおもしろいですが、情報収集力も半端ではないと痛感します。

子守唄

福連木の子守唄を初めて知りました。五木の子守唄とそっくりなのに驚きました。どちらも、奉公にでて働く子どもの切なさが胸にしみます。

Re: 子守唄

1つの町に、奉公の子が集まってくる。
メロディや詩が、混ざり合うんですね。

引き継いで、大事に育てた地域の歌が、今の時代に残ったのでしょうね。

福連木はある事情で、特に生活はきびしかったようです。

天草には、悲しい歴史があります。

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  • 福連木の子守唄に、五木の子守歌は似ている。  福連木の里。~天草市天草町~  他  (2013/1/30)
  • 2013年01月31日 (木)
  • 08時34分11秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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