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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

  「天草灘」の全文です。 

  コメントで、ある方から、送って頂いたものです。
  ご自分で、作成されました。
  了解をいただいていますので、載せます。
  (著作権については、問題ありません。 50年を過ぎたからですね))
    ※    ※    ※    ※   ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg

  天草灘
            林芙美子
   白いペンキ塗りの壁は、雨のせいか、霧を噴いてゐた。狭い二等船室には、それでも床の間があ
  り、違い棚には、花模様の花瓶に、牡丹色のつゝじが活けてあつた。青いビロードを敷きつめた部
  屋だつたが、小綺麗で、坊主枕が五つ六つ散らかしてある。白菊丸と云ふ名前で、五十二トンだと
  聞いたが、如何にも、天草通ひらしい船だつた。
   雨で、海上は灰色に煙つてゐた。案外おだやかな航海だつた。船が動き出して、茂木の港を離れ
  ると、船員が茶を運んで来た。塩気のある美味い緑茶だつた。黒つぽい緑色のジャケつトを着た、
  中年の女が二等船室へ這入つて来た。狭いデつキで、この女は、さつきから、船員と一緒になつて、
  太い縄をたぐつたりしてゐたので、船員の細君ででもあらうかと見てゐた。デつキでは、此女は、
  黄いろい雨合羽を来てゐた。雨に濡れながら、縄を船員と一緒になつてたぐり寄せてゐた。
   二等船室へ這入つて来ると、彼女は部屋の隅に陣取つて。「富岡へいらつしやいますか」と私に
  聞いた。私は、船の動揺で気持ちが悪かつたので寝転んでゐた。寝転んで、長崎の本屋で買つた、
  「草枕」を読んでいた。
   私は、長崎の福島屋と云ふ旅館で伍泊ほどしたが、こゝで二日目の夜、盗難なつた。枕もとのス
  タンドをつけて寝てゐたのだが、疲れてうとうととしていた。瞼に射してゐた燈火がすつと暗くな
  つたので、何となく薄目を開けた。眼のさきに、女の後姿がぽつと見えた。夢うつゝのなかで、卓
  上の時計や、机の下のハンドバつグが気にかゝつたが、それは一瞬の旅人らしい不安さで、そのまゝ
  寝返りを打つて、私はこんこんと眠つてしまつた。
   いつもの癖で、夜明頃に眼を覚ました。何時頃であらうかと、机へ手をのばして、時計をさがし
  たがなかつた。廊下の硝子戸はまだ真暗である。時計は、洋服のポケつトへでもしまつたのかと、
  寝床から手をのばしてハンドバつグを探してみたが、ハンドバつグもない。ハンドバつグと時計を
  失つた以外には、周囲は何の変化もないのだ。床の間や、洋服のかゝつた押し入れを探してみたが、
  見当たらなかつた。厭な気持ちがした。随分旅もしたが、初めての盗難であつたので、搔き消えて
  いつたような紛失ぶりが、私には不思議でたまらなかつた。
   船のなかで、「草枕」を読みながら、まだ、私はその盗難事件にこだはつてゐた。長崎の新聞社
  で金を借りては来たものゝ、失つたものに就いての執着が、時々、夢うつゝで見た女の後姿に、ど
  うしてもむすびついて来る。あれは錯覚だつたのだらうか、そいれとも、男の盗人がそつと這入つ
  て来たのだらうか。何としても私にはなつとくがゆかない。
   隣室の客は、枕もとの鞄を盗まれただけだつたが、これは、私の隣りの空室に、私のハンドバッ
  グと一緒に捨てゝあつた。何も盗られてはゐなかつたと見えて、巡査の来る前にその客は、鞄を持
  つて朝早い汽車で東京へ発つて行つた。
   空部屋の片隅に、私のハンドバつグの中味の名刺が、散乱し、結局、私のものだけが失はれてゐ
  た。推理を進めてゆくうちに、「草枕」の活字は少しも眼にはいらなくなつた。
   「宮崎へ着くには、どの位かゝりますか?」
   「一時間半位のものです。此分では先へ行つて、少し海上が荒れるかも知れません」
   女は雨に濡れた赤つぽい髪をなでつけながら、横坐りになつてゐた。外地から引き上げてきた女
