玉虫御前の伝説、また鬼山御前の伝説は、面白いので、少しだけ追ってみます。
玉虫の故郷で起きていることなので、もしかしたらの、可能性もあります。
ネットにたくさんの情報がないので、場所をやっと見つけました。
九州では、春一番が吹きました。
いっしょに、卒業式シーズンがスタート。
生温かい風が吹いて、天気は大荒れ。
強い雨は、一日中。
※ ネットの調子が悪い。
原因ははっきりしないけど、もしかしたら、自分に責任。
コンピューターの警告を無視して、あることをした。
それは、将棋のサイトの棋譜が、見られるようにした。
他も考えられるが、パソコンの調子がいい時は、余計なことをしない。
これを、守らなかった。
この画面は、やっと出すことができた。
朝になって。 この後、どうなるか・・・。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
※ お知らせ。
パソコンがおかしくなりました。
何とかするまで、旅は一休みです。
すぐに動きます。
ブログは、書ける状態になりました。
どうしたかって? 仕方なく、パソコンを変えましたよ。
省電力なので、いいかなって。
※ 電気がなくなったら、エンジンをかける。
パソコン代は、1年かからないで、元が取れそうなんですが。
LEDの画面なんだけど、写真が写真でない。
それが、困ったもんです。 パソコンの設定で、何ともならない。
写真のいい悪いかが、判断つかない。
確認しないで買ってしまう、私が悪い。
電気は、確かに使わない。
今、午後の11時。 電気は,全く減っていない。
説明では、今までのパソコンの、3分の1以下か。
悩みが消えて、さあ、旅にブログに集中出来そうと思ってた、矢先でした。
私は今日、思いました。 旅に熱中できる幸せは大きいって。
今度そうなったら、ありがたさを、忘れないようにしないと、ダメだなって。
昨日のブログをまとめますね。
場所は、熊本市の南です。
赤い道は細い。
青○の道に、バス停がある。 印の後ろ辺り。
車は、この近くに停めた。
お寺の横を通る。 100㍍ほど行ったら、右に見えてくる。
※ 下の写真は、試しです。 これからのブログ写真のサイズを検討中。
玉虫寺跡に、小さなお堂を建てた。 お堂の前に、玉虫公民館。
このように。
横野村のことが書いてあるが、調べたら、この辺り一帯が、横野村だったよう。
この地に寺を建て、平氏の菩提を弔ったとある。
このように、祠や石塔が、あちこちにある。 祠の前に、ミニ石塔。
上の祠の後に、説明にある、六地蔵塔。 象形化した像とあるが、分からない。
この敷地の後には、墓地。
このように石塔が散らばっているのを見ると、ここには昔、確かにお寺があったと分かる。
少し高いところには、こんな石の祠。
そして、玉虫公民館の後に、小さなお堂。
火事で焼けた像とあるのは、これですね。
玉虫御前の伝説は、地名のほかに、何か文書で残っているのでしょうか。
その辺ははっきりしないが、Wikipedia の御船町の項目では、下のように。
玉虫寺 - 平家物語に登場する玉虫御前は御船出身といわれる。
源平合戦のあと、人目を避けて故郷の御船へ帰り、この寺を建立し尼となり平家一門の菩提を弔った。
何を基にして、上のことを書いたのでしょう。
鶴の彫り物。
伝説では、この地方広く、清盛の子の重盛の知行地だったと、云うんですね。
代官をしていたのが、玉虫御前の父。
伝説の中に、もしかしたらの部分は、あるのでしょうか。
玉虫御前の壇ノ浦の後については、Wikipediaには、書いてない。
寺跡の下は、このように、畑。
少し離れたところに、家並み。 手前の家の、向こうから、歩いてきた。
梅の花が満開。
地図にもある、小さな橋。 私の車は、左後の方に。
玉虫御前が、もし、この地方に戻ってきていたら、2つの伝説のどちらかに、可能性が出てきます。
玉虫御前と鬼山御前の伝説は、遠くないです。 広い日本の中で、偶然にということは、ないように思うですが。
何かがあって伝説は生まれたんですが、それは分かりません。
いろいろ、想像だけは広がりますが。
※ このパソコンでは、本当の写真がどうなのか、分からない。
こまったな~。
【今日の歌】 ジェイド・イン(Jade Yin)『仰げば尊し』
【道の駅】 みずなし本陣ふかえ
【3日の予定】 島原市の見学
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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玉虫の故郷で起きていることなので、もしかしたらの、可能性もあります。
ネットにたくさんの情報がないので、場所をやっと見つけました。
九州では、春一番が吹きました。
いっしょに、卒業式シーズンがスタート。
生温かい風が吹いて、天気は大荒れ。
強い雨は、一日中。
※ ネットの調子が悪い。
原因ははっきりしないけど、もしかしたら、自分に責任。
コンピューターの警告を無視して、あることをした。
それは、将棋のサイトの棋譜が、見られるようにした。
他も考えられるが、パソコンの調子がいい時は、余計なことをしない。
これを、守らなかった。
この画面は、やっと出すことができた。
朝になって。 この後、どうなるか・・・。
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※ お知らせ。
パソコンがおかしくなりました。
何とかするまで、旅は一休みです。
すぐに動きます。
ブログは、書ける状態になりました。
どうしたかって? 仕方なく、パソコンを変えましたよ。
省電力なので、いいかなって。
※ 電気がなくなったら、エンジンをかける。
パソコン代は、1年かからないで、元が取れそうなんですが。
LEDの画面なんだけど、写真が写真でない。
それが、困ったもんです。 パソコンの設定で、何ともならない。
写真のいい悪いかが、判断つかない。
確認しないで買ってしまう、私が悪い。
電気は、確かに使わない。
今、午後の11時。 電気は,全く減っていない。
説明では、今までのパソコンの、3分の1以下か。
悩みが消えて、さあ、旅にブログに集中出来そうと思ってた、矢先でした。
私は今日、思いました。 旅に熱中できる幸せは大きいって。
今度そうなったら、ありがたさを、忘れないようにしないと、ダメだなって。
昨日のブログをまとめますね。
場所は、熊本市の南です。

