屋島は、その名の通り、ずっと昔は、島だった。
屋根の形をしているので、屋島。 小豆島の豊島から見たら、こんな形だった。 (写真右)
平氏は屋島の合戦で負けて、勝ち目はなくなった。
島の上からは、海も街も、那須与一の舞台も、みんな見渡せた。
京都の桜が、開花しました。 数日後に満開。
明日、京都に向かいます。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
右に、五剣山が。
屋島を南から。
道は、この後、有料道路だった。
途中で、下に、源平の合戦の舞台が見えた。 那須与一の話は、中央少し右。
昔は、もっと広く海。 江戸時代に埋めえ立てた。
源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
上には、広い駐車場がある。 そして、屋島寺、お店、水族館、ホテルなど。
※ 観光地ではあるが、大きな問題を抱えた観光地と、この後感じる。
このことについては、後で。
84番札所、屋島寺(やしまじ)。 ここにあることで、平家の魂を鎮(しず)める役割も。
大師堂。
本堂。
見晴らしがいい、獅子の霊巌展望台に向かった。
この桜は、1665年に植えたものと分かっている。 植えたのは、高松藩士の松平可正(かしょう)。
それで、可正桜。 石段のそばにあったのを、ここに。 可正は、歌を作った。
「花の時 人きてもしも問うならば 可正桜と名を知らせてよ」
その通りになった。 間もなく咲く。
源平合戦供養碑。 那須与一の弓を受ける、扇の的のそばにいるのは、玉虫御前。
玉虫寺は、玉虫御前が平家の菩提を弔うために建てた、と伝わっている。~御船町~ 他 (2013/3/1)
久連子古代の里。 鬼山御前の祠。 伝説は、歴史の残り火か。~八代市五家荘~ 他 (2013/2/27)
モクレンですね。
こういう所が、広くある。 山の上は、お盆を伏せたように、平。
高松市の市街。
海には、鬼ヶ島と言われる、女木島。
女木島は、鬼ヶ島だった。 山の上の大きな洞窟の中に、かわいい鬼がいた。~高松市~ 他 (2012/12/24)
かわら投げをやってる人が、多い。
お土産屋さんの、ショウウィンドウ。
再び屋島寺に戻ってくると、お遍路さんの集団。
反対側の、五剣山が見える方に。
※ 昔は島だったというが、今も、本当は島。
昔海だったところは、今は、細い川だけ。 細くても、この川が海峡なら、本物の島。
地図ではこうです。 確かに、四国本土と離れている。
海の向こう、霞んで見える島は、小豆島。 昨年の12月に、長くいた。
こんな展望台。
※ 屋島の問題について、下に書きました。 よかったら、読んでみてください。
今通ったところに、大きなホテルの廃墟があった。 そのままにしておくのは、観光に大きなマイナス。
高松市は困っている。 広く、敷地は、寺のもの。
屋島の観光開発の、何が問題だったのか。
市が進めていればよかったが、個人によって、進められたんですね。
道が有料で、普通車で610円。
市が主導権を握っていれば、どのようにすれば、多くの人がやってくるかを、まず考えた。
でも、個人が進めたら、どのようにすれば、利益が上がるかになってしまう。
屋島の、水族館も、四国村も、寺以外のすべてが、廃墟になってしまう可能性があるんですね。
九州の佐多岬の観光開発に、屋島は、そっくり。
佐多岬は、立ち直れない状態。 すべて廃墟。
元々、屋島という自然財産は、高松市民みんなのものなんですね。
それが、いつの間にか、個人のものになってしまった。
間違いは、そこから始まったように思います。
屋島のような個性的な形をした山は、少なく、他には、群馬県と長野県の境にある、荒船山くらい。
こんな山。(2009年の秋に、谷川岳の上から撮影)
屋島は、高松市にとって、最も大きな観光財産。
自然と歴史が一緒になって、とても大きな魅力。
今後、高松市は、どう動くでしょう。
観光の主導権は、個人には渡さない。
これが基本で、もっとも大事ですね。
屋島の麓の、わら屋で、釜揚げうどんを食べました。 Mさんのおすすめ。
暑い汁は、この入れ物に入ってくる。
カツオのダシかと思ったけど、イリコのダシだそうです。(Mさんからの情報)
美味しい。
四国民家博物館「四国村」。 Mさんのおすすめ。
本物を移築しており、重要文化財のものもある。 入村料は800円。 個人の経営。
これは、農村歌舞伎の舞台。 小豆島から移築。
生かすな殺すなと幕府が言ってた時代でも、農民は、ちゃんと楽しんでいた。
それが分かるのは、うれしいですね。
肥土山農村歌舞伎舞台。 八日目の蝉の舞台になった、中山の千枚田。~土庄町・小豆島町~ 他 (2012/12/6)
畑をイノシシから守る、猪垣(ししがき)。 これも、小豆島。
三都半島巡り。(地蔵岬灯台、皇子神社社叢、風穴庵、長崎のしし垣、他)~土庄町~ 他 (2012/12/15)
18世紀前半の建物。 下の大きな石は、大坂城残石。 小豆島から。
小豆島は石の島だった。(豆腐石丁場。 八人石。 大坂城残石記念公園)~土庄町 他~ 他 (2012/12/2)
砂糖しめ小屋。 サトウキビを、絞る。 中で牛がぐるぐる回って。
桜は、葉があるので、ヤマザクラでしょうか。
中は広く、歩いていて、退屈しない。 お客さんには、一度も出会わない。
茶堂と説明があった。 愛媛県から。 脱藩の道沿いにあったと。
※ 檮原(ゆすはら)の脱藩の道沿いで、同じものを見ている。
通りがかった人は、ここで一休み。 竜馬もきっと。
右の石は、たたいたら、乾いた音がした。
トサミズキの花と、若葉。
資料館の中。
カンヒザクラ(寒緋桜)。 花が、釣鐘のよう。
金比羅街道沿いにあった、石橋。 しっかりした作り。 上の部分が、二重。
蔵等、いろんな建物があった。
ここに、出てきました。
屋島を、高松市は、きっと何とかしますね。
今のままでは、もったいないです。
【今日の歌】 間もなく、若葉の季節です。
【道の駅】 うたづ臨海公園
【明日の予定】 京都に向かう。 亀岡の道の駅まで。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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屋根の形をしているので、屋島。 小豆島の豊島から見たら、こんな形だった。 (写真右)
平氏は屋島の合戦で負けて、勝ち目はなくなった。
島の上からは、海も街も、那須与一の舞台も、みんな見渡せた。
京都の桜が、開花しました。 数日後に満開。
明日、京都に向かいます。
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右に、五剣山が。
屋島を南から。