  のやうに見えた。平べつたい、色の蒼黒い顔だつた。
   「天草ですか?」
   私は起き上がつて彼女に尋ねた。
   「えゝ、天草の本渡のものです。長らく青島にをりまして、子供二人かゝえてあなた、引き揚げ
  てきましたのですよ」
   「大変でしたね・・・・・」
   「えゝ、もう、とても子供づれで、あなた、無一物になつて戻りましたから、遊んではをられま
  せん」
   「何をなすつていらつしやるんです?」
   「いまですか、いまは、玉子の仲買ひをしてをります。毎日のやうに、この船で茂木まで売りに
  行つてをりますと・・・・・」
   玉子の商売が、どの位の利益になるものか、私には判らなかつたが、深くせんさくして尋ねる事
  はしなかつた。私は、暫く、呆んやりと窓を見てゐた。鉛色の水平線が、窓の外で高くなつたり低
  くなつたりしてゐる。「天草はおはじめてですか?」彼女が聞いた。
   「いゝえ、もう十二年昔でしたが、一度来たことがあります。富岡の松本さんと云ふ雲丹屋さん
  で、美味い雲丹を買つたことがありました」
   「松本さんは、先代の人は亡くなられた様子です。ーいまは塩が悪いので、昔のやうに美味い雲
  丹は出来なくなりました。今夜は富岡でお泊まりですか?」
   「着いた模様ですが、富岡には、どんなお宿がありますか?」
   「さうですね、三文字屋さんと云ふのがありますが、こゝがいいかも判りません」
   島影一つない、茫洋とした灰色の天草灘を小さい船は、激しいエンジンの音をさせて走つてゐる。
   「天草へおいでになつても、ほんとに見るところもありませんですもんね。天草らしいと云へば
  富岡ぐらゐのもんでせうか・静かなのんびりしたところです・・・・・女のひとも、昔はからゆき
  さん云ふて有名でしたけど、いまは、美しい人もをりません。何しろ、昔は海外へ働きに出とつた
  ものばかりで、いまはそれがみんな敗戦のおかげで苦労しに戻つて来てをりますもんね。ー島も引
  揚げ者でいつぱいですもンね。」
   私は煙草やサンドウイつチを彼女にすゝめた。話をしてゐるうちに、少しづつ船の動揺も気には
  ならなくなつて来た。雨のせいか、肌がじとじとして気持ちが悪く、東京を発つて十日あまりにな
  るせいか、何も彼ものろく、進むのも退くのも、いまはどうでもよくなつて来てゐる。朝霞八重山
  超えてよぶ千島、呼びや汝が来る屋戸もあらなくに、海を見てゐると、そんな、誰の歌かも判らな
  い歌が思ひ出される。白い鳥が群れて飛んでゐるやうに広い海上の到るところに、波頭が立つてゐ
  た。
   時計を盗まれたので時間が判らなかつたが、一時間位は進んだやうな気がした。三時半には船が
  着くのだ。この航路ではめつたに二等に乗るものもないとみえて、客は私達以外にはない。
   「私も主人と一緒にをりましたら、いま少しは、楽なのかも判りませんが、何しろ、私は我がまゝ
  なものですから、どもこもなりません・・・・・」
   「御主人は御一緒ぢやないンですか?」
   「はい、いま、主人は尾道の方にをります。私も青島から引揚げて来て、子供と、主人の実家の
  尾道へ参りましたが、どうにも遠慮で、暮らしにくいものですから、子供を連れて、天草へ戻つて
  来ました。青島にをります頃は少しは、楽しみのある生活もしてをりましたが、引揚げてきまして
  からね、その日暮らしで、毎日のやうに、かうして船に乗つて、茂木へ玉子売りですもんね。この
  まゝで、私の一生も終わりますけど、私はいゝとしましても、子供だけは教育してやりませんとね
  ・・・・・」
   「御主人は、何をしていらつしやいますの?」
   勤人でございます」
   「毎日のやうに船に乗つてると、随分、あぶない事もありますでせう?」
   「はい。それでも、あなた、めつたにそんな事はありません。一度怖ろしい事もありましたが、
  船には馴れましたもんね。商売は休むわけにはいきません。少々のことは押して、船さへ出れば、
  私は玉子を持つて茂木へ行きます。朝八時で出掛けて、この船で戻つて来ます。母と、子供二人か
  ゝへてをりますものですから、一日も商売は休んぢやゐられません。軀一つが、資本ですもんね。」

