ちょっとした町並みがあるというので、行くことに。
場所は、天草市五和町御領。 ※ いさわまち ごりょう。
※ 元々は、御領村があって、合併して五和町。 さらに合併して、天草市。
石塀が美しいそうだが、中心の場所は分からなかった。
ただ、石垣の美しさが目立った。
そして、岩屋観音と変わった石橋を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
近くの鬼池港から、島原へのフェリーが出ている。
離れた所に車を置いて、歩き出した。 いつもこう。
苓北町に続く、海岸道路。
道を聞いた人が、秋にはお祭りがあると言った。 灯篭の祭り。
調べてみたら、下の祭り。 ※ 写真は、天草観光ガイド「旅島」から、お借り。
橋の上から。 市街地は、右に広がっている。
※ 左に、天草市の五和町支所。 五和町の単独の自治体の時、役場はここにあった。
五和町の御領地区。 案内があった。 これを頼りに歩く。
町の中の、古い道。 石垣のような、石塀。
小さな人形。 土人形は、天草では、時々見る。 どこのも、やわらかな、この雰囲気。
右の建物は、閉まっていた。 案内所だろうか。
御領の祭りも、竹に灯りをともす。
灯篭は、工夫次第で、いくらでも美しく出来そう。
※ 山鹿に似ているのかな。 山鹿灯篭浪漫 竹灯り 八千代座 平山温泉郷 ~山鹿市~ 酔わせてよ今夜だけ 他 (2012/2/10)
左に、お寺。 石垣が立派。
右のお寺も、こう。
六地蔵。 像の表面が、剥離しているのがある。
※ 石は、きっと砂岩かな。 そういう傾向があるよう。
屋根があって、地蔵さんは、今は一安心。
芳證寺(ほうしょうじ)。 代官鈴木重成が建てた寺。
※ 鈴木重成という人は、天草では、神様のような人。 祀っている神社も多い。
でもこれは、キリシタンを減らすための幕府側の作戦。
天草の島に入ってから、ずっと、そう感じていた。
鈴木代官が書いた。
あがってきて、振り返って撮影。 いいですね。
家並みを通り過ぎたら、岩屋観音があった。
岩に削って、そこに石像を置いていた。 岩を彫る磨崖仏ではない。
私は、下から歩いてきた。
中央に石本家があるが、その魅力は、この時分からない。 晩に調べていて分かった。
江戸時代からの財閥で、こんな石塀の立派な家が残っている。(ネットの写真)
※ 島原に行くとき通るから、寄ってみようか。
この地図で、石橋の場所を知った。 途中で人に会わないから、聞けない。
堅い岩を、ノミで掘ったんですね。
私は、そんな作業をしたことがない。 細かな石が、顔めがけて飛んできそう。
最近、こんな写真の時、全部にピントを合わせる練習をしている。
暗いと難しい。 三脚があると、楽かな。 今日は、失敗。
ここ岩屋観音の一番の像は、楊柳(ようりゅう)観音。 三十三観音の一つという。
そこは、建物で囲われている。 後で見る。
上の写真を下から。
京都とかで石仏を見たら、決まりきった顔をしている。
それに比べて、天草のは、個性的。 表情が豊か。 何を思っているのか、想像しやすい。
見ていて、飽きない。
小屋のような建物の中。 正面にいます。 等身大。
横にも並んでいる。
こうです。 色鮮やか。 右手(向かって左)に、柳の枝を持ってるそうだけど、はっきりしない。
写真にある、緑の枝葉、柳ですね。 病気を治してくれる。
※ 享保十五とあって、これは、1730年。
下に、庚戌(かのえいぬ)とある。 自分は分からないので、調べてみた。
十干(じっかん)というのがある。 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。
庚(かのえ)は、7番目。
十二支(じゅうにし)もある。 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
戌(いぬ)は、11番目。
上を組み合わせると、甲子→乙丑→丙寅→と組み合わせていく。
十干は10で、十二支は12。 庚戌は、47番目で出てくる。
西暦4年を、甲子にして、スタートした。
2番目の乙丑は、西暦5年。 2番目だと1年増える。
だから、47番目は、46増える。
という事で、最初の庚戌の年は、西暦50年。
甲子でスタートして、60年後にまた、甲子に戻る。
庚戌は、下のようになる。
西暦50年 110年 170年 230年 290年 ・・・・・
この数字は、どんな数字かというと、60で割ったら、50余る年。
楊柳観音は、1730年。 1730÷60=3 余り50。
確かに、書いてある庚戌は、でたらめでない。
このことは、初めて知りました。
親しみのある、みんないい顔をしています。
天草の仏像は、いい。
そう云えば、岩屋観音の石段は、砂岩。 濡れていたので、ツルツル。
岩屋観音から見た、御領の里。
変わった石橋ですよ。 石を合わせただけ。 小さければ、確かにこれでいいんですね。
説明に、合掌桁造りとあった。 ※ がっしょうけたづくり。
石を合わせているから、合掌。 横に渡したから、桁。 合掌桁橋とも言うようです。
この石橋は、普通の石橋の原型に見えますが、これが発展して出来たのではないんですね。
熊本の石工は、長崎で、西洋の石橋のつくり方を学んだ。
ヨーロッパでは、2000年前に、こんな水道橋を作っている。
下の橋も、合掌桁造り。 ほんの少し、上に膨らんでるだけ。
幅は、60㌢。 国東半島の山の中にある。 石橋の向こうは、真っ逆さまの谷。 30㍍はある。
私は、渡れない。 でも、渡る人がいる。
梅の花です。 右は、歯科医院の前に。 通りには、細やかな心遣いがあちこちにありました。
小さな町にも、紹介されていない魅力が、たくさんありますね。
御領の町並み、よかったですよ。
【関連ブログ】 霊場、中山仙境に登ってみた ~普通の登山と違う、危険なルートだった~ 他 (2010/4/16)
【今日の歌】 山鹿の八千代座で、彼女は歌ったことがあるそうです。
まだ歌っているんですね。 通路の穴から、登場したそうです。 彼女の希望で。
【道の駅】 有明
【明日の予定】 この近く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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3位です。
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場所は、天草市五和町御領。 ※ いさわまち ごりょう。
※ 元々は、御領村があって、合併して五和町。 さらに合併して、天草市。
石塀が美しいそうだが、中心の場所は分からなかった。
ただ、石垣の美しさが目立った。
そして、岩屋観音と変わった石橋を見た。
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近くの鬼池港から、島原へのフェリーが出ている。
離れた所に車を置いて、歩き出した。 いつもこう。
苓北町に続く、海岸道路。

