下の写真の上の部分は、元々は、島だった。
砂が集まって陸地ができ、細くつながった。
その部分は、トンボロと呼ばれる。 日本語では、砂州。
※ トンボロの語源を、ある人に調べていただいた。
言葉の作られ方が、砂州とは違った。 これが面白い。
林芙美子が富岡に来ている。 昭和25年のこと。
3年前のブログで書いたけど、今回、富岡に来るまでの日程が、分かりました。
天草四郎は、富岡城を落とせなかった。
この時に、乱の結末は見えた。
仕方なく、海を渡って、島原城に立てこもる。
※ ※ ※ ※
細くなっているところに、林芙美子の文学碑がある。
頼山陽の碑があって、駐車場もある。
手前の植物が、ハマジンチョウ。
この花は、滅多に見ない。
太い道は、上にあって、そこから下りてきた。 こっち側に、旧道。
お地蔵様が、大事にされていた。
通りを南に行くと、林芙美子が泊まった岡野屋が見えてきた。
今も営業している。 彼女の部屋は、そのままある。 泊まることができる。
「旅に寝て のびのびと見る 枕 かな」
※ 残念ながら、この歌は、昭和16年に徳島市で読んだもの。
ちゃんと調べないで作るから、こうなってしまう。
天草灘の一文を入れるだけで、十分だったのに。
いつの日か、作り直してもいい。
右は、こうです。
「天草灘」より抜粋
私は、暫く、呆んやりと窓を見つめてゐた。鉛色の水平線が、窓の外で高くなったり、低くなったりしてゐる。
「天草は、おはじめてですか?」
彼女が聞いた。
「いいえ、もう十一ニ年前でしたが、一度来た事があります。富岡の松木さんと云う雲丹屋(うにや)さんで、美味しい雲丹を買った事がありました」
「今夜は富岡でお泊りですか」
富岡城に向かった。 途中に、こんな場所。
キリスト教を捨てなかったので、この辺りで、斬首された。
この時に、電話が来た。
頼んであった、福連木の子守唄のCDが出来たという。 天草市の天草支所の方から。
すぐに、受け取りに行くことにした。 下田温泉の向こうの、高浜まで。
急いで、少しだけ写真を撮った。
復元した、富岡城。 像は、勝海舟と頼山陽。
復元前の石垣。 古い石垣が、中にあった。 黒い所は、天草・島原の乱の時のもの。
像は、鈴木兄弟。 乱のあとの天草の立て直しに貢献した。
目の前に、細長い陸地が飛び出している。
上の写真の右。 砂嘴(さし)と呼ばれる。 砂の嘴(くちばし)と書く。
富岡城のあるこっちは、元々は島だった。
海のところに砂や石が集まって、陸地になった。 砂州という。
繋(つな)がったので、陸繋(りくけい)砂州とも。
※ 洲は、水の中から、出てきたような所をいう。 川の中なら、中洲とか。
状態を表現している。
この砂州のことを、トンボロとも言う。
イタリア語にあって、そこから英語にも。
tomboloと書くのだが、語源を知りた。
自分で調べたが、どうしても分からない。
お世話になっている人の中に、高校の英語の先生がいる。
お願いした。
こうでした。 tumulusという言葉から、元々は生まれたよう。
意味は、膨(ふく)れる。
英単語のtummy(お腹),thumb(親指)、tumor(腫瘍)、turmoil(大騒ぎ)tomb(墓)も同じ起源だそう。
日本人は、水から出てきた感じで、砂州。
イタリアやアメリカは、砂や石が集まって膨らんだ感じなので、トンボロ。
小豆島のエンジェルロードは、道ができたり消えたりする。 潮の満ち引きで。
日本人の発想で言えば、砂州が生まれたり消えたりしていることに。
砂州現象と呼べばいい。
ところが、トンボロ現象と呼んでいる。
トンボロの考えとは、合わないのに。
名前をつけるときに、どのように考えるかが、国によって違う。
それが、面白いなって、思いました。
長々と、書いてしまいました。
左は、甑(こしき)島の、里という地域です。 遠くに見える、細いところが、砂州。 トンボロ。
右は、函館。 こっちが、函館山。 向こうと、砂州で繋がった。
函館の市街地は、砂州の上にある。 トンボロの上に。
富岡は、函館などと共に、日本では砂州(トンボロ)で知られた町です。
富岡には、トンボロ、砂嘴、ハマジンチョウ、天草・島原の乱、林芙美子など、魅力いっぱい。
退屈しない町。
【停泊場所】 下田温泉の港
【明日の予定】 苓北町の図書館に。 その後、キリシタン関係。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 2位、
旅行全体 3位です。
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砂が集まって陸地ができ、細くつながった。
その部分は、トンボロと呼ばれる。 日本語では、砂州。
※ トンボロの語源を、ある人に調べていただいた。
言葉の作られ方が、砂州とは違った。 これが面白い。

