命を捨てる覚悟は出来ていた。 だから、戦えた。
最後は江戸幕府が敵になって、どうすることも出来なかったが。
早い段階で、子供を助ける条件で、降伏は出来なかったのでしょうか。
出来なかったのは、下の事情に関係するのか。
信者にとっては、子供の命と信仰と、どちらかの選択になったとき、子供とは限らないんですね。
これは、子供の命は、大人のものではないと考えると、理解できないんだが。
ホネカミ地蔵。 珍しい風習が、九州にはある。
私は今どこにいるか。 当てるのはたいへん。 稚内の果てではないけれど。
たんたんと旅を続けるのは、難しい。
※ ※ ※ ※
フェリーは、鬼池港から口之津港へ。
正面奥に、口之津港。
原城にむかった。
山側からの道。 石垣とかは、徹底的に壊されたので、なだらかな道で、本丸跡に行ける。
駐車場のそばに、ホネカミ地蔵。
島原の乱の130年後に出来た。 乱の悲惨さは、後の世まで伝わって行く。
九州には、骨噛(か)みの風習があったようです。
焼いたあと骨をひろう。 その時少しだけ骨を噛んで、食べる。
説明には、自分自身のものにするとあるけど、何をでしょう。
その人の、魂でしょうか。
下の動画の4分45秒からの場面で、骨噛みという言葉が出てくる。
青春の門です。 黒木瞳、迫真の演技。
タエが信介に、川筋の男が泣くときは、一生に一度、骨噛みの時だけ、と言う。
ずっと後に、信介はタエの骨を噛む時が来る。
石垣が、整然と並んでいるところは、少ない。
右が高くなっている。 広く、城跡。
天守跡。
詳しい説明。
左下が、城。 城の正確な広さは、調べても分からない。
図では、大雑把に、500㍍×1500㍍。
これだけあれば、37000人は何とかなるでしょうか。、
原城の位置。
※ 私は今日、鬼池港から口之津港、そして、島原港から熊本港へ。 2回乗る。
※ 五足の靴と林芙美子は、茂木港から富岡港へ。
城跡からは、色んなものが発掘された。 遺骨も。
海からの高さが分かる。
上の場所には、こんな石垣が築かれていた。
下から登ってくるのは、幕府軍。 石を落とすのは、籠城(ろうじょう)軍。
この絵の大きいのを、天草キリシタン館で見た。
あっちこっちに、切り取られた頭が転がっていた。
戦闘では、相手を倒したら、直ぐに首を取ったのだろうか。
そんな余裕があるのかな。
遠くに、普賢岳(ふげんだけ)。
原城跡の碑。 戦いの意義を、認めている。
城に立てこもって、幕府を相手にしたら、勝ち目はない。
どうしてそうしたのかって、不思議。
WIkipediaには、下のように書いてあった。
NHK「その時歴史が動いた(2007年1月24日放送)」では当時の著書カリバーリョ弁駁書を元に原城に立て
篭もった要因をローマ教皇から一揆軍へ援軍を送るという内密があり、イエズス会と縁の深いカトリック教国
(ポルトガル王国[12])の援軍が来るまでの間籠城していればよいという作戦であったという説を提唱している。
またカリバーリョ弁駁書では実際にポルトガルは日本への上陸を試みたが出来なかったとしている。
上のことが事実で、それを信じていたら、理解できるかな。
天草四郎像。
像は、北村西望という人が作った。 地元の人。
※ 北村西望の像は、今までいくつか見た。
箱根、福岡県の秋月、京都嵐山トロッコ駅で、この像。 長崎平和祈念像。 小豆島で見た、平和の女神像。
長崎と小豆島の像は、力強い。
天草四郎の墓。
四郎の母が建立したと思われる墓石、とWikipedia にある。
本丸跡は、学校のグランドくらいの広さ。
湯島が見える。 島原の乱の作戦の密談は、この島で行われた。
幕府側の総攻撃の前、この海側の断崖から、千人単位で脱出者がいたとの説がある。(Wikipedia)
別の道から、駐車場に戻っている。
※ 以前この道を歩いた時、石垣の隙間に、食器のかけらを見つけた。
この後、エアコンの調子が悪いと確認。 この場所の気温は、15度ほどあった。
以前修理した出水市に、戻ることに。
島原市から、鹿児島へのフェリーに。 割引期間で、3500円。
たくさんのカモメが、船を追ってきた。 鹿児島まで、1時間ほど飛び続けた。
いつも見るカモメより、小さい。 目つきが、やさしい。
手から、カッパえびせんを食べる。
子供たちもみんな楽しんだ。
南に向かって、走った。 慌ただしい1日に。
【道の駅】 たのうら
【明日の予定】 車の修理
※ 直らなかったら、どうしましょう。
4度目の修理です。
直せる業者に出会うのは、大変。
アイドリングの時の暖房にも、問題が。
少し前から、調子が悪くなった。
直ったのかなと思ったんだが、そうではなかった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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最後は江戸幕府が敵になって、どうすることも出来なかったが。
早い段階で、子供を助ける条件で、降伏は出来なかったのでしょうか。
出来なかったのは、下の事情に関係するのか。
信者にとっては、子供の命と信仰と、どちらかの選択になったとき、子供とは限らないんですね。
これは、子供の命は、大人のものではないと考えると、理解できないんだが。
ホネカミ地蔵。 珍しい風習が、九州にはある。
私は今どこにいるか。 当てるのはたいへん。 稚内の果てではないけれど。
たんたんと旅を続けるのは、難しい。
※ ※ ※ ※
フェリーは、鬼池港から口之津港へ。
正面奥に、口之津港。

