猫神社があった。
300年前、この地にお松という女性がいた。
お松は、不当な裁きを訴え直訴した。
しかし、直訴の罪で処刑された。
お松の愛猫が、化け猫になって、お松の怨念を晴らした。
お松大権現というその神社は、那賀川の中流にあった。
ここを通る道は、徳島から高知へ行く街道。 土佐中海道。 ※ 海側の道は、土佐浜街道。
大きな猫がお出迎え。
大きな建物は、拝殿と、右の資料館。 左に下りたら、上の猫。
これが、拝殿。
猫だらけ。 狛犬も、狛猫(こまねこ)。 鬼瓦は、猫瓦。 何でも猫だった。
拝殿の後ろにある、本殿。
この神社は、合格祈願や商売繁盛でも、多くの人が来ている。 駐車場が広い。
猫や絵馬は、ここだけでない。
資料館。
招き猫で、埋まっている。
ここは、賀茂村と呼ばれた。
江戸時代の中頃、那賀川の洪水で不作が続いた。 田畑は狭いから、村人は苦しんだ。
庄屋の惣兵衛は、立ちあがった。
村を救うため、五反ほどの私有地を担保に、野上三左衛門という富豪に金を借りた。
村人は助かった。 笑顔が戻った。
惣兵衛の妻の名はお松。 子供のいないお松は、三毛猫を大事に飼っていた。
病に伏していた惣兵衛のもとに、三左衛門(さんざえもん)が見舞いに来た。
その時、借りていた金を戻してしまった。
三左衛門は、借金の証文は持っていなかった。 明日にでも届けると言った。
しかし、三左衛門はただ者ではなかった。 証文は持って来なかった。
証文をもらいに行ったら、金はもらってない、とまで言い始めた。
さらに、金は戻してもらっていないからと、担保の土地までとってしまった。
惣兵衛の体は、心配事が重なって重くなった。 そして、後のことを心配しながら死んだ。
妻のお松は、証文を返すよう三左衛門の所に行って、要求した。
三左衛門が応じるわけはなかった。 策略だった。
お松は、奉行所に訴えた。 奉行は、徳島藩の長谷川越前守。
しかし、この奉行に、腹黒い三左衛門から、袖の下が渡っていた。
お松は、あきらめなかった。 最後の手段に出た。
徳島藩の殿様に直訴した。 直訴は死罪と分かっていて。
お松の思いが叶えられることはなかった。 死罪になる。
三毛猫と共に、すぐ近くの、那賀川と加茂川の合流点の川原で、首をはねられた。
その場にいた役人には、お松の顔が菩薩に見えたと言う。
役人は、仕事だからやってるだけ。 切りたいわけではない。
念仏の唱和の声が上がり、その中で、お松は死んでいった。
貞享3年3月15日の、月夜の晩のことだった。
その後、三左衛門と長谷川奉行の家には、怪事が続けざまに起こる。
耳元で猫の悲鳴が聞こえたり、召し使いの女が猫に見えたり、行灯に照らされた障子に猫の影が映ったり。
この怪猫に悩まされ続けた両家は変死や病死が相次いだ。
奉行は失脚し、お家は断絶した。 三左衛門の家も同じ。
死をもって不正を訴えたお松を偲び、村人たちはその墓所を義理権現と呼んだ。
そして、お参りするようになった。
義理権現が、今、お松大権現となっている。
※ ここまでは、資料館の中の資料と、「日本文史 » 日本の伝説」のHPを参照。
なお、5反の畑の場所は、分かっており、表示されている。
また、長谷川奉行の跡地が残っており、そこにお松と猫を祀った神社がある。
場所は、県立近代美術館のそば。 ここに、詳しく。 ※ お松の話に、少し違う部分もあるが。
那賀川をはさんだ川向こうに、午尾(ごお)の滝があった。
バス停にバスが止まっていて、運転手さんに場所を聞いた。
ついておいでと言ったので、バスの後ろをついて行った。
曲がり角で停まって、あっちだよって、教えてくれた。
歩いて楽しい、田舎道。 天気もいい。
棚田のような、ミカン畑。
※ この写真は、偏光フィルターを使った。 上は使っていない。 違いが出ますね。
小さな谷の入り口。 陽だまりのように暖かい。
滝に着いたんだが、どこだか直ぐには分からなかった。
左の下に見えてるのが、少しして気付いた。
八幡神社から見下ろすと、こう。
高さ30㍍。 馬の尻尾に似てるので、午尾の滝と言う。 午は馬のことですね。
雨が少ないから、水量も少ない。 サラサラと静かに流れ落ちていた。
上の方。
滝壺。 きれいな水だった。 泳いだらダメ、とあった。
魚がいた。 ゆれる波に、似ている。
この辺りは、風景がいい。 途中、那賀川に沈下橋があった。
暖かいから、花は元気。
三左衛門と長谷川家を呪い殺したのは、庶民のように思いますね。
両家に、何かがあったら、それは、お松と三毛猫の祟りだと騒いだ。
昔の人々は信心深かった。 両家もそうだった。 それに苦しんで、おかしくなっていった。
庶民を敵にまわしたのが、致命傷になった。
お松は、強い女性だった。 権力と戦った彼女を、庶民は忘れなかった。
お松大権現として、今に残った。
そんな感じがします。
【道の駅】 鷲の里
【明日の予定】 山の上に寺がある。 そこかな。 ここは、小さな町、歩くか。
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【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は51位です。
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【動画】
午尾(ごお)の滝。
鷲の里へ。 ※ 動画の中で、上もこれも、名前を間違ってる。
300年前、この地にお松という女性がいた。
お松は、不当な裁きを訴え直訴した。
しかし、直訴の罪で処刑された。
お松の愛猫が、化け猫になって、お松の怨念を晴らした。
お松大権現というその神社は、那賀川の中流にあった。
ここを通る道は、徳島から高知へ行く街道。 土佐中海道。 ※ 海側の道は、土佐浜街道。
大きな猫がお出迎え。