林芙美子が富岡に来ている。 昭和25年のこと。
3年前のブログで書いたけど、今回、富岡に来るまでの日程が、分かりました。
天草四郎は、富岡城を落とせなかった。
この時に、乱の結末は見えた。
仕方なく、海を渡って、島原城に立てこもる。
※ ※ ※ ※
細くなっているところに、林芙美子の文学碑がある。

頼山陽の碑があって、駐車場もある。
手前の植物が、ハマジンチョウ。

この花は、滅多に見ない。

太い道は、上にあって、そこから下りてきた。 こっち側に、旧道。
お地蔵様が、大事にされていた。


通りを南に行くと、林芙美子が泊まった岡野屋が見えてきた。
今も営業している。 彼女の部屋は、そのままある。 泊まることができる。


「旅に寝て のびのびと見る 枕 かな」

※ 残念ながら、この歌は、昭和16年に徳島市で読んだもの。
ちゃんと調べないで作るから、こうなってしまう。
天草灘の一文を入れるだけで、十分だったのに。
いつの日か、作り直してもいい。
右は、こうです。
「天草灘」より抜粋
私は、暫く、呆んやりと窓を見つめてゐた。鉛色の水平線が、窓の外で高くなったり、低くなったりしてゐる。
「天草は、おはじめてですか?」
彼女が聞いた。
「いいえ、もう十一ニ年前でしたが、一度来た事があります。富岡の松木さんと云う雲丹屋(うにや)さんで、美味しい雲丹を買った事がありました」
「今夜は富岡でお泊りですか」


富岡城に向かった。 途中に、こんな場所。
キリスト教を捨てなかったので、この辺りで、斬首された。

この時に、電話が来た。
頼んであった、福連木の子守唄のCDが出来たという。 天草市の天草支所の方から。
すぐに、受け取りに行くことにした。 下田温泉の向こうの、高浜まで。
急いで、少しだけ写真を撮った。
復元した、富岡城。 像は、勝海舟と頼山陽。

復元前の石垣。 古い石垣が、中にあった。 黒い所は、天草・島原の乱の時のもの。
像は、鈴木兄弟。 乱のあとの天草の立て直しに貢献した。


目の前に、細長い陸地が飛び出している。

上の写真の右。 砂嘴(さし)と呼ばれる。 砂の嘴(くちばし)と書く。

富岡城のあるこっちは、元々は島だった。
海のところに砂や石が集まって、陸地になった。 砂州という。
繋(つな)がったので、陸繋(りくけい)砂州とも。

※ 洲は、水の中から、出てきたような所をいう。 川の中なら、中洲とか。
状態を表現している。
この砂州のことを、トンボロとも言う。
イタリア語にあって、そこから英語にも。
tomboloと書くのだが、語源を知りた。
自分で調べたが、どうしても分からない。
お世話になっている人の中に、高校の英語の先生がいる。
お願いした。
こうでした。 tumulusという言葉から、元々は生まれたよう。
意味は、膨(ふく)れる。
英単語のtummy(お腹),thumb(親指)、tumor(腫瘍)、turmoil(大騒ぎ)tomb(墓)も同じ起源だそう。
日本人は、水から出てきた感じで、砂州。
イタリアやアメリカは、砂や石が集まって膨らんだ感じなので、トンボロ。
小豆島のエンジェルロードは、道ができたり消えたりする。 潮の満ち引きで。
日本人の発想で言えば、砂州が生まれたり消えたりしていることに。
砂州現象と呼べばいい。
ところが、トンボロ現象と呼んでいる。
トンボロの考えとは、合わないのに。
名前をつけるときに、どのように考えるかが、国によって違う。
それが、面白いなって、思いました。
長々と、書いてしまいました。
左は、甑(こしき)島の、里という地域です。 遠くに見える、細いところが、砂州。 トンボロ。
右は、函館。 こっちが、函館山。 向こうと、砂州で繋がった。
函館の市街地は、砂州の上にある。 トンボロの上に。


富岡は、函館などと共に、日本では砂州(トンボロ)で知られた町です。
富岡には、トンボロ、砂嘴、ハマジンチョウ、天草・島原の乱、林芙美子など、魅力いっぱい。
退屈しない町。
【停泊場所】 下田温泉の港
【明日の予定】 苓北町の図書館に。 その後、キリシタン関係。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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