原城にむかった。
山側からの道。 石垣とかは、徹底的に壊されたので、なだらかな道で、本丸跡に行ける。

駐車場のそばに、ホネカミ地蔵。

島原の乱の130年後に出来た。 乱の悲惨さは、後の世まで伝わって行く。


九州には、骨噛(か)みの風習があったようです。
焼いたあと骨をひろう。 その時少しだけ骨を噛んで、食べる。
説明には、自分自身のものにするとあるけど、何をでしょう。
その人の、魂でしょうか。
下の動画の4分45秒からの場面で、骨噛みという言葉が出てくる。
青春の門です。 黒木瞳、迫真の演技。
タエが信介に、川筋の男が泣くときは、一生に一度、骨噛みの時だけ、と言う。
ずっと後に、信介はタエの骨を噛む時が来る。
石垣が、整然と並んでいるところは、少ない。

右が高くなっている。 広く、城跡。

天守跡。

詳しい説明。

左下が、城。 城の正確な広さは、調べても分からない。
図では、大雑把に、500㍍×1500㍍。
これだけあれば、37000人は何とかなるでしょうか。、

原城の位置。
※ 私は今日、鬼池港から口之津港、そして、島原港から熊本港へ。 2回乗る。
※ 五足の靴と林芙美子は、茂木港から富岡港へ。

城跡からは、色んなものが発掘された。 遺骨も。

海からの高さが分かる。

上の場所には、こんな石垣が築かれていた。
下から登ってくるのは、幕府軍。 石を落とすのは、籠城(ろうじょう)軍。
この絵の大きいのを、天草キリシタン館で見た。
あっちこっちに、切り取られた頭が転がっていた。
戦闘では、相手を倒したら、直ぐに首を取ったのだろうか。
そんな余裕があるのかな。

遠くに、普賢岳(ふげんだけ)。

原城跡の碑。 戦いの意義を、認めている。


城に立てこもって、幕府を相手にしたら、勝ち目はない。
どうしてそうしたのかって、不思議。
WIkipediaには、下のように書いてあった。
NHK「その時歴史が動いた(2007年1月24日放送)」では当時の著書カリバーリョ弁駁書を元に原城に立て
篭もった要因をローマ教皇から一揆軍へ援軍を送るという内密があり、イエズス会と縁の深いカトリック教国
(ポルトガル王国[12])の援軍が来るまでの間籠城していればよいという作戦であったという説を提唱している。
またカリバーリョ弁駁書では実際にポルトガルは日本への上陸を試みたが出来なかったとしている。
上のことが事実で、それを信じていたら、理解できるかな。

天草四郎像。


像は、北村西望という人が作った。 地元の人。

※ 北村西望の像は、今までいくつか見た。
箱根、福岡県の秋月、京都嵐山トロッコ駅で、この像。 長崎平和祈念像。 小豆島で見た、平和の女神像。
長崎と小豆島の像は、力強い。
天草四郎の墓。

四郎の母が建立したと思われる墓石、とWikipedia にある。


本丸跡は、学校のグランドくらいの広さ。

湯島が見える。 島原の乱の作戦の密談は、この島で行われた。
幕府側の総攻撃の前、この海側の断崖から、千人単位で脱出者がいたとの説がある。(Wikipedia)

別の道から、駐車場に戻っている。
※ 以前この道を歩いた時、石垣の隙間に、食器のかけらを見つけた。

この後、エアコンの調子が悪いと確認。 この場所の気温は、15度ほどあった。
以前修理した出水市に、戻ることに。
島原市から、鹿児島へのフェリーに。 割引期間で、3500円。

たくさんのカモメが、船を追ってきた。 鹿児島まで、1時間ほど飛び続けた。

いつも見るカモメより、小さい。 目つきが、やさしい。

手から、カッパえびせんを食べる。


子供たちもみんな楽しんだ。

南に向かって、走った。 慌ただしい1日に。
【道の駅】 たのうら
【明日の予定】 車の修理
※ 直らなかったら、どうしましょう。
4度目の修理です。
直せる業者に出会うのは、大変。
アイドリングの時の暖房にも、問題が。
少し前から、調子が悪くなった。
直ったのかなと思ったんだが、そうではなかった。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
青春の門
五島列島にはもう行かれたのでしょうか
本土におけるお寺のような感覚で教会が至る所にあり驚かされます
独特の墓石に十字架の乗った墓群にも
中通島の北に延びる岬に沿って教会が連なってる様は印象的です
本土におけるお寺のような感覚で教会が至る所にあり驚かされます
独特の墓石に十字架の乗った墓群にも
中通島の北に延びる岬に沿って教会が連なってる様は印象的です
Re: 青春の門
嘉穂劇場に一度行ってみたいです。
骨噛み、不思議ですね。
骨噛み、不思議ですね。
Re: タイトルなし
3年ほど前に、行っています。
行ったのは福江島です
行ったのは福江島です
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旅も人生もやり抜くことは大変ですね。体の調子、車の調子、いろんなことを察します。
20日ごろ、シフトが決まります。待っていてください。