道を聞いた人が、秋にはお祭りがあると言った。 灯篭の祭り。
調べてみたら、下の祭り。 ※ 写真は、天草観光ガイド「旅島」から、お借り。


橋の上から。 市街地は、右に広がっている。
※ 左に、天草市の五和町支所。 五和町の単独の自治体の時、役場はここにあった。

五和町の御領地区。 案内があった。 これを頼りに歩く。

町の中の、古い道。 石垣のような、石塀。

小さな人形。 土人形は、天草では、時々見る。 どこのも、やわらかな、この雰囲気。
右の建物は、閉まっていた。 案内所だろうか。
御領の祭りも、竹に灯りをともす。
灯篭は、工夫次第で、いくらでも美しく出来そう。
※ 山鹿に似ているのかな。 山鹿灯篭浪漫 竹灯り 八千代座 平山温泉郷 ~山鹿市~ 酔わせてよ今夜だけ 他 (2012/2/10)


左に、お寺。 石垣が立派。

右のお寺も、こう。

六地蔵。 像の表面が、剥離しているのがある。
※ 石は、きっと砂岩かな。 そういう傾向があるよう。
屋根があって、地蔵さんは、今は一安心。


芳證寺(ほうしょうじ)。 代官鈴木重成が建てた寺。
※ 鈴木重成という人は、天草では、神様のような人。 祀っている神社も多い。
でもこれは、キリシタンを減らすための幕府側の作戦。
天草の島に入ってから、ずっと、そう感じていた。


