平家の里という、平家落人伝説に関わる資料館に行ってみた。
美しい展示があった。
那須与一が弓を射るが、平家の船で、扇の的を持っていたのは、玉虫御前。
名を、鬼山御前と変えて、五家荘に隠れ住んだという。 その話が、面白い。
吊橋を渡って、梅の木轟(とどろ)の滝を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
平家の里は、樅木(もみぎ)集落の中心に近い所にあった。
小学校。 児童数8名。 3学級。 学校があるとは、思わなかった。 詳しくは、ここに。
HPを読むと、子供たちは、学校と地域によって、大事に育てられてると、感じる。
左の建物が、資料館。 右の建物で、能を舞うのか。 厳島神社を模している。
美しく展示している。 期待以上だった。 清盛の像。
右下に、重盛。 この人の子供たちが、ここに来たという、伝説。
重要人物が、みんないる。
※ 上の左に、後白河法皇。 保元の乱で、崇徳(すとく)天皇を讃岐に追いやった。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
※ 山田まりや が、子供を生んだ。 名前は、崇徳。 むねのり、と読ますそう。 賢く育つ。
厳島神社。 清盛が建てた。 中央に清盛。
※ 島が神だったので、海に社殿を建てた、厳島神社。 平清盛が、現在の形に。~廿日市市~ 他 (2013/1/8)
屋島の合戦で、那須与一が弓を射るところ。 平家の女の人が、玉虫御前。
五家荘の伝説は、この玉虫御前が、鬼山(おにやま)御前になって、この地に。 この後、紹介。
※ 源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
人形とかは、全部、紙細工。 いいものです。
海の中に、みんな沈んだ。
那須与一の息子の小太郎が、平家追討のため、五家荘に来た。
しかし、鬼山御膳と出会って、最後は一緒に暮らすことになる。 詳しくは、動画を。
※ 今も那須家があるという。
※ 椎葉村には、那須与一の弟が来た。 同じように、村で暮らすが、何年かして戻る。
椎葉村には、那須家がいっぱい。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※ 玉虫午前が、五家荘に来た可能性があるのでしょうか。
実は、可能性が0ではないんですね。
彼女の出身は、熊本県の御船町です。 直線で、20㌔程しか離れていません。
ただ、Wikipedia の御船町の項目には、戦いのあと、御船町に戻って、寺を建て、平家の菩提を弔ったとある。
左のように、暮らした。 人形がないから、大根を背負っている。
久連子(くれこ)古代踊り。 久連子地区に行く予定。 その時、調べてきます。
下のニワトリは、久連子鶏(くれこどり)。 久連子にしかいない。 門外不出。 見てみたい。
右は、清盛。 大河ドラマの主人公に似ている。 年輪が、額(ひたい)や鼻にある。
美しく描かれた、肖像画。
※ 最初、画面が揺れますが、少ししたら落ち着きます。
外から人が来たら、困ることがあったのでしょうか。
樅木(もみぎ)村の時代、こんなにいっぱい、家があった。 小学校は、右下の方に。
樅木の吊橋は、昔から、2つあったんだ。 向こうが、低いほうかな。 半分、壊れている。
これを渡るのは、緊張する。 どれだけの人が、落ちたのか。
平家の里には、昔の建物を、移築。
食堂もある。
集落の中を、散歩した。
樅木山荘。 右の木は、樅(もみ)の木のよう。
地図にない道を通って、滝に向かった。
向こう側の斜面を、左奥に行って、こっちの斜面を来た。
急な斜面に、道を作った。
でも、この道は走りやすかった。 一番苦労したのは、国道。
100㍍以上、すれ違えない、完全1車線が、時々ある。 曲がっているから、先は見えない。
クラクションを鳴らして、走った。 今度行ったら、動画を撮ってきます。
着きました。 幻の瀧で、道はないのに、どうして流せたのかな。
この地図が、分かりやすい。 滝は、上の方。 左下に、鬼山御前の墓がある。
どこまで車で行けるか分からないが、行ってみる。 数㌔歩いてもいい。
久連子は、右下。 久連子は、面白い名前。 語源は、分からない。
全長116㍍。 長い。 でも、名前も長い。 梅の木轟公園吊橋。
向こうから来た。 橋は揺れない。 普通の吊り橋の方が、美しいでしょうか。
吊橋を渡って、少し歩くと、見えてくる。 小さな吊橋、龍門橋。
滝の、正式の名前は、梅の木轟。 滝は付かない。 でも、付けて言ってるのが多い。
滝は、大きく2段。 ここは、下。 上の所には、右上から流れてくる。
水しぶきが、飛んでくる。
上の滝です。 正確には、こっちが、梅の木轟のよう。 落差、38㍍。 ※ 下は、昇龍滝。
遊びです。
大きな橋が出来る前は、谷底まで下りて、橋を渡って、また登った。 大変だった。
小さな橋が、見えた。
戻る途中、佐倉荘という民宿があった。 こんな説明があった。
昔、下総(しもうさ)に、佐倉惣五郎という人がいた。 (今の千葉県か)
農民を助けるため、年貢の引き下げを直訴した。
本人家族、死罪になった。 ※ 詳しくは、ここに。
この人の出身が、ここだという。 ※ Wikipedia では、別。
※ このことについては、調べても分からない。
本人についても、何があったかも、史実としては、はっきりしていない。
※ 駐車場が公的なのか、はっきりしないので、少しだけいて動いた。
※ 「モチモチの木」や「花さき山」を書いたのは、斎藤隆介。
彼は「ベロだしちょんま」も書いている。
上の話を元に、創作。
(ずっと昔、「ベロ出しチョンマ」の授業を見たことがある。 悲しい話)
兄と妹も、死罪になる。 妹は、怖くて泣く。 お兄ちゃんは、舌を出して、いつものように妹を笑わす。
最後は、舌を出して、笑いながら死んでいった。
※ 全文かどうか確認していないが、こんなお話。
五家荘の人達にとって、平家の落人というのは、誇りなんでしょうね。
伝説を大事にしているように、見えます。
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 天気が悪ので、五木を少しだけ。
27日に再度、五家荘へ。 鬼山御前の墓にも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体は、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
美しい展示があった。
那須与一が弓を射るが、平家の船で、扇の的を持っていたのは、玉虫御前。
名を、鬼山御前と変えて、五家荘に隠れ住んだという。 その話が、面白い。
吊橋を渡って、梅の木轟(とどろ)の滝を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