大きな建物は、拝殿と、右の資料館。 左に下りたら、上の猫。

これが、拝殿。

猫だらけ。 狛犬も、狛猫(こまねこ)。 鬼瓦は、猫瓦。 何でも猫だった。

拝殿の後ろにある、本殿。
この神社は、合格祈願や商売繁盛でも、多くの人が来ている。 駐車場が広い。

猫や絵馬は、ここだけでない。

資料館。

招き猫で、埋まっている。

ここは、賀茂村と呼ばれた。
江戸時代の中頃、那賀川の洪水で不作が続いた。 田畑は狭いから、村人は苦しんだ。
庄屋の惣兵衛は、立ちあがった。
村を救うため、五反ほどの私有地を担保に、野上三左衛門という富豪に金を借りた。
村人は助かった。 笑顔が戻った。
惣兵衛の妻の名はお松。 子供のいないお松は、三毛猫を大事に飼っていた。

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その時、借りていた金を戻してしまった。
三左衛門は、借金の証文は持っていなかった。 明日にでも届けると言った。
しかし、三左衛門はただ者ではなかった。 証文は持って来なかった。
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さらに、金は戻してもらっていないからと、担保の土地までとってしまった。
惣兵衛の体は、心配事が重なって重くなった。 そして、後のことを心配しながら死んだ。
妻のお松は、証文を返すよう三左衛門の所に行って、要求した。
三左衛門が応じるわけはなかった。 策略だった。
お松は、奉行所に訴えた。 奉行は、徳島藩の長谷川越前守。
しかし、この奉行に、腹黒い三左衛門から、袖の下が渡っていた。
お松は、あきらめなかった。 最後の手段に出た。
徳島藩の殿様に直訴した。 直訴は死罪と分かっていて。
お松の思いが叶えられることはなかった。 死罪になる。
三毛猫と共に、すぐ近くの、那賀川と加茂川の合流点の川原で、首をはねられた。
その場にいた役人には、お松の顔が菩薩に見えたと言う。
役人は、仕事だからやってるだけ。 切りたいわけではない。
念仏の唱和の声が上がり、その中で、お松は死んでいった。
貞享3年3月15日の、月夜の晩のことだった。

その後、三左衛門と長谷川奉行の家には、怪事が続けざまに起こる。
耳元で猫の悲鳴が聞こえたり、召し使いの女が猫に見えたり、行灯に照らされた障子に猫の影が映ったり。
この怪猫に悩まされ続けた両家は変死や病死が相次いだ。
奉行は失脚し、お家は断絶した。 三左衛門の家も同じ。

死をもって不正を訴えたお松を偲び、村人たちはその墓所を義理権現と呼んだ。
そして、お参りするようになった。
義理権現が、今、お松大権現となっている。
※ ここまでは、資料館の中の資料と、「日本文史 » 日本の伝説」のHPを参照。
なお、5反の畑の場所は、分かっており、表示されている。
また、長谷川奉行の跡地が残っており、そこにお松と猫を祀った神社がある。
場所は、県立近代美術館のそば。 ここに、詳しく。 ※ お松の話に、少し違う部分もあるが。
那賀川をはさんだ川向こうに、午尾(ごお)の滝があった。
バス停にバスが止まっていて、運転手さんに場所を聞いた。
ついておいでと言ったので、バスの後ろをついて行った。
曲がり角で停まって、あっちだよって、教えてくれた。
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上の方。

滝壺。 きれいな水だった。 泳いだらダメ、とあった。

魚がいた。 ゆれる波に、似ている。

この辺りは、風景がいい。 途中、那賀川に沈下橋があった。
暖かいから、花は元気。

三左衛門と長谷川家を呪い殺したのは、庶民のように思いますね。
両家に、何かがあったら、それは、お松と三毛猫の祟りだと騒いだ。
昔の人々は信心深かった。 両家もそうだった。 それに苦しんで、おかしくなっていった。
庶民を敵にまわしたのが、致命傷になった。
お松は、強い女性だった。 権力と戦った彼女を、庶民は忘れなかった。
お松大権現として、今に残った。
そんな感じがします。
【道の駅】 鷲の里
【明日の予定】 山の上に寺がある。 そこかな。 ここは、小さな町、歩くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
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記事は役立ったでしょうか。
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【動画】
午尾(ごお)の滝。
鷲の里へ。 ※ 動画の中で、上もこれも、名前を間違ってる。
コメント
阿波十郎兵衛屋敷のお弓の表情、akkamuiさんの素晴らしい文章で改めて見てビクっとしました。お松権現といい、深い感情移入とよく考察された内容が、きれいな写真と相まって、地方に埋もれた情話が生き生きと蘇ってくるようです。全体が単なる旅日記と違う、今までに無かったジャンルの紀行文になっていますね。これからも楽しみにしています。無理せず体に気をつけてください。
Re: タイトルなし
人形に、あんな表情があるなんて、知りませんでした。
芸術って言うんでしょうね。
お鶴の人形は、色々あって、あの人形の表情は特にいいなって感じていました。
どこかで、また見ますよ。
芸術って言うんでしょうね。
お鶴の人形は、色々あって、あの人形の表情は特にいいなって感じていました。
どこかで、また見ますよ。
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