鈴木代官が書いた。

あがってきて、振り返って撮影。 いいですね。

家並みを通り過ぎたら、岩屋観音があった。

岩に削って、そこに石像を置いていた。 岩を彫る磨崖仏ではない。

私は、下から歩いてきた。
中央に石本家があるが、その魅力は、この時分からない。 晩に調べていて分かった。
江戸時代からの財閥で、こんな石塀の立派な家が残っている。(ネットの写真)
※ 島原に行くとき通るから、寄ってみようか。
この地図で、石橋の場所を知った。 途中で人に会わないから、聞けない。

堅い岩を、ノミで掘ったんですね。
私は、そんな作業をしたことがない。 細かな石が、顔めがけて飛んできそう。
最近、こんな写真の時、全部にピントを合わせる練習をしている。
暗いと難しい。 三脚があると、楽かな。 今日は、失敗。

ここ岩屋観音の一番の像は、楊柳(ようりゅう)観音。 三十三観音の一つという。
そこは、建物で囲われている。 後で見る。

上の写真を下から。

京都とかで石仏を見たら、決まりきった顔をしている。
それに比べて、天草のは、個性的。 表情が豊か。 何を思っているのか、想像しやすい。
見ていて、飽きない。


小屋のような建物の中。 正面にいます。 等身大。

横にも並んでいる。

こうです。 色鮮やか。 右手(向かって左)に、柳の枝を持ってるそうだけど、はっきりしない。
写真にある、緑の枝葉、柳ですね。 病気を治してくれる。


※ 享保十五とあって、これは、1730年。
下に、庚戌(かのえいぬ)とある。 自分は分からないので、調べてみた。
十干(じっかん)というのがある。 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。
庚(かのえ)は、7番目。
十二支(じゅうにし)もある。 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
戌(いぬ)は、11番目。
上を組み合わせると、甲子→乙丑→丙寅→と組み合わせていく。
十干は10で、十二支は12。 庚戌は、47番目で出てくる。
西暦4年を、甲子にして、スタートした。
2番目の乙丑は、西暦5年。 2番目だと1年増える。
だから、47番目は、46増える。
という事で、最初の庚戌の年は、西暦50年。
甲子でスタートして、60年後にまた、甲子に戻る。
庚戌は、下のようになる。
西暦50年 110年 170年 230年 290年 ・・・・・
この数字は、どんな数字かというと、60で割ったら、50余る年。
楊柳観音は、1730年。 1730÷60=3 余り50。
確かに、書いてある庚戌は、でたらめでない。
このことは、初めて知りました。
親しみのある、みんないい顔をしています。
天草の仏像は、いい。


そう云えば、岩屋観音の石段は、砂岩。 濡れていたので、ツルツル。
岩屋観音から見た、御領の里。

変わった石橋ですよ。 石を合わせただけ。 小さければ、確かにこれでいいんですね。
説明に、合掌桁造りとあった。 ※ がっしょうけたづくり。
石を合わせているから、合掌。 横に渡したから、桁。 合掌桁橋とも言うようです。

この石橋は、普通の石橋の原型に見えますが、これが発展して出来たのではないんですね。
熊本の石工は、長崎で、西洋の石橋のつくり方を学んだ。
ヨーロッパでは、2000年前に、こんな水道橋を作っている。
下の橋も、合掌桁造り。 ほんの少し、上に膨らんでるだけ。
幅は、60㌢。 国東半島の山の中にある。 石橋の向こうは、真っ逆さまの谷。 30㍍はある。
私は、渡れない。 でも、渡る人がいる。

梅の花です。 右は、歯科医院の前に。 通りには、細やかな心遣いがあちこちにありました。


小さな町にも、紹介されていない魅力が、たくさんありますね。
御領の町並み、よかったですよ。
【関連ブログ】 霊場、中山仙境に登ってみた ~普通の登山と違う、危険なルートだった~ 他 (2010/4/16)
【今日の歌】 山鹿の八千代座で、彼女は歌ったことがあるそうです。
まだ歌っているんですね。 通路の穴から、登場したそうです。 彼女の希望で。
【道の駅】 有明
【明日の予定】 この近く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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