   富岡へは四時一寸前に着いた。小雨が降つてゐた。港とも云へないやうな、小さな波止場に、木
  造の郵便局風な汽船の発着所があつた。寝れてずるずる滑りさうな、はしけを渡つて、その発着所
  へ走つて行つたが、船から一緒に降りた女は、親切に、発着所の電話をかりて、旅館へ電話をかけ
  てくれた。あひにくと、外人が家族づれで泊まつてゐるさうで、彼女の教えてくれた三文字屋には
  断られて、私は途方にくれた。本渡へ行くバスがこゝへ来るまでは、まだ一時間も間があり、こゝ
  から本渡までは、二時間近くもかゝると聞いては、どうしてもこの富岡へ宿を取るより仕方がない。
  発着所の前のお休み所と看板の出てゐる処へ、荷物を運び込むと、眼の前を、伊勢海老を笊いつぱ
  いかゝえて走つてゆく、漁師風な男に逢つた。海老はぴくぴくと笊の中で動いてゐた。
   三文字屋旅館と同じ古い旅館で、もう一軒岡野屋旅館と云ふのがあると云ふので、船の女は、私
  のところに走つて来て、そこはどうだらうかと聞いた。いまでは何処でもいゝのだ。私はそこへ電
  話して貰つた。三十分ばかりも休み所に待たされたが、岡野屋旅館の話では、女中が歯痛の為に寝
  込んでいるので、思ふやうにお世話も出来ないと云ふ話であつた。女中なしで満足な事も出来ない
  が、それでもよければ、泊めてくれると云ふので、私は女のひとに、ぜひにもその宿に泊めて 貰へ
  るやうに電話を頼んだ。
   軈て雨の中を、番傘をかゝへた若い男と、おさげの娘が迎へに来てくれた。船の彼女に別れを告
  げると、休み所の店先に並べてあつた雲丹の瓶を取つて、彼女はあわてゝ私に持つて行けと云つた。
  私はかうした世話にたつた上に、彼女の贈物を受けるわけにはゆかなかつたので、強く断つたが、
  宿へ着いてみると、おさげの娘が、雲丹の瓶を持たされて来てゐた。玉子を売つて暮らしてゐる女
  に雲丹を贈物にされる事は、何とも忍びなかつた。
   波止場から左に折れて、若い男の差しかけてくれる傘にはいつて歩いた。
   「旅館は遠いの?」
   「はい六百米ばかりあります」
   六百米と云はれて、私は、どの位の遠さか判らなかつた。
   「六百米つて、一キロ位なの?」
   「そんなにはありません」
   「貴方は岡野屋さんの息子さん?」
   「はい」
   「岡野屋さんは古い宿屋さんなの?」
   「明治初年から「やつてをります」
   やつと岡野や旅館へたどり着いたが、風雨に晒された素朴な玄関であつた。岡野屋の息子は、差
  してゐた番傘を、玄関の前のヤつ手の植込みのところへ、開いたまゝぱあんと投げた。雨で重たく
  なつた番傘は、八つ手の植込みの中へコマのやうに舞つて行つた。ー天井の低い二部屋つゞきの間
  へ通されたが、白いかつぽう着を着た品のいゝ主婦が、手を宙に泳がせるやうなかつこうで、挨拶
  に二階へ上がつて来た。髪は少し白かつたが、若い時は仲々の美人であつたらうと思へるおもざし
  である。
   「女中が歯を悪くして寝てをりまして、あひにくの時でございましてね。何とも申しわけござい
  ませんです。ー私は眼が見えませんので、お客さまのお顔が見えませんが、残念でございます。」
   障子を明けて、干潟になつた海を見てゐた私は、吃驚して主婦を振り返つた。
   「私も若い時は、東京にをりましたのですよ。主人も早稲田へ行つてをりまして、学生の軍事教
  練に反対したりして、ストライキなぞしましてねえ、学校を追はれたりしましたとです。何しろ、
  主人はあまのじゃくですから此宿屋も貧乏しとりますとです・・・・・」
   主婦は問わず語りに、敷居ぎはへ坐りこんで話してゐる。よつほど人なつこいのでもあらうかと
  思つた。海は、畑のやうに縞をなして干潟になつてゐた。鳥が群れて、黒い砂地を何かついばんで
  ゐた。
   「あら、どうして眼が見えないんですか?」
   「はい、女の子を生みます時、その子供が、あなた、十二ヶ月も私のおなかにをつたものですか
  ら、ひどい難産をしましてねえ、それから自然に眼がかすんでまゐりました。子供は十二ヶ月も、
  私のおなかにをりましたものですから、あなた、生まれた時には、前歯が一本ございまして、それ
  はそれは吃驚いたしましたとです・・・・・。その歯はさはつてみますと柔らかいものでしたが、
  きまりが悪くてなるべく笑わせないやうにしてをりましたとです・・・・・」
   主婦はおもながな、色の白い、顔を挙げて、激しくまばたきしながら、私の方へ顔を向けてゐた。
  私はしめつた靴下をぬぎながら、火鉢の前へ坐つた。赤茶けた畳、黄ろくなつた襖、壁ぎはには細
  長い置床があり、背の高い柱鏡が立てかけてあつた。
   「お風呂はございますか?」
   「それが、あなた、この雨で、薪が濡れまして、折角のお客さまに、お風呂も焚いて差し上げら
  れないのでございます」
   雨は小降りになり、激しい風が吹きつけて来た。狭い廊下へ出てみると、石崖の下の砂地を、鳥
  が一羽、しきりに水たまりのなかをあさつてゐた。茫洋としてゐた海上には、白い波が浮き立つて
  ゐた。
 