平家の里は、樅木(もみぎ)集落の中心に近い所にあった。
小学校。 児童数8名。 3学級。 学校があるとは、思わなかった。 詳しくは、ここに。
HPを読むと、子供たちは、学校と地域によって、大事に育てられてると、感じる。

左の建物が、資料館。 右の建物で、能を舞うのか。 厳島神社を模している。


美しく展示している。 期待以上だった。 清盛の像。

右下に、重盛。 この人の子供たちが、ここに来たという、伝説。
重要人物が、みんないる。


※ 上の左に、後白河法皇。 保元の乱で、崇徳(すとく)天皇を讃岐に追いやった。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
※ 山田まりや が、子供を生んだ。 名前は、崇徳。 むねのり、と読ますそう。 賢く育つ。
厳島神社。 清盛が建てた。 中央に清盛。

※ 島が神だったので、海に社殿を建てた、厳島神社。 平清盛が、現在の形に。~廿日市市~ 他 (2013/1/8)
屋島の合戦で、那須与一が弓を射るところ。 平家の女の人が、玉虫御前。
五家荘の伝説は、この玉虫御前が、鬼山(おにやま)御前になって、この地に。 この後、紹介。

※ 源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
人形とかは、全部、紙細工。 いいものです。
海の中に、みんな沈んだ。

那須与一の息子の小太郎が、平家追討のため、五家荘に来た。
しかし、鬼山御膳と出会って、最後は一緒に暮らすことになる。 詳しくは、動画を。
※ 今も那須家があるという。
※ 椎葉村には、那須与一の弟が来た。 同じように、村で暮らすが、何年かして戻る。
椎葉村には、那須家がいっぱい。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)