道は、この後、有料道路だった。
途中で、下に、源平の合戦の舞台が見えた。 那須与一の話は、中央少し右。
昔は、もっと広く海。 江戸時代に埋めえ立てた。
源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)

上には、広い駐車場がある。 そして、屋島寺、お店、水族館、ホテルなど。
※ 観光地ではあるが、大きな問題を抱えた観光地と、この後感じる。
このことについては、後で。


84番札所、屋島寺(やしまじ)。 ここにあることで、平家の魂を鎮(しず)める役割も。
大師堂。

本堂。

見晴らしがいい、獅子の霊巌展望台に向かった。
この桜は、1665年に植えたものと分かっている。 植えたのは、高松藩士の松平可正(かしょう)。
それで、可正桜。 石段のそばにあったのを、ここに。 可正は、歌を作った。
「花の時 人きてもしも問うならば 可正桜と名を知らせてよ」
その通りになった。 間もなく咲く。


源平合戦供養碑。 那須与一の弓を受ける、扇の的のそばにいるのは、玉虫御前。
玉虫寺は、玉虫御前が平家の菩提を弔うために建てた、と伝わっている。~御船町~ 他 (2013/3/1)
久連子古代の里。 鬼山御前の祠。 伝説は、歴史の残り火か。~八代市五家荘~ 他 (2013/2/27)


モクレンですね。

こういう所が、広くある。 山の上は、お盆を伏せたように、平。

高松市の市街。

海には、鬼ヶ島と言われる、女木島。
女木島は、鬼ヶ島だった。 山の上の大きな洞窟の中に、かわいい鬼がいた。~高松市~ 他 (2012/12/24)