  今夜は鯛を差し上げるつもりで、息子を走らせましたが、鯛が何処にもございませんのです。あひ
  にくの事でございます」
   「さつき船着場で、海老を見たンだけど、海老はたべられませんか・・・・・」
   「はい、海老なら、何とかなりますでせう・・・・・」
   主婦はやつと立ちあがつて、足さぐりに暗い階段を降りて行つた。廊下の欄干には、雨戸をおさ
  へる、太い丸鐶が打ち込んであつた。低い軒の、渡しの木にも、太い丸鐶が打ち込んであつて、風
  の激しい日の雨戸おさへに使ふものらしい。風はしきりに、硝子戸をゆすぶつた。静かな海のやう
  に見えてはゐるけれども、海上からは叩きつけるやうな、荒いなまぐさい風が吹きつけた。
   「はい、海老ならばいゐのがはいりますさうです。お客さまは、お酒はいかゞですか・・・・・」
   主婦がまたゆつくり、手探りで茶を運んできた。
   「お酒は二本ほどつけて下さいーこゝから熊本の三角へ行くには、船は何処から乗つた方がいゝ
  のですか?」
   「本渡からでもようございますし、大浦からでもようございますです。本渡からですと、二時間
  ばかりですし、大浦からですと、四十分ばかりで行けませう。ーあとで主人に聞いて参ります。主
  人も、今夜ぜひとも、話にあがりたいと云つてをります。只今、海老を料理してをりますものです
  から、御挨拶にもあがれませんけれども・・・・・」
   私は立つて電燈をつけた。ランプの笠のやうな、波を打つた笠ぶちが、薄青い色をしてゐる。古
  風な田舎びた電燈で、ひどく暗い。
   軈て、主婦と、さつき船着場に迎へに来てくれた女の子とで、膳を運んで来たが、膳の上は、刺
  身も、椀も、煮物も、何も彼も海老づくめの心づくしであつた。茶色の硝子の徳利入れが二本、膳
  の上に並んでゐた。
   「あなたは、若い時、大変な美人だつたでせうね」
  私はつくづく、主婦の品のいゝ、淋しさうな顔を眺めて云つた。
   「いゝえ、私は、もう長い事、自分の顔も見た事がございません。自分が、どんな顔をしてをり
  ますのか、十何年も鏡を見た事がございませんものね・・・・・。時々、主人に襟あしを剃つて貰
  ひます時に、どんなに変わつたかと聞くだけでございます。いまは、二人の子供を教育します事だ
  けでいつぱいでございましてね。ー昔はこれでも、あなた、女中も二三人はをりましたが、いまは、
  かうして、ぼつぼつやつてゐるだけでして、今夜も、水産試験所のお方が十人ばかり来ると云ふお
  話もありましたが、何も料理ができませんのでお断りしました。人手もありませんし、女中も寝込
  んでをりますものですから、本当に申しわけございません」
   疲れてゐたせいか、酒も美味くなく、船の女の人に貰つた雲丹で茶づけをして、ふつと、海をの
  ぞくと、黄昏の海は、いつの間にか崖下にまで、波が押し寄せてゐて、さつきまでの遠い干潟はあ
  とかたもなく海水の底に消えてゐた。黄ろく濁つた海であつた。

  (昭和二十五年五月 別冊文藝春秋 第十六号より)

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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  • 林芙美子、「天草灘」の全文。~話の舞台は、茂木港から富岡港、そして、岡野屋。~ (2013/2/3)
  • 2013年02月04日 (月)
  • 11時27分51秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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