※ 玉虫午前が、五家荘に来た可能性があるのでしょうか。
実は、可能性が0ではないんですね。
彼女の出身は、熊本県の御船町です。 直線で、20㌔程しか離れていません。
ただ、Wikipedia の御船町の項目には、戦いのあと、御船町に戻って、寺を建て、平家の菩提を弔ったとある。
左のように、暮らした。 人形がないから、大根を背負っている。


久連子(くれこ)古代踊り。 久連子地区に行く予定。 その時、調べてきます。
下のニワトリは、久連子鶏(くれこどり)。 久連子にしかいない。 門外不出。 見てみたい。
右は、清盛。 大河ドラマの主人公に似ている。 年輪が、額(ひたい)や鼻にある。


美しく描かれた、肖像画。


※ 最初、画面が揺れますが、少ししたら落ち着きます。
外から人が来たら、困ることがあったのでしょうか。


樅木(もみぎ)村の時代、こんなにいっぱい、家があった。 小学校は、右下の方に。

樅木の吊橋は、昔から、2つあったんだ。 向こうが、低いほうかな。 半分、壊れている。
これを渡るのは、緊張する。 どれだけの人が、落ちたのか。

平家の里には、昔の建物を、移築。


食堂もある。

集落の中を、散歩した。


樅木山荘。 右の木は、樅(もみ)の木のよう。

地図にない道を通って、滝に向かった。
向こう側の斜面を、左奥に行って、こっちの斜面を来た。

急な斜面に、道を作った。
でも、この道は走りやすかった。 一番苦労したのは、国道。
100㍍以上、すれ違えない、完全1車線が、時々ある。 曲がっているから、先は見えない。
クラクションを鳴らして、走った。 今度行ったら、動画を撮ってきます。

着きました。 幻の瀧で、道はないのに、どうして流せたのかな。

この地図が、分かりやすい。 滝は、上の方。 左下に、鬼山御前の墓がある。
どこまで車で行けるか分からないが、行ってみる。 数㌔歩いてもいい。
久連子は、右下。 久連子は、面白い名前。 語源は、分からない。

全長116㍍。 長い。 でも、名前も長い。 梅の木轟公園吊橋。

向こうから来た。 橋は揺れない。 普通の吊り橋の方が、美しいでしょうか。

吊橋を渡って、少し歩くと、見えてくる。 小さな吊橋、龍門橋。


滝の、正式の名前は、梅の木轟。 滝は付かない。 でも、付けて言ってるのが多い。
滝は、大きく2段。 ここは、下。 上の所には、右上から流れてくる。
水しぶきが、飛んでくる。

上の滝です。 正確には、こっちが、梅の木轟のよう。 落差、38㍍。 ※ 下は、昇龍滝。


遊びです。

大きな橋が出来る前は、谷底まで下りて、橋を渡って、また登った。 大変だった。
小さな橋が、見えた。
戻る途中、佐倉荘という民宿があった。 こんな説明があった。
昔、下総(しもうさ)に、佐倉惣五郎という人がいた。 (今の千葉県か)
農民を助けるため、年貢の引き下げを直訴した。
本人家族、死罪になった。 ※ 詳しくは、ここに。
この人の出身が、ここだという。 ※ Wikipedia では、別。
※ このことについては、調べても分からない。
本人についても、何があったかも、史実としては、はっきりしていない。
※ 駐車場が公的なのか、はっきりしないので、少しだけいて動いた。

※ 「モチモチの木」や「花さき山」を書いたのは、斎藤隆介。
彼は「ベロだしちょんま」も書いている。
上の話を元に、創作。
(ずっと昔、「ベロ出しチョンマ」の授業を見たことがある。 悲しい話)
兄と妹も、死罪になる。 妹は、怖くて泣く。 お兄ちゃんは、舌を出して、いつものように妹を笑わす。
最後は、舌を出して、笑いながら死んでいった。
※ 全文かどうか確認していないが、こんなお話。
五家荘の人達にとって、平家の落人というのは、誇りなんでしょうね。
伝説を大事にしているように、見えます。
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 天気が悪ので、五木を少しだけ。
27日に再度、五家荘へ。 鬼山御前の墓にも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体は、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/962-54d8f861