かわら投げをやってる人が、多い。

お土産屋さんの、ショウウィンドウ。

再び屋島寺に戻ってくると、お遍路さんの集団。

反対側の、五剣山が見える方に。

※ 昔は島だったというが、今も、本当は島。
昔海だったところは、今は、細い川だけ。 細くても、この川が海峡なら、本物の島。
地図ではこうです。 確かに、四国本土と離れている。

海の向こう、霞んで見える島は、小豆島。 昨年の12月に、長くいた。


こんな展望台。

※ 屋島の問題について、下に書きました。 よかったら、読んでみてください。
今通ったところに、大きなホテルの廃墟があった。 そのままにしておくのは、観光に大きなマイナス。
高松市は困っている。 広く、敷地は、寺のもの。
屋島の観光開発の、何が問題だったのか。
市が進めていればよかったが、個人によって、進められたんですね。
道が有料で、普通車で610円。
市が主導権を握っていれば、どのようにすれば、多くの人がやってくるかを、まず考えた。
でも、個人が進めたら、どのようにすれば、利益が上がるかになってしまう。
屋島の、水族館も、四国村も、寺以外のすべてが、廃墟になってしまう可能性があるんですね。
九州の佐多岬の観光開発に、屋島は、そっくり。
佐多岬は、立ち直れない状態。 すべて廃墟。
元々、屋島という自然財産は、高松市民みんなのものなんですね。
それが、いつの間にか、個人のものになってしまった。
間違いは、そこから始まったように思います。
屋島のような個性的な形をした山は、少なく、他には、群馬県と長野県の境にある、荒船山くらい。
こんな山。(2009年の秋に、谷川岳の上から撮影)
屋島は、高松市にとって、最も大きな観光財産。
自然と歴史が一緒になって、とても大きな魅力。
今後、高松市は、どう動くでしょう。
観光の主導権は、個人には渡さない。
これが基本で、もっとも大事ですね。
屋島の麓の、わら屋で、釜揚げうどんを食べました。 Mさんのおすすめ。
暑い汁は、この入れ物に入ってくる。
カツオのダシかと思ったけど、イリコのダシだそうです。(Mさんからの情報)
美味しい。


四国民家博物館「四国村」。 Mさんのおすすめ。

本物を移築しており、重要文化財のものもある。 入村料は800円。 個人の経営。
これは、農村歌舞伎の舞台。 小豆島から移築。
生かすな殺すなと幕府が言ってた時代でも、農民は、ちゃんと楽しんでいた。
それが分かるのは、うれしいですね。
肥土山農村歌舞伎舞台。 八日目の蝉の舞台になった、中山の千枚田。~土庄町・小豆島町~ 他 (2012/12/6)

畑をイノシシから守る、猪垣(ししがき)。 これも、小豆島。
三都半島巡り。(地蔵岬灯台、皇子神社社叢、風穴庵、長崎のしし垣、他)~土庄町~ 他 (2012/12/15)

18世紀前半の建物。 下の大きな石は、大坂城残石。 小豆島から。
小豆島は石の島だった。(豆腐石丁場。 八人石。 大坂城残石記念公園)~土庄町 他~ 他 (2012/12/2)

砂糖しめ小屋。 サトウキビを、絞る。 中で牛がぐるぐる回って。
桜は、葉があるので、ヤマザクラでしょうか。


中は広く、歩いていて、退屈しない。 お客さんには、一度も出会わない。
茶堂と説明があった。 愛媛県から。 脱藩の道沿いにあったと。
※ 檮原(ゆすはら)の脱藩の道沿いで、同じものを見ている。
通りがかった人は、ここで一休み。 竜馬もきっと。
右の石は、たたいたら、乾いた音がした。


トサミズキの花と、若葉。


資料館の中。

カンヒザクラ(寒緋桜)。 花が、釣鐘のよう。


金比羅街道沿いにあった、石橋。 しっかりした作り。 上の部分が、二重。

蔵等、いろんな建物があった。

ここに、出てきました。

屋島を、高松市は、きっと何とかしますね。
今のままでは、もったいないです。
【今日の歌】 間もなく、若葉の季節です。
【道の駅】 うたづ臨海公園
【明日の予定】 京都に向かう。 亀岡の道の駅まで。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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