赤い道は細い。

青○の道に、バス停がある。 印の後ろ辺り。
車は、この近くに停めた。

お寺の横を通る。 100㍍ほど行ったら、右に見えてくる。
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玉虫寺跡に、小さなお堂を建てた。 お堂の前に、玉虫公民館。

このように。

横野村のことが書いてあるが、調べたら、この辺り一帯が、横野村だったよう。
この地に寺を建て、平氏の菩提を弔ったとある。

このように、祠や石塔が、あちこちにある。 祠の前に、ミニ石塔。


上の祠の後に、説明にある、六地蔵塔。 象形化した像とあるが、分からない。


この敷地の後には、墓地。
このように石塔が散らばっているのを見ると、ここには昔、確かにお寺があったと分かる。

少し高いところには、こんな石の祠。

そして、玉虫公民館の後に、小さなお堂。

火事で焼けた像とあるのは、これですね。

玉虫御前の伝説は、地名のほかに、何か文書で残っているのでしょうか。
その辺ははっきりしないが、Wikipedia の御船町の項目では、下のように。
玉虫寺 - 平家物語に登場する玉虫御前は御船出身といわれる。
源平合戦のあと、人目を避けて故郷の御船へ帰り、この寺を建立し尼となり平家一門の菩提を弔った。
何を基にして、上のことを書いたのでしょう。
鶴の彫り物。

伝説では、この地方広く、清盛の子の重盛の知行地だったと、云うんですね。
代官をしていたのが、玉虫御前の父。

伝説の中に、もしかしたらの部分は、あるのでしょうか。
玉虫御前の壇ノ浦の後については、Wikipediaには、書いてない。
寺跡の下は、このように、畑。

少し離れたところに、家並み。 手前の家の、向こうから、歩いてきた。

梅の花が満開。

地図にもある、小さな橋。 私の車は、左後の方に。

玉虫御前が、もし、この地方に戻ってきていたら、2つの伝説のどちらかに、可能性が出てきます。
玉虫御前と鬼山御前の伝説は、遠くないです。 広い日本の中で、偶然にということは、ないように思うですが。

何かがあって伝説は生まれたんですが、それは分かりません。
いろいろ、想像だけは広がりますが。
※ このパソコンでは、本当の写真がどうなのか、分からない。
こまったな~。
【今日の歌】 ジェイド・イン(Jade Yin)『仰げば尊し』
【道の駅】 みずなし本陣ふかえ
【3日の予定】 島原市の見学
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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